03

 マカロン専門店をあとにして、賑やかな街路を遠ざけるように、閑静な路地を歩いていた。
 リヴァイの片手には二つの紙袋。リボンやレース、マカロンの絵が印刷された可愛らしい袋だ。彼には不釣り合いだから可笑しくなってくる。通り過ぎる人から、彼女の荷物持ちをさせられているのかと、思われていることだろう。

 アパートメント通りを抜けると、前方に緑に囲まれた公園が見えてきた。冬の間に落葉した樹々が、眼に爽やかな若葉を茂らせている。
 真琴は公園を指差し、
「ねぇ、あそこで休んでいかない?」
 と提案してみた。

 休みなく歩いていたし、マカロン専門店ではずっと立ちっぱなしだったので、足に疲労を感じていた。二人で春風を感じながら、のんびり過ごすのも悪くないと思う。
 返答もなく頷いたりもしなかったが、リヴァイは足先を公園のほうへ向けた。芝に踏み入れると、青葉の香りがどこからともなく漂ってくる。

 石垣で囲まれた低い噴水。周りを包むように円形の花壇があり、黄色や紫色の可憐な花を咲かせていた。蝶々のような形をしているからパンジーかビオラだろうか。
 噴水が眺められるいい位置のベンチが空いていたので、そこに腰掛けることにした。陽当たりがよくて暖かい。

「ただ座ってるだけだと暑いわね。お昼が過ぎて気温が上がってきたのかしら」
 コートを脱いで膝に掛けた。真琴より厚手の冬用コートを着ているリヴァイは、もっと暑いかもしれない。それだけこの場所は陽が当たるのだ。
「冬季も完全に終わりを迎えたな」
 コートから腕を抜いたリヴァイがそう言った。なかなか寒い日が去ってくれないが、暦のうえではもう春なのだ。

「マフラーも外せ。暑いだろ、顔がほてってる」
「首許は……寒いから。もうちょっと借りていたいの。……だめ?」
 真琴はぼそぼそと返した。マフラーに触れ、口許を埋める。
 理解できなそうに、リヴァイが小首を捻った。
「貸すのは別段構わないが。のぼせんなよ」
「うん」

 本当は暑くるしい。が、リヴァイの匂いにまだ包まれていたいから、真琴はマフラーを外せずにいるのだ。ついでに言ってしまえば、彼のマフラーに自分の匂いを移らせておこうという、真意もあったりする。
 あとでマフラーを着用したリヴァイが、真琴の匂いがする――と、気づいてくれるといい。欲をいえば真琴と同じように、「愛おしい」と感じてくれたらいい。そう願いながら。

 何とはなしに胸許のリボンをいじっていたら、リヴァイに見られている気配がした。
「新しく買ったのか」
 着ているワンピースに対する発言だった。気づいてくれると嬉しいものだ。例えば数センチ髪を切っただけでも、「切った?」と聞いてくれることと同じように。
「うん、そうなの。春の新作で最後の一着だったんだから」

 コートを横に置いて、真琴は立ち上がる。彼の前でくるりと回ってみせた。膝丈のスカート部分が、空気をいっぱいに含んで傘のように膨らむ。
「どう? 可愛い? 似合ってる?」
 首を傾けて笑みを零す。
 女がこう尋ねた場合、百パーセント肯定の回答しか求めていない。だから男は恋愛マニュアル通りに答えねばならないはずなのだが、

 リヴァイは腕を組んだ。背凭れに背中を預け、値踏みするように見てくる。意地悪く口端をつり上げて、
「ああ。服がな」
 と、いやにはっきりと言い放った。意図的な嬲りだということは明らかだが。

 不満に膨らませた頬の、空気を左右にもごもごさせる。ぷりぷりした態で、真琴は座り直した。リヴァイから顔を逸らして、公園の景色を眺める。
 雲行きが怪しい真琴に、気づいたらしいリヴァイ。どうでもいい話題を振ってくる。

「あの花、何て名なんだろうな。冬季の間、あちこちで見かけたが」
 チューリップしか知らないような、花に興味ない人が珍奇なことを訊く。パンジーじゃないかしら。教えてあげないけれど。
 リヴァイはちらっと見て、
「腹減ってないか。食いたいもんがあれば言え。ケーキでも何でも、お前に合わせてやる」
 昼時を少し過ぎたが、さっき食べたクレープがまだ胃に残っているから平気。応じてあげないけれど。

 噴水広場の向こう側で、キャッチボールをしている子供たちの姿が見える。そこから聞こえるはつらつな声と、噴水の湧き出る涼しげな音以外、変な無言が続く。

 溜息のあとで、ちょっと気にしているような声。
「怒ってるのか。いつもの冗談だろうが」
 もう少し粘ってみようか。困らせたいから無視を続けてみる。でも笑い出しそうなのを堪えるのに真琴は大変。
「いつまでいじけてんだ。おい」
 ちょん、と袖を引かれる感覚がした。ひどく控えめな仕草だったから、一気に吹き出しそうになった。肩が震えているけれど、頑張って堪える。

 しばしのあと、
「マコに似合ってる」
 ぼそりとリヴァイの声が聴こえた。
 目的の言葉をやっと吐いてくれた。ずっと怒っている演技をしていた真琴は、ようやく思いきり笑い転げることができる。

「もしかして、機嫌を取ろうとしてくれてた?」
 笑いながら訊いてみれば、リヴァイはふっと表情を綻ばせた。ほっとしたのか深く腰掛ける。
「ただのポーズだ。肩を震わせてりゃあ、悪ふざけしてるもんだと気づくさ。女のご機嫌取りなど面倒くせぇこと、俺はしない主義だしな」
「またまたぁ。ポーズの割りには遠慮がちだったわよ。最初から素直に褒めておけば、こんなふうに困ることもなかったのに」
「少しも困ってねぇよ、そもそもお前に言われたくないんだが。利かん坊が」

 柔らかい春の陽気と均しい雰囲気。
 ふと喉許に触れたリヴァイが、小さく咳払いをした。畳んだコートのポケットから、何やら取り出す。半透明な丸いケースは、マカロン専門店の勘定台前で見かけたものだった。

「キャンディーも売ってたんだ」
 そういえばホワイトデーの定番といったらキャンディーだった。あまりにも定番すぎるために、ここ数年では敬遠されがちで、わざわざ自分で買わないようなワンランク上の洋菓子を好まれたりする。ゆえに真琴もマカロンに決めたのだけれど。
「喉にいいからと店員が勧めてきた。ハーブが入ってるんだとよ」
 掌の上で数回ケースを振っている。多彩な色艶の小ぶりな飴が、一粒出てきた。指で摘んで、
「舐めるか?」
 と差し出してきてくれた。「あーん」と、真琴は口を開けてみせた。リヴァイは飴を摘んだまま静止している。

 食べさせてくれると期したが、九割方、望み通りに事は運ばないだろうと思っていた。でも一割の期待のせいで、もうすぐ美しい時期が過ぎる頭の垂れたパンジーのように、気分がちょっぴり萎れそう。
 諦めて口を閉じようとしたとき。唇につるりとした堅い爪の質感が触れる。瞬きのあとに、イチゴの優しい甘みを舌で感じた。スッとした清涼感はハーブのものだ。

 なんてことはない様子で、自分の分を掌に落とそうとしているリヴァイ。狐に化かされた気分だ。奇妙な気持ちで見つめる。
「朱色はイチゴ味だったわ。スースーするから喉に良さそう」
「そうか」

 次にケースから転がり出たのは、淡黄色の飴。リヴァイはそれを口の中に放り込んだ。
 緘黙(かんもく)のリヴァイは飴を口内で転がしている。何味なのだろう。パイナップル、グレープフルーツ、アンズ。黄色の果物といえばこのあたりだろうか。

「黄色は何味だった?」
「さあな」
 そっけないこと。教えてくれてもいいではないか。味を答えるのも面倒くさいというのか。
「なにそれ、ケチ」
 唇を尖らせて深く凭れた。ちらりとリヴァイが横目を投げてくる。
「知りたいか」
「どうせパイナップルでしょ」
「外れだ」

 じゃあ何? と尋ねてみようかと思ったが、もったいぶるからもう面倒になってきた。指先で毛先をくるくると弄りながら、「あっそ」と返した。
「興味ねぇか。交換してやろうと思ったのに」

 眼をぱちぱちさせて、「交換?」と頭の中で呟いた。どういう意味だろう、あらぬほうへ妄想してしまうのは、欲求不満だからか。
「無理なこと言わないで」
 まさかね、と淡く期待しつつも胸の内で笑っていると。
 半身を捻ったリヴァイが、真琴を覆うように反対側の座面に片手を突いた。向かい合った顔が近くて、少し仰け反る。

 悪戯な面でもなく、意地悪な面でもなく。ごく無表情で、
「交換、するか」
 と耳にこそばゆいバリトンボイスで問われた。
 よこしまな妄想は当たったようだ。だってこんなふうに対面する必要があるとすれば、交換の方法は、
「だって、口の中にあるのよ」
「だから早くしねぇと溶けちまうぞ」
 甘い気分に呑まれていく。自然と声も、艶を帯びた吐息混じりになる。

「どうやって取り替えるの」
「何も知らねぇガキじゃないんだ、分かるだろ」
 囁かれて、横髪をそっと梳かれた。ぞわりと背中が粟立つ。
「虫歯が移るから、嫌だって言ってたじゃない」
「マコはないんだろ。俺もないから問題ない」

 首を傾けて近づいてくる。リヴァイの瞼が薄く閉じていくのに合わせて、真琴も瞳を閉じた。甘いさざ波に、すべて身を委ねるのがほんのちょっと怖くて、彼の胸許のシャツをきゅっと握った。
 息がふわりと真琴の鼻をくすぐる。何味の飴を舐めているのか分かってしまった。が、「早く」とシャツをくいっと引っ張って催促する。
 腰許のポケット付近を、もぞもぞしている感触にハテナマークが浮き出る。何をしているのだろうか。とにかく早く、待っているのだから――とそのとき。

 ふっ、と雰囲気にふさわしくない吐息が、鼻にかかった。
 ぱちっと眼を開ける。笑みを浮かべているリヴァイ。吊り上げた口角が加虐的に見えた。
「単純な奴だ。簡単に引っかかりやがる」

 頭の中が混濁していた。一体どういうことだろうか――と。口移しはどうなったのか。
 にやりとしている口角が、瞳にひどく残虐に映る。ひどい。胸をときめかせておいて、こんな仕打ちを平気でしてくるなんて。
 悔しいのか哀しいのか怒りなのか。入り混じった感情の涙が、真琴の見開いた瞳からほろほろと零れ落ちていく。
 はっとしたように、リヴァイが一瞬肩を痙攣させた。震える唇を真一文字に、声を殺してただ涙を流す真琴。

「ただからかっただけで、何で泣く」
 リヴァイは目許に指先を伸ばしてくる。僅かに声が動揺していた。
「やっていいことと、悪いことがあるでしょ。お、乙女心を甚だしく傷つけてくれたわ」
「悪かった。泣くとは思わねぇから」
 眉を下げてそう言い、リヴァイが頭に手を回してきた。胸許に引き寄せられる。優しくされると、涙というものはどうしてとまらなくなるのだろう。包容力のある厚い胸板のせいか。

「こんなこと許さないんだから。末代まで祟ってやるんだから」
「根に持つんじゃねぇよ。ほんの仕返しのつもりだったんだが」
 困り口調で真琴の背中をさすってくれる。優しい手つきではなく、大きく大雑把な動き。摩擦が熱い。
「仕返しってなによ。私が何したっていうのよ」
「忘れたのかよ。先月、俺を出し抜いたろ」
 もしやバレンタインデーの夜にキスマークを付けたことだろうか。それしか思いつかなかった。

 顎を引いて、リヴァイは様子を覗き込んでくる。
「まだ泣いてんのかよ」
 参ったといった感じだった。
「クソっ。よりによって何で外でこうなるんだ」
 と零しながら、周囲を気にする。女に泣かれているところを、ほかの人に見られるのが嫌なのかもしれない。早く泣きやんでくれ、そんな逸る気持ちさえ伝わってくるほどだ。彼にとっては幸いというか、噴水周りには人っ子一人いないのだけれど。

 困り果てている姿は珍しかった。涙よ、まだとまらないでくれ――と、真琴は祈った。こんなときじゃないと、おそらくリヴァイは願いを聞いてくれないだろうから。
 ぼそりと言う。

「キス」
「は?」
 頓狂かつ即答の問い返し。
「キスしてくれたら、きっと泣きやむ」

 沈黙が落ちる。リヴァイの眉が、徐々に暗く曇ってゆく。
「喉がいがらっぽいと言ったろ。風邪が移る」
 言葉を探しながらの、滑らかでない言いようだった。
 風邪でなくても、この人はきっと真琴に口づけをくれない。目の前で泣かれて請われても、この人はこの願いだけは聞き入れてくれない。

 思わず責めてしまう。
「したくないだけでしょ。そんなの言い訳じゃない」
 ああ、胸が締めつけられる。切なくてたまらない。分かっていたのに、どうして求めてしまったのか。近すぎる距離が、余計につらくさせる。

 リヴァイがきつく抱きしめてきた。
「したくないと、そう見えるのだとしたら」
 苦しそうに言葉を切り、
「お前の目は狂ってる」
 絞り出すように続いた語句は、つい零れてしまった本心だったのか。噴水の吹き出る水に掻き消されそうなほど、小さなものだった。甘酸っぱさのある吐息で、耳許に吹き込まれた真琴にしか、聴こえなかったろう。

「ごめんなさい、私ってどうしようもない馬鹿だわ。いつも自分のことしか頭になくて、リヴァイを困らせてばっかり」
 想いに胸を打たれた真琴は、リヴァイの背に腕を回して縋りついた。痛いほどに気持ちが染み渡ってきて、また涙があふれてくる。しかして、うららかな面差しに変わりゆく。

「まだ泣くのか」
「さっきのとは違うの。あなたの気持ちが伝わったから、違う涙がとまらないの」泣き笑いで、彼の背中を掴んでいる手を揺らす。「どうしてくれるのよ」
「当分泣きやみそうにないか。仕方ねぇ、気が済むまで泣け」
 真琴の髪に顔を埋めたリヴァイの目許は、弱ったように微笑んでいた。

 胸がぽかぽかするような暖かい涙は、しばらくやんでくれなかった。きらきら光る噴水の飛沫より、輝いて美しく思えたのは、涙の意味が哀しいものじゃなかったからに、違いない。

 スカート部分のこんもりしているポケット。中身に気づくのは真琴が屋敷に帰ってからだろう。
 想いはもう十二分に貰ったが、リヴァイからのホワイトデーに、喜ぶ顔が目に浮かぶ。

おわり

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