03

 会場は円形の闘技場だった。ローマなどに残されている遺跡、コロッセウムを思い起こさせる。準備はあらかた終わっているようで、観客席側に赤や青の旗幟が垂れていた。紋章が織り込まれているが見たことのないものだ。どこかの貴族のものなのだろうか。

 午前中はこの広場で茶会をするらしく、白いテーブルクロスが掛かった丸卓子が並べられている。高価そうなティーセットや、唾を呼び込む美味しそうなスコーンやケーキが用意されていた。立食ではないので、座ってゆっくり食事を楽しめそうだ。

 招待されている貴族たちは、おのおの好きに過ごしている。お茶をしたり立ち話をしたり。真琴たちは、まだ誰も手をつけていなさそうな席についた。ウェイターが入れてくれた茶を飲みながら、のんびり午後まで時間を潰そうと思っていたのだが。――結婚相手を探す娘たちが放っておいてはくれなかった。

「よろしかったら、あちらでお茶しませんこと?」
 三人の娘たちが話しかけたのは、なんとハンジにだった。
 こんな贅沢、一年に一度あるかないかだ。というふうな勢いで菓子を食すことに夢中になっていたハンジは、きょとんとした様子で娘たちを振り返る。

「え? 私? リヴァイじゃなくて?」
「ええ、あなた様にですわ。わたしくたちに楽しいお話、してくださいませんか?」

 思案しているのか、ハンジは娘たちを見極めるようにじろじろ見ている。もぐもぐと咀嚼しながら。
 前に向き直ったハンジはナプキンで手を拭く。こっそり笑うのを真琴は見た。背後では娘たちが期待に胸を膨らませている。
「行きましょうか。調査兵団に関する、面白い語りでも聞かせてあげましょう」
 席から立ったハンジが、
「んじゃ、ちょっと男になった気で楽しんでくるよ」
 と小声で言い、真琴とリヴァイにウィンクしてみせた。

 面白い語りとは何だろう。まさか巨人の話を娘たちに聞かせるつもりだろうか。だとしたら不憫だ。
 しかし意外だった。女はみんなリヴァイに目をつけるものと思っていたから。余計な心配がなくなった真琴は、平穏な気分でリヴァイにサンドイッチを取り分けてやる。甘味が苦手な彼でもこれなら平気だろう。
 数種類盛った皿をリヴァイの前に置く。
「食べたら?」
「ああ」とビーフがサンドされたものに手を伸ばし、「あいつ、悪のりしなきゃいいんだが……」と振り返ってハンジが去った方向を見据える。

 少し離れた場所では、ハンジが娘たちに囲まれていた。誘いにきたのは三人だったが、いまや丸卓子には六人の女がいる。両手に花とはこのことだろう。
 くすくすと真琴は笑う。
「すごい人気ね。彼女たちもすっかりハンジ様に騙されちゃって」
「あとで詐欺だ何だと、苦情が入らなければいいが」
 気がかりな面持ちでリヴァイが言った。
「大丈夫よ。巧くやるでしょう。悪い方ではないもの」
 本当の詐欺師だったなら問題になるだろうが、ハンジに関しては心配していない。変な期待を持たせたり、女心を傷つけたりはしないだろう。

「どちらかというと……」
 真琴はリヴァイを見る。彼に苦情がきたことはないのだろうか。調査兵団の看板男。華やかな場に招待される機会が多いだろうし、極めつけはこの容姿なので、必然的に女も寄ってくるだろう。
 言外な真琴の視線にリヴァイが気づいた。

「言っておくが、俺に苦情がきたことはない」
 ふぅん、と真琴は頬杖を突いて横目をちょっと細める。
「後腐れなく縁を切る方法を、ご享受願いたいわ」
「俺が手当たり次第に唾をつけてると勘違いしてないか。来る者拒まず手を出してるわけじゃない」
「自分のタイプだったら唾をつけるんだ」
 へぇ、と表立つように真琴は嫌味な微笑を浮かべる。
 不都合な物言いをしたと言わんばかりに、リヴァイの口許が引き攣った。けれど機転を思いついたようで、真琴の耳許に口許を寄せて囁く。

「だからお前に唾をつけたんだろ」
 吐息が吹きかかってこそばい。胸は確かに跳ねたのだが、それよりも可笑しさが込み上がる。真琴はバシッとリヴァイの背中を叩いた。
「くさいんだからっ」
 なぜ真琴は笑うのだろうと、リヴァイは些か不思議がっているように見えた。
 女ならばこう言えば自分に落ちるとでも思っているのだろうか。これが夜だったなら、彼の甘い言葉も深く胸に落ちたのかもしれないけれど。太陽が明るい空の下では、真琴に誤魔化しは効かなかったのだ。

 リヴァイは惚けることに決めたようだ。
「臭いわけないだろ。朝風呂してきたんだ」
「そうね、リヴァイからはいつもいい香りがするものね」

 臭いという意味をねじ曲げてきた意図に、真琴も乗ってやった。ほのぼのとした雰囲気で柔らかく笑う。リヴァイも目許に穏和な笑みを湛えて紅茶を含んだ。
 そこで真琴は気づいた。誤魔化されまいと思っていたのに、いつの間にやら空気が和んでしまっている、と。結局最後は、リヴァイに手のひらで踊らせれてしまう自分がいることに。

 けれども実のところを真琴は気づいていない。踊らされているのは自分だけではないことに。太陽のように暖かいこの空気は、二人で作り出したものに違いないのだった。

「ごきげんよう」
 突然背中にかかった甘ったるい声色は、聞き覚えのあるものだった。振り向けばいつかの社交界で顔合わせしたユーリエだった。
「探しましたのよ。本日の茶会には、兵団の方が多く招待されていると聞いていましたし」
 真琴を無視してユーリエはリヴァイに話しかける。彼の肩に触れながら。瑞々しい唇をしならせて続ける。
「きっとリヴァイ様もいらしていると思っていましたの」

 ユーリエが首を傾けると、後ろに垂れていただろう髪が肩の前に流れた。ソフトクリームのような巻き髪は、いま流行の髪型だった。
 餅のように白く、柔らかそうな見た目のユーリエの手。適度な艶感を放つ指先が、リヴァイの肩を誘惑するかのように蠢く。真琴の胸に醜い濁りが拡散していくのを感じていた。焼けつくような負の感情は、以前は持ち合わせていないものだった。

 渦巻く思いをやり過ごすため、膝元のドレスを握りしめていたことに気づき慌てて解き離す。せっかくリヴァイが買い与えてくれたのに、皺をつけたら申し訳ない、と手で伸ばした。

 リヴァイは目も合わせずに応対する。
「俺は代理だ。来る予定じゃなかった」
 まぁ、とユーリエは嬉しそうに手を合わせた。
「では神様のお導きですわね。お隣、よろしくて?」
 座ってもいいかと尋ねられると、リヴァイが密かに溜息をついたのが見えた。
 返事も頷きもしなかったが、ユーリエは了承と取ったようだ。そして後ろを振り返り、
「ここでゆっくりしましょう」
 と、背中を見せている男を誘った。

 そのじつ、真琴がずっと気になっている男だった。ユーリエから僅かに距離を置いたところで佇んでいる男。薄い金髪と背格好が誰かと似ているのだ。
 男は後頭部を掻きながら、体面が悪そうにそろそろと振り返る。苦い顔で「やぁ」と片手を挙げた。
 真琴は思わず腰を上げる。
「どうしてあなたがここにっ」

 慌てて立ち上がったから、フォークが落ちた。屈んで拾うも、不意打ちにびっくりした目線は男から離れない。
 真琴の様子を見て、ただ事ではない気配を感じたのか。椅子の背に肘を掛けてリヴァイが振り返る。眼を剥いた彼も腰を浮かせた。

「てめっ――」と一瞬言葉に詰まり、「警備は厳しかったはずだ。どこから侵入してきた? ドブネズミがっ」と凄みのある剣幕で厳しく問い質した。

 さまになっている正装姿で肩を竦めたのは、フュルストだった。
「言う通り厳重だったね。さすが民間の警備員は優秀だよ。憲兵団にも見習ってほしいくらいだ」
「爪の垢を煎じて飲ませたら、困るのはてめぇだろうが」
 歯ぎしりしそうな勢いでリヴァイが吐き捨てた。フュルストは腰に手を添え、口許だけで笑う。
「まぁね。緩く巻いたぜんまいで、のろのろ行進する玩具然なぐらいが僕には都合がいいしね」

 凄んでもお気楽な姿勢を見せるフュルストに、リヴァイは舌打ちをしてみせた。僅かに前屈みの構えで、腰元をさぐるような仕草をする。そのあとでまた舌打ちをした。
 身体に馴染むほど、生活の一部になっているであろう立体起動の、収納してある刃を引き出そうとしたのかもしれない。されど刃物などなくて良かったと、真琴は小さく息をついた。しかしいまだ凶悪な面容であるリヴァイが、何をしでかすか分からない。だからせめて武器になりそうなものは遠ざけようと、ナイフやフォークを没収した。

 緊張を解かないリヴァイは、いつでも俊敏に対処できるような構えだ。横目でユーリエを質す。
「こいつとは知り合いなのか」
 ユーリエは長い睫毛の両眼をしばたたく。箱庭で育ったであろう彼女は、邪悪な気に疎いようだ。ビリビリと痛い空気を、真琴は感じて取っているというのに。
「いいえ。さきほどお会いして、わたくしから声をかけましたの」
 言ってから、馬鹿正直に答えたことを後悔したような、そんな焦った表情で、
「違いますのっ。おひとりで寂しそうにしてらしたからっ。――二心なんてありませんわっ」
 と大きく首を振った。

 隣の椅子を引きながら、フュルストが真琴に耳打ちしてくる。困った顔だ。
「まいったよ。別室に連れ込まれそうになった」

 その目的を悟った真琴は顔を赤く染めた。なんて大胆なのだ――と。思わずユーリエを二度見してしまう。世慣れしていそうには見えないが、純然にも見えない。
 そして真琴は思い出す。そうだった。ユーリエはリヴァイと関係があったのだった。であるならば生娘のはずはない。

「危うく貞操の危機だったよ。退屈な日々を過ごす彼女たち貴族の、憂さ晴らしの玩具にされるところだった」
 ちゃっかり隣に腰掛けたフュルストが眉を寄せて笑った。
 よく言う、と真琴は呆れた。
「いまさらでしょ。誘われたのなら乗ればよかったじゃない」

 そうすればユーリエと会うこともなかったかもしれない、と邪な考えが浮上した。言ったあとで自分が嫌になった。嫉妬というものは、どうしてこうも人間を悪にするのだろうか。
 気を悪くしただろうかと真琴がフュルストを窺えば、彼は頬杖を突いて柔らかに微笑んでいた。

「悋気(りんき)は誰しも秘めているものだ。むしろ男からしたら可愛いものだよ。僕に向けられたものでないことは、残念に思うけど」
 さらに首を傾けるフュルストの微笑は、本当に引力がある。
「だから気に病まなくていい。僕は平気だよ」

 どうも心を読まれてしまったようだ。心眼を持つ彼には敵わない。その寛容な胸の広さを、巧く使い分けられるとコロッと靡いてしまいそうになる――心が。

「ごめんなさい。女性と簡単に、そうなってしまうような人ではないと分かってるのに私……」
「いいんだ。節操なしな誰かさんとは違う、って分かってもらえれば」
 弓なりにしならせた目許でにっこり笑う。でもその行方は真琴を通り過ぎた先にある。
「ちょっと撤回。男の嫉妬は可愛いを通り越して醜いね」
 ごく小さな声でフュルストはそう言った。

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