「……?」
扉を叩いても返事がなく、首を傾げる。
今日取りに行くことを伝えてあった筈だけれど、急な実験か何かだろうか。
「荻野三席〜!」
振り返れば、ちょんまげを揺らしながら壺府さんが駆け寄って来た。
「こんにちは、壺府さん」
「こんにちは。これ、阿近さんからです」
差し出されたのは、いつもの薬袋だ。
「錠剤も目薬も、一日一回就寝前の服用、点眼です」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
以前は執務室にこもってばかりだった為に毎食後の服用でも問題はなかった。
しかし最近では任務に就くことも増えた為、一日一度の服用、点眼にして欲しいと阿近に依頼してあったのだ。
「阿近は急な実験か何かですか」
「いえ、それがですね、今日は欠勤なんです。今朝早くに連絡がありまして」
「欠勤?阿近がですか?」
そんなこと、これまでにあっただろうか?
少し前までは分からないが、少なくとも、ここ最近では聞いたことがない。
「風邪みたいです。ここのところ徹夜が続いていたので、疲れも溜まっていたんだと思います」
あの阿近が風邪?
私が驚いているのが分かったのか、壺府さんが、
「僕も聞いた時、びっくりしました。だってあの阿近さんが風邪だなんて」
と笑う。
けれど口を滑らせたと思ったのか、「今の、阿近さんには内緒にしてくださいね」と慌てて言ったのだった。
――「風邪?」
阿近が風邪を引いて欠勤したことを話せば、彼も驚いたようだった。
見舞いに行きたいと言う私に、ほんの一瞬の間の後、「行けば良い」と言ってくれた。
「俺も、雛森が体調を崩せば見舞いくらい行くだろうしな。俺に気を遣わず行ってこい」
「ありがとうございます」
最初は、こんなことを彼に聞く必要があるだろうかと、考えたりもした。
だってこれではまるで、ものすごく自惚れているみたいだから。
けれど彼の表情を見て、言って良かったのだと思った。
「今日はそれ程忙しくもないだろう、半休を取って行ってきたらどうだ」
「え?」
「今年度、まだ十日取得していないだろう」
彼が隊長に就任してから、年に十日有給取得することが義務付けられた。
席官だろうと平隊士だろうと平等に、例外はない。
しっかり働く為にはしっかり休息しなければならないと言うのが彼の考えだ。
私はまだ十日取得しておらず、それを彼は把握していたらしい。
「俺からも、しっかり静養するよう伝えておいてくれ」
「はい、分かりました」
彼の厚意に甘えて、正午で隊舎を出て、買い物に向かう。
一度自室に帰って、調理してから十二番隊の寮に行こう。
阿近の自室に調理器具なんてものはないだろうから。
欠勤するということは、熱が高いのだろうか。
研究室では休まずに自室に帰ったのだから、相当酷いのかもしれない。
阿近が自ら四番隊に行くとは考えにくいし、栄養剤だけ服用して食事もとっていないだろう。
「……、」
ふと、意外にも阿近の行動や考えが予想出来てしまうことに驚く。
百年以上まともに口を利いていなかったのに、何故か予想出来てしまう。
これは幼馴染だからなのだろうか?
分からないけれど、自然と頬が緩む。
お見舞いに行こうと思ったのは、心配だという理由もあるけれど、普段の借りを返したかったから。
借りは多分、もう山積みだ。
それも、私の分だけ。
私は昔から今まで、一度たりとも返せてはいないのだ。
いつも、一方的に助けてもらって、それっきり、そればかり。
阿近が借りの返却を要求してきたことは一度もない。
要求してくれれば、私は出来ることなら何だってするのに。
私の出来ることと言えば、実験台になることくらいだけれど、彼の作品の実験台になったことは一度もない。
実験台になるのはいつも涅隊長の作品だ。
実験記録を取るのは大抵阿近だから、少しでも役に立っていたら良いけれど、実際立っているのかは分からない。
だから、少しでも借りを返したかった。
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