※学パロ

くすんだ藍色が一面広がる空に、金色に輝く稲妻が一筋、走っている。
そういう景色の器が今、私の目の前にある。



授業が終わったばかりの美術室に、かしょん、という小さく鈍い音が響いた。
間を置かずに、今度は悲鳴のような声が耳に飛び込んでくる。

「ひゃあ〜、ごめんなさぁい」

隣のクラス、2年B組の小松田秀作くんが、泣きそうな顔でこっちを見ていた。その足元には藍色のお皿、だったものが真っ二つに割れた姿で転がっていた。
ついさっき、選択美術の授業でお披露目したばかりの、私の作った皿だった。

「おわぁ……派手にやったなぁ」
「ご、ごめんみょうじさん〜……」
「いや、いいよ別に。小松田くん、怪我は?」
「ないよぉ、ごめん、本当に……」

しょんぼりと肩をすぼめながら割れた破片に手を伸ばす小松田くんを、慌てて制した。

「小松田くん、箒とちりとり持ってきてもらっていい? 破片散らばってるかもしれないから」
「は、はぁい!」

上ずった声を上げながら駆けていく背中を見送って、友達と一緒に慎重に欠片を拾った。
小松田くんとは、そこまで仲がいいわけではないけれど、とんでもなくおっちょこちょいだということは知っている。破片を拾ってもらっている時、怪我でもしたら大変だ。
小松田くんに、わざと人の皿を割るような悪意がないことも知っている。そんな小松田くんに怪我をされたら、何となく申し訳ない気持ちになりそうだとも思った。
割れちゃったもんは元に戻らないんだから、もう仕方ないだろう。
粉々ではなく、綺麗に割れてくれたのは運が良かったかもしれない。両手にすっぽりおさまる程度の平皿だったが、ものの見事に真っ二つだ。
ちょっとばかり衝撃だったけど、案外そこまでショックは受けていなかった。

うちの美術の先生は、焼物を専門に活動していた時期があるせいか、生徒にもその趣味を押しつけるきらいがあった。
土を捏ねて形を作って、わざわざ釉薬まで贅沢に使って色をつけて、となかなか本格的にやらせてもらえたのは結構面白かったと思う。焼きは先生が自分のうちの窯を使ってくれたらしい。みんな、いち生徒が作ったものとはとても思えないほどの仕上がりだった。
せっかくだから、しばらくは美術室に展示しておこう、ということになった、その授業が終わってすぐ、私の皿は割れた。
しかしまぁ、自分で作りたくて作ったわけでもないそれに、作る過程で愛着が湧かなかったわけではないが、焼いてくれたのは先生だし。そういうものに対してそこまでの執着はない。

だというのに、戻ってきた小松田くんは開口一番。

「みょうじさん、その器、ぼくに直させて!」

と、箒とちりとりを携え、目を大袈裟にきりっとさせ、息を切らしながら言った。

「え、いや直すって、どうやって?」
「実はぼくも、やり方はよくわかんないんだけど……」
「は?」

全くもって要領を得ない話に、思わず1文字でつっけんどんに返すと、小松田くんは人差し指の先をちょんちょんさせながら、唇をもにょもにょさせた。

「厳密にいうと、ぼくじゃなくてぼくのお兄ちゃんが直せるかもしれないから……」
「何、お兄さん魔法でも使えるの?」
「うん、そんな感じ」
「ええ……」

若干引いた感じでこめかみに汗を垂らしたが、小松田くんはそんなことお構いなしに、張り切ってスマホを取り出した。

「待ってねみょうじさん、お兄ちゃんにLINEして聞いてみるから!」
「ええ〜いいって、本当に……ねえ、遠慮とかじゃなくてね、本当にいいから。別に作りたくて作ったわけじゃないし、授業で作ったものにそんな愛着ないから。ねえ小松田くん聞いてる? ちょっと、何スタンプ送ってんの、ねえ」

ぽこん、という間の抜けた音が二回連続して鳴った小松田くんのスマホを覗き見ると、言ってるそばからすでにメッセージとスタンプがお兄さんに送られてしまっていた。

「小松田くん、私の話聞いてた?」
「でもぉ、直るかもしれないもの壊れたまま捨てちゃうの、悲しいし……」

それに、と言い足して、小松田くんは眉を綺麗なまでの八の字にした。

「僕、みょうじさんの作った器きれいだな〜って思いながら見てたから、もし直るならって思って……」
「はあ、それは……どうも」

自分で作ったものをそんな風に褒められたら、まあ悪い気はしない。照れ隠しで頭の後ろに手をやってみたが、いやしかし、それとこれとは話が別だ。

「でも、お兄さんに悪いし。お兄さんっていくつ? 忙しいんじゃない?」
「お兄ちゃんは19歳、今は大学通ってるよ」
「じゃあやっぱり悪いって。お兄さんだって暇じゃないでしょ?」
「うう〜ん……あ、返事きたぁ! いいって!」
「早!! 何、お兄さん暇なの!?」



てな具合のやりとりがあったのが一週間前。

今は昔、商人の町として栄えていたという古い通りを歩いて、ひとり小松田邸を目指していた。
何故一人なのかというと、皿を取りに行くと約束した今日、小松田くんの赤点補習が入ったからである。それに小松田くんが気づいたのが当日だったというヒドい展開に頭を抱えたくなったが、仕方ないので住所を教えてもらって、一人で向かうことにした。
小松田くんはギリギリまで「ぼくも一緒に行く」とゴネていたが、補習はちゃんと受けなさいと人差し指を突きつけて学校を出てきた。小松田秀作くん、変なところで義理堅い。

そうして一人で電車に乗り、来てみたはいいものの、景観が美しく整えられた町屋に、内心おっかなびっくりしていた。
小松田くんちへ続くらしいこの通りは、太陽の光を受けて輝く漆喰の白と、古い木の飴色、重厚感たっぷりな瓦の黒色、この三色でほぼ埋め尽くされていた。学校がある町中のような、原色溢れる看板一つ見当たらない。ほぼ観光地のようなもんじゃなかろうか。
この場所に、本当にあの小松田くんの家があるのだろうかと訝しんだが、スマホのナビが示す場所まではもう少しだった。
しかし、なるほど小松田くんの、あのホワホワっぷりは坊っちゃん故だったのかもしれない。
ほとんど選択美術の授業でしか会話はしないが、それだけでも分かる危なっかしさ。言い換えて、大らかさ。小松田くんのあの大らかさには、悪意がなく、代わりに変に擦れたところのない素直さがある。
あれがいいとこの坊っちゃん故の、また次男故の奔放さ、大らかさだったのなら頷ける気もする。

「あの、みょうじなまえさんですか?」

スマホの画面に表示されたナビにかじりついていたそばから唐突に名前を呼ばれて、頭のてっぺんから電流が走ったみたいに、びし、と背筋を伸ばした。

「へ、あ……小松田く……いや、小松田くんのお兄さん……?」

目の前に立つ男の人に、おそるおそる確認すれば「はい、秀作の兄の優作です」と笑顔で返された。
なるほど、顔立ちがよく似ている。声も少し似ているけど、お兄さんのほうが低く落ち着いた感じの話し方だ。

「みょうじさんが一人で来るって、秀作から連絡あったから。一応家の近くで待機しておこうかなと思って」
「わざわざそんな……ありがとうございます」

恐ろしく気がきく。
思わず深々と頭を下げると、お兄さんは「いえいえ」と物腰の柔らかい声で笑った。

「では、うちまでご案内します」

人の良さそうな笑顔を浮かべたまま歩き出したお兄さんのあとに続きながら、小松田くんより少し背の高い横顔を盗み見た。
本当によく似ている。輪郭や目の形なんか、ぱっと見でも分かるくらいに。
けど、当たり前だけど、お兄さんのほうが随分と大人びている。年は三つ違いと言っていたけど、もっと上なんじゃないかとも思える。

「秀作はテスト、赤点で補習だったんだって?」

急にこちらを向いたまん丸い目と目がかち合って、心臓が一瞬止まった。

「ごめんね、一人で歩かせちゃって」
「いえ、むしろこちらこそ、すみませんでした。皿の修理なんて……大変でしたよね?」
「ううん、最近ちょっとやってみたらハマっちゃって」
「さ、皿の修理に?」
「うん、金継ぎ」

にこり、と笑いかけられたその顔は、やっぱり小松田くんとよく似ていて、でも何となく落ち着かない気持ちになる。

「あ、ここです。ようこそ小松田屋へ」

ひえ、と口から情けない声が出そうになって、すんでのところでそれを堪えた。
時代劇のセットのような店構えの軒下には「小松田屋」と白抜きされた淡い黄緑色ののれんがかかっている。さりげなく小さな文字で「老舗五百年」と記すのも忘れていない。老舗五百年。そうそう聞かないパワーワードをあくまでさりげなく主張するのが、逆に何となくおっかない。

「小松田屋……て」
「扇子をね、昔から売ってるんです。もし良ければ見てやってくださいね。……あ、でもそれより先にお皿だよね」

まるで商人のような口ぶりから、人が入れ替わるみたいに「弟の友達」に向けた話し口になるのを、ポカンとしながら見ていることしか出来なかった。
細い路地から店の裏手に回ろうとするお兄さんの後ろにくっついて行きながら、何となく気になって声をかけた。

「お兄さん……は、お店を継がれるんですか?」
「うん、そのつもり。今はそのための勉強をしてるんだ」

その息抜きで色んな趣味見つけちゃうんだけどね〜タハハ、と小松田くんに似た笑い方をしたお兄さん。
だけど、この人と小松田くんとの決定的な違いにようやく気づいた。
この人には隙がない。小松田くんにあって、お兄さんにないもの。
それは多分、年上だからとか単純な理由じゃなくて、この人が根っからの商売人だからなのだろう。老舗店の長男として生きてきた人。
フツーの会社員を父に持つ私には、到底想像もつかない世界で、この人は生きてきたんだろう。



店の裏口からお宅にお邪魔すると、畳敷きの客間に通された。ゴツい形にゴツい鉄の装飾がついた和箪笥が並ぶ部屋で待っているよう言い残し、お兄さんはどこかへ行ってしまった。
きっちり正方形の座卓は、使い込まれてみえるが、それでもツヤツヤした質感が失われていなかった。出してもらった座布団も、煎餅になっていない、座り心地の良いものだった。
落ち着かない。
そわそわと辺りを見回すのも何となく恥ずかしくて、座卓にうっすらついた傷をぼんやり眺めた。
長く使えるものを、長く大切にする家なんだろうな、と思った。
小松田くんが言っていた、直るかもしれないものを壊れたまま捨てるのは悲しい、というのも、そういうことだったのだろう。

「お待たせ〜」

のんびりと語尾を伸ばしながら、お兄さんは、盆を持って戻ってきた。
卓上に置かれた湯呑みには、薄いけれど翡翠のように上品な色をしたお茶が入っている。湯呑みの下から覗く茶托も、桜の彫り物が施されていてとても可愛らしい。
そして、もうひとつ。
ことん、と静かに置かれた藍色の平皿には、何やら真っ白くて丸っこい、空に浮かぶ雲のような見た目のお菓子が2つ。

「どうぞ、召し上がれ」
「へ、いいんですか?」
「うん。お客さんにもらったお菓子でね、美味しいから是非」

勧められるがままに、添えられている黒文字楊枝に手を伸ばす。
楊枝の先をそっと入れると、もち、とした抵抗を少しだけ受けた。純白のそれの中には、なめらかなこしあんが入っている。構造は饅頭のようでいながら、空気を含んだ洋菓子のようなふんわりした感触も持ち合わせている、不思議なお菓子だった。
一口分に切り分けたそれを、まったく味の想像がついていない口の中へ運ぶ。
上品なこしあんの甘味と、何よりふっくらふわふわもちもち全部が同居したみたいな食感。

「すっごく美味しいです……!」
「良かったぁ〜、かるかんっていうんだよ。鹿児島名物。もちもちしてるのは自然薯使ってるからなんだって」
「へぇー、初めて食べました」

言ったそばから、もうひと口。
こしあんは甘すぎず、ほんのり砂糖の甘味がついた白い生地と一緒に食べてもしつこくならない。
かるかんを一つ食べ終えてみると、皿がよく見えるようになった。

「あのう……」

皿を見た時からうすうす感じていたことを聞いてしまいたくて、楊枝を持つ手を止めた。
皿に手を添えて、卓を挟んだ反対側でお茶をすするお兄さんの顔を覗き込む。

「このお皿、私が作ったお皿ですか?」
「うん、そう。勝手に使っちゃってごめんね」

持っていた湯呑みを卓上に戻して、お兄さんは柔らかい笑顔を浮かべたまま「でも」と言葉を続けた。

「お皿ってやっぱり食べ物と一緒にあってこそだから。みょうじさんのお皿、すごく素敵だからね、どうしても何か食べ物を乗せた姿を見てみたくって」

えへへ、と眉を下げながら、お兄さんは目を細めた。
優しい眼差しから逃げるように俯いてしまって、何となく恥ずかしい気持ちになった。
お皿は食べ物と一緒にあってこそ、という日常の中の当たり前を拾い上げた言葉を胸に、改めて自分の手元にある皿と向き合ってみる。
真っ二つに割れた藍色は、雷みたいな金色でしっかりくっついていた。その中にあって、かるかんは雷を作り出す雲みたいな存在感でそこにある。
まるで初めからこうなる運命だったんじゃないかというくらいに、一つの景色を生み出しているその皿を、そっと指先で撫でてみる。

「あの」

顔を上げられないままに、固く閉じてしまいそうな口をどうにかこうにか動かす。

「私にも出来ますか、金継ぎって……」

小松田くんが魔法という言葉を否定しなかったのも、何となくわかる気がした。
これを、自分でも出来るようになりたいと、素直に思う。

「教えてもらえませんか」

それと同時に、もう少しだけ、この人、小松田優作さんと話がしたいとも思っている。

「わ〜いいよぉ、もちろん!」

両手を広げて大袈裟に喜ぶ姿は、小松田くんとよく似ていて少し笑ってしまった。
将来が決まっている商人の顔と、ホンワカした柔らかい顔。
この人のことを知りたい、話したい。
まだ何も知らないこの人のことを直感でそう思っている、この気持ちが何なのか考えるのは、きっと後回しでいい。