君の恋は分かりにくい(02)
「散らかってますけど、上がって下さい」
「お邪魔します」
がちゃん、扉が閉まって、心臓が跳ねる。
彼女と二人きりなのだ。
初めて、密室で二人きり。
「当たり前ですけれど、乱菊さんのお部屋とは間取りが違うんですね」
彼女はやはり変わらなくて、落ち着いている。
「周さんは座ってて下さい」
「いいえ。副隊長だけに作らせるなんて出来ません」
彼女は見かけによらず、結構頑固なところがある。
これは、長年彼女を見てきて感じたこと。
そんなところも、すごく好きだ。
「じゃあ、野菜切ってもらって良いですか」
「はい」
彼女が銀の髪の毛を束ねて、慌てて目を逸らす。
魚の下処理をする俺の横に彼女が並ぶと、彼女の香りが鼻を擽る。
魚の生臭さ何て分からなくなるくらい、良い香りだ。
普段殆ど感じない彼女の霊圧が、近付いたことで肌に感じる。
穏やかで、静かな霊圧。
自分の霊圧が乱れないよう、彼女に気付かれないよう、深呼吸をして整える。
「厚さはこのくらいで宜しいですか」
「はい。周さんのやり方で切ってもらって大丈夫ですよ」
「分かりました」
夢みたいだ。
でも、何だろう、この気持ちは。
嬉しくて堪らない筈なのに、何で――。
「とても美味しいです。火加減を調整するのがお上手なんですね、身がすごくふっくらしています」
美味しいと、周さんは笑って食べてくれる。
でも俺は、味なんて分かったものじゃない。
いつも作っている通りに味付けはしたものの、美味しいかどうかなんて分からない。
密室に彼女と二人きり、味がまともに分かる筈がない。
やっぱり、外で食事をした方が良かったかもしれない、なんてことを思う。
「副隊長、私が洗います」
「いや、周さんにそんなこと、」
「いいえ。作っていだだいたんですから」
「じゃ、じゃあお願いします」
彼女が洗い物をして、俺がそれを拭いて仕舞っていく。
少し首を下げた為に、彼女の白い項が目に入る。
顔が熱くなっていくのを感じて、視線を逸らす。
「美味しくて、食べ過ぎてしまいました」
心なしか、いつもより彼女の口数が多いように思う。
元々、彼女は何を考えているのか判断しにくい人だ。
表情にも、態度にも、霊圧にも、それを出さない。
彼女のことを知りたい、ずっと思い続けてきて、見てきたのに、分かったことなんてほんの少しだ。
彼女のことが分かるようになる日なんて、来るのだろうか。
このままずっと、彼女が何を考えているのか分からないままかもしれない。
長年見つめ続けてきたのに、分からないことだらけだ。
分からないと言えば――そう、彼女は、俺を好きかどうかも分からない。
告白した時、彼女は自分の気持ちは口にしなかった。
返事だけ、舞い上がっていた俺も聞こうとはしなかった。
彼女が、好きでもない男と付き合う筈がないと思いながら、もしかしたら、あまりに俺がしつこいから折れてくれてのではないか…そんなことを思ってしまう。
「そろそろ失礼します」
「え?」
「月末が過ぎたばかりで、お疲れでしょう」
そう言って、彼女はいつものように笑う。
巾着を持ち、立ち上がった彼女の手首を、思わず掴んでいた。
「副隊長…?」
此方を見た彼女は、いつも少し細めている葡萄色を少し見開く。
俺は、どんな表情で彼女を見ていたのだろうか。
「どうして、」
「え…?」
「周さんは、いつもと変わらないんですね」
「…副隊長?」
「俺は、とても平気じゃいられない。周さんがこんなに傍にいて、どうにかなりそうだ」
彼女の、葡萄色の瞳が見開かれる。
初めて見た表情だった。
「平気に、見えますか…?」
いつもより、随分小さな声だった。
その視線が、俺が掴んだままの彼女自身の手首に移り、気が付く。
どくどくと、ものすごい速さの脈。
「……!」
――俺のじゃない。
これは彼女の脈だ。
俺の脈より更に速いだろう。
驚いて彼女の顔を見ると、彼女は目を伏せたまま「嘘、なんです」と、また小さな声で言った。
「何が」と、声を出すことが出来なかった。
怖かったからだ。
これが、この状況が、彼女と恋仲になったと言う事実が、まさか――、
「美味しかった、なんて嘘なんです。本当は味なんて分かりませんでした」
無意識に強く瞑っていた、瞼が上がる。
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