※雪←燐←柔
雨音が響く、薄暗くて長い廊下でただぼんやりと庭先を眺めていた。
あの、あたたかな空間に戻ると、泣いてしまうような気がして。戻れなかったから。
そうしてずっと立ち尽くしていれば、廊下の先から誰かが歩いてくる。
「柔造さん?」
まだ見慣れない、黒髪の、かっこいいひと。───ほんの少しだけ、アイツに似てる。
「柔造でえぇよ」
穏やかに笑いながらそう言うと、柔造はさっきまで俺も見てた庭先を眺めながら縁側に腰を下ろす。
「…そんなとこ座ったら、濡れるぞ?」
まだ結構雨はどしゃぶりなのに。
心配して言ってやったのに、柔造はただニコニコ笑ってるだけで。
「かまわんよ。てかな、燐君。何でこないな夜遅くに一人で庭先眺めとるん?」
目があった瞬間、柔造の真っ直ぐな視線にすべてを見透かされるような気さえして。
「……何となく、…だよ。柔造こそ、なんで?」
「んー、ちっと喉乾いてなぁ。廊下でてきたら燐君がいはったから」
俺がいたから、そのまま立ち止まって居座んのか。…物好きな奴だな。
「そのまま飲みにいきゃよかったんじゃねぇの?」
「めんこい子が庭先みて悲しそうにしとったらほっとけんわ」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
…めんこい? それって確か、可愛いって意味じゃ……その前に、悲しそう? 何が? 俺が?
「…………は?」
「ハテナ飛ばしまくっとんなぁ。ちょお、こっち寄ってきてみいや」
わけが分からない。
続けられた言葉の意味も、よくわからない。
だから思わず、その言葉に従ってしまう。
「わっ、」
急に視界が遮られて、温かな何かに包まれたことだけが、鮮明に分かることだった。
「燐君はちっこおて抱き心地がたまらんねんなあ」
ぐるぐる思考がねじれていって、柔造が発した言葉でやっと、自分が抱き締められてることに気付く。
「はっ、離せ、…はな、して」
「嫌や」
即答された否定の言葉と同時に抱き締める腕に力が込められたのが分かる。──その力加減がとても心地よくて、…戸惑う。
押し返そうと柔造の広い胸板へ両の手を当ててみるけれど、その手のひらもひっくるめて強く強く抱きすくめられる。
「じゅ、ぞう…?」
長くて、短いような不思議な沈黙のあと、力が少し緩められたから柔造を見上げてみれば、悲しそうな顔をしてて。
「燐君には、好いとる奴がおんねんな」
「え?」
「これ以上なんもせんから。そない泣きそうな顔、してやらんとって」
泣きそうな、…?
悲しそうで、泣きそうなのは、柔造の方だろう…?
何を言ってるのか、本気で分からなかった。
何がしたいんだこいつは。
そうありありと表情に出てたのだろうか。柔造は少し苦笑して、抱き締めたままだった俺を解放する。
「……どこっっまでも鈍感やねんなぁ…」
なんだか無性にカチンときて言い返そうと口を開けば、唇になにか温かいものが触れる。
───その温かい何かが柔造の唇だと、ぬるりと熱い舌をねじ込まれてやっと気付く。
「は、ぁ……っ、……ぅ…うそつき! 抱き締める以上はしないって、…はじめて、だったの、に…」
本当に、初めてだった。触れるだけのも、舌を捕らえられるの、だって。
「……すまんな。気ィ、変わったんやわ」
至極近くで囁かれた耳元から、体中が焼き切れるような熱さに襲われる。
「叶わんもん追わんと、…俺にしときぃや」
ひっきりなしに囁き込まれる吐息と声にゾクゾクする。
「柔造には、カンケー、ないだろっ!」
「大アリやがな」
突っぱねるように言えば、怒ったように引き寄せられてまた口付けられる。
さっきみたいな少し強引でふわりと熱いものじゃなくて、荒々しく乱暴に舌を捕らえ絡められる。
「ふ、ぅ、…ぁっ」
思うように息ができなくて、唇が解放された瞬間、柔造の腕に支えられてやっと座ってられる。
「壊れる前に、俺選びや」
そのまま、柔造に抱き締められたまま。静かに伝い落ちた涙には触れる事なく、キスもあれきりで、ただ黙って、傍にいてくれた。
降り続く雨は、まるで許されない想いを抱きつづける俺を嘲笑うかのように強まり続けて。
壊れそうなのに気付いて、早く。
(君の心は悲鳴をあげてる)
Title by.雲の空耳と独り言+α