涙雨の逢瀬 | ナノ
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あの日、母親が死んだ日。
憎しみと苦しみでどうにかなってしまいそうで、あの家にいてはおかしくなってしまいそうで、夜中に春雨の降る中、抜け出し迷うように此処へ来た。
辺りは暗く、東屋の灯りだけが周囲を照らしていた。
東屋の中には入らず、傘を差したまま佇んでいたところに、彼が来た。
傘で顔は見えず、性別すらも分からない。
幼かった私は、妾腹である自分が表に姿を晒して良いのか分からなかった。
だから、傘で顔を隠した。
彼は考え込んでいたのか、東屋の前まで私の存在に気が付かず、近くに来て気付いたのか足を止めて、踵を返そうとした。

「待って、」

今思えば、見ず知らずの人によく声を掛けれたものだと思う。
声を掛けたのは、無意識だった。
彼は私の声に、無言で足を止めた。

「あの、私の勘違いかもしれないのだけれど…貴方も、悲しいことがあった?」
「……?」
「霊圧が、悲しそうだから」

私と似ている霊圧をしていたから。
それが気になって、思わず引き留めていた。

「…も、と言うのは、お前もあったのか」

そこで漸く、彼が男子であることが分かった。
彼の問いに、自分の言葉を思い出して、私は気が付いた。
私は、母親が死んで、悲しかったのだ。
憎い憎いとばかり思っていたけれど、でも、やはり悲しくて。

「あ……」

涙が零れた。
彼は私の隣までやって来て、互いの傘が当たらない程度の距離で足を止めた。

「泣き顔も傘が隠してくれる。嗚咽も雨が打ち消してくれる。だから、泣けば良い」

彼の言葉に、私の涙は堰を切ったように次から次へと零れて、頬を伝って、傘を持つ手を伝って、雨と一緒に地面に落ちた。
何も言わずに、彼の手が伸びて、傘を握る私の手に重ねた。
私より、少し大きい手。
白くて綺麗な手。

「此処で泣いて、そうしたらきっと、また前を向いて歩ける」

それはまるで、彼自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
返事も出来ずに頷いて、何度も頷いて、泣いた。
私の手に重ねた彼の手も、小刻みに震えていて、もしかしたら、彼もあの時泣いていたのかもしれない。
傘で顔は見えず、雨音で声も消えて、分からなかったけれど。
多分彼も、私と同じように、人に知られたくなくて、見られたくなくて、此処へ来たのだ。
だから互いに、訳も、理由も、何も、聞かなかった。
唯只管泣いて、それだけ。
けれど私は、その手に、癒されて、救われた。
あの手のお陰で、彼のお陰で、私はまた前を向いて歩くことが出来た。

「また、会えるか」

泣き止んで、そろそろ屋敷に戻ろうとすれば、彼が聞いた。
嬉しかった。

「また、雨の日の夜に」

傘で顔を隠せる雨の日だけ。
彼に顔を見られることが怖かった。
人は、目に見えることばかりを信じるから。
私は、目に見えないものを信じたかった。

「貴方の名、」

貴方の名前は――問おうとして、気が付く。
名前を名乗るなんて、私は出来ない。
彼もきっと、同じ。
だから、名前を付けた。
彼の足元に咲いていた、紅紫色の花。

「私は――蓮華草、…蓮華よ。貴方は?」
「……紫蘭、紫蘭だ」

蓮華草の隣に咲いていた、紫色の花。
彼は、それを名乗った。

「紫蘭――ありがとう」

春雨の降る夜、この東屋の前で、私達は出会った。


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