02

 レールの滑る音と合わせてカーテンが開かれる。女とともに正装したハンジが出てきた。
「男物も思っていたより窮屈だね……」
 顔を顰めたハンジは、少しでも身体にゆとりを作ろうと脇を引っ張ってみせた。
 三つ揃えのテイルコートに白のシングルベスト。胸許にはポケットチーフがちらり。まさに男装の麗人。彼女にとても似合っており、真琴は思わずときめいてしまった。

「素敵だわ……」
 真琴の口からぽつりと本音がこぼれた。男装している自分が着用しても、こうはならないだろうと思った。
 みとれる真琴に女は相槌を打つ。
「私もびっくりだわ。背が高いから映えるのね」
 真琴が頷き、ハンジも照れ隠しに鼻の下をさする。その影で、リヴァイは面白くなさそうにピクリと眉を動かした。「背が高い」という発言に反応したのかもしれなかった。

 女は真琴を向き直る。
「次はお客様ね。こちらへ」
 カーテンの奥へ入っていく女に続く。するとリヴァイが立ち上がり、彼もついてくるではないか。
 思いがけず、カーテン口で真琴は立ちはだかる。
「だめよ、着替えるんだから。覗くつもりっ?」
「誰が? 貧相な身体に興味はない」
 さらっと言い、軽く真琴をのけて身を滑り込ませてきた。真琴はリヴァイの肘を掴む。

「ならどうして入ってくるのよっ」
「俺が買うんだ。選ぶ権利はあるだろ」
 意味を理解しようと、真琴は眼をしばたたかせる。
「……何を買うって?」
「ドレス以外にあるのか?」顎に手を添え、「カモミールの茶葉も悪くなかった……それも買っていくか」と何でもなく言った。

 ぽかんとしたまま真琴は、「あのお茶ってカモミールだったんだ」とぼんやり思った。そんな真琴を放置し、リヴァイが奥へいってしまったことで、ようやく自分を取り戻した。
 ドレスを物色しているリヴァイの横に立つ。
「か、買うって! いくらすると思ってるのよ!」
 うるせぇな、と無視するから考え直してもらおうと言い募る。
「高価なものなんてもらえないわっ。レンタルだと思ってたから私は――」
 ただより高いものはない。対価を求められても困る。

「買ってやるといってるんだ。女なら喜んで受け取りゃいいだろうが」
 煩わしそうに眉を寄せ、それでもリヴァイはドレスを選び続ける。色別に分けられている中で、なぜか赤系のものばかりを。
「あなたに買ってもらう義理はないわっ。花束とかならともかく……」
 好意を素直に受け取らないから、リヴァイが痺れを切らしたようだ。腕を取られて引き寄せられる。睫毛を数えられそうな距離で、吐息を漏らすように言う。
「俺がお前にしたことを思えば、充分その立場にあるだろ」

 真琴を黙らせるつもりで言ったのだろう。リヴァイの思惑通り効果てき面だった。顔が火を吹いたように熱い。
 リヴァイは最後に、
「報酬として貰えばいい」
 と付け加えて手を離した。またドレスを選び始める。

 しかしながら真琴は「報酬」という彼の失言に気分が一変する。いままでリヴァイに好き勝手に身体を触れさせてきたのは、対価を求めていたわけではない。
 顔を真っ赤にして真琴は肩を怒らす。

「私のこと何だと思ってるのよっ。まさか娼婦みたいな、都合のいい女みたいに扱ってたんじゃないでしょうねっ」
 リヴァイが大きな溜息をつく。あからさまだった。
「何とか言いなさいよっ。女を馬鹿にしてるわっ」
「言葉の綾でそう言ったまでだ。とりわけ金と天秤にかけたわけじゃない」
「思ってるから口をついたんでしょっ。報酬ですって!? ――ドレス一着で済む話じゃないわっ」
 歪んだ口許に苛つきが見られるリヴァイは、
「毎晩抱いて五年通ったところで、ドレスのほうが高くつくのは明らかだろ」
 面倒そうに吐き捨てた。
「お釣りを払えっていうのっ? 冗談じゃないわっ」
「いらねぇよ、はした金なんざっ」
 真琴がしつこく食ってかかるから、リヴァイは苛立ちを隠しきれなくなっているみたいだ。

 微笑ましそうな顔で女がやっと仲裁に入ってきた。
「まぁまぁ落ち着いて。そんなにムキにならなくても」
 と真琴の肩を優しく叩いてくる。
 女に言われて気づいた。娼婦みたいに思われているのではないかと、許せなくてついムキに反論していた。だが後半は売り言葉に買い言葉のようになってしまっていた。不毛な議論だった。

 真琴は心を鎮めた。だというのにリヴァイが、
「……ったく馬鹿女がっ、可愛げのない」
 と舌打ちをしたいような感じの独り言をこぼしたから、黙っていられなくなる。

「あなたねっ」
 物申そうと肩を尖らせ詰め寄ろうとした真琴を、女が食いとめる。
「素直に頂けばいいのよ。男からどれだけ貢がせたかで、女は価値が上がるものよ」
 昔を思い出したのか、女はうっとりと遠くを見る。
「私も何人の男を泣かせたか……、数知れないわ」
 うふっ、と笑んだ。

 若かりしころ、この女は小悪魔みたいに振る舞って、男を虜にしていたのだろうか。年齢は隠せないが、こんにゃくのような肌の艶感を見れば、いまでも男を泣かせているのだろうなと、真琴は恐いと思ったのだった。

 リヴァイの眼に留まったドレスがあったようだ。手に取り、真琴に見せてきた。
「これを着ろ」
 ハンガーに掛かった揺れるドレスは、薔薇のような真紅。加えてこれまた、薔薇の花びらのような飾りがスカート部分に連なる。昼の装いらしく長袖だが、胸許と背中が大きく開けているのが気になった。

「前が開きすぎてない? それに赤っていうのもちょっと……」
 少し下がって遠目にドレスを観察する。大人っぽすぎるし、派手ではなかろうか。真琴には着こなせる自信がない。こういうものは、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる人間が着て、初めて引き立つものと思う。

「文句が言える義理か」
「さっきは、立場にあるって言ったじゃないっ」
 また火花を散らしそうになっている二人を、女が宥める。
「デコルテラインが映えるデザインだわ。マコ様にお似合いかと。それに男が女に赤の」
 話している途中で不自然にリヴァイが口を挟む。

「綿でも詰めてもらえ。貧相だからな」
 顎を上げて小馬鹿にし、ドレスルームから出ていこうとした。
 後ろ姿に向かって真琴は叫ぶ。
「な、なくても困らないわよっ」
「ないのは知ってる」

 言い置いてリヴァイがカーテンの先へ消えた。ハンガーからドレスを外しながら女が笑う。
「お互いのことを知り尽くしている関係だったのね」
「し、知りませんっ、あんな人っ」
 真琴は強く否定した。しかし色白な顔は血色がよくなりすぎているのか、ドレスと同じくらいに赤かった。

 見事に綿を詰められてしまった。姿見の前に立つ真琴は、鏡に映る女の後頭部を苦い顔で見つめていた。
「胸許にたっぷり香油を塗っておきましょう」
 そう言い、女は際どい箇所まで手で塗りたくってくる。肌は艶を帯びテカテカと光る。
「汗をかいてるみたいで可怪しくないですか……?」
「そんなことないわ。肌を美しくみせるために、みんなしていることよ」

 次いで女は白い粉をパフにつけ、ぽんぽんと乗せていく。光る粉が混ざっているらしくキラキラとさらに光る。
 自分で言うのも何だが、ひどく艶めかしく仕上がってしまったと真琴は思っていた。
 中世ヨーロッパをモチーフにした映画によくあるような胸許だ。豊満に見える胸の膨らみがドレスの胸先から零れそうで、あだっぽすぎやしないか。どうしてこのようなドレスを選んだのだと、リヴァイを恨みそうになる。
 しかし女は満足げに頷いた。
「渾身の出来だわ。さぁ、殿方に見てもらいましょう」
 真琴の手を引き、女はカーテンを開け放った。

 瞬間聞こえたのはハンジの感嘆な声だった。カウチソファに腰掛けていたリヴァイは、立ち上がろうとしたのか中腰で静止している。瞳はやや眼を見張っているように見えた。
 裾を摘んで真琴は上目遣いで様子を窺う。二人とも口をぽかんと開けているから不安になる。

「……やっぱり、変?」
 ぶんぶんと首を振ったハンジが、真琴の前まできて跪いた。紳士っぽく改めた表情で手を差し出してくるが、悪戯な眼つきをしている。
「お嬢様、お手を」
 いまのハンジは男前なので妙な気分になりそうだ。照れ笑いで真琴は手を乗せた。
「勘違いしそう。ハンジ様があまりに秀麗だから」
「マコさんには遠く及ばないな。見てごらんなさい、あの無表情男を」
 と口の端を上げてリヴァイを顎で示し、
「艶やかさに魅せられて氷になっちゃった」

 リヴァイはまだ中途半端な姿勢でとまっていた。だがハンジに言われ、苦々しく眉を寄せる。
 いそいそとハンジはリヴァイのそばへいき、肩で突く。
「褒めてあげなくていいのぉ?」
 何が気に入らないのか、リヴァイはハンジの足を踏みつけた。ハンジは痛がり、しゃがみ込んで足を包む。
「ひどい、いきなりっ。何したっていうのさっ」

 自分で選んだくせにリヴァイは何も言ってくれない。真琴が俯き加減に不満を募らせていると、女が背を押して促す。ドレッサーに誘導された。
「髪はどうしましょう。今冬の流行はね、ハーフアップで巻き髪なのだけど」
 鏡に映る自分を見て、真琴は垂れる髪をひと摘まみした。緩くカールのかかっている毛先を指先に絡ませる。女にまかせたほうがいいだろう、とお願いしようとしたときリヴァイが背後に立った。

 鏡に映るリヴァイは、真琴の両のこめかみ付近から髪に手を差し入れてくる。さわ、と指先が肌に掠ってなぜか粟立った。緩慢な手つきで掬い上げ、後頭部で纏めあげる。掬いきれなかった髪の束が、はらりと首許を滑り落ちていった。
 鏡の中のリヴァイと視線が絡む。いつもの涼しい表情なのに、どこか男を意識させられる。

「アップだ」
 とリヴァイが短く言うと、女は頷いてみせた。
「そうね。シンプルに一纏めしてティアラを付けましょう」

 リヴァイの視線が伏せる。真琴がその行き先を追うと、陰影が浮かぶ胸許だった。とっさに両手で覆い、鏡の彼を羞恥に崩れた目顔で睨む。
 視線に気づいたリヴァイとまた眼が合う。彼の面差しは能面すぎて計れない。ばさりとすべての髪が落ちたのは、リヴァイが手を離したからだった。

「……興味ねぇよ」
 小さく言い、リヴァイが鏡の中から姿を消した。

 興味ないと言われれば、女としては面白くないと思う。なのになぜ怒りは湧かず、代わりに胸が破裂しそうなほどに拍動するのか。それは真琴が言葉の裏を読んだからにほかならない。だって熱いパトスが含まれた声音だったのだから。

 女が後ろに立ち、真琴の髪を弄り始めた。人に髪を触られるのは嫌いじゃない。快さに浸っていると、後ろのほうからハンジが声をかけてきた。
「そのドレス素敵だね。マコさんの黒髪と肌の白さが際立ってる」
「リヴァイ様が選んでくださったの」
 鏡の端に半分映るハンジに返事をした。
 そうなの? とハンジは眼を丸くし、続いてにやりと笑んだ面でリヴァイを見る。

「赤いドレスをねぇ、リヴァイがねぇ」
 ハンジに睨みを利かせているリヴァイが鏡から窺えた。妙に含みのある言い方だ。そういえばさっき女も、赤いドレスのことで何か言いかけていたようだが。
 リヴァイが顔を顰める。
「意味はない。ただ目についただけだ」
 ハンジと女が揃って顔を逸らし、忍び笑いをしてみせた。何も分からない真琴は、ひとり首をかしげたのだった。

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