幸運不運悪運等々、運の形は数あれど、不運にばかり見舞われてきた私にもたった一つだけ幸運だと言えることがあった。

善法寺伊作と丸五年、一切関わりがなかったことだ。



運が無い。
そういう星のもとに生まれたのだと、親にすら嘆かれた。

肉野菜炒めに肉が入っていないことはザラにある。
毎日きちんと洗っていたはずの竹筒に一夜にして虫が巣食っていることもままある。
外に飯を食いに出れば、焼き魚がやたら焦げている、塩がききすぎて塩っ辛い時もある。まぁご飯のお供にはちょうどいいかと思ってみれば、白飯の上に虫が這っている。
絶望感のどん底に落っこちそうなギリギリのところを踏みとどまりながら帰路へつこうとすれば、必ずと言っていいほどの確率で雨が降り出し、びしょ濡れで学園へ戻ればどこぞの綾部が掘ったであろう落とし穴にハマり、ドロドロのボロボロになる。
なるほど確かに、生まれた時から決まっている運命だったのかもしれない。
運というものが生まれた時点で決まるというのは、妙に納得させられた。

思えば城に仕えていた一端の武士である父上は私に優しくはしてくれたが、私をある一部屋から出そうとしなかった。ちょっと歩けばけっつまずいて怪我をするような、そんな、運に見放された私が、屋敷内をうろうろと歩き回るのを良しとしなかったからだ。
そういうわけで、食事や湯浴み以外で私が部屋から出ることを快く思っていなかった父上は、私が齢十になるや、すぐに忍術学園に入学させた。
追い出されたとは思っていない。
厄介払いされたとも感じていない。
周りの人間はみな、不運な私に毎度手を伸べてくれたし、今でも家に帰りはせずとも文は欠かさず書いているし、向こうから私を案じているような文面が返ってくる。
要は、そういう星のもとに生まれてしまった子どもを、どう扱ったら良いのか分からなかったのだと、そう思っている。
だいたい当の本人である私自身がどうしたらいいのか分からないのだから、他人に分かるはずもない。
武士の子らしく潔い、そう。もう、諦めの境地に至ってしまったのである。

諦めたものの悪運は強いのか、どっこい何とか生きている私は、案外強かにやれている。
学園で学んで、それなりに自分の身を守るすべを身につけてきた。

何より、最高学年である六年生になるまで不運大魔王、もとい善法寺伊作と関わりがなかったことは本当に幸運だったのだ。
入学して間もなくからすでに不運な子として名高かった善法寺伊作という子どもに近寄らないよう、姿を見れば踵を返し、保健委員のお世話にならないよう、大きな怪我はしないよう努めた。不運なことに怪我を負っても、幸運なことに校医の新野先生に診てもらえたり、下級生の何反田何某くんが診てくれたり。
ひょっとしたら、善法寺伊作とやらのほうも私を避けていたのかもしれない。同じく不運なくのたまの噂は、忍たまたちにもまあまあ広がっているらしいし、不運と不運がぶつかり合って起きる化学反応なんて知れたこと、倍になるに決まっている。
互いに互いを上手く避けて歩けていた、はずだったのだ。

だというのに。

「あの、もうそろそろ顔を上げてもらえないかな……」

医務室の片隅で、抱えた膝の中に顔を埋めたまま動かない私に向けて、善法寺は弱々しく声をかけ続けている。

「みょうじさんが落ち込むのも分かるよ、でも仕方ないよ。先生が決めたことなんだから」
「……」
「僕も参ったよ、女装での課題なんて。みょうじさんも大変だよね、男装なんてさ。着る服が違うだけでなんだか気疲れしちゃうし」
「違うそこじゃない」

ツッコミつつ顔を上げ、声のするほうへ睨みをきかせた。
他人事のように呑気な話し口の善法寺は、何やら黒っぽい液体が入った鍋を箸でぐるぐる混ぜている。さっきから鼻の奥がひんやりするような妙な匂いが漂ってきていたが、その正体は善法寺が煎じている薬だったらしい。
こんな時によくもまぁ落ち着いて薬なんか作っていられるもんだ。



六年生に進級した数少ないくのたまたちに課せられた、最初の試験は「忍たまと協力して、それぞれに与えられた課題をクリアすること」だった。
忍たまとの協力に関しては、プロになった後、おそらく必要不可欠になるであろう異性の忍びとの連携の取り方を学ぶためだ。この業界に限ったことではないが、忍びとして活躍しているのは圧倒的に男が多い。プロを目指すなら、彼らと上手く協力できるコミュニケーション能力は、必ず役に立つだろう。
その課題の必修がくのたまの男装、及び忍たまの女装なのだ。これもまぁ、プロとして生きていく上で役に立つ日が来るだろうし、特別嫌でも何でもない。

しかし、だ。

「何であんたと……」
「仕方ないよ、先生が決めたことなんだから……あれ、これ言うの二回目だな」

そう、その課題をこなすためのペアを先生が勝手に決めてしまったのだ。
よりによって、不運に不運を上塗りするような二人を組ませたのだ、先生方は。組まされたこっちとしては、もはや鬼畜の所業としか思えない。

「先生たちだって、善法寺や私の不運っぷりを知ってるはずなのにさぁ。何でよ、おかしいでしょ」
「まぁね、どういう意図があるのかは分からないけど……」
「でしょ? 何か理由でもあるなら教えてもらえれば、こっちだってまだ納得して課題に挑めるのに」
「まぁね。でもさ、とにかく作戦立てない? ちゃんと備えないと、それこそ目も当てられないことになりそうだし」

善法寺の声色は、課題のコンビを先生に聞かされあまりの衝撃にひっくり返った拍子に柱に頭を打った私が医務室に来てから、ずっと変わらず妙に明るい。私なんて、この不運を嘆かずにいられず本人を前にしてなお落ち込み続けていたというのに。
善法寺は、不運ではあるが、それはそれとして性根はいい奴なのだろうか? 噂に聞く善法寺伊作は、不運、とにかく不運、重ねてめちゃくちゃ不運ということばかりで、彼の本質、中身についてはほとんど知らなかった。

「ひょっとしたら、僕らは案外いいコンビかもしれないよ? ホラ、薬もいい感じに仕上がってきた」

ほらほら、と善法寺に手招きされて、その手元にしぶしぶ視線を落とすと、黒っぽい色だったそれは緑がかった藻っぽいものに変化していた。これがいい感じに仕上がっているのか私にはよく分からないが、善法寺が言うならまぁそうなのだろう。別に薬がうまく出来ようが、私には関係ないのだけど。
でも、噂に聞くだけの曖昧な善法寺よりは、目の前にいる、危機感なく鼻唄なんか歌っている善法寺のほうが好きになれそうな予感は、なんとなくしている。



「わぁ、みょうじさんかっこいいなぁ」
「善法寺もかわ……いやわりとゴツいかも」
「え、そーお?」

試験当日、先生に指定された待機場、裏山の麓にやってきたが、善法寺は私よりも先に来ていたらしい。
麻で出来た軽い素材の山袴という実に動きやすい格好の私とは対照的に、善法寺は私が休みの日に着ているような小袖姿。薄紅色の小袖を着こなす姿は遠目には可愛らしく見えたが、近づいてみると裾から覗くくるぶしが骨太なあたりとか、顎の下から伸びる首の筋とかが男性的だ。

「化粧はすごい綺麗だけど」
「あ、やっぱり? 仙蔵に教わったからね」
「あー、立花か……」
「仙蔵は、もうこの試験終えた後だったから、ちょっと協力してもらったんだ。僕らも頑張らないとね」

試験は、ペアそれぞれで日程をずらして行われている。採点をする先生の手が足りない、というのもあるが、ペアごとに与えられる課題も違うから、準備も手間がかかるのだ。
また、どのペアも女装と男装は必修だったらしい。慣れない服装に慣れることも、姿を一つに定めない忍びには必要なことだからだろう。
同級生の中には、課題の内容が「町でただひたすらに夫婦のフリをし続ける」という軽く地獄みたいなものもあったりした。その相手が女装した潮江ときたもんだから、笑いを通り越して思わず南無三、と合掌してしまった。
そんなトンデモ課題に当たらなくて良かった、と思うと同時に、いつもだったらそんな不運課題、私に回ってきてもおかしくないのに、とも思った。というか実際同級生にも言われたし理不尽に頭を小突き回された。
と、いうことは、だ。
私たちにはそれを上回る残酷な課題が下される可能性が高い。
思い当たって、意図せず震えが身体中に走った。

「課題はここに来てから与えられるって言ってたけど……っと」

善法寺は、背後の草陰から鋭く投げつけられた何かを、容易く左手で捕まえた。

「なに、紙?」
「うん、何か書いてある」
「課題かな」
「そうだね……ちょっと待って、今開けるから」

重石が仕込まれた課題用紙を開こうとする善法寺の手元を見ながら、はっとした。
これ、何かしらの不運で課題が読めなくなったりしないよね?
紙を開いた拍子に土砂降りになって字が滲んだり、風が紙を攫っていっちゃったり。もしくは、善法寺が紙で手を切ったり。

「ぜ、善法寺。慎重に、慎重にね」
「え? あ、うん」
「天気はさすがにどうにもならないけど……急に強い風が吹くかもしれないし、あ、あと善法寺、手ぇ切らないように」
「あはは、大丈夫だよ」

呑気に笑う善法寺は、私の心配をよそに、課題が書かれているであろう紙の端と端をつまんで、軽く皺を伸ばしてからヒラリと広げて見せた。

「ホラ開いた」

人差し指と親指でつままれた紙は、何事もなく無事だ。急に嵐になるでもなく、善法寺が手に怪我をするでもなく、穏やかな風に紙が揺れるばかりだ。

「裏山を登りきれ、だってさ。随分とシンプルだね」
「え? ああ、そうだね……」
「まぁ多分、罠がわんさか仕掛けられてるんだろうけどさ」

善法寺は、私が懸念していることをまったく気にせず、課題の書かれた紙を意味もなくヒラヒラさせている。
不運が倍になれば、すぐにでもその影響が出ると思っていたのだが、善法寺はそうは思わなかったのだろうか。

「じゃ、行こうか」
「うーん……」
「ん? どうかした?」
「いや、何でもないけど……」
「あ、そうだ。僕……じゃないや、今は私のことはイサコって呼んでね」
「うわっ……うん、分かった」
「うわって君……。みょうじさんのことは? 何て呼べばいい?」
「うーん、みょうじ殿とかでいいんじゃない? 何? 善法寺、意外とノリノリなの?」
「だって、課題なんだもん」

心なしか、だもん、という言い方が可愛らしく跳ねているような気がしたが、本当にコイツノリノリなんじゃないか。
なんでかゴキゲンな善法寺を見ていたら、一気に肩の力が抜けていった。いちいち不運を気にするのが馬鹿らしくなったのだ。
無駄な力が抜け、自然体になった分、慣れない服を纏った体が随分と軽くなったような気がした。

「よし、じゃあ」

善法寺、もといイサコちゃんに向けて笑いかけると、彼、もとい彼女も、きゅっと口角を上げた。

「いざ」

広げた両の手のひらを、思い切り叩く。
それを合図に、私たち不運コンビは裏山登山をスタートした。



「な、なんか全然……!!」

切れた息を軽く整えつつ、頂上の澄み切った空気を深く吸い込めば、喉の奥を心地よく冷やしてくれる。自分たちがたった今来た道を振り返ってみれば、長年に渡り忍術学園の生徒たちに踏み固められた土色の道が続くばかりで、特別なものは何一つない。

「本当、全然何も起きなかった……」
「ただ全力疾走しただけだったんだけど……」

隣のイサコちゃんと、思わず顔を見合わせた。

勢いよく走り出した私たちは、いつどこに罠があるか、何が飛び出してくるか、全神経を研ぎ澄ませながら走り続けた。地面にばかり気を取られないよう、視界を常に広くし、目鼻だけでなく肌で感じる空気まで読み、ひたすらに地面を蹴った。
そうしているうちに、気づけば視界が大きく開けて、頂上に着いてしまっていた。

裏山を、全力で走って登ったことがある。
直近では一週間は前になるだろうか、確か進級前の休みを挟んで鈍りかけた体力を再び呼び戻そうとしたんだっけ。やっぱり少し体が重く感じて、スピードもあまり思うようじゃなかった。
この時より、下手したら今回の方が早かったんじゃないだろうか。

呆気に取られる私たちの前に、木の陰から音も無く現れた担当の先生まで私たちと同じ顔をしている。忍のプロでもあるはずの先生すらポカンと口を開けているのだから、きっと何か想定外のことがあったのだろう。
聞けば「仕掛けたはずの罠がまったく作動しなかった」「気候の変わりやすい山に不運な二人が来たら天候は大荒れになるだろうから、それを乗り越えるのも込みで課題にしようと考えていた」らしかった。まぁ、普通に考えれば私たち不運コンビは存在自体が天然の罠みたいなもんだし、それを超えていく力は、確かにこれから必要になるだろう。先生はそういうことも考えた上で、この課題を私たちに課したのだろうが、何でかその思惑は180度裏切られてしまったのだ。

「なんか、すみません……」
「いや、こちらこそ、やりがいのない課題になってしまって……」
「これ、課題やり直しってことには、ならないんですかね…?」
「ああ、いや。罠はまぁ、きっとあなたたちの力で越えてきたんでしょうから、当然クリアということで……」

言いながらなおも首を捻る先生をよそに、すっかり息を整えた善法寺が私のそばへ寄ってきた。何だ何だと思っていると、耳を貸せとでも言うように口元に手をやり、ちょいちょい手招きをしている。女の子の格好でその仕草はちょっと可愛いぞと思いつつ、少し乱れた髪を耳にかけ、善法寺の口元に耳を寄せた。

「僕、実はみょうじさんとなら不運が起きないかもって思ってたんだ」
「え、何それ?」
「僕、初めて学園に来た時、さっそく学園の門の前でずっこけて這いつくばってたんだよね」
「ふ、不運あるある……」
「そうそう。で、そんな僕に手を差し伸べてくれた女の子がいたんだけど、それが多分きみだったんだ」

善法寺の、まるで寝物語でも紡ぐみたいな声が、鼓膜を揺らし、さらにその奥にある脳みそ、記憶の引き出しをカタカタと揺らす。

そういえば、私は学園に来てすぐ、門の前で転げている小さな男の子に手を伸べた。
それはいつも、すっ転がった自分がされるのと同じように振る舞っただけ。ただ、それだった。だからいちいち覚えていなかったのだと思うが、まさか、あれが善法寺だったとは。
思い返してみれば、不運に見舞われても支えてくれる手があったことは幸福なことだったのだ。私には人の倍、いやそれ以上の不運が降りかかってくるけど、だからこそ人に手を差し伸べることを覚えられたのだろう。

「思い出した、善法寺!」

思わず善法寺に向き直り、両の手をがっしり掴んだ。

「私も思い出したよ!」
「やっぱり忘れてたかぁ」
「ご、ごめん」
「ううん。あの時さ、学園に来るまでの間、不運ばっかりで、もう死ぬかもって思ったんだけど、みょうじさんが差し出してくれた手をさ」

私が無遠慮に掴んだ手を、善法寺は軽く解く。それから改めて、私の手を柔らかく包んだ。

「こう、握った時にね、ああ生きてるなって。生きてて良かったって思ったんだよね」
「そっか、だから……」

だから善法寺は、ずっと落ち着いていたんだ。私とペアになった時も、これから課題に挑もうって時も。
だというのに私は、課題が決まるより、はるか前。善法寺伊作という子どもは不運な子だという噂を耳にした時から、彼を避けていた。
避けるのが、お互いのためになると思っていた。だからこそとはいえ、なんだかバツが悪くて、視線を地面に落とす。
そんな私の視線を掬い上げるみたいに、善法寺は少し体を屈めて目を合わせ、小さい子にするみたいに目元を下げてみせた。

「だから今度は、僕がみょうじさんを守らなきゃって、そう思ってたんだ」

少し化粧が崩れているけど、素から綺麗な顔がやたらと晴れやかな笑顔を見せるものだから、なんだかちょっとだけ恥ずかしい。

「そんな風に思ってたのに、こんなに何も起こらないなんて、何か理由があるんでしょうか?」

手を繋いだまま、す、と背筋を伸ばした善法寺は、何だか雲行きというか色合いのおかしくなった私たちの空気感に、気まずそうに頭を抱えていた先生のほうへ顔を向けた。

「……不運が不運を相殺した、とか?」

なんてね、と半ば投げやりに言った先生の言葉が、何でかストンと腑に落ちた。
不運×不運。マイナスとマイナスをかけ算すると、プラスになる。
なるほど。

「じゃあ、やっぱり僕らはいいコンビなのかもしれないってこと、かなぁ?」
「でも、まだ決まったわけじゃないしさ。ね、善法寺」

今まで善法寺を避けていた自分を恥じた。
けど、これから二人でいることで、善法寺と助け合えるなら。そして、善法寺をもっと知っていけたら。

「まずは今度、二人で出かけませんか?」
「うん、喜んで」

未だに触れられている手が熱くなる。
この手から伝わる体温と、「ありがとう」と目を細めて笑う、この優しい声を、今度はきっと忘れない。



request by 匿名様(rkrn・夢主は不運なくのたま、だけど善法寺といる時だけお互いに不運がおきない設定)