02

「ありがとうございました」

 鈴の音に続き、語尾に音符が付いた声は真琴の背にかかったものである。軽くなった財布を持ちながら佇む。
「衝動買いだったかな」
 ぶるりと身体を震わせたのは、財布が寒いのか、あるいは実際に寒いのか。

 頭から爪先まで、真琴は全身春色に染まった。僅かばかりの反省は、女に勧められるがまま薄手のコートや靴、スカーフを購入してしまったミーハーさによるもの。
 おだてられて気分よく買ったあとに、後悔するのはいつものことだ。似たような靴をまた買ってしまったとか、結局あまり使わないスカーフをまた買ってしまったとか。
 しかし今回ばかりは大目に見るとしよう。全身揃えなければならない事情があったのだから――と真琴は自分を言い含めた。

 さて、急いでリヴァイのもとへ戻らなければ。パステルカラーのパンプスで街路を歩き出す。
 そのとき、鼻を誘惑する甘い匂いが漂ってきた。クレープ屋のものだった。待たせてしまったお詫びも兼ねて、リヴァイと自分用に二つ購入していくことにした。

 リヴァイの姿が見えてきた。外灯に凭れて腕を組んでいる。交差している足先が、何度も石畳を叩いていた。あの様子では、待たされてだいぶ苛々しているだろうことが窺える。
 小言を吐かれるのを、あらかじめ覚悟しておく。真琴にまだ気づいていないリヴァイに、そっと近づいて肩をぽんと叩いた。

 すっ、と振り向いたリヴァイはぽかんと口を開けた。
「――は?」
 状況を把握できていない彼に、真琴は笑顔で首を傾けてみせた。
「こんなところで会うなんて奇遇ね」
 リヴァイは反応できずにいるようだ。
「誰かと待ち合わせしてるの?」
 こう訊かれては違うとしか言いようがないはずだ。何しろ連れである真琴は、いまマコなのだから。

 どことなくぼんやりと、
「野暮用で街に出てきたが、たったいま独りになったらしい」
 しかし的確に答えてきたものだから、真琴は思わずクスッと笑う。
「やだ、あなたほどモテる人がフラれちゃった?」
「便所へ行くと言ってもう四十分も帰ってこねぇ。とんでもない野郎だろ」
「それはもう戻ってこないわね。諦めたほうがよさそうよ」
 顔を伏せたリヴァイは長い溜息をついた。精神的な疲労が滲み出ていた。

「ところで、私もいま独りなのよね」
 リヴァイは無表情で見てくるが、欲しい言葉を言ってくれない。もう一度、わざとらしくゆっくり言う。
「私、いま独りなのよねっ」
 再度浅く溜息をついたリヴァイ。
「外が寒いこと、知ってるだろうに。学習能力のねぇ奴だ」
 と言い、再びマフラーを掛けてくれたのだった。

 爪先を通りに向け、歩き出したリヴァイに真琴も続く。両手に持つクレープの、片方を差し出した。
「食べる?」
 と窺ったが、受け取ってもらわないと困る。一人で二つも食べ切れないからだ。
 ちらっと見てきたリヴァイは、
「そんなもん食えるか」
 と、そっけないものだった。喜んで受け取るとは思っていなかったから、予想通り。彼らしい返答だ。

「甘くないから大丈夫よ。リヴァイでも食べられるわ、サラダ系だもん」
「いらねぇって言ってんだろ。しつこいぞ」
「もらってくれないと困るわ。無駄になっちゃう」
 乗り気じゃないような顔をして、リヴァイはそれでも折れてくれた。クレープが彼の手に渡る。
「自分の腹具合でさえ、正しく認識できねぇのか」
 皮肉なんて相手にしない。
「買うときは食べられるって思ったんだもの」

 彼だって、自分へのものだということは分かっているはずだ。互いに解っていて知らないフリをしているだけなのだ。
 リヴァイはぎこちなくクレープを食べ始めた。

「この歳になって、クレープなんぞ食うはめになろうとはな。一生縁がないものと思ってたが」
「歳なんて関係ないわよ。おばあちゃんになっても私は食べると思うわ。だって好きだもの」
「そういうことじゃない。見てみろ、客観的に」

 真琴のほうへ身体を傾けてきた。のろのろと歩きながら彼の全身を眺める。ピンクの紙に巻かれたクレープを持つ、仏頂面のリヴァイ。
 なるほど、不釣り合いである。が、そのチグハグさがほんのり可愛くも見えるのはなぜか。

 ホイップクリームが絡むイチゴを飲み込んだ真琴は破顔した。
「悪くないっ」
「思ってもないことを言うな、人を見て笑いやがって。大体にしろ、男が食うもんじゃない」
「そんなことない」
 と、真琴は向かいから歩いてくる男女に目配せし、
「あの人も食べてるじゃない」

 男女は恋人のようで腕を絡ませていた。互いに持つクレープを、男のほうが女に差し出す。女は首を伸ばしてパクリと食べた。女も男へ自分の分を差し出す。男も同じようにして食べていた。

 互いにすれ違ってからついポロリと、
「見せつけてくれるわね」
 リヴァイは振り返り、
「馬鹿か」
 と背中に向けて吐き捨てた。軽蔑が多分に含まれていた。

 食べかけのクレープをしばらく見つめ、にこりとリヴァイに差し出してみる。
「食べてみる?」
「くだらないことに影響されるな。そもそも食いかけじゃねぇか。衛生上よくないし、虫歯が移る」

 ここでリヴァイが「ああ」と言ったら、もはや彼ではないのでこれも予想通り。けれども別に影響されたわけでなく、好きな人と食べ合いっこしたいと思うのは、自然なことだと真琴は思う。
「虫歯なんて一個もないもの」
 残念に思いながら、クレープを食す。甘さにちょっと嫉妬した。

 真琴とリヴァイの関係を、第三者から見た場合どう思うのだろうか。仕様もない三文芝居だと嘲笑されるのだろうか。だけれども、この距離感がリヴァイにとって必要なものであるのなら、合わせるのもまた愛の形である、と真琴は思っている。
 何も知らないという芝居を、続けるために確認する。

「何の野暮用で街へ来たの?」
 いらないと言ったわりには、もうクレープが半分になっているリヴァイ。咀嚼しているのを飲み下してから口を開いた。
「洋菓子を買いにきた」
「どこで買うか決めてるの?」
 リヴァイが無表情を向けてきた。
「いいや」

「洋菓子といえばここ! ってお店を知ってるけど、行ってみる?」
「お前に任せる」
 やれやれ、というふうにリヴァイは目線を外した。

 メインストリートは様様な人間が行き交う。なかでも夫婦や恋人は、仲の良さで目立つ。老夫婦の、妻を気遣う夫の仲睦まじさには、微笑ましいものがあった。
 周囲の恋人たちが羨ましくて、真琴は彼の肘に手を絡ませてみた。リヴァイが流し目をしてきたから、
「いいでしょ?」と甘えるふうに眼で訴えると、無言でまた視線を戻した。振り払ったりしてこないから、好きにしていいということだろう。

「こうしてると、私たちってどう映って見えるのかしら」
 リヴァイがショーウィンドウに顔を向けた。鏡のようにくっきりとまではいかないが、二人が映り込んで見えた。何を思っているのかしばらく黙っていた彼は、やがてもう一人の自分から顔を逸らした。
「上司と部下には見えねぇだろうな」
「上司と部下じゃなかったら、それ以外にどう見えると思ったの?」
 質問に答えず、
「引っつくのは構わないが、クリームは服に付けてくんなよ」

 恋人ではないけれど、せめて周りから恋人に見られているといい。淡い想いを抱いて、さらに寄り添ってみたのだった。

 ストライプ模様の巨大なマカロン。渦巻き模様の巨大なマカロン。それらは立体的なレプリカであり、看板に取り付けられている。「マカロン専門店」とある店は、見てくれからして虫歯になりそうな甘い雰囲気であり、お菓子の家みたいだった。
 引き攣った顔のリヴァイが、看板を見上げながら一歩引いた。

「まさか、こことか言わねぇよな」
「洋菓子が欲しいんでしょ? 看板の文字、読めない?」
「菓子ならマーケットでも売ってるだろ。なんでこんなとこに連れてきた」
 文句を垂れるリヴァイをよそに、ドアノブを押す。
「いろんな種類のマカロンを買えるお店で、女の子たちにいますごい人気なのよ」
 リヴァイが口許を歪ませて、噛み付いてきた。
「入れるかっ」

 どうしてそんな態度を取るのか、何となく予想はできる。概観に違わず、それ以上に店内は甘い空気。
 もちろんマカロンの香りもあるのだが、とにかく内装が甘い。加えて若い女の子たちでごった返しており、黄色い声も充分な雰囲気を形作っているのだ。
 おそらく、そんな中へ入るのをリヴァイは嫌がっている。

「男の来る場所じゃねぇだろ」
 やっぱり。
「そんなことない」
 言って既視感を覚える真琴。さっきも似たようことを口にした、と思いながらも店内を指差す。
「いるわよ、男の人」
 恋人らしき人間も何組かいる。リヴァイのように嫌そうにはしておらず、楽しそうだ。
 カフェカーテンが掛かっている木枠の窓。外から中の様子を見たリヴァイが、
「馬鹿かっ」
 と毒突いた。

「自分の感性を人に押し付けるのってどうかと思うわ」
「どう見たって馬鹿だろ。男のくせして、女と一緒になってヘラヘラと――プライドもねぇのか」
 真琴は首をかしげた。
「無理につき合ってる感じには見えないけど。好きなんじゃない? 甘いものが」
「だとしてもだ」
 強調した物言い。眉を寄せて、中の男たちを別次元の生き物のような眼つきで見る。
「下半身にぶら下がってるもんを、どっかに捨ててきたんじゃねぇのか、あいつら」

 今度は真琴がおおいに眉を寄せた。
「下品なんだから。食べ物屋さんの前でそういうのやめてよ」
「貴族様と違って育ちが悪いもんでな」
 店先から梃子でも動かない様子のリヴァイに、溜息をついてみせた。
「じゃあどうするっていうの」
 ズボンのポケットからリヴァイは金を取り出し、
「金を渡すから、代わりにお前が買ってこい」
 マネークリップに挟んであるお札を、数枚差し出してきた。

 日本ではほとんど見かけないマネークリップ。小額紙幣が多い、この世界ならではなのか。財布がかさばるからスマートな支払いを、ただリヴァイが好んでいるだけなのか。分からないが、小銭はどうしているのだろうと、あまり意味のないことが気になってしまう。歩いていてジャラジャラ音がしなかったことを思えば、小銭入れをべつに持ち歩いているのかもしれない。

「どのくらい必要なの?」
「八十人分だ。適当に選んでくれていい」

 八十人。あの大きな紙袋二つに、それだけのチョコが入っていたとは驚きだった。ちなみに真琴は三十人から貰ったのだが、約倍の差がつくとはさすが人類最強である。
 唇が逆にしなっていく真琴の表情は、不機嫌そのもの。モテ男に意地悪したくなった。
 差し出してきた金を受け取らず、手を後ろで組み合わせた。首を振る。

「いやよ。自分で選びなさいよ」
 そうしてファンシーな店内で恥ずかしい思いをすればいいのだ。ぷいっとリヴァイから顔を逸らして、真琴は中へ入っていく。
「おいっ」
 少し困惑した声と合わせて、二の腕を掴まれたが無視して滑り込んだ。一緒に入ってくる感じになってしまったリヴァイを、にっこり顔で振り返る。
「諦めて私につき合ってね。マカロンは選んであげるわ、だって分からないでしょ?」
 苦虫を噛み潰したような顔を、リヴァイはみせてきたのだった。

 店内ではたくさんのマカロンがトレーに並んでいる。好きな種類のマカロンを選ぶことができ、自分でバスケットに入れていくのだ。パン屋と買い方が似ている。
 彩り豊かなマカロンたちに、テンションがあがる。カゴ持ちをリヴァイにさせ、真琴はマカロン選びに夢中になっていた。
 小型のトングで、種類別に小さなバスケットに入れていく。

「ジャムとかクリームとか色んなマカロンを組み合わせると可愛いかも。プレゼント用に可愛くラッピングもしてくれるんですって」
「ケチるわけじゃねぇが、一人分はあんまり多くするなよ。変な気を持たれても面倒だからな」
 マカロンを選びつつ、真琴は上目で考える。
「あまりいっぱい貰っても困るだろうけど、リヴァイは兵士長なのよね」
「兵士長だから何だってんだ」

「上官なんだから、ちょっと見栄を張るぐらいが丁度いいと思うの。箱にマカロンが三つしか入ってなかったら、ガッカリするんじゃないかしら」
「ガッカリする意味が分からん。貰えるだけありがたいだろうが」

 チョコレート味と書かれた小さなプレートの上には、茶色のマカロンがトレーに整列している。苦笑しながら真琴はトングで一個取り、
「だって仮にも兵士長なのよ。ほかの兵士よりもお給料をたくさん支給されているんだもの、お返しを貰えるとしたらみんな期待するんじゃないかしら」
「めんどくせぇ。勝手に変な期待されてもはた迷惑なだけなんだが」
 渋い顔をして言った。

「分かんないけど……。でも評価は上がると思うわ。だからマカロンに小物を添えるとかどう? ここってマカロンを模したアクセサリーなんかも売ってるから。どの子にも平等に包めば誤解されることもないわ」
「金は普段使わないからどうってことはないが、ガッカリするってのがどうにも気に入らねぇ……まぁ、お前に任せると言ったしな。女どもには百倍働いてもらうとすれば、安いもんだし構わねぇか」

 今回のお返しで、リヴァイは女兵士たちに百倍返しを要求するようだ。彼の評価を意識しての提案だったが、兵士らにしてみればそれこそはた迷惑なホワイトデーになりそうである。余計なことをしてしまったかもしれない。と同時に匿名であげた真琴は除外されているだろうから、ほっとしていたりするのだった。

 バスケットに入れられたマカロンがどんどん増えていくカゴ。重量はさほどないだろうが、かなりカサが増してきている。見降ろしながら、リヴァイがこっそり溜息をついていただなんて、もちろん真琴は気づきもしない。
「自分が食いたくて買ってんじゃねぇだろうな」
「なにか言った?」
 試食のマカロンをモグモグしている真琴が振り向いて聞き返すと、
「空耳だろ」
 とリヴァイは何もなかったように返してきた。

 店の中はさほど広くないのに、人気のせいで混み合っている。真琴の移動に合わせてお付きの者のように侍っていたリヴァイは、いつしか呆と立っていた。
 少し離れたところでは、片手にトングを持つ真琴が、クマの顔にデコレーションされたマカロンを挟むところだった。

「まだ買うのか」と言いたそうに、リヴァイは片頬を引き攣らせる。その直後、
 佇んでいる彼に、小太りな若い娘がぶつかってきた。「邪魔ねっ」と、そんな顔で眉間に皺を寄せた娘に、一睨みされていた。
 当然謝る気もないリヴァイは、去っていく娘の背に向かってあからさまに舌打ちをしてみせた。
「マカロンみたいな奴が共食いしてどうすんだ」
 小声で毒づくも、一般人の女に喧嘩を売るようなことはさしもにしないようだ。

 マカロンの壁紙が貼られた天井を仰ぎ、「早く帰りたい」というように、リヴァイが息をついたときだった。
「マー君、これ可愛いっ」
「ミィちゃん、お揃いで買おうか」
 ごちそうさま、と言いたくなるほどラブラブなカップルの声だった。白けた眼つきで、リヴァイは光景を眺めている。互いに何かを手にしてから、勘定場のほうへ去っていった。

 カップルが居なくなって、そこだけ空間ができた。することもなく暇だったのか、リヴァイは彼らが立っていた場所へ移動した。
 マカロン専門店と謳っているが、取り扱っているものは食品だけではなかった。
「こんなもんを揃いで買うとか、最近の男どもは低劣なうえにクズ野郎ばかりだな。大丈夫か、この国は」
 ギンガムチェックのクロスが敷かれた藤のカゴに、マカロンを模したアクセサリーが入っている。ほかにもポーチやタオルなどがある。

 周りの目を気にしながら、おもむろにリヴァイは手を伸ばす。ハンカチが幾重にも積まれた中から、選ぶようにして一枚引き抜いた。
 手に持ったまま、表情のない面で真琴のほうを振り返っている。再度ハンカチと向き合い、さっと振って広げてみせた。明るいレモン色が元気をくれそうな、可愛らしいマカロンの刺繍が入っていた。
 どこか満足げに笑んだ彼は、ゆったりと勘定台のほうへと歩いていったのだった。

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