「破道の三十三、蒼火墜」
二人の雛森の霊骸が刀を振り下ろす直前、日番谷の耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。
蒼い炎が弾け、火柱が上がる。
次いで爆音が轟き、煙と砂埃で何も見えなくなる。
視界が明けると、周が眉を下げて、地に背を着く日番谷を見下ろしていた。
周が傍に膝を突くと、結われた銀髪が日番谷の肩にさらりと落ちてきた。
「霊骸は始末しました。治療をします」
そう言って、日番谷の血に染まった腹へ掌を翳す。
その掌から暖かい光が漏れて、周の霊圧がじんわりと傷を包んでいく。
日番谷は周の顔をまともに見ることが出来なかった。
「こんなにご無理をなさって…」
周の声が小さく震えて、日番谷が視線を動かせば、その瞳が潤んでいた。
「…悪い」
「いいえ、貴方がご無事なら、私は――」
手を伸ばして周の白い頬に手を滑らせれば、葡萄色から滴が零れ落ちる。
周の少し冷たい手が、日番谷の手に重なる。
「っ!!」
半ば本能的に、日番谷は周を突き飛ばしていた。
遅れて冷や汗が噴き出すのを感じ、肩で息をする。
「…てめぇ、霊骸だな」
日番谷の言葉に周は身を起こすと、その白い頬に涙の痕を残したまま、笑う。
普段と違わない、葡萄色を少し細め、唇は緩やかな弧を描いている、その表情。
原種と寸分の狂いもない容姿。
「ばれてしまいましたか」
周の回道で、日番谷の傷の出血は止まり僅かに治癒が進んでいる。
しかしあの瞬間、周の霊圧が一瞬殺気を帯びたのだ。
今まで感じたことのないものに、身体が本能的に反応した。
日番谷は斬魄刀を鞘から引き抜き、構える。
周が相手となれば、雛森の時のようにはいかない。
負傷した身体でどう戦うか…と考えを巡らせる。
二人の雛森の霊骸は、日番谷の背中と正面から腹を貫いた。
どう考えても重症だ。
まともな戦闘等出来る身体ではなかった。
「日番谷隊長」
周は斬魄刀を抜く素振りも見せず、ゆっくりと日番谷へ歩み寄る。
じり、と日番谷が警戒したが、特に反応を示さず、周はそのまま近付いた。
そして徐に手を伸ばすと、
「なっ…!」
何の躊躇もなく、日番谷の構える斬魄刀を、握る。
「隊長」
周の力なのか、日番谷が震えているのか、斬魄刀がかちゃかちゃと音を立てる。
強く握られた刃は、その柔らかな掌に食い込み、血が滲んだ。
銀色の刃に赤いそれが伝い、地面に血溜まりを作っていく。
「や、めろ…やめろ…っ!」
日番谷の震える声に、周は更に強く握る。
ぽた、ぽたと滴る雫の速度が速くなる。
日番谷の身体が大きく震えた。
吐く息も、指先まで震えて、喉の奥がおかしな音を立てる。
冷や汗が止まらない。
喉が塞ったかのように、呼吸がうまく出来なくなる。
「私を、斬るのですか」
「っ、」
まるで、身体に氷水を流されたような感覚が日番谷を襲った。
次に周が何を言うのか、恐ろしくなる。
止めてくれ、言わないでくれと、無意識に首を横に振る。
葡萄色の瞳が真っ直ぐに、そんな日番谷を見つめている。
「貴方の大切な、雛森副隊長を護った私を、貴方を護った私を」
「はっ…、っ……」
深く深く、どこまでも澄み切ったそれが、日番谷を捕らえて離さない。
「貴方は、殺しますか」
「っ!!」
出来ない。
例え霊骸でも、それでも。
周を殺すことなんて、斬ることなんて、出来ない。
出来るわけが、ない。
日番谷の心は、始めから決まっていた。
「やはり、あなたは――」
周の微かな呟きは、日番谷の耳には届かなかった。
「はな、せ」
斬魄刀を動かせば、日番谷が動けば、周の手は益々斬れるだろう。
この様子では、例え骨が切れようが、指が切断されようが離さない。
「――霜天に坐せ」
「っ!」
日番谷が唱えると、周が斬魄刀から手を放し飛び退いた。
「…騙すなんて、ひどい人」
言いながら、周は切れた掌に自ら回道を使い、簡単に止血を施す。
日番谷は解号を唱えようとしただけだった。
斬魄刀を振って周の血を落とし、鞘に納める。
狂ったように脈打つ鼓動を鎮めようと、震える息を長く吐く。
瞼を閉じて、次に開いた時には、震えは止まっていた。
そして次の瞬間、周の姿が消えた。
「っ!」
日番谷が瞬歩を使おうとした瞬間には白い拳が飛んできて、身体を逸らす。
すぐに次が、脚が、また拳が飛んでくる。
息を吸うのも忘れる程に目まぐるしく、攻撃が繰り出される。
これまで周と本気で稽古をしたことはなかったが、隊長として、戦闘能力は理解しているつもりでいた。
が、予想以上だった。
一瞬たりとも気を抜いてはいけないことを、日番谷は悟る。
「…っ」
斜め上から降ってきた周の脚を腕で受ければ、あまりの重みに驚く。
飛んで来た拳を掌で受けるとものすごい霊圧を感じて、すぐに手を離す。
霊圧も一緒に叩き込む気だ。
受けるよりも避けた方が良い。
唯、全て避けきれる自信はない。
負傷した傷の所為で、踏み込む足に上手く力が入らない。
速過ぎて、付いていくのがやっとだった。
万全な状態だったとしても、完全に見切ることは出来なかったかもしれない。
「っく……」
これだけ瞬歩を連発していても、周の速度は変わらない。
寧ろ、速くなっている気さえしていた。
加速の仕方が凄まじく、静から動までがあまりにも速い。
「瞬きしないでください」
「!…ぐっ!」
日番谷の肩に、周の拳と霊圧が叩き込まれる。
傷が塞がり切っていない日番谷の腹に、鋭い痛みが走った。
血の滲む生温かさに、奥歯を噛み締める。
「っ!」
足を払ったかと思うと、日番谷の身体が着地する前にそのまま脚を振り上げ、地面に叩き付ける。
日番谷の口から苦痛の声が漏れた。
「くっ…」
肩の骨と、腱がいったか――日番谷は肩を上げようと試みたが、叶わない。
右肩ではなく、左肩にしたのは態とか。
「隊長は、白打よりも斬術の方がお得意でしょう」
緩く構えたままだった周が、斬魄刀を鞘から抜いた。
「隊長はお怪我をされていますから、貴方の得意分野に切り替えましょうか」
そう言うと、いつも僅かにしか感じられない周の霊圧が、一瞬膨れ上がる。
「天水満ちて月宿る――明鏡止水」
周の握る柄から、柔らかな光を放ちながら波紋のようにそれは広がって、柄、鍔、刀身、全てが白銀に変わる。
純白ではない、周の髪色と同じ、白銀。
刀身が少し長く細身のそれは、華奢な身体と均衡が取れているように見えるが、身体に対して少し長い。
美しく妖しく光る白銀のそれを緩く構える周に、日番谷は肌が粟立つのを感じた。
さらさらと、水が流れるような音が耳に入る。
「あいつより、随分好戦的で饒舌だな」
「はい、霊骸はそのように作られていますから」
周が始解したならば、こちらもするしかないと、日番谷は斬魄刀の柄に手を掛ける。
流水系の彼女の斬魄刀よりも、氷雪系の氷輪丸の方が有利だろう。
血を流すことなく、決着を付けることが出来るかもしれない。
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