バレンタイン。

鈍感な相手に一方的な好意を抱いてる男にとっちゃあ、厄介極まりないイベントだ。アイツは本命のチョコを渡すようなことはあるのか。そんな相手がいるのか。考えただけで胃のあたりが重くなる。昼メシの海軍カレーを口の中へかっこみながら、悪い方へ悪い方へと向かっていく思考回路の指針を無理やり捻じ曲げようと試みる。
そういやコビーのやつ、麦わらの顔がでっかく載った新聞抱え込んで部屋に駆け込んだきり戻ってこねえな。どうせ散々眺めた後に切り抜いて保存でもするんだろう。バレンタインだとか気にしないだろうからなぁ、あいつは。ああ、カレーうめえ。そういや王子はカレーの隠し味にチョコ入れるクチらしいって言ってたな。よく聞く隠し味だが、本当にチョコ入れて美味くなるもんなのかよ。全然味違うだろ。カレーとチョコ。チョコ……ていうかそもそも、おれはアイツからチョコをもらえんのか? 義理でもいいからもらいてえ。なんてことを考えるのも惨めな話だ。
で、結局こうなる。やっぱり気づけばアイツのことばっかりだ。いっそ任務で船の上、ってほうが気にせずに済んで良かった。よりによって、ちょうど本部に帰ってくる日がバレンタインに重なるなんて最悪だ。

「あ!」

元気のいい声のほうへ顔を向けると、なまえがカレーの乗ったトレー片手にこちらへ手を振っていた。トレーを支えているほうの腕には紙袋が一つぶら下がっている。

「おーいヘルメッポくん!」

言いながら、機嫌良さげな足取りでやってきたなまえは、おれの目の前の席に腰を下ろした。

「久々だねえ、任務お疲れさま」
「おう、お前もな」

さっきまで考えていたあれこれが声色に出ちまわないよう、つとめて冷静に返す。が、視線はどうしたってなまえがガサゴソやっている紙袋のほうにいっちまう。

「会えて良かった〜。一応用意しといたんだよ、今日の早朝戻りだって聞いてたから。お昼に食堂で会えるかなぁと思って」

のんびりとした調子で話すなまえの言葉の先にあるのは、もうおれがあれこれ考えていたそれしかないだろう。内心ソワソワしながら、ニヤけた面を晒さないよう必死に顔中の筋肉を押さえ込む。

「じゃん、ハッピーバレンタイン!」
「おー、ありがとな」

取り出されたのは、包装紙とリボンでラッピングされた小さな箱が2つ。平静を装った結果、なんとなくスカしたような返事になっちまった。こんなだからいつまで経ってもロクに関係が変わらないままなんだろうなって自覚は一応ある。

「はい、こっちの青いリボンのがヘルメッポくんで、赤いのがコビーくんね」

なまえの手から、黒の包装紙にマリンブルーのリボンがかけられた箱、それからブラウンの包装紙にワインレッドのリボンが映える箱を受け取る。
「コビーくんにも渡しといてね〜」などと穏やかに語尾を間延びさせるなまえを前に、おれの内心はまったく穏やかじゃなかった。
リボンの色が違うってことは、まさか中身が違うんじゃないだろうか? コビーのほうのリボンが赤ってのが、また余計な想像を掻き立てられる。

「なあ、ちょっといいか?」
「ん?」
「リボンの色が違うのって、何か意味あるのか?」
「え?」
「いや、わざわざ変えてるってのは……何かあるのかと思ってよ」

急くような焦りが声に滲まないよう、落ち着き払った声色を喉元で繕った。しかしなまえはそんなおれの心中を知ってかしらずか、不思議そうに首を傾げた後、なおも訝しげな顔で答えた。

「青いリボンがビターチョコで、赤がミルクチョコだけど……。ほら、コビーくん苦い物あんまり好きじゃないっぽいし。ヘルメッポくんは甘すぎるのより、ちょいビターのがいいだろうなって思って」
「あーー……なんだ、そういう……」

ほとんど食い終わりそうなカレーの皿の上で、へなへなと首を垂れる。
なまえがウソをついてる感じはしない。リボンの色の違いは、単純に味が違うってだけ。しかも各々の好みに合わせてくれているときた。それだけのことでバカみたいに嬉しくなって、ヘラヘラしちまいそうになる。クソ、完全に振り回されてら。

「え、何そのホッとしたような声は」

珍しく勘がいいなまえの発言に、ギクリとして顔を上げる。目の前のなまえは、不審がるようにジトリと目を細め、こっちを見ていた。

「う、イヤ、べ別に」
「別にってことはないでしょ」

なおも食い下がるなまえの顔が、テーブルを挟んだ向こう側からズイと近づいてきた。サングラスの中まで見透かされそうな視線に、ぐ、と押し黙ることしかできない。顔を真横に逸らしてみるが、なまえの視線がグサグサ突き刺さってくるのを感じる。

「あ……赤が本命で、中身が違ったりすんのかと思ったんだよ!」

なまえの目も見られないままに、ヤケクソで言っちまった。
やっちまったよ最悪だ、という絶望と、ああもうどうとでもなれクソ、というなげやりな気持ちと、というかもういい加減気づいてくれ頼む、という縋るような祈りが全部ない混ぜになって、顔面すべてが赤くなっていくのを感じる。周りに人もいるってのに、何をやってんだ、おれは。

「あー、なんだそういうこと?」

こっちのぐちゃぐちゃな胸中なんざ気づいてもいないような声で、なまえはカラっとした笑い声を上げた。

「まさか! コビーくんは友達だし。ていうか本命チョコなんて用意してませーん、あいにく浮いた話が無いので〜」

何それウケる、と一笑し、なまえはスプーン片手に「いただきます!」と元気よく宣言してからカレーを食い始めた。マジかコイツ。

「ん? ていうか、そんなこと気にするって、ひょっとしてさあ……」

フツーにカレーを食い始めたなまえにショックを受けたらいいのか安堵したらいいのか分からず、仕方ねえからおれもカレーを食おうとした、その矢先に、なまえが何やら鋭いことを言ってくる。

「ヘルメッポくん……もしかしてだけどさ」

カレーに向けられていたなまえの視線が、ゆっくりとこちらに向けられてくる。かたや、おれはといえば、その視線から逃れようと、またしても顔を逸らすことしかできなかった。
なんだ、今日のなまえは。いつもはこっちの気なんて全く気づかないのに。今日こそ気付かれちまうのか。
いざその瞬間を前にすると、どんな顔してコイツの目の前にいりゃあいいのか分からなくなる。

「コビーくんとかグルス少将とかと、本命もらった数競う……的なことしてたりする?」

一瞬、なまえが何を言っているのか分からなかった。ひょっとして、チョコの数で競争してる、的な勘違いをされたのか、おれは、いま。

気づいた途端「何でそうなる!!」と叫びそうになって、しかしすんでのところで堪えながら右手に持っていたスプーンをギリギリと握りしめた。

「ダメだよ〜、子供みたいなことしちゃ。真剣に気持ち伝えようとしてる子もいるかもしれないんだから」

そんなことを悠長に言いながら、なまえはカレーを食い始めた。美味そうにもぐもぐしやがって、ちくしょう。

「あーもう、お前ほんとに、そういうとこがなぁ」

耐えきれずに口から出た言葉に、続く言葉をキツく喉の奥に押し込んだ。

「ん? なに?」
「なんでもねー!!」

そういう鈍いったらねえところも好きだなんて、絶っ対に言えねえ!!