イニシャルの意味と真実

時系列:第五章16以降

 淡く曇る窓の向こうは、銀色の世界。秋の気配などとうに消え去ってしまっていた。
 暖炉が赤々と燃ゆる食堂。この季節になると、食事に関係なく兵士の姿をよく見かけた。寒いから暖をとるために、自然と集まってきてしまうためだった。

 真琴は食卓を囲う椅子に腰掛けている。集中して手許を見つめる先には細い木の棒。その先に垂れる長い長方形のものは、毛糸で編まれたもので。群青色をベースに、茶系のストライプが入っているマフラーを、いま真琴はせっせと編んでいるのだ。
 珈琲の香りがときたま鼻に通っていく。真琴と同じ食卓で、暖かそうな湯気をたゆたわせて珈琲を飲んでいるのは、リヴァイ率いる精鋭班だ。

「楽しいのか。……それ?」
 声をかけてきたのはオルオだった。どこか眼が遠くを見ている。
「楽しいっていうか……」
 真琴は口を濁らせた。
 まるっきりの趣味、というわけで編み物をしているわけではない。人並みにマフラーは作れるが、理由がなければ絶対わざわざ編まない。――そんな程度のもの。

「気持ち悪い光景だな。男が編み物とか……」
 オルオが言うとグンタが苦く笑った。
「同感。あまり見たくないのものだ」
「あら、最近じゃ男も何でもこなせないと、結婚に困るらしいわよ」
 卓子の上で両腕を組んだペトラが意見した。身を乗り出すふうにして、
「エルド先輩は、いろいろできましたよね?」
「家事全般ならな。寮暮らしが長いし」
「彼女さんが羨ましいなぁ。結婚したら旦那さんが家事手伝ってくれそうですもん」
 ペトラが焚きつける感じで言うと、とエルドは暗く笑った。

「全部、押しけつられても困るけどな」
 なぜエルドは暗く笑うのか、真琴には分かっていた。彼は彼女と結婚する気がないからだ。それは愛しているとか、愛していないとかの問題ではない。死と隣り合わせの場所にいるがゆえに、断念せざるを得ないのだ。

 ペトラはまだ続ける。
「結婚に困るだけじゃなくて、家庭的な男ってだけでモテるのよね」
 ちらっと値踏みするようにオルオを見て、
「皺だらけのシャツなんて、もってのほかね」
「ジャケットで隠れるからいいんだっ」
 ぶつくさ言ってオルオは自分のシャツを手で伸ばすふうにする。
 オルオのシャツは細かい皺がたくさんあった。ただ洗って干して、仕舞っただけではそこまでにならないだろう。取り込んだまま放っておいたか、もしくは丸めてチェストに押し入れたか、そんなところか。

 グンタが口端を上げて、
「オルオがぴしっと糊の張ったシャツ着てきたら、そんときゃ彼女ができたってすぐに分かるな」
「えっ! 糊の張ったシャツ着てる人って、彼女いると思いますか!?」
 なぜかペトラが食いつく。
「男がついでじゃなくアイロンすると思うか? 俺だって皺くちゃじゃないにしろ、アイロンまではしない」
「俺もアイロンはかけないな。綺麗に畳んでおけば、それほど気にならない」
 シャツを見降ろしたエルドも同意してみせた。
「そ、そうですか……」
 歯切れ悪く口にしたペトラが、盗み見するように横目を流した。その方向には隣の食卓で分隊長たちが団らんしている。中心にリヴァイの姿もあった。

 何の気なしに真琴もそっちを見てみる。リヴァイのシャツには皺ひとつなかった。ペトラが気にするのは、きっとそこに違いない。
「いないと思うよ」
 真琴がペトラに微笑みかけてやると、
「そう、かな? そう思う?」
「うん。自分でアイロンかけてるんだと思う」
 頷けばペトラは安心したように息をついた。
 少し複雑な思いを胸に、真琴は手を動かしていく。

 ペトラの恋路を応援したいとは思っていない。だって真琴もリヴァイを愛している。――叶わない想いだけれど。
 でもペトラは真琴にとって大事な仲間。だから落ち込んでいるさまは見ていたくない。なので曖昧な態度をとってしまう。
 これが女だったなら、こういう態度を貫けるだろうか。そう考え、大部分においてライバル心を燃やしたのではないかと、真琴は思った。成りきっている自信はないが、男という殻に守られているから、ペトラとは普通に接することができるのだろうな――と。

 熱そうなカップを両手で持ち、ふぅとペトラは息を吹きかけてから、
「それ、自分で使うために編んでるの?」
「うん、まぁ」
 言い淀んで真琴はリヴァイに流し目をする。
「首許、寒いからね」
「買ったほうが安いし、手っ取り早いだろうに」
 理解しがたい、といった面容でエルドが言った。ペトラも相槌を打つ。
「毛糸って意外に高いのよね」
「うん。五玉買ったら五千リラだもん。この半分でマフラー買えちゃう」
 喋っていたら、編み目を落としてしまった。苦いものを呑み込んだ気分で、真琴は毛糸をほどいていく。
「ごめん、目を落としちゃった? 手直し面倒なんだよね」
 とペトラが笑みを浮かべた顔で眉根を下げる。だから真琴が「大丈夫」と答えたとき頭上から、
「お前ら」
 と声がかかる。

 真琴が顔上げると、リヴァイが食卓脇に座る真琴の隣に立っていた。片手には陶器のカップを持っている。
「ここのところ雪がひどくて訓練をまともにできていないが、部屋ではちゃんと筋トレしてるか」
 してない、と苦味が広がって真琴は手許に顔を伏せた。決して珈琲が苦かったわけではない。
 あからさまな挙動に、リヴァイは真琴を睨めつけている。これでは筋トレなどしていませんと、返答してしまったようなものだ。

 オルオがぴんと姿勢をただす。
「毎日、腹筋、背筋、スクワット、腕立て伏せ! 千回三セット! やってます!」
 そんなに!? というふうな顔をして周囲が仰天した。
 リヴァイが平静に一言、
「やり過ぎだ。百回三セットでいい」
 言い放って、真琴の手許に視線を落とす。
「そんなもん編んでやがるから、筋トレする時間を取れないんだろ」
「誰がやってないって言いました……?」
 口籠りがちに真琴が言うと、リヴァイは「ほぅ」と言った。意図的な感じで見降ろしてくる。
「ならば昨日、何回やった?」

 真琴は嫌な唾を呑み込む。
「十回……一セット……」
 くすっ、と口許に手を当ててペトラが顔を逸らした。そしてペトラ以外からは、やや軽蔑と呆れの眼差しが真琴に突き刺さる。
 嘘をつかなかっただけ、褒めてもらいたい。正直に答えたのだから。
 際立った溜息をリヴァイがついた。
「夜中まで起きてるのも、そいつのせいか」
 そう言ってマフラーに顎をしゃくる。
 どうしてそこまで見透かされているのだろうと思って、真琴は内心首をかしげる。が、否定することにした。

「就寝時間にちゃんと寝てます」
「嘘つけ」
「決めつけないでください……」
 真琴が唇を尖らせると、
「俺の部屋に明かりが洩れてくるから、嘘をついても無駄だ」
 とリヴァイが言うから、真琴は勢いよく顔を上げた。
「洩れてる!? どこから!?」
「古い宿舎だしな。あちこち隙間だらけなのは知ってるだろ」

 だけれども明かりが洩れているだなんて知らなかった。覗けるほどの穴とかはないはずだが、気分的に見られているのと同じような羞恥を、真琴は感じていた。
 動転している気持ちを、身体に馴染ませようと真琴は編み物に集中する。
 真琴の膝に垂れ下がるマフラーの端に、リヴァイが手を伸ばしてきた。
「変な趣味だ。女に転生したらどうだ」
 萎えた眼でマフラーを見る。

 兵長、とペトラが呼びかけた。
「可愛らしい男子って、いまどき人気なんですよ。結構こういうの、ウケがいいんです」
「ウケたくてやってんのか、お前っ」
 どうしてかオルオが白目を剥く。敵意を感じた。
 真琴は首を振ってはっきり打ち消す。
「違うよっ。なんで怒るの」
 鼻息を荒くして、オルオは腕を組む。まだ真琴を恨めしそうに見やりながら、ちらちらとペトラを気にする。
 何か勘違いしているようだ。真琴は腰を上げ、オルオに向かっていっぱい身を乗り出す。内緒話するように口に手を添えて、
「ボク、ペトラが好きとかそういうんじゃないから」
 こっそり告げると、まだ疑わしげだがオルオは納得したようだった。そうしてオルオから離れようとするよりも早く、真琴は首根っこを掴まれる。強制的に椅子に戻された。
 そうしたのはリヴァイで、彼は眉間に僅かな皺を刻んでいる。

 なに? と眼だけで真琴は伺う。リヴァイが一瞬視線を逸らしたあとで、何かに気づいたように再び編みかけのマフラーを摘む。
「エフ?」
「え?」
 訝しげに呟いたリヴァイの、その視線の先を辿る。マフラーに文字が編まれている箇所だった。そこにはイニシャルを入れようと思っている。
 入れる文字はもちろん、この世界のスペル。その文字をリヴァイは「F」と読んだ。
 どうしたのだろう。何だかリヴァイの機嫌が悪くなっているような気がするけれど。眉間に刻まれた皺が深い。

「どうかし」
 どうかしましたか? と真琴がそう訊こうとしたとき。突然リヴァイがマフラーのイニシャル部分を、憎しと言わんばかりに、ぐにゃりと握りつぶした。
「なにするんですか! 人のものを!」
 強く非難して、真琴は取り返そうとマフラーを引っ張る。しかしリヴァイがぎゅっと掴んでいるから、長く伸びただけだった。
「ちょっと! 伸びちゃうじゃないですか! 離してくださいよ!」
 このままでは毛糸がだるだるになる。そう思って真琴はリヴァイの握りしめる拳をどかそうと、幾度もはたいた。
「痛ぇな」
 あきらかな噛みつく声で吐き捨てると、リヴァイはようやく手を離したのだった。

 ※ ※ ※

 十二月二五日。今日この日は、世界中で人々が幸せを感じていることだろう。
 クリスマス。キリストの降誕を祝う日だ。
 家族で、恋人で、友人で。そうしてプレゼントを交換しあい、温かな食事や、甘いケーキを前にして笑っているかもしれない。――真琴の両親も、友達も。
 この世界にはクリスマスなどない。だってキリストが存在しないから。しかしある男にとっては特別な日に違いなかった。
 
 真琴は赤くなった指先に温かい息を吹きかけた。それから少しでも摩擦で温めようとさする。
 昨夜降ったぼたん雪は、街をいっそう白く染めた。いまの空は灰色で粉雪に変わっているが。降り積もった雪は、真琴の防寒ブーツの足首より上にあった。
 真琴が立っている場所は調査兵団本部の正門前だった。数分前、守衛に、ある人物を呼び寄せてほしいと頼んだばかりだ。

 寒さを紛らわせようと脚をもじもじさせる。「まだかな」と真琴は心待ちにして、腕に掛けてある可愛らしい紙袋の口を、指でちょいと広げた。
 中から覗くものは群青色の暖かそうなマフラー。それを見降ろしていると、心が優しい気持ちになっていき、真琴の眼が細まっていく。
 何だかんだでマフラーを編み上げるのに一ヶ月かかったのだ。詰まるところ格別な思いがあるということ。貼りつけたお面のような顔を崩して、喜んでくれるといいのだが。

 きゅ、と雪を踏みしめる音に真琴は顔を上げた。前方からこちらへやってくるのは、待っていた相手。
 兵団の服に、立体起動装置を装備している。収納箱をかたかたと揺らしながら、大股で歩いてくるのはリヴァイだった。
 その姿を見て真琴はきょとんとしてしまった。予期していないことだったから。

 今日はリヴァイの誕生日なのだ。だからエルヴィンが、彼を労う思いで非番を与えたことを、真琴は知っていた。だからここでこうして、マコとして待っていたのだけれど。
 なのにリヴァイは私服どころか、軍服を着て、そればかりか立体起動装置まで付けている。なぜだろう。こんな雪の日なのに訓練でもしていたのだろうか。確かに雪であったとしても、訓練が全然おこなえないわけではないから、それ自体は可怪しくはないのだが。
 真琴は、プレゼントの箱を開けたら望んでいた物ではなかった、そんな残念さを感じていた。ふたりでどこかに出掛けようと思っていたからだ。

 リヴァイが真琴の前まできた。とくに表情も変えず、首を僅かに傾ける。
「こんな雪の日に、どうした」
「どうした、っていうか、あの……」
 言葉が口の中でひっかかる。俯き気味の真琴の視野に、黒髪が垂れてきたからそれを耳にかけた。
 しどろもどろになるのは、どうしたらいいか分からないからだ。訓練中の人間に、一緒に出掛けようなどと言えるわけがない。それにリヴァイだって、そういうのは断るに決まっている。
 そう思うと、真琴は言葉が頭から出てこないのだった。

「用がないなら戻る」
 淡々と言ってリヴァイが足の向きを変えようとした。とっさに彼の袖を掴み、真琴は慌てて顔を上げる。
 だけれども、口を開けても真琴は冷気を吸うばかり。言葉が出てこない。
「金魚じゃねぇんだから、喋れるだろ」
 訓練中、と言いかけて真琴は声が掠れたから、軽く咳払いした。
「く、訓練中だったの?」
「そうだが」
 なんでだ、今日は非番でしょ。と自分勝手に難じたくなる思いを押し込めて真琴は、
「お休みだったんじゃないの、今日」
「なぜお前が知ってる」
 問い返されて真琴は喉が潰れそうになった。変な音が出たかもしれない。

「しゅ、守衛さんがそう言ってたわ」
「ほぅ」とリヴァイは言って、視線を斜めに真琴を意味ありげに見てくる。
「で、マコは何しにきた」
 真琴は視線をあちらこちらに彷徨わせる。
「く、訓練中なら、いいわ……。帰る……」
 消え入りそうな声で言い、真琴は身を翻そうとした。すばやく腕を取られる。
「降雪だってのに、本部までくんだり来て、用件がないわけねぇだろ」
 だんまりして俯く真琴に、リヴァイが何とも言えないような息を小さく吐いてみせた。
「頬が赤い。寒いからか、それとも今日のために張り切りすぎたか」
 息を吐くような声で言い、リヴァイが真琴の頬に指を滑らす。
「氷みたいに冷えてんじゃねぇか」
 睫毛を揺らしながら真琴は思った。頬紅が濃かったかしら、と。
「素直に言ってみろ。俺は断らない」

 そこまで言うならもう分かっているだろうに。と真琴は胸がうずく感触に、どこか満たされた思いを感じずにはいられなかった。言い出せない真琴の気持ちを汲んで、そうやって見捨てないで導いてくれる。

「一緒に……あの」
 やっぱり口に出せない真琴にリヴァイは見かねたのか、
「わかった。着替えてくるから、守衛室で待たせてもらえ」
 と真琴の意図を読み取ってくれた。それから手を伸ばしてきて、
「こんなに雪を積もらせやがって」
 と真琴の頭を払うように撫でた。

 コートを着込んだリヴァイの首許は、冷たい空気にさらされて、見ているだけで寒そうだった。
 けれどこれはマフラーをプレゼントに選んだ甲斐があるというものだ。あとは渡すタイミングだけなのだけれど。
 ずっとそればかりを考え、真琴はリヴァイとあてもなく市街を歩いている。
 考えごとをしていたせいだろうか、足許に油断した真琴は滑って尻もちをついた。そのはずみに、ばんざいするように投げ出した手から、孤を描いて紙袋が放たれていった。

 東京育ちの真琴は、雪に慣れていない。歩き方も腰が引けて、ひょこひょことぎごちなくなってしまう。
 一方リヴァイは慣れているのか、普段と代わり映えしない歩き方で雪を踏む。十二月に入った途端、地面に雪が尽きない気候なこの世界。それを目にすればリヴァイが雪に慣れているなど、一目見てはっきりと分かることだった。

「やると思った」
 呆れた声が頭から落ちてきて、次いで真琴に手が差し出される。
「なんで普通に歩けるの。私、意識しすぎて脚が疲れてきちゃったわ」
 伸ばされた手を取って、真琴は起き上がりながら尻をさすった。腰回りが少々濡れてしまったようだ。
「毎年降るのに、慣れた様子がないマコのほうが、俺には不思議でならない」
「私の地方はあまり降らないの」
「妙なことを言う。ウォールシーナの西区も、ここと気候に大差ないと思うが」
 妙なこと、そう言ったわりにリヴァイはあっさりと返してきた。

 真琴はちょっと焦って、
「び、微妙に違うみたいよ……」
 と誤魔化して眼を逸らした。
 真琴の言い訳を耳にしてくれたのか分からないが、リヴァイが歩き出す。その方向には、少し離れたところに飛んでいった紙袋が落ちていた。中からマフラーが半分顔を出している。
 リヴァイが屈んで拾おうとしたとき、彼がやや眼を見開かせたのが見えた。でもすぐに表情を消して、真琴へと紙袋を突き出す。

「落とし物だ」
「あ、ありがとう」
 真琴は袋を胸に抱いて上目遣いする。どうしよう、いま渡してしまおうか――と自問していた。タイミングを逃すと、こうも渡しづらいものなのか。気恥ずかしさや、臆病さや、そんな感情が邪魔して躊躇させる。
 平淡な中に、微かなねばつく色がリヴァイの瞳の奥に見えた気がした。そんな瞳で真琴としばし見交わしたリヴァイが、視線を外し歩き出したから結局渡せず、あとに続いた。

 会話もなく辿り着いたのは街の中心にある公園。それを見た真琴は瞳を太陽のように輝かせた。
「スケートリンクになってる」

 落葉して休眠する樹木には、厚くホイップクリームを塗ったように雪が枝々に積もっていた。裸の樹々に囲まれる公園には、遊具などはいっさいなく、数個ベンチが据えられているだけ。だけどその地面は氷の銀盤で覆われている。
 何人かの子供たちが、陽気な声を上げてスケート気分を楽しんでいる光景があった。ときどき派手に転んだりしているが、とても愉快そうに見えた。

 真琴はリヴァイの腕に自分の腕を絡ませる。ぐいっと引っ張り、
「私も滑りたい」
「ひとりで行ってこい」
 つれなく言うから、真琴は頬を膨らませる。
「ひとりじゃ恥ずかしい」
「人目を誤魔化すために俺を使うのか。巻き込まれるのはごめんだ」
 と言って嫌そうに顔を逸らす。

 真琴は何度も引っ張るが、リヴァイは踏ん張っているようでビクともしない。
「卑屈なんだからっ。そういう意味じゃないってば」
「そういう意味だろ」
 幼子を適当にあしらうような口調でリヴァイは、
「ベンチに座って見守っててやるから安心しろ。存分に尻もちついてこい」
 と氷の張ってる広場へ歩き出しはじめた。

 白い雪がいくばく積もっている銀盤へ、リヴァイが足を踏み入れる。真琴はその瞬間を狙って、強く彼の腕を引いた。
「おいっ」
「いいじゃない」
 つるつると滑る氷上は、意図しない方向へ真琴とリヴァイを連れていく。リヴァイの両手と自分の手をしっかり結んで、真琴は向き合って笑った。
「楽しいでしょっ」
「ガキのすることだ」
 リヴァイはまだ不服そうで眉を顰めている。
「そんなことないって。たまには大人だって、はしゃいでもいいじゃないっ」

 子供のころに戻った気分で真琴は明るく笑い続けた。大きく足が滑って、八の字に脚が開く。いきなりで驚愕し、真琴は楽しそうな悲鳴を上げた。
「びっくりしたっ。心臓が暴れたわっ」
 そんな真琴を見て、リヴァイが溜息をついた。口許には薄く笑みがのっている。
「ガキどもに笑われてるぞ。下手だと」
 言って子供たちに向かって顎をしゃくる。振り返れば、毛糸の帽子を被った男の子が指を差して笑っていた。
「どう思われようが、楽しければそれでいいの」

 気にせず、真琴はリヴァイと一緒に滑って楽しむ。
 ときどき甲高い声を上げて真琴は可笑しく笑う。そうやって楽しんでいるのは真琴だけだろうか。 
「難しいわねっ。あの子たちみたいに巧くはいかないわっ」
「ガキどもより、はしゃいでどうする」
 リヴァイは真琴が滑っていくのに、ただ手を引かれてついてくるだけ。彼は自分から滑ろうとはしない。しかしその表情は、あまり見せない微笑を浮かべ、優しげな瞳で真琴を見つめていた。
 真琴はといえば、不安定な足許ばかりを気にしている。ゆえにそんなリヴァイの希少な面差しを、見落としてしまっているようだった。

 ひときわ大きく氷に足をとられた真琴は、前屈みにリヴァイの胸許へ抱きついた。
「危ねぇな。頭でも打ったらしゃれにならん」
 本当に焦った様子でリヴァイは真琴を支えてくれた。
「どうした」
 リヴァイがそう訊いたのは、真琴が滑ろうともせず、離れようともせず、強くしがみついているからだった。
「寒くなっちゃった」
 嘘だった。本当はただこうしていたかっただけ。一度リヴァイの身体に触れたら、離れたくないと思ってしまったから。
 頬にあたる肩口の感触は、ウールなのか少々ざらつきを感じる。凛とした冷たい空気のもとにいたから、リヴァイの上着もひんやりとしていて、だから暖かいとは思わない。足許からも冷気は這い上がってくる。それなのに、真琴の背中に柔く回るリヴァイの両手は暖かかった。

「俺も首許が寒い」
 小さくそう呟いたリヴァイの視線が、真琴の腕に下がる紙袋を見る。
「くれないのか」
 真琴は緩く首を振って、リヴァイに回していた腕をとく。袋から群青色のマフラーを引き抜いた。それをリヴァイの首にかけてやる。
 片腕で真琴を支えたまま、リヴァイは胸許へと垂れるマフラーの端を手に取った。視線をそこに落とす。
「アール」

 リヴァイの視線の先には「R」という彼のイニシャルが入っていた。あの日食堂でリヴァイが「エフ」と読んだのは、まだ線が一本入っていなかったためだった。
 誰と勘違いして怒ったの? 愛しくてひどく訊きたい衝動にかられたけれど、あのとき一緒にいたのは真琴だから。それに思えば、あのときリヴァイが怒ることだって、摩訶不思議なことだった。
 一抹の予感が胸を横切っていったが、真琴はそれを忘れることにした。気づいていないと信じることにした。――あなたがそれを切望していないのならば、と。

 微笑んで伺う。
「あったかい?」
「確かめてみるといい、マコも」
 静かにそう言って、リヴァイが両端に垂れるマフラーを、真琴の首に回して交差させた。落とした視線の先には「R」の文字。
「あったかい……」
「ああ」
 そのままリヴァイに寄り添うと、もっと暖かかった。胸が苦しいほどに熱い。 

 込み上げてくる幸せは、永遠に続くものではないと分かっている。いつか別れが訪れることも。だからせめてこの一瞬の巡り合わせを、大事に噛みしめながら真琴は顔を上げる。

「キス、しちゃダメ?」
 リヴァイは微かに瞳を揺らし、
「なに言ってる」
「私が勝手にするだけだから、あなたはそれを望んでない。そう思っていればいい」
 リヴァイが色のない瞳で真琴を見る。
 あまり必要ないが、真琴は踵をちょっと上げた。そうして瞳を瞑って、冷えた唇に自分の冷えた唇を合わせた。

 子供たちの揶揄する声が聞こえる。冷やかしの口笛も。

 けれどもそんなこと気にしないで、真琴は応えてくれない唇を優しくついばみ続けた。
 強く引き寄せられたから、真琴はリヴァイの首回りに腕を絡めた。温度を感じさせなかった互いの唇が、だんだんと温かく感じられてくる。それは真琴の胸を焦がす熱が、唇を通してリヴァイまでもを温めたのだろうか。それとも――。

 そう思っていたとき、リヴァイの唇が真琴の唇を柔らかく挟んできた。だから一瞬胸がひどく跳ねて、真琴は眼を丸くした。
 するとリヴァイもやや眼を丸くしていた。まるで虚をつかれたとでもいうように。

 舌打ちと同時に、リヴァイは眉間に皺を作って顔を背けた。
 真琴は甘い余韻に浸されたまま、そっと覗き込む。
「私に、ほだされちゃった……?」
「……馬鹿言え」
 もう一度口づけしようと真琴が軽く唇を寄せる。リヴァイは逃げるように顔を逸らした。
 そのふるまいを、哀しいだなんて思わなかった。かえって真琴は熱い吐息をこぼす。彼の決意を惑わせ揺さぶらせることができるのは、自分だけなのだと。そう思うと胸が恋慕の情で満たされていくのだった。
「愛してる」
 えもいわれぬ燃えるような想いに、真琴はリヴァイに頬擦りしながら強く抱きついた。
「……ああ」
 真琴の肩に顔を埋めてきたリヴァイが、耳許でそう囁いてくれた。

 短く放った言の葉にどんな意味があるのか、誰にも分からない。それはリヴァイにしか知り得ないこと。
 真琴の愛の言葉に、「知っている」という意味で頷いたのか。それとも――決して言葉にできない真実が、込められていたのかは……。

The End

注:リヴァイのイニシャルについて。公式ではLeviなので本来Lですが、今回はRにしています。これはリヴァイにFと勘違いさせるためでもありますので、ご了承ください。

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