※吉原設定



「…ふう」

客が寝静まった深夜。
微かな月明かりが照らす庭に私は立っていた。
肌寒いのは、自分が今薄着だからだろうか。それとも…彼のせいだろうか。

ここらでも有名なこの店は、毎晩満たされない男たちが寄って集っていた。その中でも私はそれなりに名のある遊女。毎晩違う男をもてなしているのだから、客の一人一人に執着を一ミリたりとも持ち合わせていなかった。

…なのに。

いつからだろう。あの男に興味を持ったのは。
桜が咲き始めた頃、あの男は平然と現れた。高そうな、けれど質素な服装に身を包んだ彼は、案の定瞬く間に遊女の中で噂になる。
彼は毎日のように店を訪れるが、一度として女を手に取ったとこは無かった。今も、周りの遊女達は一度でいいから抱かれたいと夢を見ている。

…そんな彼が、今日初めて女を戯れることを望んだのだ。
その娘は濃い目の化粧、遊女には似つかない派手に巻いた髪が特徴。彼女が、一番彼に近付きたいと思っていたんじゃないだろうか。めでたい話である。
今頃彼女は彼の隣で幸せに浸っていることだろう。明日にはまた別の客が隣で寝ているだろうに。実に滑稽だ。
…なのに。このもやもやはなんなのだ。長いことこの仕事に着いているが、こんなことは初めてだ。

「…はあ」

「ため息を吐くと幸せが逃げますよ」

後ろから聞こえた声に、警戒心を剥き出しにして振り向いた。
…そしたらどうだ。そこに立っていたのは、先程話した男。名前は知らない。

「…はあ、客がここにくるなんて珍しい。彼女はいかが?なかなか、楽しみがいのある女だったでしょう」

まあ、可愛げがないのも私の売り。皮肉っぽく、茶化すようにそう言った。

「何を言ってるんです?彼女とは夜を過ごしてませんよ」

「…は?」

彼は表情ひとつ変えず、そう言った。
…意味が、分からない。ここはそういう店であって、皆その為に金を払っているのだ。金を無駄にしてまでここにいる意味はあるわけがない。

「貴女と話したかったんですよ」

「はは、ご冗談を」

冷たく睨む。
そうでもしないと、何かが壊れてしまう気がした。

「冗談なんかじゃないですよ」

一歩、また一歩と近づいてくる。私は恐怖で動けなくなった。
…いや、恐怖なんかじゃない。私は期待していたんだ。このまま、甘い展開になることを。
でもそんなこと、遊女の私に許されるはずがない。

「…っやめて、そんな手には乗らないわ。一料金で二回も欲張るなんてはしたない」

顔をそらして、嫌味たらしくそう言った。
心の底で罪悪感と惜しさを感じている自分が、嫌で仕方がない。

「わからない人だなあ」

にこやかにそう言った彼。言葉は強くても、どこか柔らかさを感じさせる口調。
胸が苦しくなった。前頭筋が上がり、まゆの下がる感覚がする。

「僕はずっと、」

そう言いかけた彼の唇を無理矢理封じ込んだ。…どっちがはしたないんだか。
目を見開いた綺麗な彼の目を至近距離で見つめる私を、月明かりが照らしていた。
一歩後ろに下がって、視線を地面へ向けた。

「…わかってない、訳じゃない!」

ああ、こんなに気持ちを露わにしたのはいつぶりだろう。心臓が潰されそうだ。
そんな私に、にこりと笑いかけた彼は一歩踏み出し私の髪を触った。

「いつか、身請けに参ります」

私の髪に柔らかいキスをして、彼は微笑んだ。
身請けなんて、できるわけない。それでも、どこかに期待している私がいた。

「私は遊女よ、吉原で生まれ、生涯この仕事に尽くしてきた、汚らしい女なの」

「それでもいい」

彼の真っ直ぐな瞳。
綺麗に微笑む彼に、淡い純情を抱くなんて。

「また、いつか」




うりものなので触らないでください
(次触れるときは、きっと)

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -