「寒い…」
今年入隊した新入隊士の教育の為の、一週間の現世駐在研修は、北国で行われた。
今日は雪は降っておらず、空気が乾燥している。
入隊して半年以上経ち、隊務に慣れ始めて来た頃、毎年行われる研修だ。
部隊長の私と、八席、新入隊士五名。
現世と言っても、本当の任務とは違う。
現世は現世だけれど、技術開発局が開発した装置で結界を張った空間で、こちらも技術開発局が開発、製作した偽の魂魄を魂葬し、偽の虚と戦うのだ。
「少しでも異常があれば、すぐに知らせて下さい」
「はい、荻野三席」
頃合いを見て私が装置の電源を入れれば、偽の虚が出現する。
最初は誰でも気を張っている見張りだが、時間が経つとどうしても気が緩み睡魔も襲う。
虚との演習は、明け方が良いだろう。
夜が明けるまで、未だ五時間程ある。
見回りついでに、結界の端を辿って歩く。
胃の痛みは未だ続いていて、薬の効きが悪くなったように思う。
帰還したら、また四番隊に行かなければならない。
「痛……」
空を仰いでみるが、星はよく見えない。
あの日のように、寒くて、空気が澄んでいる。
唯、現世は光が多い。
街灯や家々から漏れる光で、地上まで星の光が届かない。
「足袋、忘れた…」
履いてきた一足は雪で汚れてしまい、替えは持って来ていない。
彼が見れば、また同じことを言って笑うだろうか。
「お前は、離せば何処かに行くだろう」
まるで、何処かに行っては困るみたいに。
「そのお前の自己満足で、十番隊の今があるんだろ」
まるで、私が守ってきたみたいに。
「お前が負傷してるだろ」
まるで、それがいけないことみたいに。
「それから、こういう時くらいその顔はやめろ」
まるで、全てを見透かしたように。
「お前の髪は、夜の方が綺麗に見える」
まるで、何か特別なものみたいに。
彼の言葉は、あの鋭い翡翠色は、私の胸を痛くする。
脳裏に浮かんでいたものを振り払うように首を振り、懐から伝令神機を取り出す。
新入隊士を従えての任務なのだから、集中しなくてはならない。
いくら研修と言っても、私にとっては任務だ。
時刻を確認して、伝令神機を懐にしまった瞬間、伏せていた顔が反射的に上がった。
「どうして…?!」
どうして。
結界が、破られた。
伝令神機は何の反応もなかったのに。
この霊圧は虚だ。
それも大きい、技局の偽物なんかじゃない。
霊圧を感じる方向を確認して、冷や汗が噴き出す。
向こうは、他の隊士達を残してきた方角だ。
少し離れすぎた。
「十番隊三席、荻野。新入隊士研修中に異常事態が発生。結界が破られ虚が侵入。至急応援を願います。虚は一体、伝令神機に反応せず、特殊な型だと思われます」
瞬歩を駆使しながら、伝令神機を取り出し応援要請をする。
「笹八席!」
「荻野三席!」
到着すると、八席を先頭にして既に戦っていた。
霊圧を感じた通り、虚は一体。
巨大な爪を、八席が斬魄刀で受け止めている。
新入隊士は突然のことに驚き、かなり混乱している。
「破道の五十八、てん嵐 」
横から打った鬼道は命中し、虚は竜巻に巻き込まれ飛んで行く。
その間に、新入隊士を避難させる。
「これは研修ではありません、異常事態です。笹八席、状況は」
「突然結界を破って侵入してきました。僕が気が付いた時には既に、結界が消失した後です」
「結界を張り直します。その間、虚をお願い出来ますか」
「分かりました」
「貴方方も一緒に来てください、離れたところに移動します」
「笹八席、あまり霊圧を上げ過ぎないで下さい」
「はい…!」
八席を残し、虚が向かって来る前にその場を後にする。
今最優先して行わなければならないのは、結界を張り直すことだ。
これ以上の虚の侵入を許してはいけない。
この部隊では、とても太刀打ち出来やしない。
彼等を守る為に、先ずは結界を張り直し、安全な場所を作ること。
虚が侵入してきた今、結界の中も安全とは言えないけれど。
「縛道の七十三、倒山晶。此処から動かないで下さいね」
「は、はい」
怯えた表情で頷いた新入隊士。
怖い目に合わせてしまった。
研修だからと言って、結界の中だと言って、予想外の異常事態が起こらないわけではない。
その為に上位席官を一人部隊に入れるのだ。
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