05

 観客席からは歓声が轟いていた。広場では絢爛な馬具を装着した馬が二頭。それぞれ男が槍を構えて突進していった場面だった。
 背後からの喝采は途絶えることなく、真琴の耳が麻痺しそうなほどの騒々しさ。ふいに、どよもす熱狂の声が全体から上がる。槍で突かれた男が馬から落ち、疾駆する馬の手綱が絡まって、地面を這いずっていたからだった。

 真琴が陣取ったのは視界良好な前席。その痛そうな光景を、覆った手の隙間から見守っている。
「あれじゃ全身傷だらけだわ。今夜のお風呂はしみるでしょうね……」
「あのぐらいでやられちゃうなんて、貴族の男は骨がないなぁ」

 真琴に答えたのはハンジで、彼女は赤ら顔だ。ときおり吹く風にのって、アルコールの臭いが鼻を突く。寒いからとか、興奮しているとかではなく、酒によるものだった。一応は思考があるようだが、おおいに気怠げな様子が見て取れる。

「試合だというのだから鎧を着用すればいいのに。あんな軽装じゃ生傷を作って当然だわ」

 男たちの服装は、生成りのチュニックに茶系のズボン。その上から長方形と思わしき赤の布を巻きつけ、ベルトで締めている。布端に装飾が施されており、さりげなくおしゃれに仕上げてあった。
 関心なさそうにハンジは持ち込んだ酒瓶を振る。

「ださいからでしょう。貴族様は身形も気にするしねぇ」
「外側だけを取り繕っても、顔にあれだけ傷をつけていたら、元も子もないと思うのですけど……」

 馬から落ちた男はふらふらな感じで、審判に支えられながら退場していった。試合に使う槍は命を落とさないよう、ちゃんと刃を鈍らせてある。だからといって危険がないとは言えないだろう。当たれば痛いはずだ。
 二ブロックのリヴァイは、やはりほかの男と同様の服装で、危なげなく二回戦目を勝ち抜いた。調査兵なので馬術は得意だろうが、まさか槍まで扱えるとは思っていなかった。けれどもフュルストに決闘を挑んだということは、腕に自信があるからだろう。

 退場していくリヴァイを見ながら、ハンジが鼻の奥で笑った。
「我流だから槍術が荒いね。優雅さがない」

 言われてみれば、ほかの男たちは大がかりに槍を振るい、魅せる動きをする。反してリヴァイは力ませな印象を受けた。しかしこれが本当の戦場であったなら、勝利がどちらにあるかは明白だろう。
 リヴァイを見ていると、闘うために生まれてきた――そんな所感を抱く。強い男は素敵だと思う。だが真琴は命を削る生き方しかできないリヴァイを、不憫にも思うのだった。

「でも優しい方だわ。手加減されてる……」
「へなちょこ貴族相手に本気もないよ。……けど予定と違っちゃったな」
 参ったといった感じでハンジは額を叩く。真琴は首をかしげて続きを促す。
「一回戦目の相手、大富豪の御曹司で強硬派なんだ。調査兵団に興味があるっていう噂でね。わざと負けて花を持たせることで、資金援助の交渉に使おうと思ってたんだけど」
 おじゃんだよ、とハンジは残念そうに首を振った。

 調査兵団が華やかな場に赴くのは、こういう金銭面の目論みが裏であるかららしい。ハンジが対戦表を確認する。
「次の交渉チャンスは……、二ブロックを勝ち残って、最終トーナメントの二回戦目か」
「この調子なら簡単に勝ち上がりそうですけれど……」

 問題は三戦目のフュルストだ。彼も自信ありそうだったので、死闘にならないか真琴の胸に不安が過る。
 しかしながらハンジは、真琴と違う問題が気がかりらしかった。
「本来こんなお遊びにつき合う輩じゃないからなぁ。急に試合に出るとか言い出す始末だし、事前の打ち合わせを無視して勝手に行動してるしさ」
「……きまぐれな方ですわね」

 ハンジは理由を聞かされていないので、真琴は苦い笑いをするしかない。ピクルスのせいです、と白状したところで簡潔過ぎて彼女には通じないだろうから。
 ハンジは人差し指を揺らす。
「そこだよ、そこ。きまぐれだからさ、飽きたら唐突に降参しそうじゃん。やるなら交渉を持ち帰ってほしいよ」
 ハンジはリヴァイをよく理解している。三戦目が終わったら、勝ったとしても次の試合を放棄する、と真琴も予想しているのだった。

 歓声がことのほか極大になる。断トツの強さで勝ち抜いてきたリヴァイとフュルストの試合は、注目のカードとなっていた。
 赤鼻のトナカイのように、鼻頭を染めたハンジが身を乗り出す。正面の囲いに肘をおいた。
「あの煙るような金髪君も、なかなかやるからねぇ。こりゃ見物だ」

 対面する入り口から、姿を現したリヴァイとフュルスト。リヴァイは表情が消えているが、フュルストは影のある薄笑いを浮かべている。真琴の身体に嫌な予感が駆け巡る。
 二人は審判から槍を受け取る。くすんだ黄金色の槍は陽を浴びても光らない。ちゃんと刃を鈍らせてあるようだ。

 蒼の布を纏ったリヴァイが馬に跨がった。腰元の鞘が揺れる。馬上から落ちても試合を続行できそうな場合は、地上戦に持ち込むことができるのだ。そのときは腰元の剣を使用して闘う。
 同じようにしてフュルストも馬の背に乗った。纏うのは赤の布。
 真琴は知らずのうちに、胸の前で手を組んでいた。眼を瞑って、とりあえず頭に浮かんだ神様に祈る。

 ――何事もなく無事に終わりますように。

 審判が旗を振った。互いが馬の手綱を引く。強く引かれた馬は前脚を掲げ宙を掻く。声高くいななきをし、怒涛のごとく疾駆し始めた。
 真琴は呼吸を忘れて眼で追う。まっすぐに突進していった二頭の馬。腰を少し浮かせたリヴァイは、半身を揺さぶられながら槍を両手持ちに変えた。

 向かってくるフュルストと交わる瞬間、真琴は怖じ気づいて顔を覆った。槍は互いの横腹を突いたように見えた。そのまま交差し、ややして馬の歩調が緩む。リヴァイとフュルストは二人揃って地面に落ちた。
 どさりと重みの落ちる音がして、真琴は指の隙間から眼を薄く開けた。眉を顰めた二人が片腹を押さえ、立ち上がろうと片膝を突いたところだった。

 審判は交互に二人を見る。続行するか中止にするか判断を決めかねているようだ。
 リヴァイとフュルストは重そうに立つ。腰元の剣を鞘からすらりと引き抜いた。視認した審判が旗を体側につけると、同時に大喝采が湧いた。試合は続行するようだ。
 ずっと溜めていた古い息を真琴は吐き出した。

「心臓に悪いわ……」
「あれで終わりじゃつまんないもんね」
 観衆と違わず、ハンジも楽しんでいるようだ。やめさせてほしいと胸苦しさを感じているのは、真琴だけかもしれない。

 互いに距離を計り、じりじりと迫る。持ち手に装飾の加工がある銀色のレイピア。切っ先が微かに揺れたのを合図に二人は駆ける。瞬く間に鍔迫り合いになった。
 押し合うリヴァイとフュルストは一歩も譲らない勢いだ。歯を噛み締めているように見えるリヴァイからは、気迫を感じさせる。細かに震える両の腕が、互いの力量のほどを露わにしていた。フュルストもいつしか真剣な表情に色を変えていた。

 なぜ汗を散らしながら二人は闘うのだろう。落ち着かない鼓動の場所に、真琴は拳を押しあてた。妥協できない想いでもあるのだろうか。その正体が何なのか、知りたいような知りたくないような、できれば曖昧なままにしておきたいと思う自分がいるのだった。

 力量に大差ない二人が、鍔迫り合いを続けているのは体力を消耗するだけだ。リヴァイは脚でフュルストを払おうとした。当たる寸前で気づいたフュルストが横に飛ぶ。
 次いで間を置かずに二人は剣をぶつけ合う。金属の弾く音が絶え間なく続く。

「リヴァイらしいな、脚を使うなんて」
「試合ではあまり見られない手法ですものね」
「我流だからね。しかしあの金髪、やるねぇ」
 とハンジはにやっと笑い、眼鏡を掛け直す。
「あれは剣技をしっかり習得してるよ。動きも洗練されてる」

 フュルストの剣さばきは華麗だった。充分に魅せる芸当のものだが、加えて実力も相当なもの。リヴァイはやはり荒々しいが、無駄のない動きで急所を狙っているように見て取れる。仕留めることに特化した剣使いだ。
 瞬きを忘れて見守っていた真琴は、あることに気づいた。リヴァイの服がところどころ切り裂かれていることに。

「なんで……」思わず呟いた真琴に、ハンジが視線を寄越した。
「どうかした?」

 フュルストの剣が当たっているようには見えない。ときどき掠ってはいるようだけれど。それはフュルストも同じで、リヴァイの剣がたわむ赤の布を掠るのを何度も見ている。だというのにフュルストの服は無傷。
「リヴァイの服が」と真琴が疑問を呈しようとしたときだった。

 振り上げたフュルストの剣が、陽光を受けてキラリと光った。電光石火にリヴァイは完全に避けることはできなかったようだ。顔面を狙った剣は、とっさに首を傾けたリヴァイの頬を掠った。糸のような細い線から、鮮血が一筋垂れていく。
 真琴は息を呑んだ。

「剣がっ、フュルストの剣がっ」

 なぜ光る。フュルストの剣は陽を受けてなぜ鋭く光る。リヴァイの剣は鈍くて光らないというのに。
 ハンジが腕を組んで唸る。でも深刻そうではない。
「磨いてあるやつが紛れてたのかな……」

 違う、と真琴は確信を持ってフュルストの剣を見据えた。始めからこれを目論んでいたに違いない。拳をぎゅっと握る。リヴァイは気づいていたのだろうか、フュルストの剣が鋭いことに。
 眉間に皺は見られないが、リヴァイの表情は全神経を凝結したような真剣さを帯びていた。あの顔は、ずっと気づいていただろうことを示唆している。おそらく始めの一太刀で感づいただろう。

 ひとまず距離を取ったリヴァイが、急がずに血が垂れた頬を手で拭った。――強い眼差しでフュルストを見据えたまま。

 不利だ。相手の切れる刃に対してリヴァイができることは、ひたすら防守するしかない。よく観察してみれば、思った通り彼は攻撃に回れていない。
 真琴は審判に向かって身を迫り出す。
「反則よ! 真剣を使ってるわ、中止にして!」
 叫び声はしかし、やまぬ歓声のせいで届かない。真琴はハンジの腕を揺さぶる。

「どうにかしてやめさせて!」
 ハンジは戸惑う。
「いや、でも……。こんなに盛り上がってるし、とめたら不興を買うよ……」
「世間体を気にしている場合ではないわ! 調査兵団にとって大事な人材なのでしょう!? 何かあったら!」
「リヴァイに限ってそれはないよ。相手が真剣であってもどうにかなるでしょ、手とか脚とか使ってさ」
 ハンジは真面目に取り合ってくれない。それだけリヴァイを信用しているということなのだろうけれど。

「貴族のぼんぼんとは違うのよ、フュルストは……」
 諦め口調の真琴は、痛ましい思いでリヴァイを見守る。
 もう何度目か分からない激しい打ち合いをしたときだった。リヴァイの剣が真っ二つに折れた。折れた先端部分は勢いよく弾け飛び、高速で宙を回転しながら地面に突き刺さった。

「何で折れるの!?」
 真琴が悲鳴を上げると、「ありゃ」とハンジが間抜けな声を出す。
「金髪君のは鉄剣だったとかいうオチ……?」
「どういうこと!?」
 さすがに拙いと思ったのか、苦笑しているハンジに問えば、
「ルールでは、青銅の剣を使用ってことになってるんだけどな……」
 とこめかみから汗が流れるのを見た。

 青銅の剣ならば鉄剣には到底敵わない。折れて当然だった。貧血を起こしそうな気分だ。
 審判も気づいたようだ。とめに入りたいようだが、足が動かなければ声も出せないらしい。すっかり気圧されてしまっているからだろう。

 危機的な表情など微塵もないが、リヴァイが舌打ちをしたように見えた。使い物にならなくなった剣を投げ捨て、片腕を後ろに回す。腰を低くして相手の出方を計っているようだ。
 さしもに剣を失えば勝敗は決まったようなもの。だというのに、フュルストは光る切っ先をリヴァイに向けて構え直した。怪しく笑んで足を踏み出す。

 真琴は細く息を吸った。頭の中は真っ白だ。惜しげもなく素脚を晒し、囲いに足を掛けたのはほとんど無自覚。一メートルほどの高さから飛び降りる。地に降りた途端、足首に痛みが走った。捻ったのかもしれない。
「リヴァイ!」
 脚にまとわりつくドレスを煩わしく思いながら駆ける。向かってくるフュルストを、待ち構えているリヴァイの元へ。
 間に入り、守るために真琴はリヴァイへと抱きついた。
 寸前まで、リヴァイとフュルストは真琴の存在に気づけなかったようだ。よほど闘いに集中していたということだろう。

「馬鹿がっ、なぜきた!?」
 眼を剥いたリヴァイは、冷静さを欠いた様相だ。どかそうと引き剥がしにかかってくる。が、真琴はくっつき虫のようにしがみつくのをやめない。
 立ち向かってくるフュルストとの距離に余裕はない。彼も突然のことに眼を大きくしている。だが勢いを殺すのは難しいように思えた。

 真琴を離すのは間に合わないと思ったのか。リヴァイはフュルストに背を向け、真琴を庇うように身を丸める。
 剣を掲げて身を捩ったフュルストは、体側を思い切りリヴァイに衝突させた。反動により数歩先で横倒れる。見たところ彼は剣を納めようと努力してくれたようだ。
 リヴァイに押されるような衝撃を真琴は感じていた。フュルストがぶつかってきたときの反作用だろう。
 真琴は両肩を強く掴まれ揺さぶられる。リヴァイはひどく激怒しているように見えた。

「試合中に割り込んでくるやつがあるかっ。危ないだろうがっ」
 泣きそうな思いで真琴も怒る。
「ならなんで棄権しないのよ! フュルストの剣が真剣だって分かってたんでしょう!」
 リヴァイの顔を両手で包み込む。
「頬以外に傷は!? 嘘はつかないで!」
 逆に怒られ、リヴァイは呆気に取られている。一呼吸おいて静かに口を開いた。

「ない。大丈夫だ」
「ほんとね!?」
「嘘はついていない。大体にしろ頬の傷はしくじった」
 語尾が少し悔しそうだった。無傷で勝利する自信でもあったのだろうか。

「いくら何でも無謀よ……。武器もなしに立ち向かうなんて……」
 弱く言えば、リヴァイは自身の後ろに手を回して小型ナイフを引き出してみせた。
「奴のことだ。汚い真似をしてきやがると踏んでたからな」
「こうなることを……見越して……?」
「騎士道精神なんぞ有してるようには見えないだろ」

 ナイフは力感あふれる灰白の光沢を放つ。闘う術があればリヴァイは負けない、そんな輝き。肩の力が抜けた。
「ナイフを隠し持ってたなんて、知らなかったもの……」
「……ったく無鉄砲な奴だ」
 安堵混じりの大きな溜息と同時に、真琴は強く抱きしめられた。嗅ぎ慣れた匂いが耳許から香る。胸いっぱいに吸い込めば、安心して目尻に涙が滲んだ。

「真紅のドレスなんざ……着せるもんじゃねぇな」

 ぼそりと絞り出した言葉は悔やみの響きがあったが、意味の分からないものだった。けれど聞き返す気力なんて、いまの真琴にはなかったのだ。
 リヴァイの背後でフュルストがゆらりと立ち上がる。剣を鞘に納めた彼の眼は色がなかった。

「危険を顧みず飛び込んできてくれる女性を、君はいつまで引き止めておく気なんだい?」
 真琴の耳許に、顔を埋めているリヴァイの伏せた瞼が、微かに痙攣した。
「幸せにできないのなら、手放すべきだと僕は思うけどな。だって狡いでしょう」
 冷たくそう言い置いてフュルストは広場をあとにした。

 真琴はリヴァイの背を撫でながら小さく言う。
「気にしないで……」
 けれどもリヴァイは何も答えてくれなかったのだった。

 ※ ※ ※

 翌日。真琴は借りたアクセサリーを返しに、サロンを訪れていた。ついでに気にかかっていることを、女に訊いてみたのだった。赤のドレスについてを。
 女は真琴にカモミールティーを淹れながら由縁を語ってくれた。
「赤のドレスには神話の言い伝えがあるの」

 その昔、二人の男が一人の女に想いを寄せていた。男は兄弟で兄はテメナス、弟はイシリスといった。仲の良い兄弟だったのに、好きになった女が同じだったということで険悪になってしまう。とうとう二人は、女を巡って決闘をすることになった。闘いはイシリスが優勢だった。殺すつもりで突き出した剣が、テメナスの心臓を狙ったときだった。
 真紅のドレスを着た二人の想い人、女がテメナスを庇って間に入った。女はテメナスに想いを寄せていたのだ。
 だが剣はとまることなく、女とテメナスの胸を貫いてしまった。女のドレスは互いの血により、さらに赤く染まったという。

 恐ろしく、そして悲しい話に真琴は唾を飲んだ。女は茶を啜る。

「だから赤のドレスはね、男から贈られる場合は独占欲を示す象徴なの」
「独占欲?」
「だって愛してる男を守るため、女は自分の命を捨てる覚悟で割って入ったのよ。男としては果報者よね。要はそのときに自分の物だと分かったのでしょうけど」
 死んじゃったけど、と女は何でもなさそうに言った。

 真琴は背筋がぞっとして、思わず乾いた笑いが漏れた。
 危なかった。神話と同じ末路を辿ることになりそうだった――と。

The End

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