彼女の香り

 ここはウォールシーナのとある有名な待ち合わせ場所。真琴の世界で言うなれば渋谷ハチ公前、池袋のいけふくろう、銀座和光時計台前といったところだ。
 本日は真琴ではなく、マコである。お嬢様らしい清楚な洋装が久し振りなので、少し気分が高揚気味だ。

 先日フェンデルから呼び出しがあった。フェンデルというのはこの世界での真琴の義父で、自称没落貴族である。
 フェンデルはにこりと笑った。
「この間の社交界で、お主を気に入った者がおっての。先方が見合いを申し込んで来たんじゃ。良いとこのご子息じゃぞ」
「すみません。私、そういうのは、ちょっと……」
 はっきり言って気乗りしなかった。こちらの世界で、恋や愛だのを発展させるつもりは毛頭ないのだ。所詮別世界なのだから。

 フェンデルは食い下がる。
「断わっても良いのじゃよ。ただ、儂の顔を立てると思って1度会ってみてくれんか?」
 上手くいけば孫を御目にかかれるやもしれんし。とぼそっと呟いたのを真琴は聞かなかった振りをした。

 ――待ち合わせ場所失敗じゃないかな。
 人の多さに、目的の人と会えるのか不安になる。一応肖像画は観たのだが分かるだろうか。
 ――というか肖像画って……。写真あるでしょうに。
 こっそり苦笑いをしていると、自身の前に立つ人物が真琴を見詰めていた。誰この人? と軽く小首を捻ると、いきなり手を取られた。

「お待たせしました、レディ」
 男が跪き、真琴の手の甲にキスをしたのだ。やめてよ、恥ずかしい! と心の声が叫んだ。
 周囲からは、真琴たちを見てくすくす笑いが起きている。
「僕を覚えていらっしゃいますか?あの時もこうしてキスを……」
 あの時とは社交界のことだろうが。申し訳ないが全然覚えていない。とは言えず、真琴は会社で培った営業スマイルをばらまいた。
「楽しいひとときでしたわね」

 さぁレディ、と男は真琴の手を引いた。自分の馬車まで誘導していく。
 なんとまあ成金趣味の馬車である。思わず呆気にとられる。すべてがキンキラキン。馬の馬具さえキンキラキン。 まさか金メッキってことはないわよね。と馬車の扉部分を指で擦ろうとしたところ、背後から雄叫び。

「ごめんなさい! 剥がそうとしたんじゃないの!」
 急いで真琴は振り向く。男は真琴ではなく、馬車のタイヤを指差して仰天していた。
「フンが! 僕の純金のタイヤがフンを踏んでる!」
「そりゃあ、踏むでしょう。馬が引いてるんだから」
 そんなに驚くことだろうか。馬車道には馬のフンは付き物で、いたるところに落ちているのだ。
「こんなものに乗れるか! 馬には仕置きをしておけ! タイヤは捨てて新しいのと取り替えておけ! 分かったな!」

 男は馭者に向かって鬼の形相で怒鳴りつけた。次いで、人が変わったような顔で向き直る。
「申し訳ない。徒歩でも構いませんか? お勧めのレストランにご案内します」
 二重人格なのかしら。と戸惑いつつも、真琴は肯いたのだった。本音を言えばもう帰りたかったが。

 レストランでは恥をかいた。スープは音を立てて飲む、肉はくちゃくちゃと食べて口を閉じない。挙句の果てには「味が悪い!」とクレームをつけ、店主は困ってお代を頂かなかった。ちゃっかり完食したのにである。周囲からは注目の的で、本当に恥ずかしい思いをさせられた。

「腹も膨らんだことだし、そろそろお楽しみといきましょう」
「はい!?」
 腕を掴まれて男の言うなりに道を進んでいく。そこは怪しい歓楽街だった。
 派手な建屋に連れ込もうとする男。焦った真琴は待ったをかける。
「困ります! そんなつもりはありません! お話はお断りします!」
「お堅いな。みんな楽しんでいることですよ。あなたも自分に素直になりなさい」

 はっきり言って気持ち悪い。掴まれた腕がぞわぞわと鳥肌を立てはじめる。
 誰か助けて、と周囲を見渡して真琴は眼を丸くした。隣の、やはり派手な建屋から気怠げに出て来た人物に。 その人物も真琴に気付いて、同じように眼を丸くした。なんとリヴァイである。

 リヴァイは戸惑っている。場所が場所だけに、声を掛けて良いものかどうか思案しているようだ。
 いかがわしい店から出てきたリヴァイに、不潔感を抱いた。が、この男の手はそれ以上に気持ち悪い。
 背に腹は変えられない。真琴は男を振り切って、リヴァイのそばに駆け寄った。彼の腕に絡みついてから、男に向き直る。

「私! この人が好きなんです! つき合ってるの! なのでお断りします!」
「あ?」とリヴァイがぽかんと口を開いた。いきさつが判然としなかったためだろう。「話を合わせてよっ」と真琴が囁けば、「仕方ねぇな」と彼は短く息をついてみせた。

 目の前の男は顔が引き攣っている。
「誰なのかな、マコ。その男は?」
「あら、ご存知ないの? 調査兵団のリヴァイ兵士長といったら、人類最強で有名な方じゃない」
「ぺらぺら喋るな」と、迷惑げにリヴァイが横から口を挟んできた。
「調査兵団? くだらないよ、マコ。憲兵団ならまだしも。うだつが上がらないよ。甲斐性なしじゃないか。とてもじゃないが君を養えるとは思えないな」
 ベイビー、と言いながら男は首を振り嘲笑う。

 さすがに言い過ぎな気がする、と思いながらちらりとリヴァイを見遣る。やはりというべきか、彼の顔に暗雲が立ち込めていた。
「クズ野郎が……」
 反対側の手の拳が、怒りに震えている。一歩足を踏み出そうとしたリヴァイを必死に押しとどめる。相手がクズでも暴力は反対だ。
 真琴は男に言い放つ。
「いいのよ。私が養うもの!」
「あ?」
 その場しのぎは失言だった。今度はリヴァイの怒りの矛先が、自分に向いてしまう。

「俺が甲斐性なしだと言いてぇのか」
「買い言葉に売り言葉ってやつでしょ」
「てめぇに世話になるほど、俺は落ちぶれちゃいねぇ」
「だから、言葉の綾だってば」

 リヴァイを宥める真琴を見て、男は何を思ったか悔しそうな顔をしていた。彼には仲睦まじく見えたのかもしれなかった。
 男の表情に気づいたリヴァイ。後頭部に手を差し入れられた真琴は、彼に引き寄せられた。髪に顔を埋めてキスを落とされる。

 ふわふわな髪の毛が、リヴァイの頬をくすぐっているようだ。くどくない柔らかな甘い香り。さきほどまでの怒りを和らげたのか、彼の表情が落ち着いてきているみたいだ。
 ちらりと視線だけを男に向けたリヴァイ。どこか勝ち誇ったような口端に、男は負けたと思ったようだ。ハンカチを噛み締めながら、その場から立ち去っていった。

 密着しすぎではなかろうか。離れようとする真琴。リヴァイが逃すまいというふうに、片腕で絡め取ってきた。
「ヤツはまだいる。追い払いたいんだろ」
 リヴァイは嘘をついてきた。男がいた方向に対して背中を見せていた真琴。彼の言葉を鵜呑みにして、腕の中でこくりと頷いてしまう。

 単純なヤツだ、とでも彼は思っているのだろうか。真琴から香る匂いを、リヴァイは堪能しているように見えたのである。ひとりほくそ笑んだのは、「ミケの趣味でも移ったか」と、そんなことを思っていたのかもしれない。

←back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -