※コウヘイくん二十歳くらいのイメージ


ヤドキングの厚ぼったい唇がもぐもぐと動くのを、私は緊張で身を固くしながら観察していた。ぽやんとした顔が、咀嚼のたびにほわっととろけるような表情へ変わっていく。なんだか夢見心地のお顔だ。

「うん、美味しいみたいですよ」
「よかったぁ〜」

微笑むコウヘイくんの言葉にほっと胸を撫で下ろしながら、私はほわほわのカーペットの上にへたり込んだ。

コウヘイくんには、というか、コウヘイくんのポケモンたちには、定期的に自社製の新作おやつの試食をしてもらっている。ポケモン用のおやつやフードの開発をしている会社に勤めていると、試作品をいくつかもらうことができるのだが、私の手持ちポケモンは4匹だけ。より多くのポケモンの反応を確かめたくて、私はお付き合いしている年下の彼、コウヘイくんのポケモンたちに試食のお願いをしているのだ。
コウヘイくんの仲間はたくさんいて、タイプも様々なら味の好みも様々。甘いのが好きな子、辛いのがいい子、どんな味でも試してもらえるので、とても助かっている。
今日は2月14日、バレンタイン。コウヘイくんに、私の住んでいるアパートへ来てもらって、甘いのが好きなヤドキングにチョコレート味のおやつを試食してもらった。

「本当によかった、いつもこの瞬間は緊張するから」
「なまえさんの作ったものですからねえ、ぼくのヤドキングが気にいるのも当然ですよ」
「私がっていうか、私の会社が作ったんだけどね」

いつもながら怪しい笑みを浮かべ始めたコウヘイくんにツッコみつつ、私はコウヘイくんを放っておいてキッチンに向かった。

さて、ここからは私からコウヘイくんへのバレンタイン。
まず用意するのは鍋、そこにココアパウダーと砂糖、水を入れてゴムベラでさらさら混ぜ、溶いていく。牛乳を加えて、さらに軽く混ぜたらここで点火。ふつふつするまでの間にチョコを刻む。

「おや、ホットチョコレートですねえ」
「うわっ、びっくりした」

気づいたら、コウヘイくんがすぐ後ろから私の手元を覗き込んでいた。呼吸音すら消して忍び寄っているのか、何なのか。この不意打ちに関しては、いつまで経っても慣れない。

「気配消して人の背後取るのやめなさい」
「んふふ、失礼しました」
「絶っ対反省してないんだよなぁ、ホント」

愚痴っぽく呟いてみても、コウヘイくんはなんのそのといった具合で笑っている。反省せえ。

「コウヘイくんにハッピーバレンタインの用意してるんだから、あっちで待ってて」
「ええ、知ってますよ。ですからこうして待ちきれずに来てみたというわけです」
「コウヘイくんのそういう、好奇心への忠実さは好きだけどもね」

呆れながらそう返すと、コウヘイくんは「いやあ光栄ですねぇ」などと機嫌良さげに笑っている。意外と調子に乗りやすいところも、なんだかんだ好きなところなので許してしまう。惚れた弱みというのは厄介なものだ。
チョコを刻み終えたところで、鍋の中もちょうどいい具合に温まってきたようだ。小さな泡がぽつ、ぽつ、と浮いてくる程度。うん、いい感じ。
頷いて、私はくるりとコウヘイくんを振り返り、ぱちんと一つ手を叩いた。

「はい、ここからは企業秘密! あっちで待ってて」
「おや、それは大変。なまえさんが情報漏洩の罪に問われてしまいますねえ」
「そ! だからはい、行ったいった」

コウヘイくんの背中をぐいぐい押し出し、ヤドキングが待つリビングへ大人しく帰っていく姿をしっかり見送ってから、私は刻んだチョコを鍋に入れた。泡立て器でふわっと混ぜ、火を止める。
振り返って、冷蔵庫から淡い黄色のパッケージの小さな箱を取り出す。ちょっとこだわって買ってみた、シンプルなパッケージのバターだ。
銀色の包み紙を剥がしていけば、クリーム色のバターが顔を出す。これをひとかけ、ふたかけと鍋に入れ、さらにひと混ぜすれば完成だ。
これをマグカップに移して、マシュマロを3つ浮かべる。お盆に乗せ、リビングの小さな丸テーブルを囲って仲良さげなコウヘイくんとヤドキングのもとへ向かった。
ヤドキングは、試作品のおやつをゆっくり楽しんでくれているようだ。コウヘイくんの向かい側にぽてん、と腰かけて、大きな口をもぐもぐさせている。コウヘイくんは、そんなヤドキングの様子を優しく見守っていた。

「はい、お待たせ」
「わあ、ありがとうございます」

コウヘイくんにカップを手渡して、隣に腰掛ける。カップの本体に手を添えたコウヘイくんが、あち、と小声で呟く姿が可愛くて、ちょっとニヤけてしまう。

「では、いただきます」
「うん、どうぞ」

料理の腕に多少覚えはあるものの、誰か一人のためを想って作ったものを美味しいと思ってもらえるのか。こればっかりはいつもどきどきしてしまう。
じいっと見つめてしまっている私の視線も気にせず、コウヘイくんはカップを口元でくい、と傾ける。温かなホットチョコレートからほんのり湯気が立ちのぼって、コウヘイくんのメガネが少しだけ曇った。
「ん」と、小さく唸ったコウヘイくんは、すぐに口元を緩め、何度も頷いた。

「うん、美味しいです、とっても!」
「ホント? 良かったあ」

安堵のため息をつきながら、隣に座るコウヘイくんの横顔をこっそり観察する。カップの中を見つめる目は柔らかく細められていて、ひとくち、また一口とカップに口をつけてくれるので、私はすっかり舞い上がってしまった。コウヘイくんの素直な反応は可愛いし、自分が作ったものを喜んでくれるのも嬉しいし、言うことなしなバレンタインだ。

「実はね、このホットチョコレート、バターが入ってるんだ」
「バター?」
「うん、ジョウト地方のミルタンク牧場産の美味しいやつ! バター入れるとほんのり塩味が加わってね、美味しくなるんだよ」
「確かに、味に深みがある気がします……なるほど、その秘密はバターにあった、と」

感服したように目を丸くしていたコウヘイくんは、不意に意味ありげな笑みを浮かべ、こちらへ目を向けた。

「バラしちゃいましたねえ、企業秘密」
「あ」

そういえばそんなことも言ったな、と、言った本人ですらその程度しか記憶にないことを、コウヘイくんはしっかり覚えていたようだ。彼の記憶力の良さには時折感心してしまう。
感心するのと同時に、それだけ私の言葉にしっかりと耳を傾けてくれているんだ、という事実に心が浮き上がるような心地がして、なんだか少し恥ずかしくなった。

「僕しか知らないなまえさんの秘密、ですね」

ぴ、と立てた人差し指を口元に当て、目を細める。そういう仕草が不快に感じないほどの顔立ちの良さを、こういう時に思い知らされる。ああもう、ずるいなあ。
コウヘイくんのそういう、ちょっとキザなこと言えちゃうところも好き。なんてことは、口に出したら調子に乗りそうだから、言わないけど。
これこそ本当に、私の心の中だけの秘密だ。