スノーフェスティバル

時系列:第五章23以降

 深雪に覆われた片田舎。秋までは金色になびく麦畑が広がっていただろう田畑は、一つ残らず銀色に染まっていた。

 除雪が進んでいない狭い馬車道を、二匹の馬が車を引いていた。車内は気詰まりな空気が流れている。
 両脇に座る二人は居心地悪そうにモジモジしている。真琴とエレンだ。その間で腕を組み、どっしりと構えているのはリヴァイだった。

 どうして真琴はずっと気まずい思いをしているのか。それはいま真琴が調査兵ではなく、貴族としてのマコでいるからだ。しかもエレンと顔を合わせるのは審議所以来。つまりエレンに向かって威勢よく罵声した日から、今日に至るまで互いに会うのは初めてだった。
 重い空気の中、リヴァイが脚を組み替える。狭い車内で靴先が真琴に当たった。

「痛いわねっ」
 硬い皮のブーツはわりと痛いのだ。
「わざとじゃねぇだろ」
「謝ってくれたっていいじゃないっ」
「謝る前に突っかかってくんな」

 たいしたことではないから、可愛げなく歯向かう必要もないのだが。ただ何となくこの雰囲気に耐えられなくて、口を開きたかっただけなのかもしれない。
 リヴァイが足を揺らしはじめた。何とも言えない重苦しさに、焦れったくなってきたのだろうか。
「マコ。お前のほうが年上だろ、自分から歩み寄れ」
 リヴァイがきっかけを振ってきた。そうだ、いつまでもこのまんまでは、これから向かう場所で支障をきたす。
 真琴はちょっと身を乗り出して、控えめにエレンに話しかける。

「あの、エレンくん……。審議所でのこと、怒ってる?」
 問えばリヴァイが顎を上げた。
「恨んじゃいねぇよな」
「え、あ、はい……」
 エレンは少々怯えた感じの口調で言った。リヴァイにそう言われれば、肯定するしかないと思うのだが。
「あなたが口を出したら、本当のことを言えないじゃない……」
「まったく、文句ばかり言いやがる。間に入ってやったんだろうが」
 瞳を寄越し、言い捨てた。
 半身を真琴のほうへ捻り、エレンが畏まる。

「あの……ほんとにもういいです……。マコさんみたいな反応が、世間一般の俺へ対しての見方だと思いますから」
「違うの、私はね――」
 真琴も座り直しながら向き直る。続きの語を継ごうとしたら、リヴァイがまた口を挟んできた。
「こいつに悪気はない。あのとき、俺と口裏を合わせてた。俺たち調査兵団が切り札を出すための前座だったというわけだ」
 そうだな? とリヴァイが真琴を見据えてきた。
 口裏を合わせていたわけではないが、あのような結果を望んでいたのは間違っていない。真琴は頷く。
「そうなの……。でも君を傷つけてしまったことに、変わりはないわ」
 ごめんなさい、と真琴は頭を深く下げる。エレンは眼を丸くしたあとで頭を振った。
「もうほんとにいいんです。理由が分かればなおさら……」
 でも、とエレンは二人に向かって上目をする。

「俺が驚いたのは、お二人が知り合いだった、ってことです。審議所のときも、もしかしたらそうなのかな、とは思ってたんですが」
「ええ。夏季におこなわれた社交界で出会って、それ以降のつき合いなの」
 エレンが許してくれたことで、真琴は些かほっとしながら答えた。
「つき、合い……?」
 とエレンが二人の様子を窺うような眼をして、
「それは、兵長の……ええと」

 その先を言いにくそうにしている。さらにモジモジし始めたエレンからは、何が気になっているのかありありだった。真琴とリヴァイが恋人同士なのかどうか推し計っているのだろう。
 否定の唇を開くよりも先に、真琴の顔が紅色に染まっていく。対するリヴァイは澄ました顔つきをしており、エレンの問いに対して肯定もしなければ否定もしない。

「……それじゃあ俺って、今日はお邪魔だったのでは……」
 誰も否とは言わないから、エレンは勝手に二人の関係性を恋人だと認定してしまったようだ。
 真琴は慌てて首を横に振る。
「ち、違うからっ。そんなんじゃないから遠慮しなくていいのよ」
 言いながら、「んもぉ!」とリヴァイを肘で突いた。「んだよっ」と犬のように犬歯をみせてくるリヴァイに、
「知らんぷりしないでよっ」
 と真琴が頬を膨らませれば、リヴァイは「下世話な話に興味はない」と吐き捨てて顔を逸らした。
 失礼なことを言ってしまったと思ったのだろう、エレンが身を小さくする。
「変なこと言って、すみませんでした……」
「ううん、いいの。――それよりも、まさかエレン君まで来るとは思ってなかったから、びっくりしちゃった」

 こうして三人仲良く供にしているのは、べつにピクニックに行こうというわけではない。これから向かう先はフェンデル家の領地内にある孤児院なのだ。
 領主は王政からの特権予算と、領民からの実入りで生活が成り立っている。だからといって何も仕事をせず楽をしているわけではない。審議所で真琴がエレンを糾弾したとき、怒ったエレンが手向かってきた一言に、「不労収入」という言葉があったが正しくは違う。
 領主には領民に責任があるのだ。例をいうと、田畑に猪が出て作物を荒らされているという報告があった場合、領主がそれを対処するのだ。
 そして今回の真琴の仕事。それは孤児院での手伝いであり、すでに何回か訪れている場所でもある。

「男手が欲しいと言ってたじゃねぇか」
「うん、だから助かるわ。エレン君ならすぐに子供たちに好かれると思うし」
「どうかな……子供は嫌いじゃないですけど」
 恥ずかしがるようにエレンは肩を竦めた。リヴァイがじぃと見てくるから真琴は、
「怖がられちゃうかも……」
 と苦笑いしてみせた。リヴァイはふんっ、と鼻を鳴らす。
「馴れ合うつもりはない」
 で? と深くシートに凭れる。
「いつもはひとりで行ってんだろ? 今日に限ってなぜ人手がいる」

 真琴は頷き、足許にある大きな袋に視線を落とした。まるでサンタクロースの袋だ。いっぱいに膨らんだ布製の白い袋の中には、実はたくさんの物が入っているのだけれど。
 袋の口を開け、真琴は二人に見せた。

「プレゼントがいっぱいですね」
 期待通りに顔を輝かせてくれたエレン。リヴァイは興味なさそうにちら見しただけだった。
「孤児院の子供たちにあげるの」
 中身は様様な可愛い包装紙で包んだ、大小それぞれのプレゼントだ。その中には玩具や絵本などが入っている。
「でも何でですか?」
 と疑問を投げてきたのはエレンだ。彼は続ける。
「孤児院の創立何周年、とかそういう記念日なんですか?」
「ううん、違うの」
 真琴は首を横に振り、
「いまってスノーフェスティバルの時期でしょ。だからよ」
「スノーフェスティバルって、確かにお祝いですけど……プレゼントを贈るって習慣はなかったような」
 エレンが奇怪に首を捻った。

 スノーフェスティバルとは、大地の恵みに感謝する祭りだ。その年に山にたくさん雪が降ると、春以降雪解け水になり、長期間安定した水の供給になる。そのため雪は自然の贈り物として扱われるのだ。
 そしてエレンの言う通り、プレゼントを贈り合う習慣はない。これは真琴がこのイベントにこじつけて勝手におこうなうことなのだ。
 それというのも、この世界にはクリスマスなるものが存在しないのだけれど。時期的には十二月であり、真琴の世界でいうクリスマスシーズンなので、ならば子供たちにプレゼントを――と思ったからだった。

 しかしながらそんな説明をこの二人にすることはできない。なので真琴は、
「両親がいなくても、いつも笑顔で暮らしている子供たちに、何かしてあげたいと思ったから」
 と言って微笑んだ。
 リヴァイが袋を顎で示す。
「配るくらいなら、マコひとりでも事足りるだろ」

「これから行く孤児院は、シスターひとりで切り盛りしてるの。子供たちは乳幼児から五歳児まで二十人いて、私が手伝いにいってもいつも手一杯。猫の手も借りたいほどなのよ」
 リヴァイに協力的な姿勢が見られないので、エレンは居心地悪そうにしている。真琴が少しムッとしたのが表情に現れたせいもあるだろう。エレンは堅そうな口角を上げる。
「お、俺は、喜んでお世話させてもらいますっ」
「ありがとう、エレン君っ」
 わざと明るい声で礼を言い、次いで真琴はリヴァイにじと目をする。そうしたら頬を抓られて、
「生意気だ」
 とリヴァイに言われてしまった。

 小さな礼拝堂に隣接された木造の平屋。ここが孤児院だった。見た目はあまりよくない。築数十年経った建家は、至るところにガタがきている。けれどもそれらを修復する予算がないのだ。子供たちを日々育成するだけで精一杯な状況らしい。
 磨りガラス戸を押すと、灰色の修道服を着た老女が出迎えてくれた。この人がここの責任者だ。

「よく来てくださったわ、助かります」
「いえ、いつもたいしたことできませんが、今回もお手伝いさせていただきます」

 真琴が答えると、エレンが担いでいた袋を降ろし、シスターに頭を下げた。自分の名前を言い、「よろしくお願いします」と挨拶したエレンに、シスターは女神のような微笑みで返した。
 リヴァイは目礼だけで済ませたが、シスターはそんな彼にも女神の微笑みで丁重に挨拶をした。さすが神にその身を捧げただけのことはある、と真琴は思った。どういった神様を信仰しているのかは知らないのだけれど。

 暖房の効いていない古い廊下を四人で進む。板張りの床は歩くたび、頻繁に歯ぎしりのような音を立てた。
 シスターは音を立てずに品良く進む。

「今年は例年よりも冷え込むでしょう。何人か熱を出している子もいて……だから本当に助かるわ」
「ちまたでも高熱が出る風邪が流行ってますし、それが飛び火したんでしょうか」
 真琴の世界でも冬になるとインフルエンザが流行る。こちらでも似たような風邪が流行しているのだ。
「どこからやってくるのやら。こんな田舎のほうまでやってきて、病気の悪魔さんもご苦労なことです」
 そう言い、シスターは目許の皺を深くして笑った。

 両扉を開けるとそこは子供たちが遊ぶホールだった。暖かい空気が身体にまとわりつく感覚。暖炉で充分に温められていた。
 ブリキで遊んでいたり、おままごとをしていたり、思い思いに遊んでいた子供らが真琴に気づいたようだ。数人が両手を広げ駆けてくる。

「マコおねえちゃんだ〜」
 あっという間に囲まれ、子供たちは脚許に絡みついてきた。真琴は屈んで頭を撫でたり、背中を軽く叩いたりしてやる。
「いい子にしてた? シスターを困らせたりしてない?」
 試すような笑みを見せると、何人かが目を逸らす。そんな様子を見ていたシスターが、口許を押さえて微笑した。
「毎日が戦場ですわ」
 男の子が指を咥えてリヴァイとエレンを見上げた。
「おねえちゃんの友達?」
 うん、と頷いて真琴は二人を紹介する。
「エレンお兄ちゃんと、リヴァイお――」

 真琴は笑顔のまま固まる。お兄ちゃんか、おじちゃんか、思慮していた。
 真琴の不自然な沈黙の意味を知ってか知らずか、リヴァイは素知らぬ振りで室内を見渡している。

「掃除が行き届いている。シスターがひとりでやっているのか?」
「ありがとうございます。小さい子たちは、ゴミでも埃でも何でも口に入れてしまうでしょう。綺麗にしておかないと事故に繋がりますから」
「たいしたものだ」
 感情を抑え気味でも感心したように褒め、
「掃除で時間を潰そうと思ってたんだが……」
 とリヴァイは幾ばくか嫌そうに眉を寄せた。くすっ、とシスターが上品に笑う。
「子供が苦手ですか?」
「どちらかといえば得意じゃない」
 渋柿を食べたような顔でリヴァイは答えた。

 真琴は早速子供たちに全身をいじられている。片膝を突いている真琴の背中に、二人の子供が乗ろうとよじ登ってきた。正面では両肘を左右に引っ張られ、取り合いになってしまっている。構ってもらおうと必死に喋りかけてくる子もいる。
 もみくちゃにされながらも、真琴は嫌な顔ひとつせず笑顔を絶やさない。頭を前後左右に忙しく回し、相手をした。
 その様子を、そばで見降ろしているリヴァイが瞳を細めて見ていた。シスターが穏和な笑みをみせる。

「子供たちはみんな親の愛に飢えているんです」
「どういった諸事情で、ここで預かることになった?」
「ほとんどの子が、五年前の巨人襲来で両親を失った子たちですわ」
 リヴァイが瞳を伏せた。目許に翳りを見せて。
「そうか……」

 短く吐息とともに吐き出した声音は、真情が込められていたように思う。リヴァイはいま自分を責めているのかもしれない。あの日、壁外調査に行っていたために、救えただろう命を救えなかったことを。
 けれども街が巨人に襲われるだなんて、誰も予想だにしなかったことだ。起こってしまった不幸は気の毒だが、誰にも責任はない。それでもきっとリヴァイは、自責の念にかられているのだろうと思った。

 真琴はリヴァイを見上げ、彼の手をそっと握った。自分を責めて心を傷つけるようなことはしないで、と口には出さないがそんな想いを込めて。
 誘わなければよかっただろうかと、真琴が悔やんでいたらリヴァイの瞳と絡まった。「大丈夫だ」と静かにリヴァイが言ってくれた。

 シスターが辛そうに視線を落とす。
「うちで引き取れた子はほんの一握り。行く当てのない子は、地下街へ降りたり、人身売買されたと聞きました」
 祈るように両手を組む。
「それを思えば、この子たちは決して不幸ではありません。わたくしは、この子たちを守ることに心血を注ぎたいと思っております」
「そうかもしれん……」

 リヴァイはそう呟いた。地下街で生きてきた彼には、何かしら思い馳せるものがあるのだろう。そこで暮らす厳しさも。暖炉の温かみがあり、寝る場所も確保でき、太陽の下で元気に遊ぶことができる。それは幸せに値することだと。

 シスター、とリヴァイは向き直る。
「せっかくだ。力仕事があるなら引き受けるが」
「では、薪割りをお願いできますか? 外なので寒いですが……」
「構わない」

 シスターに場所を確認したリヴァイは、エレンに視線を投げた。エレンも真琴と同様に子供たちからもみくちゃにされている。彼の人なつこそうなパッチリ目は、子供らに安心感と親近感を湧かせるようだ。
「俺は外に出てくる。命令だ、しっかり子守りをしておけ」
「は、はいっ」
 エレンは早口で答えた。
 背中を見せて部屋を出ていくリヴァイを、真琴は穏やかな気持ちで見つめていた。あんなに気乗りしていない素振りを見せていたのに、彼の中で何があったのか、姿勢を改めたようだ。

「マコさん、いいかしら?」
「なんでしょう? シスター」
「ここを任せていい? わたくし病気の子を見てきます」
「はい、いってあげてください」
 シスターは頭を下げて部屋から出ていった。

 真琴が女の子たちとおままごとをしていると、少し離れた場所ではエレンがお馬さんをやらされていた。四つん這いで歩くエレンの背中には、三人の子供が乗っかって身を弾ませている。ときたま髪を引っ張られたりしながら、彼はよろよろと進む。

「エレン君っ、無理しないでっ」
「だ、大丈夫です! これしきのこと朝飯前です!」
 にかっと笑ったエレン。でもちょっと引き攣っているように見えた。

 頑張っているエレンを見て、「そうじゃなくて……」とは言えなかった。どちらかと言うとエレンの心配ではなく、不安定な背中から子供たちが落ちたときのことを真琴は心配していた。
 エレンは赤ちゃん組にとても人気があるようだった。彼のあとを、赤ちゃんたちはハイハイでついていく。まるでカルガモの親子のようだ。自然と子供たちに好かれるのは、彼の内面が純粋だからなのだろう。子供たちには生きていく術として、大人を見分ける心眼が備わっているのかもしれない。

「マコねえちゃん!」
 男の子たちが寄ってきて、真琴の袖を引いてきた。
「外で遊ぼうっ。雪合戦しようよっ」
 と言うと、女の子たちも立ち上がって同調した。真琴はよいしょ、と立ち、
「じゃあ、風邪引かないようにちゃんと厚着してきて」
 子供たちに言い、
「エレン君、赤ちゃんたち任せて平気?」
「は、はいっ」

 快活に返事をした彼はしかし、ぐてっとうつ伏せになっていて、その上を赤ちゃんたちが這っていった。大丈夫だろうか、と心配になったがここはエレンを信じることにした。

 くぅ、と真琴は思わず高い声を捻り出してしまった。ちらちらと雪が舞う屋外は、室内の暖かさとはえらい温度差だ。
 上着をいっぱい着込んで、だるまのようにまん丸になった子供たちは、ばらばらに駆け出していく。子供は風の子、まさにその名の通りな光景だった。彼らにとっては暑かろうが寒かろうが、特別関係ないのだろう。外でいっぱいに遊びたいのだ。

 建家の角からリヴァイが現れた。薪割りが終わったのだろうか、こちらへやってくる。
「何してんだ、中はいいのか」
「エレン君が見てくれてるから。リヴァイは薪割り終わったの?」
「向こう十年は持つだろう」
 真琴は肩を揺らして笑った。
「あなたでもそんな冗談言うのね」
「疑っているのなら見てくるといい」
 リヴァイはそう言い、駆け回る子供たちへ向き直った。

 本当なのだろうか、と真琴は少々眼を丸くした。表情のない顔で言うから、いまいち分からない。しかしやはり偽りなのだろう。だってそんなに薪にしてしまっては、来年の冬が訪れたときに、きっと腐ってしまっているだろうから。

「ありがとう」
 真琴が礼を言うと、リヴァイは何も言わずにただ視線だけをちらと寄越す。ゆるりと瞬きを一度して、また前を見た。

「マコねえちゃん、早く〜!」
 子供たちが手を振って真琴を呼ぶ。とうに雪合戦は始まっているようだ。真琴はリヴァイの手を引く。
「待ってるわ、行きましょっ」
「俺はいい」
 と言いながらもリヴァイはのろのろと真琴に引っ張られていく。だけれどアンニュイな様相をしているので、真琴は子供たちをけしかけることにした。
「この人が鬼よっ! みんなやっつけてっ!」
 真琴が声を上げれば、子供たちは一斉に標的をリヴァイに絞った。雪玉を作って楽しそうにガンガン投げていく。

「俺はいいと言ったろっ……クソっ」
 自分へと遠慮なく放たれる雪玉を、リヴァイは腕を上げて顔を守る。彼のやる気に関係なく、向かってくる雪玉を避けるためには、逃げるしかなさそうだ。数歩後退りしたリヴァイは背中を見せて走り出した。
「みんなっ、どんどん投げるのよぉ」

 煽りながら、真琴も雪玉を作る。ふかふかの雪に足を深く突っ込んでリヴァイに向けて投げた。
 子供たちはきゃっきゃと楽しい悲鳴を上げる。リヴァイが本気で逃げれば、きっと雪玉は一個も当たらなければ掠りもしないだろう。なのに、子供たちのあまり勢いのない雪玉が彼の背中に当たるのは、どうしてなのだろうか。
 厚い雲の割れ目から陽光が差した。降り積もった雪がきらきらと光る。だからだろうか、リヴァイが眩しく見えて、真琴は眼を細めたのだった。

 やられっぱなしは、やはり面白くなかったようだ。雪玉を腕で払い落としながら振り向いたリヴァイは、声を上げた。
「おいっ、男どもっ。その様子じゃ、いつも女どもに尻敷かれてんだろっ? 日頃の恨みを晴らすときだっ」

 やられた、と真琴は苦虫を噛んだ。
 リヴァイの言い回しは子供たちからしたら難しいものだと思うが、何となく意味合いを呑み込んだようだ。男の子たちが寝返る。
「どんどんやれっ」
 リヴァイが男の子たちを引き連れて雪玉を投げてきた。「リヴァイおじちゃんに続けー!」と幼い声が叫ぶ。
 しかしながら女の子たちも負けてはいない。せっせと雪玉を作り、投げつけていく。「負けるもんかー!」とやはり幼い声が飛び交う。

 しゃがみ込んで雪玉を作っていたら、真琴の背中に振動が走った。リヴァイが雪玉を当ててきたのだ。
「隙だらけだ」
「やったわねっ」
 笑いながら怒り、真琴もリヴァイに雪玉を投げた。だがさっきまで子供たちの雪玉は当たっていたというのに、真琴のは一個も当たらない。風のようにひょいひょいとリヴァイは避けてしまう。
「避けるなんてずるいっ」
「それが雪合戦だろ、お前がとろいんだ」

 そう馬鹿にしてきたリヴァイから、またも真琴は雪玉を浴びた。ムキになってリヴァイを追ううち、気づいたら二人でやりあっていた。少し離れたところでは、子供たちが投げ合う雪玉が空に弧を描いているのが見える。
 雪玉は当たらないから、犬が後ろ脚で砂を蹴るみたいに、真琴は直接手で雪をかけていく。さらさらな粉雪が宙で煌めいた。

 リヴァイも雪を振りかけてきた。真琴は腕で顔を庇いながら、片手で雪を掬ってはかける。耳許で聞こえる若干鼓膜に響く声は、真琴が上げているものだった。ソプラノの弾んだ声だった。
 二人して雪をかけあい、そうしているうちに距離が縮んできた。膝を伸ばし、逃げようとした真琴は深い雪に足首を捻る。上体が崩れて倒れそうになった真琴は悲鳴を上げ、リヴァイが慌てた様子で腕を伸ばしてきた。

 逞しい腕が腰へ回る感触と、柔らかいマットレスに沈み込んでいく感触。冷たい雪に深く人型ができた。
 仰向けで頭から突っ込んだけれど、雪のおかげで痛くはなかった。けれどびっくりしてしまったのもあり、安心した反動で真琴は可笑しくなってくる。何が可笑しいのかよく分からないほどだ。息が苦しくなり、目尻に涙も滲み、それでも真琴はけらけらと笑う。

 ようやく笑いが引っ込んだのは、腰に回されたリヴァイの腕に力が籠ったからだった。笑っていたのは真琴だけだったらしい。いったいリヴァイはいつから、どこか熱っぽい瞳を細めていたのか。
 真琴は手を伸ばしてリヴァイの頬を優しく包んだ。そうして自分へ引き寄せるふうにすると、リヴァイは緩く顔を背けてしまった。

「なに考えてる、馬鹿が」
「……それなら、そんな眼しないでよ……」
 空気をただ揺らすだけの、熱情な小声で互いに言い合う。
「ここは孤児院だぞ。周りが見えなくなってどうする。色ボケすんな」
「周りが見えなくなったのはあなたでしょ」
 リヴァイが微かに眼を見張ったのが見えた。ひどく機嫌を崩したようで、舌打ちをして真琴から離れる。
「冷えた。屋内へ戻る」
 言い捨てた声はバスの声域だった。
 これは恋患いだろうか、ひどく胸が窮屈で真琴は溜息をついたのだった。

 窓から見える小さな足跡だらけの雪は、夕日を浴びて淡い紅茶色に染まっていた。
 エレンはずっと小さい子の相手をしていたために、くたびれているようだった。脱力して座り込んでいる彼の腕を、まだ遊び足りない子供が引っ張る。エレンは根無し草のようにゆらゆらと大きく揺れた。
 リヴァイはまだ機嫌が直っていないようだ。室内の隅で腕を組み、壁に凭れている。

 今日はここまでだろう、と真琴はシスターに歩み寄った。
「子供たちにプレゼントを用意してきたんです」
 まぁ、とシスターは感激混じりの声を上げた。それと、と真琴は続ける。
「前から子供たちに教えてきた歌。あれ、今日のためのものだったんですけど」
 一月前からこの日のために、真琴はある歌を子供たちに教えてきた。
「ちょっとしたゲームをしたあとに、みんなで歌おうと思うんですけど、いいですか?」
「もちろんよ」
 シスターは穏やかな微笑を浮かべ、
「ゲームって何かしら?」

 子供たちに輪を作ってもらった。足許に人数分のプレゼントをエレンと真琴で並べていく。子供たちはプレゼントを前にして顔を輝かせていた。
 真琴はオルガンの前で腰掛け、子供たちを振り返る。
「みんな手をつないで、音楽が流れたらゆっくり回りだしてね。反対に音楽が止まったらみんなも止まって。そのとき目の前にあるのが、私たちからのプレゼントよ」
 説明をして、真琴はエレンに目線を投げた。
「分からない子もいると思うから、フォロー頼んでいい?」
「はいっ」

 エレンは子供たちの輪に入っていった。ちらりとリヴァイを見る。まだ怒っているのか気怠げだ。
 さすがに大人げないのでは、と思った真琴はつい大きな溜息がもれた。気を取り直してオルガンを弾きはじめる。
 アップテンポな明るめの曲調に合わせて子供たちが回りだす。やっぱり戸惑っている子もいるようで、そんな子に対してはエレンが対応してくれたようだった。
 二週目ちょっとで真琴は曲を止めた。子供たちへ振り向く。
「目の前にあるのは、どんなプレゼントかな」

 子供たちはしゃがみ込んで包まれたプレゼントを開けていく。包装紙がびりびりと破かれる音がして、真琴は苦笑した。何時間もかけて真琴が選んだ包装紙。子供たちにしてみれば、中身のほうが大事に違いなかった。
 子供たちはどうやら喜んでくれたようだ。ぬいぐるみや、積み木、絵本を掲げてとびきりの笑顔を見せてくれた。

 シスターが両手を叩いた。
「みんな、ではあの歌を歌いましょう」
 はーい、と子供たちは元気な声を上げ、真琴のもとへ駆け寄ってきてくれた。
 真琴は伴奏を弾き始めて、「さん、はい」と合図をした。

 もろびとこぞりて むかえまつれ
 ひさしくまちにし
 しゅはきませり しゅはきませり
 しゅは しゅは きませり

 故郷がひどく懐かしくなった。真琴が教えた歌は、この時期になると街のあちこちで流れている、クリスマスソングだった。
 眼を瞑って情景を思い浮かべる。有名な並木通りでは、何百個ものLEDが夜の街をロマンチックに照らしているのだろう。街を行き交う人間は、暖かそうな格好をして恋人と腕を組んでいるのだろうか。そうしてクリスマスツリーの下で抱き合い、キスをするのだろうか。
 真琴もこの世界に来ることがなければ、いまごろクリスマスのために恋人を作っていたのだろうか。

 それともいまこうしているのは、運命だったのだろうか。必然の出逢いだったのだろうか。だとしたら神はひどく残酷だと、真琴は思ったのだった。

 三人は帰りの馬車に揺られていた。
「エレン君、今日はありがとう。子供たち、すごく喜んでた」
「いえ、お役に立てて良かったです」
 よっぽど疲れたのか、エレンはふにゃり笑いで返してきた。
「プレゼントね、ひとつ余ったの」
 真琴はそう言い、役目を終えたサンタクロースの袋から包みを取り出した。エレンに手渡す。
「もらっていいんですか?」
「うん。間に合わせのもので悪いんだけど、今日のお礼に」
 ありがとうございます、とエレンは笑顔で礼をした。破けないように包装紙を慎重に解いていく。中から出てきたものは、
「紅茶缶……?」
 エレンは首を捻り、
「子供たちに用意したわりには、大人っぽいの選びましたね」

「う、うん」
 真琴は口籠りながら微笑した。するとエレンは、
「ああ、そっか。孤児院向けに用意したのが、余っちゃったとかですか?」
 合点がいったというふうに笑みをみせた。
「そうなの、シスターに回ればいいなって思ってたのが、逆に余っちゃったの」
 嘘をつくとき、真琴は早口になる。リヴァイが薄く唇を開けたまま見てきたから、真琴は顔を伏せた。

 本当はリヴァイに用意してきたものだった。――今日のお礼として。でもエレンが手伝いに来てくれたことと、思っていたよりも頑張ってくれていたから、彼を労わないわけにはいかなかったのだ。
 しかしリヴァイにとっては、完全に無償になってしまったことを悪く思う。そう思いながら、ちらりと上目遣いでリヴァイを見ると、一瞬だけ穏和な瞳を見せ、
「エレン、あとで俺にも飲ませろ」
 と顎を尖らせたのだった。

歌詞引用:賛美歌第112番より「もろびとこぞりて」

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