お茶目な妄語

時系列:第五章16以降

 暗い階段を降りきったところには、石壁に三つの燭台があった。蝋燭が灯っていない燭台を、真琴は何度か引いたり上げたりを繰り返す。すると鈍い音を立て、目の前の壁が扉になった。
 寒さに身を縮こませて入った先はヴァールハイトの地下アジト。誰もいない室内は、外は真昼だというのに夜みたいな暗さだ。
 一目散に薪ストーブまで行き、真琴は屈んで薪を焼べた。赤々と踊りだした炎に、すっかり冷たくなってしまった両手を翳し、しばらく暖をとる。少し落ち着いたところで、乾燥予防も兼ねてケトルを置いた。

 ストーブの近くにある椅子へ腰掛ける。持ってきた紙袋を机の上で逆さまにして振った。ばらばらと出てきたものは、さきほど街で買ってきた色とりどりの刺繍糸。何色を使うか選別し、何本か取り分けた真琴は早速編み出した。――ミサンガを。
 もうじきやってくる冬の感謝祭。それは真琴が慣れ親しむ、バレンタインデーと似たようなイベントらしいのだ。日頃の感謝を込めて、女性から男性へ手作りのミサンガを贈るというもの。ならばと、真琴はリヴァイのために作ろうと思ったのだった。

 ケトルが蒸気を上げ、しゅんしゅんと鳴りだす。冬の情緒を感じさせる耳に優しい音。黙々とミサンガを編み続け、湿気を含む暖かさに真琴が幾分の安らぎを感じていたころだった。
 扉の外で何やら気配がし、そうして開け放たれた向こう側にいたのはフュルストだった。

「何だ、ひとり?」
 外套を纏っているフュルストは、頭やら肩やらに積もった雪を手で払う。あらかた落とすと、外套を脱ぎ、外に向かって残った水滴を振るい落とした。
 上着を椅子に引っ掛けたフュルストはこちらへやってきて、
「何してるの?」
 と真琴の手許を覗き込んできた。

「もうすぐ冬の感謝祭でしょ。だからミサンガ編んでるの」
 ふぅん、とフュルストは姿勢を直して見降ろしてくる。何だかつまらなそうな眼だ。
「聞かなくても予想はつくけど、誰にあげるの?」
「だ、誰にだっていいでしょっ」
 リヴァイへ。と白状するのが恥ずかしい真琴は、口を窄めてボソボソと答えた。
 フュルストは隣の椅子を引く。
「兵士長さん、でしょ?」
 と言って腰掛けながら、
「貰っても身につけるような人間には見えないけどな」

 そう思うがこれは気持ちなのだ。贈るということに意義があるのだから、箪笥の肥やしになろうが真琴はどうとも思わない。
「いいのよ、べつに」

 やる気なさそうな感じで頬杖を突いたフュルスト。真琴が選別した刺繍糸を一本つまんだ。
「寒色系――ね……」
 彼がゆらゆらと揺らす糸は青色。ほかに真琴が選んだのは水色や紫で、どれも冷たい色だ。これは単にリヴァイのイメージが寒色系な気がするからであって、深い意味はない。
「だって、赤とか黄色とかは似合わなそうじゃない」
「要するに暖色系ね。確かに、暖かいってイメージじゃないよね」
 とまだつまらなそうに言い、フュルストが摘んでいた糸をぽいっと手放した。真琴はそんな彼の態度に首をかしげる。
「どうしたのよ? 機嫌悪い?」

 べつに、とゆったり返したフュルストは立ち上がる。薪ストーブの前で暖をとり始めた。丸めた背中が、玩具を取り上げられた子供のようにいじけて見えるのだけれど。
 わけが分からずそういう態度をされると焦れる。

「嫌なことがあったからって、人に当たらないでくれる?」
「そっちこそ憶測で勝手に怒らないでよ。嫌なことがあったなんて、誰が言ったの」
 困った人だわ、そう思って溜息をついた真琴は編み掛けのミサンガを置く。フュルストのそばまでいき、両膝に手を突いて腰を曲げた。
「……フュルスト?」
 努めて穏やかに声をかけると、フュルストが振り返った。醒めた顔つきをしている。
「兵士長さんにあげるのは何で?」
「日頃の感謝とか、申し訳なさの気持ちで。兵団でいつも迷惑かけてるから」
 と真琴が言うと、フュルストは数回眼をぱちくりさせた。
「そのまんまじゃない」
「だから冬の感謝祭なんでしょ?」
 真琴は首を傾けてみせた。どうしてフュルストは意外そうな、奇特そうな表情をするのだろうか。

「ミサンガの色は何で青系にしたの?」
「さっきも言ったでしょ。あの人には冷たい色が合いそうだからよ」
「意味知らないで色を決めたわけか……」
 小さく頷きながらフュルストは独り言みたいに零した。そして表情を、何か企むような楽しむようなものに変えた。
「それね、色によって意味合いが違うんだよ」
「そうなの?」
 初耳で真琴が眼を丸くすると、フュルストは頷いた。
「寒色系が義理。暖色系が好きって意味があるんだ」

 それではまるっきりバレンタインデーのチョコと同じではないか。本命と義理があるということだ。となるとリヴァイにはどっちを上げたほうがいいのだろうか。彼はこの世界の人間なのだから、当然感謝祭のことも、ミサンガの色のことも熟知しているはずだろう。
 暖色系が似合わなそうだからといって、寒色系を贈ったらどう思うだろうか。それにただでさえ報われない想いなのだ。僅かな気持ちであってもミサンガに想いを込めたい、と真琴は思ったのだった。

「作り直そ……」
 ぼそっと呟き、椅子へ戻ろうとする真琴の手首をフュルストが掴んだ。そうして立ち上がった彼は一瞬だけ興ざめな面容をみせた。だが振り向いた真琴が見たものは、フュルストの微笑だった。

「僕にはくれないの?」
「あなたにお世話してもらったことあるかしら?」
「極めて辛いね……」
 フュルストが遠くを見るように眼を細めたから、真琴は思わず吹き出した。
「嘘よ、ちゃんとあげるわ。寒色系をね」
「それじゃあ当日の夜にでもここで。楽しみにしてるよ」
 と言い、フュルストは満足げに微笑んだ。

 ※ ※ ※

 ウォールローゼ市内の噴水前は、幾人もの男女が集っていた。そしてこぞって女性が男性に包みを手渡す姿が見られる。カラフルな包装紙でラッピングされている中身は、たぶんミサンガだと思った。

 真琴はここでリヴァイと待ち合わせをしているのだが、腕に引っ掛けている手提げ袋の中には二つのラッピングされたミサンガが入っている。一つはリヴァイへ、もう一つは夜にアジトへ寄ってフュルストにあげる予定だ。
 前方から、両手をポケットに納め、こちらへやってくるリヴァイが確認できた。和気あいあいな雰囲気が漂う噴水前。それと打って違い、彼は大儀そうな空気を纏っているように見えた。

 どうして今日真琴から誘われたのか、当てはついているだろうに。そんなありさまを見せられると、本当のところ面白くない。
 しかしそういう思いは胸に仕舞い込もう、と真琴は自分を抑えた。せっかくのイベントなのに、ギスギスしてしまっては台無しだからだ。そしてこう思うようにする。きっとリヴァイは恥ずかしいのだ。だから格好つけているだけなのだ、と。

 真琴のそばまできたリヴァイは、
「何だ今日は。やけに人が多いな」
 と眉を寄せて辺りを見渡した。
 知っているくせに、と思わず真琴は微笑ってしまいそうになる。やはり気恥ずかしいから格好つけているのかもしれない。
「忙しいのに呼び出してごめんなさい。渡したいものがあったから」

 そう言い、真琴は手提げ袋に手を入れる。朱色の包装紙で綺麗にラッピングされたものを取り出した。そして渡そうと思ったとき、
「やぁ、マコ。奇遇だね」
 と爽やかな声が背後からかかった。振り返れば、いつもより少々おめかしした、控えめな微笑のフュルストが立っていた。
「えっ!? 何で、だって夜にあげ」
 言い終わる前に、真琴はリヴァイに腕を強く引かれて彼の背中に庇われた。リヴァイは険のある眼つきでフュルストを見据える。

「よく俺の前に出れたものだ」
「ごめん、君に気づかなかった」
 フュルストはそう笑みを貼りつけて言うが、瞳の奥が光って見える気がする。飄々としたさまはリヴァイに対し、悪意を持って演じている気がしてならない。
「そうか、それは残念だったな。偶然をありがたく思え。俺がお前を憲兵に突き出してやる」
 言いながらにじり寄る。押し籠った低音は危険さを帯びていた。真琴に言われたわけではないのに、なぜか震え上がってしまう。

 フュルストは歯牙にもかけず肩を竦める。
「今日はただの一般人なんだけどな」
「つまんねぇ戯言は豚箱で言ってろ」

 真琴は険悪な雰囲気にただおろおろするしかできない。周囲もそんな空気を察知したのか、何事かというふうな様子を見せ、あっという間に注目を浴びてしまっていた。
 恐い顔のリヴァイとは、正反対な表情のフュルスト。真琴に話を振ってきた。

「今夜渡したいものがあるって言ってけど、二度手間だし、いま貰おうかな」

 何だか語弊を感じる。『ミサンガをあげる』とは言ったが、これでは真琴から進んであげたいとお願いしたように聞こえないだろうか――リヴァイに。
 ちらりとリヴァイの横顔を盗み見ると、思った通り彼の顔がさらに険しくなっていた。そして怒りの矛先は真琴へ向く。

「今夜? 性懲りもなく、まだこいつとつるんでやがんのか、てめぇは」
「つるむっていうか、えっと」
「はっきりしろっ」
 真琴はたじろぐ。ここはさっさとフュルストを退散させるに限るだろう。真琴は紙袋を漁り、急いでもう一つの包みを取り出す。
「はい、これっ。あなたのねっ」
 突きつけるように差し出したのは、黄色の包装紙でラッピングされたもの。

「可愛いく包んだね」
 にっこりと受け取ったフュルストは、その場で丁寧に包装紙を解いていく。真琴は早く去ってくれ、と祈っている。自分の背で押すようにして、リヴァイを何とか食い止めている状況だ。
 包みから出てきた青系のミサンガを、フュルストは公然と晒す。
「繊細な細編みだ。嬉しいよ、ありがとう」

「どう、いたしまして……」と引き攣り笑いをする真琴の背後で、「寒色系……?」と低い唸り声がした。

 フュルストは速やかに、自分の手首へミサンガを付けはじめる。手許に集中する彼の顔は下を向いており、プラチナに近い金髪の、長めな前髪のせいで真琴からは余計に表情が見えない。フュルストがいま、とびきりの破顔をしているなど気づきようがなかった。
「どう? 似合うかな」
 とフュルストはミサンガが巻かれた手首を上げた。真琴はただ「うんうん」と頷き、口角を何とかしならせる。犬を払うように、しっしっ、と手を払いたい気分だった。

 こんなところで乱闘騒ぎになるのも嫌だし、フュルストが憲兵送りにされるのも可哀想な気がするから、早く帰ってほしいと思っていた。

「じゃあ僕はお邪魔みたいだから帰るとするよ。またね、マコ」
 目許に穏和な笑みを浮かべ、フュルストが腰を折って真琴に顔を突き出してくる。彼が少し首を傾け、真琴の頬に唇が触れそうになったとき、二の腕を強く掴まれた。後ろにつんのめる勢いで真琴を下がらせたのは、怒気を含んだ双眸のリヴァイだった。

 くすっと意地悪な薄い笑みを見せたあと、フュルストは背を向ける。ひらひらと手を振りながら去っていった。

 凍てついたような気配が、リヴァイの全身から沸き上がっている感じがする。そろりと瞳を上げると、リヴァイは雪よりも冷たい瞳で射抜いてきた。真琴はびくっと肩を痙攣させる。
 むっつりと閉口したまま、リヴァイは手のひらを出してきた。微小に指を揺らして催促してくる。
 真琴は瞬きを繰り返したあとで、朱色の包みをその手に乗せた。
「ど、どうぞ……」

 ありがとうも言わず、リヴァイは機嫌が悪いまま包みを開いていく。中から現れたミサンガを摘んだ。
 さらに眉間に皺を深くさせ、
「暖色系……」
 と地響きのような声音で呟いた。
 え? と真琴が困惑して首をかしげると、リヴァイがいきなり身を翻した。
「用件は済んだろ。俺は帰らせてもらう」
 吐き捨てると大股で真琴の前から去っていってしまった。

 しばし呆然としていた真琴は正気を取り戻した。じわじわと怒りが湧いてくる。
「な、何なのあの態度っ。お礼もないしっ、何なのよっ。ふ、ふざけんじゃないわよっ」
 弱々しく捨て台詞を吐き、
「……ケーキ屋さんに、連れていってもらおうと思ってたのに……」
 ひどく泣きそうな気分だった。

 ※ ※ ※

 ここはヴァールハイトの地下アジト。
 暖炉の前で、ロッキングチェアに揺られながら陣取るフュルストは、とても機嫌が良さそうに見える。どうしてそんなに上機嫌なのか、気になっているらしいローレンツが声をかけた。

「ルース、さっきから気持ち悪いよ、にこにこと……」
 ゆるりと頭を後方に反らしたフュルストは、柔和な微笑を湛えていた。そしてローレンツに見えるように片腕を上げる。
「寒色系じゃん。エリに貰ったの?」
「いいや?」
「何かイヤな感じだぞっ」
「知りたい?」
「ふんっ、自慢話なんか聞きたくないやい……」
 ローレンツはいじけてしまったようだ。フュルストは軽く息を吐くようにして笑った。

「ロゥも大人になれば、好きな子から貰えるようになるさ」
 手首に引っかかる青いミサンガを見つめ、
「愛のお守りをね」
 と静かに囁いた。

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