03

 二月十四日。目当ての男兵士を、そわそわした眼で追う女兵士たちの姿を、至るところで見かけた。――可愛くラッピングされた包みを胸に抱きながら。
 真琴が廊下を歩いていると、丁度チョコを手渡している男女と遭遇した。女は俯きがちにチョコを差し出し、男はぎくしゃくしながら受け取っていた。互いに頬を赤らめている。何とも微笑ましい光景だった。

 じっと見てしまうのは卑俗というものだ。気になるものの、見て見ぬ振りをして通り過ぎた。そんな真琴の片手は、十五インチほどの紙袋を下げている。中身はラッピングされた大小様々なチョコたちだ。
 真琴が義理で配るものでは、もちろんない。すべて女から貰ったものである。もう夕飯の時間なのでこれ以上は増えないだろう。

 これからオルオと数を競うのだ。運動会の玉入れの、結果待ちな気分。彼は最低でも、二個までは一緒に数えられるはずだ。

 食堂の入り口で一人の女が立っている。ナナバで、真琴に気づいた彼女はにこやかに手を挙げた。どうも待ち伏せしていたらしい。
「オルオくんとの勝敗はこれから?」
 バレンタインのきっかけをナナバは知っていたようだ。兵団内でも彼女は古株で、リヴァイともそこそこの仲だと聞く。きっとそこから情報がいったのだろう。
 はい、と真琴が頷くと視線が紙袋に落ちた。

「たくさん貰ったね。私も、もっと早く渡したかったんだけど、後輩の世話で時間取れなかったんだ」
 と言い、ずっと後ろ手にしていた右手を差し出してきた。レトロな包装紙でラッピングされた、巨大なチョコを持っている。
「ささやかながら、私からの一票だよ」

 やはり真琴へのチョコだったようだ。
「貴重な一票を、ありがとうございます」
 みるみるほれ〜ル、みるみるほれ〜ル、みるみるほれ〜ル。頭の中でフレーズがリフレインする。受け取ると、
「オルオくんに勝つといいね」
 と微笑んでナナバは食堂へ入っていった。

 真琴は重いチョコを見降ろして立ち竦んでいた。
 とても爽やかな態だったナナバ。純粋に勝敗を決めるチョコであり、それ以上の他意などないかのように見えた。
 だがしかし申し訳ない。狂うわけにはいかないので食べられない。真琴は紙袋に巨大チョコを押し込んだ。見事な演技だったと思いながら。

 食堂に入ると、すでに二班は食卓についていた。珍しくリヴァイもいる。椅子に腰掛けようとしたところで、斜め向かいのオルオが眼を吊り上げた。

「遅ぇぞっ」
 はいはい、と適当に返す。隣にいるペトラが早速切り出した。
「じゃあ、どっちが多くチョコを貰ったか勝負よ」

 オルオはジャケットのポケットからチョコを取り出し、卓に置いた。予想した最低の二個以上は、なかった。
 真琴は紙袋を卓に置いた。オルオが片眉を上げてみせる。
「袋? 勝負はチョコだろう」

 中身にたくさんのチョコが入っているだなんて、想像もしないようだ。ペトラが顔を逸らして忍び笑いをする。
「なんだよ」とオルオがペトラに向かって刺っぽく言ったのを耳にしながら、真琴は袋を逆さにした。ばらばらと卓に散らばるチョコを見て、オルオはガバッと口を開けた。まるでパンチでも食らったような衝撃の顔をしている。
 山盛りのチョコにオルオはケチをつけてくる。現実を信じたくないのだろう。

「いかさまだ! ペテンだ! どっか店で買ってきたに違いない!」
「見苦しいよ、オルオ」
 辛辣な言葉はペトラが発したものだった。
「ボクの勝ちだね」
 真琴の圧勝だ。惨敗して項垂れるオルオを見ていると、素直に喜べないものがあるけれど。
 ペトラが肘を突いた手の甲に、顎をのせた。呆れたような眼つきだ。
「分かってたことでしょう。何で本気で落ち込むのかなぁ」

 しょんぼりしているオルオへの、さらなるパンチだった。そんな彼の脇で座るグンタが、一個のチョコを見せてくる。緑の包装紙のものは、オルオが貰ったチョコの一つと同じものだった。

「これは誰からだろうな。エルドも貰ったんだろ」
 頷いたエルドが答えてみせる。
「ああ。部屋のノブに袋が下がっててな。そこに入ってた」
「ペトラか?」とグンタが訊くと、「私がオルオにあげたのは、そっちです」と赤い包装紙のほうのチョコを指差した。

 ペトラの発言は思わぬものだったらしい。オルオが顔をバッと上げる。玉のように輝いた表情だ。
「こ、これ! ペトラからだったのか!?」
 彼の言葉からは、ペトラが密かにチョコをあげたことが窺えた。
 照れくさそうにペトラがこくりと頷く。オルオは立ち上がりチョコを掲げた。小躍りしそうな勢いだ。
「百人分の価値があるぜ! いつもつれなねぇのは、愛情の裏返しだったとはな!」

 おおいに勘違いされ、ペトラは顔を伏せた。ぽつりと、
「もうっ。……返してもらおうかなっ」
 と怒り口調で呟いた。恥ずかしそうな面持ちなので、やぶさかでもなさそうだけれど。

「ならこれは誰からなんだ? 二班の男が全員もらうとはな」
 エルドは首を傾げて、グンタはリヴァイのほうへ顔を突き出す。
「兵長は貰いましたか? 緑の包装紙のやつ」
「いいや」
 向かいにいるリヴァイがそう言った。ちらりと視線が刺さってきたので、真琴は眼を泳がす。
 実をいうと送り主不明のそのチョコは、真琴があげたものだった。日頃の感謝が込められている。

「真琴はどうだ? 埋まってんじゃないのか」
 グンタは同様の質問をし、山盛りのチョコに手を伸ばしてこようとした。自分チョコは用意していない。ないのがバレないうちに慌てて袋に入れ戻す。
「ボクもそれ貰いましたよっ。二班のファンからじゃないでしょうかっ」
 あわあわと言うと、リヴァイが小さくほくそ笑んだのが見えた。

 焦ってチョコを落としてしまった。卓の下に転がっていく。拾おうと背を丸めて腕を伸ばしたとき、リヴァイの足許に大きな紙袋が二つあるのが見えた。
 真琴はそのままちょっと動けない。じぃ、と紙袋を恨めしい気分で見つめ続ける。中身は絶対チョコだ。自分より多く貰って、別段悔しいわけじゃない。胸がもやもやするのは、まさしく嫉妬以外の何者でもなかった。

 背中にぽんっと手が添えられて、真琴はびくっと跳ねる。拍子に天板裏に頭をぶつけてしまった。
「いったぁい!」
 頭を抱えて姿勢を戻す。女の悲鳴を上げそうになったが、必死に堪えた。

 カップを卓に押さえつけるようにしているリヴァイ。相当揺れたのだろう、中身の紅茶が波打っている。珍しく心底心配される。

「大丈夫か、すげぇ勢いでぶつけたようだが。頭蓋骨が割れたんじゃないのか」
「割れてたら生きてないと思います……」
 泣きそうに痛いが、人間の頭はこのぐらいでは瘤ができるくらいだろう。

「ご、ごめんね。あんなに驚くとは思わなかったから」
 おそるおそると言った様相で、ペトラが頭に触れてきた。背中に触れた暖かい正体は彼女だったようだ。
「まったく……気をつけろ」
 眉を下げているリヴァイに言われた。あなたが貰った大量のチョコに、錯乱したせいです。と言ってやりたかった。

 ※ ※ ※

 就寝時間十分前。自室のある三階の廊下で、真琴はキョロキョロと左右を気にしている。そのたび、手に持つ小さめな紙袋がブラブラと揺れた。
 隣のドアノブに持ち手を引っ掛けようとしたとき、北のほうから足音が聞こえてきた。廊下の角を曲がってくる影が見える。真琴は回れ右して、急いで自分の部屋へ滑り込んだ。

 扉の隙間から廊下の先を注視する。数部屋向こうにある扉を開けて、自室に入るハンジが確認できた。
 徘徊しているところを見つからなくてよかった、と真琴は息をつく。再び廊下へ出て、さっきの部屋のドアノブに、さっと紙袋をぶら下げた。言わずもがなリヴァイの部屋であり、紙袋の中身はチョコレートケーキが入っているのだ。

 大仕事をやり終えた妙な開放感。ふぅ、と真琴は額に滲む汗を拭った。
 これで無事、真琴のバレンタインデーは終わった。リヴァイが食べてくれることを祈って自室に戻った。

 就寝時間から二時間ほど経っただろうか。ベッドの中でレム睡眠中の真琴の耳に、廊下のほうから微かな声が入ってきた。風で紙がカサカサと揺れるようなヒソヒソ声だ。何だろう、としばらく無視していたが、数十分経ってもまだ聴こえてくる。

 こんな時間に廊下で井戸端会議はやめてほしい。すっかり脳が冴えてしまった真琴。起き上がって、注意をしようと扉を開けた。
 一瞬呆としてしまったのは、リヴァイの部屋を取り囲むように、数人の女兵士がいたからだった。

 数回眼をしばたたかせ、
「何してるの……?」
 と訊いてみた。

 悪事がバレたというふうな顔に、さっと変わる。女兵士たちはリヴァイの部屋から少し遠ざかり、身を寄せ合って真琴を凝視してきた。

 発作的に真琴の眼が白いものになる。
 時間帯といい、女の子といい、みるみるほれ〜ルといい、もしやと思うがリヴァイの理性が制御不能になるときを、今か今かと待っているのではなかろうか。
 ライバルとして断固阻止せねばなるまい。惚れ薬などで誑かそうとするのは、そもそも人道的に反する。しかしどうやって追い返そうか。

 間延びした感じで歌うように諌言する。
「就寝時間はとっくに過ぎてるのに、ウロウロしてたらいけないんだ〜。エルヴィン団長に言っちゃおうかな〜」
 何とも子供っぽい、と我ながら苦笑しそうになる。先生に告げ口する低学年のようだ。

 こんな脅しが効くとは思わなかったが、女兵士たちは顔の前で拝むように手を合わせた。
「い、言わないでっ、お願いっ。帰るからっ」
 と息をつくようにして頼みこんできた。呆気なく彼女らを退散させることに成功したのだった。
 安心して眠れる、と真琴は一息ついて自室に戻ろうとした。そのとき、

「廊下でコソコソと何やってる」
 半分扉を開いたリヴァイが顔を出してきた。彼は廊下に真琴しかいないことを、怪訝に思ったらしい。眉間に皺を寄せて、左右を見渡す。
「何人か女の声が聞こえてたんだが――」

 いまさらになって思う。この男に限って、外の気配に感知していないわけなかったのだ。真琴でさえ眠りから覚めたのだから。
「気づいていたなら、もっと早く注意してくださいよ。おかげで寝そびれちゃったじゃないですか」
 リヴァイは眼を眇めてくる。
「俺のせいにするのか? よこしまなことを、企む奴を恨むんだな」
「そこまで知っていて、無視してたんですか。彼女たちのあの様子じゃ、深夜を回っても待機してそうでしたよ」
「いいじゃねぇか、放っておけば。対してうるさくもねぇし、害もないだろ」

 むっ、と真琴は押し黙る。眠りを妨げるよりも、もっと大きな害がある。リヴァイと間違いでもおきたら困るではないか。

「ボクには害です……」
 ぶすっとした顔で、思わず真琴は独白してしまった。眼を見開いてぱっと口を覆う。
 ばっちり聞こえたであろうリヴァイが、僅かに眼を丸くした。少しして目力が抜ける。
「食ってくか?」
 不意だったので、「え?」と真琴は眼をぱちくりさせる。
「ケーキ、食ってくかと訊いてる。丁度皿に出したところだ」

 こんな時分に部屋へ招き入れるつもりか。異性と夜中に二人きり。気もそぞろになってきて、髪の毛を耳にかける仕草を、ついしてしまった。短い髪は巧く耳にかからず、頬を滑っていった。
 真琴は言い淀む。

「どうでしょう……それは風紀が乱れるっていうか……」
「野郎同士だ、風紀も何もねぇだろ。さっさと入れ」

 さらっと言うリヴァイを、真琴はこっそり疑いの眼で見る。本心でそう思っていそうな、しれっとした顔。相当なタヌキだ、と苦虫を噛み潰したくなる。

 顎で中を示してから、リヴァイは室内に消えていった。
 女として少しばかりの不安はあるが、実際誘われて嬉しいという気持ちのほうが勝る。遠慮を装いつつも、真琴はリヴァイの部屋に失礼させてもらうことにしたのだった。

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