ヒュウ、とキンキンに冷えた風の音が耳を掠めていく。
目の前で煮え立つ熱湯の中に固い麺が投入され、ぼこんぼこんと湧き上がっていた大きな気泡はその勢いを少しだけ落ち着かせた。
小鍋の中で湯に踊らされている麺を見下ろしながら、シンジは眉間に皺を寄せ、いかにも不機嫌そうな顔で口を開く。

「なんでここにお前がいる」
「なんでってこともないけど。ただ懸賞でインスタントラーメンコトブキみそ味が大量に当たっちゃったから、どこかで飯も食わず水も飲まずバトルに勤しむシンジにおすそ分けしてやろうと思って」
「水くらい飲んでる。あと何なんだその上から目線」
「ダメだよー、ちゃんとご飯食べなきゃ」
「余計なお世話だ」

なまえは、ため息まじりなシンジの言葉など意に介さず、沈みかけた麺を掬うようにして、菜箸で鍋の中をかき混ぜた。
なぜ自分はこいつと、森の中で、ラーメンを食べなければならないのか。
別にラーメンが嫌なわけでもなまえが鬱陶しいわけでも……いや少し鬱陶しい。しかし、懸賞で当たったからといって、わざわざトバリから遠く離れたこのテンガン山の麓にある森の奥深くまで、インスタント麺を持ってのこのこやってくるのが、シンジには解せなかった。

兄貴になら別に構わないだろう、と何の疑いもなく自分の居場所を吐いたのが全ての始まりである。電話口で一瞬聞こえたような気がした女の声は、テレビのものでも誰のものでもない、こいつのものだったらしい。
そんな具合で自分の居所を突き止めたこいつは、兄貴から借りたのであろうムクホークの背に乗って、はるばるこんな辺鄙なところまでやってきたのだ。しかもラーメンを食う、いや、自分に食わせるためだけに。

「3分で美味しいラーメンが食べられるのは、コレはもう文明の発展に手を合わせるしかないね」
「知るか」
「相変わらずつれないなぁ〜。あ、餃子ないから? 餃子ないから機嫌悪いの?」
「別にいらん…」
「あれ、シンジ餃子好きじゃなかったっけ? いつもレイジさんが餃子作ってると嬉しそうにしてたじゃん」
「勝手に記憶をねつ造するな」
「まあね、ラーメンといったら餃子だもんね」

鍋を温めるバーナーの青白い炎が、風に煽られて小さく揺れた。
会話が成立しない。
ベラベラ話しながらヘラヘラするなまえに、シンジは痛くなってきた頭を抑える。

「本当にお前、何で来たんだ……」
「だからシンジにラーメン食べさせてあげようと思ってね」
「それだけでこんなところまで来ないだろ普通は」

言ったものの、目の前の女に普通が通用しないことを思い出して、自分の発言の無意味さに、また頭を抱えたくなった。なまえの横で、目の前のポケモンフーズに手をつけず戸惑っているムクホークにも思わず同情の視線を向ける。

「じゃあ言うけど」
「は?」
「シンジに会いに来たんだよ」

なまえがいつのまにか設定していたらしいタイマーが鳴り響いて、どういうことだ、と問う言葉を思わず飲み込んだ。

「さてさて、ここからですよシンジくん」
「は?」
「さぁこちらにございますコーンの缶詰を開けてください」

何で俺が、と反抗する間もなく右手に缶切り、左手に缶詰を渡されて、なまえはというと、さらに何かを取り出そうと、カバンの中を漁っている。
仕方なく、言われた通りに缶詰を開けた。何だかんだ言って、正直腹も減っている。開けた缶詰の隙間からほのかにコーンの甘い香りがしてきて、少しだけ食欲が刺激された。

「はい、このどんぶり持って」
「わざわざどんぶりまで持ってきたのか」
「どんぶり無くてどうやってラーメンを食べるの」
「いや……まぁ……」

いちいちツッコむのも時間の無駄になる気がして、余計なことは言うまいと決めたシンジは、開いたコーンの缶詰を地面に置き、なまえが差し出す真っ白いどんぶりを両手で受け取った。

「そのまま持ってて、今盛りつけるから」

菜箸を鍋に突っ込んで、茹だった太めのちぢれ麺をたっぷり掴み上げ、シンジの持つどんぶりの中にそれを盛り、自分の分も同様に盛りつける。麺を茹でた湯に味噌ラーメンスープの素を入れ、それをさらにどんぶりの中へ。

「よし、シンジ! さあ!」
「は?」
「コーン!」
「ああ」
「で、あとはバター!」
「バターまで持ってきたのか……」
「うん。あと茹でたモヤシ」
「はぁ」

準備の良すぎるなまえにもはや感心すらしながら適当な相槌をうち、シンジはそうして出来上がったコトブキ味噌ラーメンを改めて覗き見た。
山のようなモヤシとどっさり乗ったコーン、味噌の少し香ばしいような匂いと一緒に、スープに溶けたバターの香りが湯気と共に立ち昇ってくる。
こんな、ちゃんとした飯はいつぶりだろうか。インスタントラーメンを「ちゃんとした食事」と言えてしまうほど、近頃はロクなものを食べていなかった。空腹も菓子類で紛れさせていたし、それで構わないと思っていた。ゆっくり食べる暇があるなら、先に進みたいと、そう思っていたのだ。

「シンジは案外真面目だからさぁ」

すでにラーメンをすすり始めていたなまえが急に口を開いた。シンジは未だ手つかずのどんぶり片手に、目の前のなまえへ目を向けた。

「こうと決めたらまっしぐらだし、そういうとこ好きだけどね。でもやっぱり、ちゃんとご飯食べて元気にやっててほしいから」

言いたいだけ言って満足したのか、なまえは再び麺をすすり始めた。
かけられた言葉に何と返すべきか、言葉を探す時間稼ぎのように、箸で掬った麺を口元に運んだ。インスタントらしく、味の濃そうなのっぺりとした味噌の香りが鼻腔を通り抜けて、ちょっと噎せそうになる。麺は少し柔らかめで、ほとんど噛まずに飲み込めてしまえた。

湯気が視界を白く曇らせて、なまえとの間にちょっとした隔たりを作り、それに少しだけホッとした。
なまえが来てから、ずっとざわついていた内心に、シンジは改めて向き合う。
この女が来て、自分はどう思っただろうか。やかましくて、人と口をきいたのは久しぶりで、けれど不思議とそれが嫌ではなかった。何しに来たんだと頭を抱えて、かと思えば、そうだ。自分に会いに来たなどとのたまう。それも嫌ではない。
相対的に、ひょっとして、まさかとは思うが、自分は案外この女のことが嫌いではないのではないか?

「シンジ、ラーメンどう? 美味しい?」

あまり気付きたくない答えにたどり着いた瞬間、こちらが口を開くより先になまえが口を開いた。

「……まずい」
「えっ!嘘でしょ!?」
「いや……ラーメンはまあまあ美味い」
「え、何それ……じゃあ何がまずいの……」

眉間に皺を寄せながら、しかし麺をすすることをやめないなまえと、自分のまずい感情に気付き始めたことをなかったことにするように塩っけの強いスープをすするシンジ。
こういった類いの気持ちは、二人してずるずると音を立てながらラーメンを食べる、こんな空間で言えたもんでは無いということだけは、シンジにも何となく分かっていた。
麺を一回すすり終えるたびに「何がまずいの?」と聞いてくるなまえは鬱陶しいが、やっぱり嫌ではないと思う。
知らん、と濁し続けるこの口がいつか素直になれたなら、その時は言ってやらんこともない。


request by はる様(ダイパ・シンジでほのぼの)