※ヒスイ地方、恋愛要素なし



コトブキムラのはずれにある砂浜は南西に面していて、夕暮れ時には燃え上がるような夕日がつめたい海に溶けていくのが見える。
頭上に広がる空の半分を、藍色の夜空が覆い隠すのを合図にして、私の特訓は終わるのだ。

「なまえさまは、ビードルがコクーンに、コクーンがスピアーに進化しても『いとをはく』を忘れさせませんね」

どうしてですか? と師匠であるノボリさんは、そばにあった大きな流木に腰を下ろしながら私に尋ねた。
私はギンガ団医療隊に所属していながら、こっそりノボリさんに師事してポケモンを戦わせる特訓をしている。親からポケモン勝負は危険だから止めるよう言われているので、人目につかないこの場所で特訓してもらっているのだ。
とはいえ特訓を申し出たのは、医療隊から警備隊に移籍したいわけでは決してなく、医療隊として、より多くの人を、ポケモンを助けたいと思ったからだった。
この砂浜に、異界からやってきた子どもであるテルくんが降り立って以後、調査隊の活動がより一層盛んになり、怪我人や要救護者の数も激増した。もはや警備隊の力だけでは事足りず、加えて現場で緊急の処置が必要になるほどの事故も増えた。
となれば、当然医療隊が現場に出向くことになる。
私は遠く東の地方からヒスイにやってきて1年足らずのヒヨッコで、いつも警備隊に守られながら息も絶え絶えに現場へ向かっていた。

広野に潜む野生のポケモンは怖かった。
初めて現場へ急行した時は、肩に乗せたビードルと共に震えながら、警備隊の影に隠れるばかりだった。野生のポケモンたちが、自分たちの住処に立ち入った人間を退けようと興奮した様子で技を繰り出してくるのが、怖くて怖くてたまらなかった。現場に着く頃には、戦う力のない医療隊員たちは大半が半べそ状態になっている、そんな始末だった。
おっかなびっくり、腰が引けた隊員が現場に急いでも、手遅れになることは少なくなかった。
処置が遅くなったせいで腕が動かなくなった人がいた。崖から落ちた人を守ろうとして戦い続け、息絶えたポケモンがいた。
医療隊として、そういう喪失を目の当たりにした経験一つひとつが積み重なって、私は戦う術を得るという目標を見つけたのだ。

「ビードルの……というか、スピアーの吐く糸って、骨を折ってしまった時に患部を固定する包帯代わりになるんです。むしろ、包帯よりもしっかり支えられるくらいで」
「なるほど、それは大変素晴らしいですね」

ノボリさんの明るい声に返した「はい」という返事が、誇らしげに跳ねてしまったのが少しだけ恥ずかしい。でも、私もスピアーの持つ力を素晴らしいものだと思っている。
細やかな羽音を立てながら嬉しそうに飛び回るスピアーの姿を目線で追いながら、私もノボリさんの隣に腰掛けた。

「その力で、たくさんの人を助けてくれました」

ヒスイに来る前も、私は医者である両親の手伝いをしていて、ビードルとはその時に出会った。
美しい森がそばにある町で、森から町に迷い込んだビードルと仲良くなったのだ。それ以来、私はビードルと友達として、仕事仲間として、ずっと一緒に過ごしてきた。

ポケモンの持つ力は、神秘的であると同時に科学、遠い地方の言葉で言うなら『サイエンス』の力でもあるように思う。何故なら彼らも、私たちと等しく『生物』だからだ。
彼らの神秘とは、あくまでも『生命の神秘』である。むしポケモンは、進化する時に身を守るための堅固なさなぎとなるものが多く、その殻は自らの吐く糸で作られている。その力を借りて、医療に活かしているのが私たちの現状だ。
彼らも私たちも、同じ生き物であり、隣人なのではないか。
ギンガ団として、調査隊の仕事をそばで見ていくうち、より強くそう思うようになった。

「だから、私は……ポケモン勝負はもちろん強くなりたいんですけど、スピアーにも、医療隊である私の誇りというか……意地、というか、そういうものを持ち続けてほしくて」

これは、とても個人的な我儘だと分かっていながら、人を、ポケモンを救う医療隊としての意地を、どうしても無くしてしまいたくなかった。
ビードルがコクーンに姿を変えた時、コクーンは丸々とした動きにくい姿になってなお、私の気持ちに応えるように『いとをはく』ことを忘れなかった。それは、コクーンがスピアーになった後も。
親や仲間からは、しばらくはスピアーを連れて歩くことを禁じられ、モンスターボールに入れるよう言われていた。巨大な針を2つも持つスピアーの見た目は、人を不安にさせる。医療隊たる者が、人を怯えさせるなんてもってのほかだと、親からはキツく言って聞かされた。
でもスピアーは、ボールの中で、私とずっと一緒にいた。たくさんの命を救いたいと願う私のそばで、私の身に危険が迫れば、私を助けてくれた。
だからこそ、私はスピアーと一緒に、誰にも負けない強さで危機を退け、誰にも負けない優しさで人を助ける、そんな強い医療隊員を目指したいのだ。

「あっ、でも!」

隣で静かに話を聞いてくれていたノボリさんの顔を慌てて振り仰ぐと、ノボリさんは驚いたように目を瞬かせた。

「もちろん、他に強い技を覚えさせるべきだと師匠がおっしゃるなら! ちゃんと考えますから!」

握り拳を作って意気込みながら、慌ててそう付け加えた。
ノボリさんを師とした日から、私たちは着実に力をつけてきた。それだけ、師匠のポケモン勝負の腕は優れているということだ。だとすれば、ノボリさんの言うことを素直に聞いたほうが良いに決まっている。いま語ったものは、あくまでも私の理想論でしかないのだと、あわあわ焦りながらそう伝えた。

「なるほど……」

ノボリさんは、顎に蓄えた髭を人差し指の背で撫でながら少し考え込み、しかしすぐに穏やかな顔をこちらに向けた。

「いえ、確かにわたくしは、せっかく攻撃力の高いスピアーに進化したのですから、技構成を変更しても良いのではないかと考えておりました」
「や、やっぱりそうですよね……」
「ああ、いえ。違うのです。今のなまえさまのお話を伺って、なまえさまとスピアーの夢を尊重したい、と思い直したのです」

ノボリさんは優しい声で言いながら、ふ、と目元を和らげた。

「バトルにおける強さはもちろん、守るための、救うための強さを、あなたさまは求めていらっしゃる。そしてスピアーもまた、そういうあなたさまの思いに応えんとしている。だからこそ、あなたさまの意志を受け取り、いとをはくを忘れない。大変ブラボーな関係性でございます!」

落ち着いた雰囲気に反して、ノボリさんは語尾を元気に跳ねさせた。
スピアーとの仲を師匠に褒めてもらえたのが嬉しくて、でも少し照れ臭くて。照れ隠しでもするみたいに、頭の後ろに手をやった。

「しかし、なまえさまがこれから歩む道は、生半可なものではございませんよ」

戒めるような言葉を使ったノボリさんの、落ち着いた声は柔らかく、けれど低く厚く、聞くと自然に背筋が伸びた。

「誇りを捨てずに生きていくのは、おそらく……決して容易なことではございません」

ノボリさんは、ぼろぼろになった上着の襟を正しながら、目を伏せた。

「あなたさまにとって、ポケモン勝負における勝利とはあくまで通過点。目的地は、あくまでもその先にある救済でございます」

ノボリさんは、おもむろに視線を上げ、そうして再び、晴れやかな顔をこちらに向けて、口の端をほんの少しだけ上げた。

「何かを救うためにバトルという手段を選ばれたなまえさまは大変に勇敢、スーパーブラボーでございます! ですから、わたくしはあなたさまが夢に向かって全速前進できるよう、導きたいと思います!」

ノボリさんの頼もしい言葉に、勢い込んで「はい!」と強く頷く。
ノボリさんは、とても強い人だ。ポケモン勝負の腕前はもちろん、記憶を無くしながら、それでもこの地で生きていく力を自分で得て、「この地方にポケモン勝負を広める」という目標を見つけた、すごい人。
私も、こんな風になりたいと思った。強くて、優しくて、かっこよくて。
ノボリさんが師匠になってくれたことに、今更ながら胸が震える思いがした。

「さて、ではもう一戦しましょうか」
「えっ! まだお付き合い頂けるんですか?」
「言ったではございませんか、生半可な道ではないと」

勝負を前にしたノボリさんの楽しげな表情に、深く被った帽子の影が落ちる。
今まさに、夕日は海の果てに沈もうとしていた。もうすぐ、完全なる夜が訪れてしまう。
でもこれは、夜に戦わなくてはならなくなった時の演習として、むしろ良い機会だ。

「スピアー、やれる?」

のんびりと海を見つめていたスピアーに向かって声をかけると、スピアーは嬉しそうに私の元へ戻ってきた。
この子は負けん気があって、根性もある。私はこの子の、そういうところが大好きだ。

「では……フーディン、出発進行!」
「スピアー、お願い!」

位置についたノボリさんが放ったボールから、エスパータイプのフーディンが飛び出てくる。私の声に応えるように、スピアーはノボリさんのフーディンに立ち向かう。

透き通るような夜の闇の中、灰色に光るノボリさんの目が月のようだった。
あの光に向かって歩みを止めなければ、私たちはきっと、もっと強くなれるのだろう。