「あら周、遅いじゃない。連絡もないから心配したわよぉ」
「…おはようございます。すみません」
出勤すれば、既に彼と乱菊さんが各自の席に座っていた。
この人が始業時間より前に来ていることが珍し過ぎて、すぐに挨拶が口から出てこなかった。
「あ!あんた今、私が始業時間より前に来てるなんて有り得ないと思ったでしょう!」
「はい」
「失礼ねぇ!私だって一年に一度くらいは始業時間前に出勤することだってあるわよ!」
「威張るな。始業時間に前に出勤することは当然だ」
執務室の掃除は勤務後にしよう、今日は残業する程忙しくはない筈だ。
乱菊さんが脱走しなければ、の話しだけれど。
「周、あんたお弁当は?」
「今日はありません」
いつも弁当を持参しているけれど、今日は、と言うか最近、食欲がなく作ってすらいない。
「寝坊したから?じゃあ食堂行きましょ」
「あまり食欲がないので、遠慮しておきます」
「駄目よ食べなきゃ、あんた痩せすぎなのよ!」
食欲がないのは事実で、胃の痛みは治まっていない。
それでも、彼女は駄目の一点張りだ。
「荻野、行って来い。松本の言う通りお前は痩せすぎだ」
彼が会話に口を出すことは珍しい。
特に、仕事のこと以外で私に話しかけるなんてこと、今迄になかった筈だ。
「へぇ、隊長ったらそんなところ見てたんですかぁ?」
「部下の変化に気を配るのも、上官の務めだ」
「周、隊長はもう少しふっくらしたあんたの方が好みだって」
「そんなこと言ってねぇ!」
結局、珍しい彼の一押しで、食堂に行くことになった。
「それだけぇ?普段から小食だけど、最近益々小食じゃない?」
そう言う彼女の盆には、本日の定食である焼き魚定食と野菜の小鉢、そして食後の甘味はおはぎだ。
私はと言うと、茶碗蒸しを食べるのも精一杯で、彼女が他の隊士の生姜焼きを頂戴している間に、薬を流し込んだ。
「ねぇ、あんた本当に大丈夫なの?」
何でもないように彼女が聞いたけれど、その声はいつものそれとは違う。
「あんたの部隊の隊士達も心配してたわよ」
「…すみません」
部隊の隊士が乱菊さんに相談を持ち掛けていたのだろう。
部隊長として、上官として情けない。
「ねぇ…日番谷隊長が就任して、色々なことが変わったけど、あたしは根本は何も変わっちゃいないと思うわ」
珍しく真面目な表情で、声で、彼女は言う。
金色の髪がきらきらして、まるで太陽みたいだ。
「あんたが守ってきたのも、支えてきたのも、誰も忘れてなんかない。勿論あたしも、隊長だって分かってるわ」
「いいえ、」
「そんなことしてないって、あんたは言うんでしょう」
「お見通しよ」と、勝ち誇ったように笑う。
「無理に変わろうとしなくても良い、でも怖がる必要なんてないのよ」
彼女の言っていることを、理解出来るような、出来ないような。
それは、私が分かろうとしていないからだろうか。
分かりたくないからだろうか。
「つまり、何が言いたいかって言うと――周、あんたはね、自分が思ってるよりずっと、周囲に思われているのよ」
にっこり、まるで大輪の花が咲いたように、彼女は笑う。
私の頭をくしゃっと混ぜるように撫でると、空になった定食の盆を持って行ってしまった。
あのまま彼女が隣に居続けたとして、何と返答したら良いか分からなかった。
それを察して、彼女は席を立ってくれたのだと思う。
これまでもこうして、踏み込み過ぎず程良い距離にいてくれているところがありがたくて、彼女には頭が上がらない。
彼女は、あの人に少し似ている。
さぼり癖があるところとか、面倒くさがりなところとか。
いざと言う時には頼りになるところか。
明るくて、笑顔が似合うところとか。
優しくて、温かいところとか。
彼女が私にくれた言葉は、どれも烏滸がましいものだ。
私は周囲が思っているような人間ではなく、利己主義者だ。
自分の為に、自分が生きていく為にこの隊にしがみついてきただけ。
それは決して褒められるべきことではないのに、どうして。
他人のことに興味もなく、出来れば関わりたくないとすら思っている。
それは、隔てた壁を、装った平静を、崩さない為だ。
あの人のことを、自分の罪を、決して忘れない為。
全ては、自分を守る為。
きっとずっと憶えてる
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