やけどをしたのは誰のせい

時系列:第四章以前

 十五時のティータイム。リヴァイの執務室は、芳醇な紅茶の香りであふれていた。
 あつあつな紅茶が好きなリヴァイは、いつも通り食堂で熱湯をもらってきた。そして戸棚から取り出したものは、お気に入りのティーポットとティーカップのセットだ。

 控えめな装飾しかされていない白のカップは、紅茶の美しい琥珀色をより際立たせる。だから紅茶を飲むときは、白い食器しかありえない、とリヴァイは思うのだった。

 本日はフルーツティーの気分だ。リヴァイは丸テーブルに置いてある、果物籠からオレンジを手に取った。皮をむいていくと、鼻を刺激する柑橘の香りが飛び散った。それを熱湯を注いだポットに数切れ、沈ませてやる。

 ちょっとリッチな気分で、ポットとカップを両手に執務室の窓から外を眺めた。太陽が主役と言わんばかりにさんさんと輝く空は、澄み渡って高く高く見える。まさに秋の空だった。

 だがリヴァイは、空を仰いで優雅に紅茶を飲むために覗き込んでいるのではない。何とはなしに気になってしまうのは、いまちょうど真下の花壇で草むしりをしているであろう、真琴がいるからだった。

 ティータイムだというのに、リヴァイ率いる精鋭班は掃除に勤しんでいる。トイレや廊下、食堂などで彼らは一生懸命――か、分からないけれど頑張っているはずだった。そして真琴には花壇の草むしりを命じてあるのだ。

 別段見張るつもりでリヴァイは見降ろしているのではない。何とはなしに気になってしまうから。
 それがなぜなのか、自問するつもりはリヴァイにはない。気づいてはいけない想いだと、潜在的に感じているからだ。気づかされた瞬間に真琴が足枷になるのが、分かっているからだ。

 腕まくりした白い手は、泥で汚れているようだった。真琴はしっかり頑張っているようで、顔周りに浮かぶ汗が陽光を受けてきらきらと光って見えた。
 その汗を拭おうと汚れた手で額をこすったから、真琴の額からこめかみにかけて薄茶の土が付着してしまったようだ。けれど真琴はそんなことには気づかずに、再び雑草を抜き始めた。

 せっせと動く頭を見降ろしながら、リヴァイは眼を細めていった。外の蒼さが眩しいからではない。では何が眩しくて、これほどまでに優しく眼を細めたのだろうか。

 しかして穏やかな気分は、寸刻してから訪れた衝撃によって一変した。

 充分に蒸されたであろう紅茶を、カップに注いでいたリヴァイは、眦が裂けるほどに眼を見開かせた。その瞳はやはり真琴に注がれていているが、さきほどとは状況が違う。
 食い入る視線は、無意識に注ぎ続ける手許など眼中にない。熱さを感じさせる湯気をいっぱいに漂わせる液体が、なみなみのカップからあふれ出した。

「あっつ! クソがっ!」
 手に熱が走る痛みを強く感じたとき、リヴァイは慌てて手を引っ込めて、拍子にカップを落とした。甲高い派手な音を立てて割れたカップは、ついでに液体も大いに跳ね飛ばし、リヴァイのブーツや、腿にまで飛び散って染みを作った。

 じんじんと痛む手を、和らげるために振りながらリヴァイは窓の下を窺う。外から自分が見えないように首を伸ばして。
 ――そこにはエルヴィンがおり、彼は三階のリヴァイの窓に向かってにやりとほくそ笑んでいた。

 なぜ真琴のそばにエルヴィンがいて笑っているのかは、少し前に時を戻さないといけない。

 ※ ※ ※

 小腹が空いた。そう思って真琴は腹を押さえた。
 ちょっと前まで、訓練の覇気のある声がところどころから聞こえていたというのに、いまは鳥のさえずりぐらいしか聞こえない。ちょうどティータイムの時間で兵士たちは休憩に入ったのだろう。

 溜息をついて真琴は大きな袋を片手に、花壇の雑草を抜いていく。背の低い雑草や、背の高い雑草、とにかく花壇は荒れている。
 根までずるっと草が抜けると気持ちいい。逆にぶちっと切れて中途半端に根っこが残ると、真琴の口許が歪んだ。そうして抜いていった草はゴミ袋に放り込まれていった。
 ブーツの音が近づいてくる。真琴のそばで止まったと思ったとき、大きな影がしゃがみ込んだ。

「精がでるな」
「エルヴィン団長」
 屈んだ膝に両腕を置いて、エルヴィンが穏やかに話しかけてきた。
「リヴァイの班は皆掃除中か」
「はい。ボクは花壇の草むしりを命ぜられてまして」
「しかしもう午後の休憩時間だろう」
 エルヴィンはそう言って懐中時計を確認した。真琴は苦笑する。
「終わるまで戻ってくるなと言われました」
「相変わらずな奴だな」
「でもここで終わりですから、もう一息です」
 真琴は腕を伸ばして再び雑草を抜き始めた。

「ここは上があいつの執務室か」
 エルヴィンは空を見上げるふうにして、
「このところ妙な噂がはびこってるんだが、聞いたことあるか?」
「どんなです?」
「リヴァイが男色――という噂だ」
 と面白がっている眼つきで真琴を見てきた。
「噂自体は聞いたことないですけど……」

 けど? とエルヴィンが首をかしげる。
 真琴は顎に手を添えて過去を思い起こす。怪しいと感じる節はいままでに何度もあった、と。
「心当たりでもあるのか?」
「え、いや、あの」

 焦る。本人のいないところで、こんなプライベートな良くない噂話をするのは、悪いことをしているようで気が引ける。

「あいつは女にしか興味がないと思っていたが……」
 と言ってから演技っぽく大きく何度も頷く。
「これは大問題だ。部下に手を出すなどもってのほかだな。風紀が乱れる」
「て、手なんて出されていませんっ」
 首を振って否定したあとで、俯き加減に付け加える。
「握られたことは――ありますが……」
「なに!?」
 とエルヴィンは身体を引いて大袈裟に驚いた。なるほど、と呟いてちらっと三階の窓へ視線を投げる。
「意外とピュアだな」
 探るような好奇のある表情で呟いた声は、小さすぎて真琴には聞こえなかった。

「小腹が空いたろう。腹の音がさっきから聞こえる」
 急な切り返しだったが、指摘されて真琴は腹を抱えた。恥ずかしくて苦く笑う。
「あちこちからいい匂いがするから、つい……。でもここを終わらせないと戻れませんから」

「よし。少しからかってやるか」
 とエルヴィンは顎をさすって、
「巧くいけば君をここから解放してやれる。そうしたらゆっくり菓子でも食べて休憩してくるといい」
 何か企んでいるのだろうか。エルヴィンは悪戯な、子供のような笑みを唇にのせている。

 真琴が首をかしげると、エルヴィンは屈んだまま躙って前へ回り込む。三階の窓からは、エルヴィンの大きな背中と、向かい合う真琴の姿が見えることだろう。

 エルヴィンが顔を近づけてきた。
「顔に土がついてる」
「えっ、どこらへんですか?」
 真琴が顔に持っていこうとした手は、エルヴィンに取られる。大きな手は暖かく、団長という名を思わせる、すべてを何でも包み込むようなものに思えた。

「拭ってあげよう」
 さわ、と頬に触れてきた節くれ立った手は、真琴の知っている男のものとは、またひと味違う感触だった。目の前にある瞳は真琴の知っている男のものとは違い、空と同じくらいに蒼い。唇はやや厚く見えた。あの男はもう少し薄くて、引き込まれそうな口許をしているのだから。

 そんな思考を巡らせていたとき、突然上のほうから大声が響き渡った。
「あっつ! クソがっ!」
 切迫感のある声で我に返った真琴の頭上に、続いてつんざく音が降ってくる。

 真琴は上を見上げて眼を瞬いた。
「な、なんの音でしょう」
「三階から、かな?」
 静かに言ってエルヴィンが宿舎のほうへ頭を上げ、
「食器の割れる音だったな。部下に掃除をさせて自分は優雅にティータイム――そんなところだろう」
「なんのことですか?」
 にこっとエルヴィンが笑いかけたのと同時だった。真琴が見つめている、三階の窓のひとつが勢いよく開け放たれる。

「真琴! カップが割れた! 箒とちりとり持ってこい!」
 顔を突き出して怒鳴ったリヴァイは、言うだけ言って窓から姿を消した。
 いきなりすぎて真琴は呆然とした。どうして怒鳴られなければいけないのか。
 くつくつと笑ってエルヴィンが腰を上げた。
「結局また掃除か。まぁ、終わったあとでリヴァイとお茶でもしてきなさい」
 ぽんと真琴の肩を叩いてからエルヴィンは去っていった。

 三階から見降ろしていたリヴァイには、真琴とエルヴィンがどのように見えたのだろうか。もしかすると仲睦まじい恋人のように、彼の瞳には映ってしまったのかもしれない。 

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