「はぁ、はぁ、はぁっ……」
――何故だ。
死神かも疑わしい程の僅かな霊圧で、こんな棒切れのような細い身体で、何故あんな瞬歩が使えるのだ。
更木等と言う底辺の土地で拾われた流魂街の者が、何故。
「何じゃ、瞬歩の数十でそんなぐったりしおって、情けないのう」
「ぐったり等しておらぬ!っ…」
「お主の負けじゃ」
少女は鬼ごとを始める前と変わらず、微笑んだまま、息一つ乱すことなく立っている。
少女のそれは化け猫の瞬歩と似ているが、少し違う。
あんな加速の仕方は見たことがない。
五度も捕らえられた。
私が捕らえたのは一度だけ。
しかも、その一度も本気で逃げていたかどうかも怪しい。
こんな少女に加減をされる等屈辱の極みだ。
「貴様、私を愚弄しているのか!」
「聞き分けがないのう、白哉坊。そんなことでは女子にもてぬぞ」
「黙れ化け猫!まだ勝負は終わっておらぬ!」
用具入れから木刀を取り、少女に差し出す。
大体、鬼ごとで勝負を決める等馬鹿けているのだ。
「仕方のない奴じゃ。周、相手してやれ」
まるで私が駄々を捏ねているような言い草だ。
そして少女の方が格上かのような言い方に、苛立ちが募る。
「はい」
頷くと、少女は受け取った。
「言っておくが、周は強いぞ」
にやりと不敵に笑う奴に、腹の中が熱くなる。
「周、そう加減せんでも良いぞ。多少怪我をしても構わぬ」
「はい、分かりました」
「怪我だと?貴様こそすぐにこの者を四番隊へ連れて行けるよう準備をしておくんだな」
適度な距離を取り、その少女に向き合うと、深々と頭を下げた。
この者に頭を下げるのは気に食わないが、剣を合わせる礼儀として頭を下げる。
「貴様、何故構えぬ」
木刀を構えるが、少女は構えない。
木刀を受け取り礼をしたからにはやる気はあるのだろうが、不思議な雰囲気を纏ったまま、緊張感等まるでない。
「女子だからと言って手加減はせぬ。来ないのならこちらから行くぞ!」
瞬歩で間合いを詰め、肩口に木刀を叩き込むべく振りかぶる。
が、少女を見失う。
木刀がその身体を掠める寸前まで其処にいたと言うのに、そこに残るのは残像のみ。
目の前できらきらと光る白銀に目を瞬く。
先程の鬼ごとのそれより更に速い。
刹那、首元に迫る木刀に冷や汗が吹き出す。
それは稽古では起こらない、生命の危機を察知して身体が起こした反応。
寸前で身体を逸らすと、喉から紙一重のところを木刀が通って行く。
その向こうに見えた少女の変わらない微笑みに、そぐりと寒気が走った。
「っ……」
私の思い違いではないのなら、少女は態と私に避けさせた。
喉に迫る瞬間、僅かに速度を落としたのは偶然等ではない。
「随分早く勝負がついたのう」
それを、勿論奴も分かっている。
たった一太刀で、差を見せつけられた気がした。
まだ死神ではない自身と、幾多の戦場を越えてきた死神の差。
一撃で私の首をはねようとしたその判断、それに伴うあの動き。
「…私の負けだ」
認めざるを得なかった。
「ほう、やけに素直ではないか。かかっ!連れて来た甲斐があったわ。もっと早く連れて来るべきだったかのう」
いつの間にか奴は縁側に寝転がり、女中が運んで来た茶を啜っている。
「ありがとうございました」
頭を下げる少女を、直視出来ず唇を噛み締める。
歯が立たなかった己に怒りが収まらない。
「…何だ」
気が付けば此方に歩み寄って来た少女に、視線も向けずに言葉を投げる。
「お名前を、」
「何だ?」
「お名前を、教えていただけませんか」
何かと思えばそんなことか。
普通に会話が出来ることに少し驚く。
「化け猫に聞いておるのだろう」
「ですが、貴方さまのお口からまだお聞きしておりません」
視線を上げると、葡萄色がじっと私を見ていた。
少し細められたその深い瞳は、濁りのない水のように透き通っている。
縁取る白銀の睫毛が陽光を受けて光り、反射して瞳が煌めく。
「…朽木白哉だ」
「宜しくお願い致します、白哉坊ちゃま」
「っ、何だその呼び方は!」
再び深く頭を下げた少女に、かっと顔が熱くなる。
「四楓院隊長と同じ呼び方の方が良いかと思ったのですが、お気に召しませんでしたか」
「当たり前だ!歳下の女子にそんな呼び方をされる等あり得ぬ」
「身体は少し下ですが、歳は同じ頃ですよ」
「何でも良い。兎に角その呼び方はやめろ」
「では…朽木さまとお呼びすれば宜しいでしょうか」
「祖父さまと父上も同じで混乱する。白哉で良い」
少女が僅かに目を見開いたように見えた。
「…白哉さま」
呼んだと言うより、発音を確認するような言い方だった。
「それで良い」
「白哉さま、宜しくお願い致します」
「おーい、二人とも休憩にせんか。この茶菓子美味いぞ」
私にまた頭を下げた後、化け猫の声に少女が踵を返す。
「周」
その小さな背中に呼ぶと、ゆっくりと少女が振り返る。
一瞬、先程よりも目を見開いているように見えた。
僅かな差だが、初めて表情らしい表情を見た気がした。
「次はいつ来る」
「次、ですか?」
「今日は勝ちを譲ってやったが、次は負けぬ」
不思議そうに問う少女にそう言えば、「ふふ」と小さく笑う。
「受けて立たせていただきます」
にっこり笑う少女に、思わず目を細めた。
「友人が出来て良かったではないか」
「友人ではない!朽木家次期当主の私に友などいらぬ」
彼女はそれから三日にあげず屋敷に来るようになるのだが、八年後、突然来なくなったのだった。
煌めきに沈む
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