001 | ナノ

001
 人は叶わぬ願いをあいまいなものに託し、見果てぬそれを追い求め、希う。
 ただ、己が願いのためだけに。
 ――願いを叶えるエデンの林檎は、世界にただ一つきり。


 ミスリの街は毎日が祭りだと謳った旅人がいた。古くテミス族の居住区であった頃から交易の町として栄えた地であったが、居住区の無くなった今は、他の民族の商人が仕入れや商売にやってきたり、旅人が必需品を求めて立ち寄ったりと、いっそう賑やかな町となっている。
 ロシェル・ミュレーズは店の立ち並ぶ通りを出たところにあるベンチに腰掛け、ぼんやりと足元に視線を落としていた。威勢のいい声の飛び交う通りに背を向け、ゆらりゆらりと足を揺らす彼女に目を留める人は少ない。ふいに、穏やかな日差しが遮られ、ロシェルの上に影が落ちる。見上げると、ハニーブロンドとピアスに反射された光に思わず目を細めた。

「待ったか?」
「ううん。必要なものは買えたのかしら、ゼノ」
「ああ。……行くか」

 返事の代わりロシェルは傍らにおいてあった少し大きめの鞄を手に取り、ベンチから立ち上がる。
 ゼノ・ブラックバーンとロシェル・ミュレーズは同じテミス族で、一緒に旅をしている仲間で、噂話のように不確かな伝承を追う者同士でもある。「願いを叶えるものが存在する」というだけの伝承は、それが物なのか、生物なのか、それさえもはっきりとは伝えていない。しかしそれにも関わらず、その伝承が伝えるものを探し求める者は決していなくならないのだ。
 蒸気機関車の出す煙がどんどん近づいてくる。あれ、間に合わないね。ロシェルが呟くとゼノが肩を竦めた。蒸気機関車はあまり多く走っていない。時刻表を確認して、今日はもう次が無いようだったら早めに宿を見つけなければ、ミスリの宿はすぐにいっぱいになってしまう。

「つーか、次どこ行くか決めてんのかよ」
「いつも通り」

 ゼノはため息をついた。ロシェルの頭には、計画性という言葉は存在しないのだ。ふらりと列車を降りて、ふらりと街を彷徨って、またどこかへ行く。なにか明確な目的が無い限り、彼女は目的地を決めることをしない。そしてこの何を探しているかも判然としない旅に、目的地ができることはほとんどない。

「今は居住区もねぇからな……しかたねぇ」

 この国には大きく分けて三つの民族が混在している。巧埜族、霖小族、テミス族と呼ばれるそれぞれの民族は、各々まったく異なる文化と魔法を持ち、自分の部族に誇りを持つがゆえに、争いも絶えなかった。停戦協定が結ばれ、民族ごとに分けられていた居住区が無くなったのはまだ十数年前だ。国中を自由に行き来することができるようになったとは言え、まだ自分の民族が一番だという思想に固執する輩は多い。
 通りで店を開く人は様々な服装をしていて一見多様に見えるが、行き交う人々はテミス族がほとんどだ。少しずつ異民族との交流は増えているものの、やはり居住地はなんとなく民族ごとに固まっているのが現状なのである。
 しかし居住区が無く立ち入りを制限される場所が無ければ、旅をするにおいてはずいぶんと楽になる。異民族の集まる町へ足を踏み入れるときは、厄介ごとに巻き込まれないようにしさえすれば、特に危険は無い。――そう、厄介ごとに巻き込まれなければ。

「あんたたちが前を見てなかったんでしょう? 私は普通に歩いていただけよ」

 人が遠巻きにして通り過ぎていく先では、一人の少女が三人の青年と相対していた。少女は夕陽色の気の強そうな目で青年たちを見据え、挑発的に言葉を投げかけている。ロシェルはゼノを見遣った。ロシェルとしてはこのまま放っておいてもいいのだけれど。

「ゼノ?」
「……チッ、しょーがねぇ。ロシェル」
「いってらっしゃい」

 足を止めて道の端に避け、ひらりと手を振ったロシェルを置いて、ゼノが諍いの方へと大股で歩いていく。無関心を装ってはいても、彼が一方的な喧嘩を見過ごすことのできる性格ではないことを、彼女はこの短い付き合いの中でも知っていた。
 少女の服装はテミス族では見慣れないものだった。おそらく霖小族のものだろう。鮮やかな赤色の服はよく目立ち、それが異民族であると図らずも周りに主張してしまっている。これでは暇を持て余しているテミス族の青年に目をつけられるのも無理はない。通りの真ん中ではゼノが少女と青年たちの間に割って入り、なにやら物騒なことに発展しそうな雰囲気である。道行く人々は迷惑そうにしつつも、我関せずで横をすり抜けていく。
 ロシェルは天を仰いだ。ゼノは武術に秀でるが魔術が得意ではない。少女の方は知らないが、そもそも霖小族の魔法属性はこのような街中で使うには問題がある。
 三つの民族は各々で得意不得意こそあれ、皆魔法を使うことができる。その魔法は民族ごとに属性が異なっていて、テミス族は中でも風と氷の属性を持つ。巧埜族は水と土、霖小族は雷と炎だ。少女は霖小族であろうから、彼女が使うことのできる魔法は雷と炎属性。そのような危険な魔法を、大勢の人と燃えやすい布や木やあらゆるものが所狭しと並んでいるここで使い、万が一にもミスをすればどのような惨事となるか、容易に想像がつく。
 魔法を使って注意を逸らして逃げる、などということが出来ない以上、事態は和解か乱闘にしかなりえない。そして今、青年たちのまとう空気は和らぐどころか次第に不穏なものを孕み始めている。

「ッせえな、テメェ!」

 いきり立った一人の青年の怒鳴り声が、通りのざわめきを貫く。仕方がない。ロシェルは寄りかかっていた壁から体を離し、一歩だけ騒ぎの方へと踏み出した。

「――氷花砕けて、散り急ぎ」

 その小さな声に応じて、青年たちの周りの空気に含まれていた水蒸気が一斉に凍りつきすぐに砕ける。そこで青年たちの周りを囲むように渦を巻いて風が吹き、砕けた氷を巻き込んだ。それがロシェルのしたことだと気がついたのかばっと振り返ったゼノに、ロシェルは少女を指差してから手を振った。「こっち来い!」ゼノが少女の手首をつかんで走り去るのを見送り、ロシェルは自分もさっさと踵を返してその場を離れる。今は混乱しているようで騒いでいるだけだが、青年たちも氷と風の魔法を使えるのだ。もし今の魔法が彼女の仕業と知れたら、今度こそ乱闘になる。
 ゼノと少女はどこへ行っただろう。ある程度離れた裏路地ででも待っているかな、とロシェルは氷の混じる突風から開放された青年たちの大騒ぎを聞きながら、大きな鞄を肩から斜めにかけてふらりと歩き出した。


***


「な……っにやってんだよ、お前は!」

 通りから大分離れた裏路地で止まったゼノは、息を整える合間に少女を怒鳴りつけた。前にもこの辺りを歩いたことがあり、ロシェルのわずかな時間稼ぎでも行き止まりに迷い込むことなく逃げることが出来た。これほど離れたところまで追ってくるほど執念深い恨みは買っていないつもりだ。
 少女は息切れが収まってからキッと顔を上げ、しかし助けてもらった自覚はあるのか、やや目を逸らす。

「だって、向こうが悪いと思わない?」
「それより自分の分が悪いとは思わねぇのか!」
「魔法が使えれば私の方が強い自信があるわ。それに、それじゃあつまらないじゃない」

 つまらないってなんだ……、とゼノは呆れたようにぼやいて壁に寄りかかった。はぐれたロシェルを探しに行こうかとも思ったが、いつも彼女はどうやってかゼノの居場所を見つける。どうやってんだ、と訊いたら、風がね、と答えたから何か魔法を使うのだろうと思ってはいるが、それ以上知ろうとは思わなかった。魔法はどうも不得手だ。

「……で、なんで霖小族がここに一人でいるんだ?」
「もう居住区は関係ないわ。何か問題あるのかしら」

 少女は挑発的な口調で言い、ふいと顔を背ける。
 一方のゼノは挑発に応じることなく、腕を組んで淡々とした口調で答えた。

「居住区は無くなってもここはテミス族が多い。お前みたいなのが一人で歩いてたら絶好のカモになるに決まってんだろうが」

 分かってるわ、となにかを躊躇うのを誤魔化すように彼女は顔を顰めた。

「……探し物があるのよ。その手がかりを知ってるかもしれない人の話を聞いて、会いに行くところなの」
「探し物?」
「ええ、探し物」

 ゼノが聞き返したのは探し物はなにかということなのだが、少女はそれを察しても答えようとはしなかった。
 手がかりを知っているかもしれない、とはずいぶんと曖昧な情報だ。探し物の手がかりということは、その探し物はどこにあるか分からないということなのか。それとも、……探し物が何なのかが分からないということなのか。

「お前の探し物っていうのはもしかして、願いが叶う伝承にまつわるものか?」

 少女の目が大きく見開かれた。なんでそれを、と音にならない声が呟いたのをゼノは正確に見て取った。

「その話、詳しく聞かせてくれねぇか」
「え」
「俺もそれを探してるんだよ」
「――俺たち、よ、ゼノ」

 綺麗なのに平坦で存在感の薄い声が、するりと場に落ちた。驚いた様子のないゼノの視線を少女が追うと、細い路地からロシェルが足音もなくふらふらと歩いて来るところだった。無表情ながらも少し疲れているように見えるのは、魔法を使った上にゼノたちを探して歩いたからだろう。
 ロシェルはそれ以上口を開くことなく黙ったまま近くまで歩いて来て、服が汚れることなど気にしていないようにそのまま地面にぺたりと座り込んだ。膝を抱えて膝頭に顎を乗せた体勢に落ち着くと、大きく息を吐いたきり動かず、もう自分から話し出す気はなさそうだ。

「通りで魔法を使った人かしら?」
「あたり」
「そう。……助けてくれてありがとう。二人とも」

 ん、とゼノが頷く横でロシェルは目線だけを上げ、じゃあ、と言う。

「お礼はさっきの話の続きでいいわ。手がかりのこと」

 少女は一時迷うように視線を泳がせた。

「確かな情報じゃないのよ。アデルに伝承に詳しい老人がいるんですって。だから話を聞きにいこうと思って」

 アデルはミスリと同じく元々テミス族の居住区であった町だ。しかし特に人の集まる地ではなく、観光地も町外れの小さな遺跡一つきりというアデルに行く交通手段は、ミスリから発車する蒸気機関車に乗って近くの町で降り、そこから歩くしかない。それにしたって霖小族の、しかも少女が一人で異民族の多い地を旅するには危険が多く付きまとう。家族は、と思わず尋ねかけてゼノは言葉を呑み込んだ。自分が口を出すことではない。
 しばらくぼんやりと地面を見ていたロシェルが、へえ、とやはり平坦な声で申し訳程度に返事をして黙り込む。そんな彼女の反応に困ったように少女がゼノを見上げると、ゼノはロシェルの方をちらりと見遣り「ロシェル」と短く呼んだ。

「なに、ゼノ」
「喋るの疲れたからって黙り込むなよ」
「……はあい。あんた、名前はなんていうのかしら」
「紅苺燐よ」

 ホウ、メイリン? と聞きなれない響きの名前を口の中で転がす。霖小族の知り合いはロシェルもゼノもそう多くはない。

「わたしはロシェル・ミュレーズ」
「ゼノ・ブラックバーン」
「アデルまで一緒に行こう。同じものを探しているなら、一緒に探した方がいいわ」

 苺燐は目を瞬かせた。テミス族の多い地を旅するときに、テミス族である彼らが一緒にいてくれるのは有難い。けれど、どうして、と疑問が頭をもたげる。アデルという具体的な地名が分かっているのなら、二人で行ってしまっても問題ないだろう。苺燐とは違い、彼らはテミス族で、しかも一人ではなく二人なのだから。

「嫌ならいいぜ。同じ場所に行くのにばらばらに行っても効率が悪いと思っただけだからな」
「ゼノがお人好しなの」

 素っ気ないゼノの言葉に被せるようにロシェルが言い、疲れがとれてきたのかまだややだるそうではあるが立ち上がった。

「蒸気機関車、今日はまだ一本あるらしいわ」

 ロシェルは言外にすぐに行ってしまうと告げている。
 苺燐はまだわずかに残る躊躇いを振り切って、強気な笑顔を浮かべた。

「――よろしくね、ロシェル、ゼノ」




ロシェル・ミュレーズ/詩歌
ゼノ・ブラックバーン/SIVAL
紅苺燐/爛

120627 by.詩歌
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