「こうも緑が溢れる景色の中に雪が積もってるっていうのは、なんとも不思議な景色だねえ」

近侍のにっかりさんが、庭に面した大窓から外を眺めつつ楽しげに言うけれど、私はどうにも素直に頷けなかった。

今日、初夏の日。誕生日の朝。
私が目を覚ました時には、何故だかいつも通りの日常の庭に雪が降り積もっていたのだ。一瞬目を疑って、誰かが勝手に景趣をいじってしまったのかと思った。
すでに箪笥の奥にしまっていた厚手のカーディガンを羽織って、朝から本丸中駆け回り、景趣をいじった人がいないか調査して。けれど結局みんな首を傾げるばかりで、原因は分からずじまいに終わった。
途方に暮れながら自室に戻ろうとする廊下で、どこからか慌てて走ってきたこんのすけが「景趣のバグが起こっているのだ」と教えてくれた。
政府から正式に通知があったらしい。いま、他の本丸でも同じような事態が起こっているらしく、うちだけではないことにひとまず安心した。現在、原因の調査とシステムメンテナンスを進めているらしく、何が起こるか分からないため、同様のバグが起きている各本丸は景趣の変更をせず、出陣遠征等すべての活動も控えるよう言い渡された。
「雪は普通の雪と変わらず、放っておけばいずれ溶けるものだそうですので、ご安心くださいね」と言い残し、こんのすけは寒さのためか体を震わせながらも律義に一礼し、すぐさま去っていった。よほど寒かったのだろう、たしかにこの急な寒さは身にこたえる。
「走って転ばないようにね」とこんのすけに声をかけながら二の腕をさする私の隣で、綿がたっぷり詰まった半纏にくるまるにっかりさんは「あんなに毛が生えていても寒いのか、大変だねえ」などと他人事のように呟いた。そりゃあ貴方はそのあったか半纏があるからいいでしょうが、などと心の中でぼやきながらも、並んで一緒に自室へ戻る。
しばらくは使わなくて済むだろうと思っていた暖房の電源を入れ、部屋の隅に追いやられていたひざ掛けをひっぱり出した。

「何で誕生日に、こんなことに……」

愚痴るようにこぼしながら、とっくにコタツ布団を片付けてしまった机の前に腰を下ろす。
にっかりさんは軽い調子で笑いながら「でも」と口を開いた。

「こんな景色、普通に生きていたらそうそう見られないだろうしね。神様とか……そういう何かからのサプライズかもしれないよ」
「でもさ、この間植えたばっかりのクチナシの苗木も雪が積もっちゃってたし。花咲くの楽しみにしてたのにな……あっ、それに畑のほうも雪被ってるんじゃない? だとしたら冷害……っていうの? ちゃんと収穫できるかな? 今年の弊本丸飢餓のピンチ?」
「まあまあ、不安なのは分かるけどね」

どんどん浮かぶ悪い予感に顔を青くするこちらを落ち着かせるように、両の手のひらを広げて見せたにっかりさんは、ため息まじりに笑いながら腰を上げた。

「仕方ないなあ。あったかいお茶でも淹れてくるから、それを飲んで少しゆっくりしよう。どうせ今の本丸で出来ることなんて無いんだしさ」

出来ることといえば雪合戦かかまくら作りくらいだよねえ、なんて言いながら、にっかりさんはのんびりと部屋を出て行ってしまった。
にっかりさん。ついこの間、極の修行から帰ってきてからというもの、以前にも増して頼もしくなってしまって困る。ついつい頼って寄りかかってしまうから、甘えグセがついてしまいそうだ。

「本当、寒いなあ……」

愚痴るように独り言ちて、まだ暖房が効きはじめたばかりの部屋の真ん中で、かじかむ指に苦戦しながらカーディガンのボタンをきっちり閉めた。
にっかりさんがいなくなった部屋はやたらと広く感じる。寒々とした部屋で身を縮めながら、一緒に行けば良かったと今さら後悔した。

誕生日。
審神者になってからというもの、私の誕生日はお祭りのごとく賑わい、まるで誕生「祭」のようになった。何故なら私にとって初めての鍛刀で顕現したのが愛染国俊だったからだ。
祭り好きの彼が指揮を取った一年目の誕生日、祝い事なら派手にやらなきゃソンだ!! という愛染くんは刀剣男士全員が用意した贈り物をかき集めてプレゼントでタワーを作り、ウェディングケーキかと見紛うほどの6段ケーキを用意し、最終的に、そう。何故か胴上げされたのだった。
謎の胴上げ中に誕生日ってこんなだっけ? と溢れんばかりのハテナが脳内に浮かびまくっていたことを思い出す。短い人生、胴上げされる機会なんてそうそう無いだろうから、貴重な経験だったと思えばまあそれはそうだ。ちょっと恥ずかしかったので、次の年からは遠慮させてもらったけども。
そんな訳で、今日もみんな、誕生祭に向けて準備をしてくれていたのだが。まさかこんなことになるなんて。
せっかく初夏の気温に体が慣れてきたのに、寒くて部屋から一歩も出たくない気持ちばかり大きくなって、どんどん気分が塞いでいく。
こういう時、人間って弱いなあ、と思う。たかが天気ごときに体調を振り回されて、毎年飽きもせず、寒くなればずーんと落ち込んで。おまけに今日は、やっと過ごしやすい陽気になったかと思ったらこの雪景色だ。どんどん白一色に染まっていく外の景色を、見るだけでも億劫になる。
大窓が目に入らないよう、ふいっと大袈裟に目を逸らす。そうして特大のため息が出そうになった時、にっかりさんが部屋に戻ってきた。

「やあ、おまたせ」

彼はお盆を手にしていて、その上には急須と、湯呑みがふたつ。
それから何やら可愛らしい梅模様の、小さく丸い箱がひとつ。

「さ、このアツアツなので身体を温めないとね。……お茶のことだよ?」
「はいはい、ありがと」

箱の存在が気になりすぎて、にっかりさんがお盆を机上に置く時も、お茶を淹れてくれている最中も、ずっとそれを眺めてしまう。
あのかわいい箱、多分お菓子だろうなあ。お茶菓子も一緒に持ってきてくれたんだ。
厨にあるお菓子置き場にも無かったから、いま初めて見るお菓子だ。ピンクや白の梅模様が散りばめられた箱は、とっておいて後で何かに使えそう。例えば小物入れとか。あとでもらってもいいのかな。

「君、そんな舐めるような視線で……ふふ、欲しがりだねえ?」
「うっ、バレた」
「バレるさ」

とっても熱っぽい視線だったからねえ? と妖しく笑うにっかりさんは、その箱を手に取り、私に差し出した。

「はい、どうぞ。開けていいよ」
「いいの? わーい!」

さっきまでの塞いだ気持ちはどこへやら、うきうきしながら受け取った箱のフタを持ち上げる。すぽん、とフタが抜けた、その箱の中には、きらきら光る宝石のようなものがたくさん詰まっていた。

「わ、すごい! 琥珀糖だ……!」

食べられる宝石、なんて言われている琥珀糖。
本物の石のような形に、優しい透明感のある色。桃色、黄色、水色、黄緑色、薄紫色、たくさんの色が箱の中できらきらしている。

「綺麗だよねぇ、これ」
「うん、すごく!」

宝物のようなお菓子を前にして、私は声が元気に跳ねるのを抑えることすらできなくなった。
桃色の琥珀糖を一つ、手に取ってみる。大窓のほうに透かしてみると、指先でつまんだ琥珀糖の中で、一面の銀世界が反射する光が踊った。まるで本物の石、ローズクォーツみたいだ。

「うんうん、ほんのりピンクに透けているのがたまらないねぇ?」
「いやもう、言い方」

光に透かした琥珀糖を、一緒に覗き込むにっかりさんにツッコミながら、私はふと疑問に思った。
これ、にっかりさんが自分用に買ったものなのだろうか。本丸共用のお菓子置き場に無かったということは、きっとそうだ。それをわざわざ、ぐちぐちと不安がる私のために持ってきてくれたんじゃ。あれ、それ、主としてダメなやつじゃ。
なんてことをぐるぐる考えていると、にっかりさんに「主」と呼びかけられて、はっと我に返った。

「ねえ主、このお菓子のことなんだけど」
「う、うん」
「これ、みんなには内緒にしてほしいんだ」
「あ、やっぱりコレにっかりさんが自分用で買ったやつだった……?」
「ああ、いや。違うんだよ」

そう言うと、にっかりさんにしては珍しく、ミョーに真面目な顔になった。少し視線を外して、どこか言いにくいことを言うかのように言葉を続ける。

「これは、君への贈り物」
「え?」
「実は、同室の物吉くんと一緒に連名で用意したプレゼントが別にあってね。コレは僕ひとりからのサプライズなんだ」

なんと、びっくり。これは私への個人的なプレゼントだったということみたいだ。

にっかりさんは、私が審神者になって間もない頃に顕現した刀剣男士で、長い時間を共に過ごしてきた。時々ヘンな言い回しはすれど頼りになる、それこそお兄ちゃんのような存在だった。何かと気にかけてくれるし、困った時は惜しまず力を貸してくれた。
だけど、思えば誕生日に個人的なプレゼントを贈られるのは初めてのことだ。みんな、初めの年こそ一人ずつプレゼントを用意してくれたのだが、いかんせんモノが本丸に増えすぎてしまうので、次の年から複数人でプレゼントを用意することが決まった。
なのだが、にっかりさんは今日、その決まりごとを飛び越えた。
その真意は分からないけれど、本丸運営間もない頃から一緒にいるにっかりさんなりの、私への思いやりなのかもしれない。

「だから、これは主と僕のヒミツにしてくれないかい?」

まっすぐ立てた人差し指を口元に当て、にっかりさんはゆるやかに口角を上げる。その顔が、ほんの少しだけ赤く染まって見えるのが、なんだか可愛いと思った。

「分かった、約束」

こっくりと、深く頷く。
こっそり用意した贈り物、二人だけの秘密。にっかりさん、ちょっと照れくさいのかな。顔が赤くなった理由は、そこにあるのかもしれない。
あのにっかりさんが、こんな可愛げがあることするんだなぁと思うと、顔が自然とにやけそうになった。

「二人でお茶飲む時、こっそり一緒に食べようよ」

にっかりさんの顔を覗き込むように、いたずらっぽく言えば、彼は少しだけ目を見開いて、それから口元に手を当て「ふふ」と、耳をくすぐるような微かな笑い声を上げた。

「誕生日おめでとう、主」
「うん、ありがとう」

誕生日に起きた予想外の出来事に、嫌な気持ちにはなったけれど、今はそんなのどこへやら。すっかり明るい気持ちになれた。
真っ白な景色と色とりどりの琥珀糖、いつもより照れ屋なにっかりさん。
そのどれもが、今は誕生日の贈り物のように思えてならなかった。