04

 室内へ入ると円卓へ手引きされた。卓上にはキャンドルがあり、ときたま炎が高く伸びて黒っぽい煙が上がる。微かな芳香がするので、蝋にアロマオイルが混ぜ込まれているのかもしれない。
 包装紙が解かれ、箱詰めされたチョコレートケーキが顔を覗かせていた。傍らには白い皿とフォーク。リヴァイが食べようとしていたのは、どうも本当だったらしい。

 皿が置かれていないほうの向かいに、真琴は腰を降ろした。リヴァイは戸棚から、真琴の分と思われる皿とフォークを取り出して円卓に置いてくれた。
 真琴はちょこんと頭を下げる。
「ありがとうございます」

 上官に用意してもらうのは、何だか身が竦む思いだ。けれど人様の部屋で勝手に戸棚を開けるのも気が引けるというもの。指示されない限りは、大人しくしておいたほうが利口かもしれない。部屋を弄られるのを嫌がりそうな人でもあるし。
 次いでリヴァイは、真琴に食事用ナイフを差し出してきた。

「取り分けろ。好きな分だけ持っていけ。俺は少しでいい」
「いいんですか?」
「ああ」とだけ言い、また戸棚前までいく。しゃがんで下部を開いていた。

 真琴は箱から慎重にケーキを取り出して、大皿にのせた。ハート型の一人前用。大きく開いた、真琴の手のひら分くらいはある。ココアパウダーが振りかけられた表面は、ふかふかの絨毯のようだ。
 どのくらい取ろうか。ごくり、と真琴の喉が鳴る。自分で作ったものなのだが、とても美味しそうに見えるので欲張りたい気分だ。

 好きなだけ取っていい、とリヴァイは言ったけれど、言葉をそのままに受け取るのもどうだろうか。卑しい奴、と思われるのは好ましくないし。
 それに――。ナイフをケーキの真上で構えた真琴は、少々躊躇を覚えていた。ハートに切り込むというのは何とも不吉……と思っていたのだった。

 小さなことで悩み込んでいる真琴に声が届く。しゃがんだままのリヴァイからだ。
「酒は飲めたよな。蒸留酒があるが」

 ナイフを持ったまま、真琴はリヴァイに顔を向けた。蒸留酒とはウィスキーやブランデーのことだろうか。氷がなさそうなので、ストレートで飲むには抵抗がある。アルコールは得意でもなければ不得意でもない。中間よりやや下ほどの、たまに欲しくなる程度である。

「違うのないでしょうか」
 訊いてから、ずうずうしかっただろうかと、ちょっぴり後悔した。だがリヴァイは気にかけるでもなく奥を覗き込む。何か見つけたのか、「ああ」と小さい声。

「葡萄酒があった。貰いものだが、いいやつだ」
 取り出したボルドータイプのワインボトルを、真琴に向けて軽く揺さぶり、
「これなら飲めるか」
「はい。でも高級そうですけど、いいんですか?」

「そうでもねぇよ」
 気怠そうに立ち上がり、
「取っといても箪笥の肥やしになるだけだ、ケチるものでもねぇし。そもそもそんなこと言ってたら、いつ飲むっていうんだ。腐らせるだけだろ」

 寝かせれば寝かせるほど美味しくなるものでもない、とは聞いたことがある。タイプによっては早めに飲んだほうが、香りも風味も良い場合があるらしい。
 グラスを二つ持って、リヴァイが正面に腰を降ろした。チョコレートケーキを見て眉を寄せる。

「何でまだ切ってねぇんだ」
 真琴は何の気なしに、くちばしのように唇を尖らせる。
「ハートを切るには覚悟がいるんです」
「何の覚悟がいるってんだ、馬鹿か。貸せ、俺がやる」

 呆れ果てたような口調のリヴァイが、手を伸ばしてきた。ナイフを取られそうになって、咄嗟に手を挙げる。彼にハートを切られるぐらいなら、自分でやったほうがいい。

「覚悟できましたっ、ボクが切りますっ」
「ったく、早くしろ。夜も更けてんだ」

 手を引っ込めたリヴァイは、ソムリエナイフでワインボトルのコルクを抜きはじめた。これで開ける人を店以外で見たことがない。ハンドル式のワインオープナーなら、真琴でも簡単に抜くことができるが、ソムリエナイフは扱いが難しいから苦戦するに違いない。

 造作もなくコルクを抜いたリヴァイは、グラスにワインを注ぐ。スマートな過程に男前を垣間見た真琴は、ついほれぼれしてしまっていた。
 ワインの味見をしているリヴァイ。「腐ってねぇな」と呟いたことで、どこかに飛んでいた思考が戻ってきた。速やかにケーキを切り分けねば、また睨まれてしまう。

 普段絶対と言えるほど、リヴァイはケーキを食べないだろうから、三分の二ほど貰おうか。ナイフの先端からそっと入れる。ちょっとした抵抗を感じるのは、生地がしっとりしているからだろう。
 三分の一を、リヴァイの皿にのせると彼は呆れ返った。

「遠慮のねぇ奴だ。言われるがままに好きなだけ取るとは」
 真琴は汗顔の至りに陥る。腰を浮かせて皿を引き戻そうと手を伸ばす。
「だってあんまり食べないかなって思ったのでっ。でも小さすぎですよね、た、足しますか!?」

 焦りながらも実は不満が混在していたりする。そんなこと言うのなら、最初から「好きなだけ」などと言わなければいいのに――と。それならばちゃんと均等に分けた。
 リヴァイは皿を自分のほうへ少し引く。口端が吊り上がっている。

「あからさまな焦りようを、俺に見せるから揶揄される。いい加減、学習しろ」
「悪たれ口……」
 浮かせた腰を降ろしながら口の中で呟いた反撃は、リヴァイに聞こえなかったようだ。

「しかしお前」
 くっと笑って、リヴァイは真琴のケーキを顎で示してみせた。
「どこの女が頼んだんだか知らねぇが、俺宛てのなんだろ。誰が見たって、配分が可笑しいと思うだろう」
「……だから、足しますか? って聞いたんじゃないですか」
「だから、いちいち反応してぶうたれるな。――俺にはこれぐらいが丁度いい。むしろ多いぐらいだ」

 真琴にワイングラスを滑らせてきた。手に取って軽く翳すと、グラス越しにキャンドルの炎が揺れていた。ガーネット色が透けて、向こう側が仄かに見える。ワイン通というほどでもないが、充分熟成された色だと真琴は思った。
 真琴のほうへ、何気ないようにリヴァイがグラスを傾けた。照れくささを感じながら、真琴もグラスを持つ手を伸ばす。重なるグラスの音が、控えめに鳴った。

「いただきます」
 声が少し上擦ってしまった。雰囲気に緊張してしまったためだった。
 キャンドルの柔らかな明かりと、赤ワインと、思い慕う男と。真琴の部屋と大差ない空間なのに、ひどく幻想的に思えてしまう。

 ワインを舐める。真琴は舌鼓を打った。
「美味しいっ」
 豊満な香り。重みのある味わい。甘みと渋みのバランス。ワインに関して素人の真琴でも、特別良いものだということが分かる。口の中で葡萄の味がはっきり分かるなんて、いままで飲んできたワインは、ワインではなかったのだと思ってしまうほどだった。

「まぁまぁか」
「えぇ!?」
 感動が感じない声に、ついつい驚愕の声が出てしまった。味が分からない人でもないだろうに。
 真琴はワインボトルを手に取って、ラベルを確認してみた。眼を見開く。

「十五年ものですよっ。すごい、ヴィンテージだっ」
「そのぐらいで驚いてるようじゃ、普段から碌な酒を飲んでなさそうだ」
 哀れむリヴァイ。上物ばかりを飲んでいるらしいから、格差を感じてしまった。
「舌が肥えてりゃ、驚きませんよね……」

 リヴァイはケーキにフォークを入れる。
「主役はワインじゃなくてケーキだろう。食え」
「ですよね、いただきます」
 気を取り直して、ケーキをフォークで掬う。頬張ると、頬っぺたが落ちそうだった。
「美味しい。いままで一番の出来かも」
 天にも昇る気分。片頬に手を添え、首を傾ける。

 うっとりしている真琴を見ながら、リヴァイもケーキを口に運んだ。ゆっくり味わうようにして飲み込んだようだ。無表情な面で欠けたケーキに視線を落としている。

「恋の風味――か」

 ぽつりと零したリヴァイに、真琴は眼で問い返した。よく聞こえなかったからだ。聞き返されたリヴァイが微かに動揺を見せた。思わず口をついてしまったというふうに。
 眼を伏せて、
「なんでもねぇ」
 と小さい声量で言った。

 ケーキが美味しいから、酒が進む。最近あんまりアルコールを口にしていない真琴は、だいぶ弱くなってしまったようだ。早くも酔いが回ってきた頭で、上官に向かってワインを催促する。

「おかわりください」
 リヴァイは感情を殺した声で、
「ここがどこだか、分かってんのか真琴」
 と言いながらも、ワインを注いでくれた。
 気分上々の真琴は首を傾ける。
「やだな、自分を見失うほどまだ酔ってませんよ。宿舎ですよね」
「外れちゃいねぇが」
 頬杖を突いてそう言い、リヴァイはケーキを突いた。聞きたかったのは、どうやら場所というよりも、置かれている状況を気にしたのかもしれなかった。

 ワインを飲みながらゆっくりと時間をかけて、真琴はケーキを完食した。見ればリヴァイも全部食べてくれたようだ。
 空を飛んでいるような、ふわふわしたほろ酔い気分。今年は素敵なバレンタインデーだった、と満足しながら真琴は席を立った。

「ごちそうさまでした。部屋に戻ります」
 一歩足を出したとき、力が入らなくて空足を踏んだ。転びそうになったところを、咄嗟に席を立ったリヴァイに支えられる。

 彼の胸に手を添え、
「思ったより酔っぱらっちゃったみたい」
 顔を上げて何気なく笑うと、リヴァイの喉仏が上下した。酔っているために瞳が潤み、目許がほんのり紅い真琴。魅惑的に見える様相が、彼の心を狂わせたのかもしれない。

 腰に回るリヴァイの腕が真琴を引き寄せてきた。そのまま縺れるようにして、ベッドに引き倒される。
 酔いの回った真琴の頭には、半回転は刺激が過ぎた。脳が揺さぶられて眼をぎゅっと瞑る。
 覆い被さるリヴァイが、こめかみから髪へ大きな手を差し入れてきた。包みこまれる感覚に、真琴は瞳を開けた。情欲の双眼が目の前にあったから、息を呑んだ。
 色気混じりの掠れ声で詰問される。

「何を入れた――ケーキに」
「何も」
「嘘をつくな。盛ったろ」
「何を」
 眼を細めたリヴァイに、顎を少し上げさせられた。真琴も感化されていく。彼の髪の毛にそと触れて、
「入れたのは――」

 ――あなたへの、あふれてやまない愛だけ。そう心の中で強く言った。

 リヴァイがつらそうに眉を寄せた。失いそうな理性を、取り戻そうとしているかのようにみえた。
「なぜ抵抗してこない」
「抵抗してほしいんですか」
 狡い。己の衝動を真琴にとめろと言うのか。

 ふいに顔を逸らしたリヴァイは、皺が寄るほど瞳をぎゅっと瞑った。腕を伸ばして、離れていこうとしたところを、真琴は胸許を突いて逆に押し倒す。
 不意を突かれたリヴァイの瞳には、戸惑いの色が見られた。

「男同士だろ。俺にそういう趣味はない」

 狡すぎる。でもそれはさらに真琴を煽動させることを、彼は分かっているのだろうか。
 おそらく、いまどちらが冷静かと比べれば、真琴に違いなかった。まっすぐに見据える。

「リヴァイ兵士長なら、ボクは相手が男でも構いません」
「馬鹿かっ」

 真琴の肩を押しやり、逃げようとする。眉間の皺が深い、怒っているだろうことは明らかだった。
 逃がさないとばかりに、両腕でリヴァイを挟んで首を伸ばした。彼の首筋に唇を寄せる――顎よりの、スカーフでも隠れない箇所を狙って。

 柔らかい唇が触れると、リヴァイの身体が一瞬痙攣して硬直したのを感じた。生命の拍動と温もりが、唇を通して真琴に伝ってくる。

 たまらなく愛している。誰にも渡したくない。そう思うと、なだらかな質感の肌に傷をつけたくなった。自分のものだという印を、付けておきたくなった。
 リヴァイも同じ想いだから、真琴に唇の跡をつけるのだろうか。そう思えばさらに愛おしくなる。

 チクッとしたのだろう、リヴァイが眼を見張って遠慮のない強さで真琴を退ける。バッと首許を手で押さえた。
「何をしたっ」

 突かれた胸許は思いのほか痛かった。ベッドの上で尻もちを突いた真琴は、ペロッと舌を出してみせる。いつも貴方が私にしてくることですよ――と、思いながら。
 リヴァイは怒っている。興奮に近いようにも見えるが、キスマークの箇所をひどく気にしているようだ。

「クソがっ、目立つところに付けやがってっ」
 真琴はぴょんっとベッドから降りる。くるりと振り向き、にこっと笑う。
「狂ってたみたいです、ボク。リヴァイ兵士長の鼻、衰えたんじゃないんですか? あれ、バニラエッセンスじゃなくて、『みるみるほれ〜ル』だったんですよ」

 大喝が飛んできそうな剣幕のリヴァイ。真琴はしてやったりの気分で、彼の部屋をあとにしたのだった。

 想いはときに、惚れ薬よりも強烈な効果を発揮する。いかに天才であったとしても、それに勝る秘薬は誰にも作れないのである。

おわり

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