仮面の男

時系列:第五章16以降
 
 真っ暗な闇に煌びやかな光が眩かった。
 屋敷前は何台もの馬車が行き交う。その中から降りてくる人たちは、誰もがイブニングドレスやテイルコートを着込んでいた。顔には仮面や、目許のみのアイマスクをつけている。
 そして真琴も目許にマスクをつけて、屋敷の入り口前で待っているのだ。――ある人物を。

 ※ ※ ※

 秘密結社のアジトでエリザートたちと談笑しているときだった。フュルストが現れて、まずはエリザートに声をかけた。
「十一日なんだけど、ある屋敷で開催される仮面舞踏会につき合ってもらえない?」
 エリザートは申し訳なさそうに眉根を下げる。
「ごめんなさい。その日、無理だわ」
「そっか」と言ってフュルストは少し思案したようなあとで、微笑って真琴を見た。

「一緒に行こうか」
「用事はないけど……」
 気乗りしない真琴は言い淀んで、
「あなたが言うんだもの。ただ踊って楽しむだけが目的じゃないのよね?」
 疑いの上目遣いをした。
「警戒してる? ありきたりな諜報活動だよ」
「ほんとね?」
「何を疑ってるの。暗殺でも企んでるのかって?」
 真琴が黙って見つめると、
「ほんとにほんとっ。ただの諜報活動だってば」
 と苦笑してフュルストは肩を竦めた。

 エリザートが口を挟む。
「エスコートが必要な、格式ばったものなの?」
 ううん、とフュルストは首を振った。
「緩いやつ。でも男ひとりじゃ格好つかないじゃない」
「あなたほど魅力的なら、壁の花になることもないでしょ」
 真琴が言うと、
「本音は、女が言い寄ってこないための壁がほしい」
「要するに自分はモテるって言いたいのね」
「おかげさまで」
 言ってフュルストは嫌味じゃない微笑を浮かべた。

 薬の調合をしていたエリザートが顔を上げる。
「行ってきなさいよ、真琴。案外楽しいわよ」
 また利用されて危ない目に合わないだろうか。真琴は胸の内に僅かな疑いを持ちつつも、エリザートに促されて頷いたのだった。

 ※ ※ ※

 フュルストを待っていると、一台の馬車から黒いテイルコートを着た男が降りてきた。真琴へ向かって軽く手を振り、笑顔でやってくる。

「けっこう待った?」
「色んな人に、じろじろ見られるぐらいには待ったわ」
「正直だな、ごめんね」
 困った笑顔でフュルストが言うから、
「ううん。冗談よ」
 と真琴も笑い返した。

 あれ? とフュルストが笑顔を消し、ゆるりとした動作で背後を振り返る。鋭い眼つきだった。
 真琴は首をかしげる。
「どうかした?」
「真琴はドジ踏んだね」
「え? なに?」

 まぁいいや。とフュルストは上目で溜息をつく。切り替えた顔で首を傾けた。
「今宵の君はとても素敵だよ」
 眼を細めて真琴の顎にそっと指をかけてくる。
 計らずも頬を染めた真琴は顔を背けた。
「何言ってるのよ、馬鹿っ」
「思ってなくても、こういうことは言わないとね。着飾った女性のために」
 おどけて口の端を上げたから、真琴はめいっぱい頬を膨らませた。
「お世辞をありがとう!」
「どういたしまして」
 微笑んでフュルストは腰に片手を当てる。腕を少し揺らすのは、真琴に手を掛けてこいという意味だろう。

「それでは参りましょう、お姫様」
「悪さはなしよ、王子様」

 嘘っぽい笑みをわざと浮かべて、真琴はフュルストの腕に手を絡めた。
 明るい入り口に入っていく真琴の背後で、追うようにひとりの正装した男がくぐっていった。

 怪しげな仮面を被る男女が楽しそうに踊っている。広間には金色に輝く立派なシャンデリアがふたつ、たくさんの蝋燭の炎を揺らしていた。
 絶えず音楽が流れる空間で、真琴は壁の花になっていた。

 なんでよ。と声に出さず、真琴は口だけを動かした。――不満いっぱいに。

 広間にきた途端、フュルストは真琴を捨てた。仮面舞踏会という身分や素性を隠した場では、諜報活動が大いにはかどるらしい。
 といっても参加者は貴族階級のものばかりだけれど。たまに王族が紛れ込んでいることもあるみたいだが。
 ここぞというチャンスを逃さないため、フュルストは積極的に、顔が分からない人間たちと接触を開始した。仮面があるからと油断するせいか、誰しも口が軽くなるのだとか。

 フュルストはお仕事に夢中。すっかり相手されなくなった真琴は、いまひとりでいる。
 仏頂面で佇む真琴にひとりの男が声をかけてきた。些か太めの男だ。
「よろしかったら、わたしと一曲どうですか?」
 断ろうと思って声を上げる前に、男は真琴の手を引く。
「け、結構ですっ。私、踊れないし」
 あたふたしていたら、前方からフュルストが駆けてきた。男と真琴の間に割り入り、
「ごめんね。彼女はボクがエスコートしているんだ」
 落ち着いた微笑で男を見やる。すると男は手を離し、舌打ちをして去っていった。

「隙がありすぎだよ」
「隙とか関係ないと思うわ」
 真琴は半分怒った感じで、
「こういう場でひとりでいたら、声をかけられるに決まってるじゃない」
「ずいぶんな自信だ」
 フュルストはおちょくるような顔つきをする。
 真琴も自分で言って恥ずかしくなった。俯いていると、
「じゃあ一曲踊りますか? お姫様」
 とフュルストが手を差し出す。
 真琴は惑うも、
「ちゃんとエスコートしてよ。私、踊り全然だから」
 とフュルストの手に自分の手を重ねた。

 秘密の関係を匂わせる、アップテンポな怪しい曲調が空間に響く。まさに仮面舞踏会を曲で表現するかのようなジャイブだ。
 ロングドレスを恥ずかしげもなくたなびかせて、着飾った女性たちは腰を激しく揺らし、脚を振り上げる。
 とてもじゃないが、このような踊りをしたことのない真琴は、ただフュルストに振り回されていた。

 慣れている、と真琴は思った。フュルストは軽やかに、それでいてあまり派手すぎずにジャイブを踊る。真琴の手を引いて、自分の腕で作ったトンネルをくぐらせた。

 気がつけば周囲は混み合っていて、ちょっとでも大きな動作をすれば肩が当たった。そのたびに「ごめんなさい」と真琴は頭を下げる。
 そしてひとしお大々的に人とぶつかったとき、フュルストと繋いでいた手が離れた。
「フュルスト!」
 繋ぎ直す暇も与えてくれなかった。混み合った人並みは、まるで竜巻に攫われるように、真琴を流していく。伸ばした手がフュルストに届くことはなかった。

 ときどきぶつかり、くるくると回転しながら真琴は広間を彷徨う。熱気あふれる空間で、どうしたらいいか半ば混乱していたとき、誰かに強く手を引かれた。

 どん、とその誰かの胸許に真琴はぶつかる。間をおかずに、広く開いた背中へ他人の手が触れた。
 相手の胸許に片手を添えて、真琴は顔を上げる。赤いふわふわの羽根をつけた、金縁の派手なアイマスクの男だった。 
 人の渦に揉まれる真琴を、助けてくれたのだろうかと一瞬思った。だが男は強く真琴を抱き寄せてくる。さしもの動揺した真琴は、
「な、何でしょう?」

 真琴とさほど背丈が変わらない男は黙っている。
 たまに愉快な悲鳴が聞こえるジャイブのさなか。男は真琴をしっかり繋ぎとめながら、わりかし抑え気味にダンスする。

 いつの間にか真琴は、この男にエスコートされていた。
 男は手を結んだままで、真琴を軽く突き飛ばすふうにする。繋いだ手がピンと張ったところで、引っ張られた。半回転しながら男の胸許に真琴の背中が納まる。腹に腕が絡まり、同時に真琴の肩口へ男が顔を埋めてきた。ぴりっと走った痛みに、真琴は眼を見張った。――唇で吸われたと。

「ど、どういうつもり!?」
 悲鳴じみた声を上げて真琴が顔だけ振り向こうとしたら、また突き放された。そうして男の腕の輪っかにくぐらされる。そしてやはりすぐに引き寄せられ、今度は向き合う形で強く抱きしめられた。首許に男の唇が触れる。

 唇のあとをつけられる前に真琴は首を竦める。
「やだっ」
 片手で男の胸を突いたが、距離が開くこともなければビクともしなかった。
 男は反対側の首筋を狙って顔を寄せてくる。
「やっ。……やめてっ、いやっ」
 男の肩を押して、距離を取ろうとしたときだった。ふわりと香ったシトラスに、真琴は眼を見開いた。それは男の黒髪からほのかに漂ってくる。

 どこかで嗅いだ匂いに、真琴は心が揺さぶられた。半信半疑で、いまだ唇をつけてくる男を覗き込む。ツーブロックの髪型は――。
「り――」
 名前を呼ぼうとしたところで、背後の男女とぶつかった。声をかけるタイミングを失って、真琴が心を惑わせていると、曲調が変わる。

 しっとりとしたスローテンポに、どこか艶っぽいブルースだ。周囲の男女もその雰囲気に合わせて、艶めかしく踊る。
 仮面があるから普通の社交界のダンスより、開けっぴろげで大胆になるのだろう。深く抱き合う者同士が、ちらほらと真琴の視野に入るから落ち着かない。

 そして真琴を抱きしめる男も、ほかと同じく緩慢にステップを踏む。踏みながら、耳の裏や首筋に唇を交互に落としてくる。
 緩やかなステップとは裏腹に、男は性急な様子で何個も真琴に跡を残していく。
「何に怒ってるの……?」
「自分の胸に聞けっ」
 真琴は堪らず瞳を瞑った。ときめく想いのなすままに、男の背中へ手を回す。なだめるように撫でてやると、男は安心したように息をついた。

「どうしてここに」
「俺も招待されていた」
 本当だろうか。真琴はつけられていたのではないだろうか、この男に。
「なんで私だと分かったの。アイマスク、してるのに」
「アイマスクでなくとも、顔を覆う仮面であっても、俺はお前を見つけられる」
 姿形で分かってしまうというのだろうか。
「お前は何で分かった。俺だと」

 真琴はリヴァイの横髪に頬を寄せた。愛しくてどうしようもない。
「あなたからシトラスの香りがしたから……」
 リヴァイが深く息を吐いたあとで、控えめな音のする口づけを頬にしてきた。
「帰るぞ。あいつは置いてけ」
「……うん」

 離れがたい想いで互いに顔を見合わせ、そうしてリヴァイに手を引かれて、ふたりは広間をあとにした。
 あとでフュルストにひどく心配されて怒られたけれど。――あちこち探しまわったんだよ、と。

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