雪解け(本編壱) | ナノ
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 03 虚空に馳せる(02)


「お疲れ様です、日番谷隊長」
「ああ」

夜番空けの隊士とすれ違い、挨拶を交わす。

「夜番の報告書は、荻野三席に提出しておきました」
「そうか、ご苦労だった」
「はい、失礼します」

此処の隊は、指導がよく行き届いている。
三席である彼女のおかげだろう。
隊長がいなくなった隊を、百年以上も守ってきたのだから。
隊長としては情けないことだが、周囲に比べて随分若年の自身が、すんなり隊士達に受け入れられるとは思ってはいなかった。
勿論全ての隊士にではないだろうが、自身が隊士達に受け入れられているのは(あくまでも自身が思うに)、松本は勿論、彼女のお陰だと思う。
松本の態度はどうかと思うが、否、改めるべきだと思うが、彼女の態度を見て、聞いて、隊士達が認めたのではないかとも思う。
松本のこともそうだが、隊士のことにしろ、隊務にしろ、彼女には感謝している。

「おはようございます、日番谷隊長。お先に失礼致します」
「ああ、お疲れさま」

今日は、いつもよりも少し早めに隊舎に着いた。
気になることがあったからだ。
多分、最初から予想していたのだけれど。
執務室からほんの僅かに感じるのは、彼女の霊圧。

「やはりそうか…」

執務室は、いつも綺麗だ。
松本がどんなに散らかしても、菓子の屑を落としても、書き損じた書類を散乱させても、翌日出勤すれば、必ず綺麗になっている。

「そんなこと、あたしがするわけないじゃないですかぁ」

掃除をしているのはお前かと問えば、松本は当たり前のように答えて、

「あたしには、させてくれませんよ」

と眉を下げて笑った。

「おはよう」

扉をそっと開けて、銀色が揺れる後ろ姿に声を掛ければ、彼女は一瞬動きを止めて、ゆっくりと振り返る。

「おはようございます」

彼女はやはり笑っていて、その手には水仙の花が握られている。
隊長机の隅に、いつも飾られている一輪の水仙の花。
十番隊の隊花だ。
枯れる前にいつも取り換えられていて、花瓶の水はいつも新しい。
隊舎の中庭と裏庭に水仙の群生が自生していて、それを彼女が管理していると、松本が言っていた。

「もう怪我は良いのか」

執務室を掃除して、水仙の花を飾る。
彼女は、毎日やっているのだろう。
恐らく、百年以上、ずっと。

「はい。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「謝らなくて良い」

彼女は新しい水仙を花瓶に挿し、執務室を出て行こうとする。

「荻野」

出て行こうとする彼女に、またも後ろから声をかける。
彼女は、二人きりになることを避ける。
いつも、何かと用があると言ってその場を後にするのだ。

「はい」

振り返る彼女の銀髪が、ふわりと揺れた。

「掃除、お前がしてくれていたんだな。ありがとう」

彼女は、直ぐには答えなかった。
何も言わずに踵を返すと、

「貴方に、お礼を言われる筋合いはありません」

そう言って、執務室から出て行った。
起伏のない口調で、小さな声で。
後ろ姿だった為分からないが、果たしてその時、彼女はいつもの笑顔だったのだろうか。

「嫌われてるな…」

誰にでもそうだが、彼女は必要最低限しか口を開かない。
好き嫌いを分かりやすく表に出す松本とは違い、彼女はそれを決して表に出さない。
しかし、恐らく自分は唯一、彼女に嫌われていると思う。
理由は分かっている。
前隊長の場所にいる自身が気に食わないのだろう。
嫉妬なんて、幼稚な感情が彼女にあるとは思えないが、これしか思い付かない。

「貴方にお礼を言われる筋合いはありません、か……」

貴方の為にしていることではないと、そう言っているようだった。
自身の為に掃除をしているわけではないことくらい分かってはいたが、実際にああ言われると、何と返したら良いか分からなくなる。

それからもう一つ――彼女と、目が合わない。
否、彼女が意図的に合わせようとしないのだ。
熟した葡萄のような、海のような、深く澄み切った、静謐を湛えた瞳。
その瞳は、決して俺を映さない。
たった一度だけ、初めて会った時。
あの時だけは、一瞬目が合った。
別に目を見て欲しいわけではない、好かれたいわけでもない。
避けられることも、嫌われることも、慣れている。
幼い頃から当たり前だと思っている、仕方がないと思っていること。
けれど、何故かいつも、言葉では言い表せない気持ちになるのだ。

窓から差し込む朝日で、花瓶の水仙が輝いて見える。
水仙の向こうの空があまりにも青過ぎて、思わず仰ぎ見る。
十番隊の水仙の花言葉――神秘。
その言葉が、彼女にはよく似合うと思った。



虚空に馳せる



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