俺らのジイさんの代が仕えてたマツホドって城、あるだろ? で、しばらく見んかった、浜んとこの坊。あれがなぁ、どうも外部に修行に行くてぇ話だぜ。

はぁ、あの、一人で籠城なんて無茶しようとした、あのアホ坊か。

浜のジイさんに稽古つけてもらってたってのによぉ、何だってわざわざ外部に行くんだか。

今さらマツホド忍者の汚名なんざどうにもならんよ、末代まで俺ら一族は笑いもんだ。



耳の早さだけは一丁前だ。
みょうじなまえは、ほんのりと出汁が香るうどんの汁を喉に流し込みながら、元マツホド忍者の一族の会話に耳を傾けた。誰に聞かれても構わないのだろう、やたらと耳につく乾いた濁声で、一人の少年の噂話を飽きもせず続けていた。
聞いたところによると、守一郎はとうの昔に落城したホドホド城に一人で籠城しようとしたらしい。様々な城が、どうやら戦で他より優位に立つため必要らしいホドホド城を我が物にしようと、ひそかに画策していた。そんな廃城に籠り、守り切ることだけをひたすらに思い、守一郎はそれを実行したのだ。
それは、落城により汚された一族の名を再び世間に知らしめるべく、行われたという。
たった一人で、あの血気盛んな男が、心の奥底でふつふつと静かに煮え滾らせていた闘志を、ここぞとばかりに湧き上がらせたのだ。

なまえの心中は複雑だった。
なまえにとって、守一郎は幼い頃からの馴染みである。歳が近いこともあって、顔を合わせれば手に手をとって仲良く遊びまわるような、そんな間柄であった。
しかしその昔馴染みとも、ここ3年は会っていない。
みょうじ一族は代々、マツホド城に仕える忍びの一員だった。マツホド忍者の中心的存在としてそれなりに栄えていたみょうじ家の一族は、マツホドの支城であるホドホド城に仕えていた浜家一族とも交流があったのだ。
しかし、マツホドの没落を機に、城に仕えていた忍者たちは一斉に力を失った。

マツホド忍者の名は地に堕ちたとさえ言われていた。それは落城から70年以上経っても拭えぬほどの汚名となり、今もマツホド忍者は忍びとしては生きづらい、いや、忍びとして生きる道を選択しようものならおまんま食いっぱぐれるであろう、細々とした日々を送っている。
長く続いたマツホド城の歴史の中、たった一夜で出城であるホドホド城を落され、その他の支城含め本城まで根こそぎ落とされたのだ。これは当然といえば当然のことだと、彼らは受け入れるほかなかった。
ある者は農家に、ある者は寺へ行き頭を剃り、またある者は山賊へ身を落とし。そうして、それぞれの生き方を選択していった。

今、なまえがいるのはマツホド城址から一山越えた先にある商人の町である。ここには元・マツホド忍者の一族もいくらか集っている。
みな、マツホドに仕えていたという身の上は隠し、今やそれらしき影すらない。

「なぁなまえちゃんよ、あんたは浜んとこの坊のこと、なんか知らんのか。仲良かったろ」
「知りません」

それを知りたいのはこっちだ、という心の叫びは薄口なうどんの汁で飲み下した。
わざとらしくドンと音を立てて空になった椀を置き、勘定を済ませたなまえはさっさと飯屋を後にした。後ろで「ツレないなぁ〜」などと気の抜けた声が聞こえたが、無視した。



「私だって知りたいんだ」

大股で足早に歩きながら一人、呟いた言葉は誰が拾うでもなく、虚しく宙ぶらりんになる。
だいたいこちとら、守一郎の声さえ忘れてしまいそうなのだ。あのつんつんした固そうな髪や、少しはにかんだような幼い笑顔を思い出し、浜守一郎という少年の存在を自分の記憶から消さぬように必死になっている。半ば躍起になっていると言ってもいい。
そんな自分が、今の守一郎のことを知っているはずがない。
うどん屋で偶然一緒になった元マツホド忍者たちが守一郎の話をし始めた時、ただただ悔しかった。今この段階、自分よりも守一郎のことを知っているのが彼らだということ。
そして、守一郎が誰も頼らず一人で城へ行ってしまったこと。そう、自分にさえ頼らずに。
確かに、今のマツホド忍者末裔たちに籠城を提起したところで、みな口を揃えて言うだろう。「お前はとんだ阿呆だ」と。
でも、私は違う。なまえは固い地面に視線を落とし、眉間に皺を寄せた。
私は、守一郎と一緒に戦いたかったんだ。もし、私に言ってくれさえすれば。

「なまえ……か?」

背後から、聞き慣れない声に名前を呼ばれて、はっとした。ずっと地面を睨みつけていた顔を上げ、慌てて振り返る。
不貞の輩だったら一発かましてやろうと握っていた拳から、力が抜けた。

「や、やっぱり、なまえだ!そうだろ!」

久しいなぁと笑う顔は、多少大人びてはいるが、繰り返し思い出していたあの顔だ。年相応に低くなった声は聞き慣れはしないが、しかし。
今、確かに自分の目の前には、浜守一郎がいた。

「あのな、実は」
「忍者」
「え?」
「行くんでしょ、修行」

どこかヒヤリとさえするなまえの声に、守一郎は狼狽した。

「あ、知ってるんだ……?」
「おおかた皆に挨拶でもしに来た、ってところでしょう」
「え、うん、まぁ」
「皆、角のところにあるうどん屋にいた。行ってきたら」
「ハイ……」

ありがとう、という守一郎の萎んだ声に背を向けて、なまえはさっさと歩き出した。
肩をいからせた女の子に置いていかれた守一郎は、ただただ小さくなることしか出来ず、町の人の好奇の目を一身に浴びた。



「ははぁ、今から忍者を目指す、ねぇ」
「はい」

なまえのいう通り、うどん屋には4人のマツホド忍者一族がいた。今は農業に勤しみ汗を流しているという一族に、守一郎は素うどんを一杯奢ってもらった。

「んで、今は世話になった奴らに挨拶して回ってるってとこか?」
「はい、一応知らせておいたほうがいいかと」
「いやはや、律儀だなぁ若えのに」

偉い偉いとぐりぐり撫で回され、髪はボサボサになった。

「さっき、なまえに会いました」
「おお、綺麗になってたろ」
「はい」
「けどま、まだ子どもだな、ありゃあ。無鉄砲なとこがお前そっくりだぞ、守一郎」
「え……?」

無鉄砲。そっくり。とは、一体どういうことか。なまえも、自分と同じように何かしでかしたのか?
何も聞いていないのかと問われ、頷くことしか出来なかった。にやりと片方の口の端を上げる男に、あいつ今何してると思う、と問われ、首を横に振る。
何一つ合点のいかない守一郎に向かって、男は両手で何かを掴むような、支えるような格好をした。守一郎にとって記憶に新しいそれは。

「種子島、だってよ」
「たね……?」
「火縄だよ、ひ・な・わ」

そう、多少不恰好ではあるが、この構えは鉄砲を構える時のそれだ。
ついこの間、廃城で忍術学園の生徒である少年が慣れた手つきで鉄砲を扱っていたのを、守一郎は今はっきりと思い出した。

「ま、待ってください。なまえは今、何をしているんです。まさかどこぞの城の鉄砲隊にでも……」

慌てたようにひっくり返った声で守一郎は早口で問うた。
女の子だぞ、忍びの一族とはいえ、まさか。思わず身を乗り出した守一郎を、男はおかしそうに笑いながら宥めた。

「いやいや、作ってんだ。火縄をな」
「作る……?」
「ああ、何せ俺らにしてみりゃあ未知の武器だ。まずは構造を理解してな、いずれはそいつを操りたいんだと」
「何で……なまえがそんなことを」
「何でってお前」

あいつもお前と同じ阿呆ってことさ。
聞いてすぐには、言わんとしていることに勘付けなかった。しかし、自分が何のために城に籠ったか、何のために、何を学びに行くか。
自らを省みた時、ようやくそれに気づいた守一郎は、残りのうどんを全てかっこみ弾かれたように立ち上がり、店から駆け出した。

なまえ。どこだ、なまえ。
遠い記憶の中の、10歳の自分とまったく変わらなかった背丈の、小さな女の子を探し求めそうになり、しかし自分が探しているのはつい先程会ったばかりの、齢13の女の子なのだと思い出す。目を覚まそうと首を振った。
何を言いたいかも定まっていない。会ってどうするのかも分からない。聞きたいことも話したいことも山程あるが、何から話せばいいのか分からない。
それでも自分は、学園へ発つ前に彼女に会わなければならないのだ。

足の早さとスタミナにはそれなりに自信があった。ようやく視界に捕らえた彼女めがけて、守一郎は砂を巻き上げながら走った。

「なまえ!」

町の真ん中あたりに位置する小さな橋の上で、守一郎はようやくなまえに追いついた。勢い付いてひっ掴んだ肩を、しかしすぐに慌てふためきながら離した。

「ご、ごめん」
「大丈夫だけど……」

面食らったように目を丸くしていたなまえは、すぐに平静を取り繕った。

「みんなには会えたの?」
「あ、ああ。ありがとな」
「別に、私は何も」
「……なぁ、なまえ」
「ん?」
「火縄銃、作ってるって本当なのか?」
「ああ、聞いたのね」

本当よ、ときっぱり言い切るなまえの目は、まっすぐに守一郎の目を見ている。その視線を受け止めた当の守一郎は、その眼差しから伝わる意志の強さに、自分と近いものを感じた。
やはりそうだ、彼女もまた、今を変えようとしている。一生をこのまま、忍びとして恥を背負ったまま生きようとは微塵も思っていない。

「守一郎が勝手をするなら私だってそうする。まだまだこれからだけど……いつか必ず私は、忍びとして戦さ場に立つ」
「そうか……」

いつだか、小さな頃。まだ年端もいかない子どもだったなまえと守一郎は、自分たちの一族が何故、どのような経緯で今の境遇に立たされているのかを聞かされた。
その時からだ、守一郎の心に一つ、やり遂げると決めた標の火が灯ったのは。それは、なまえも同じことだったのだ。

「私はここで新しい戦の常識…火縄について学ぶって、決めたの」
「そっか…俺も忍びのこと、一から勉強してくるよ。それで絶対に立派な忍びになって、またここに来る」
「ここに?」
「ああ、なまえと一緒に、同じ夢を見たい。だから、迎えに来る。今決めたよ」

意志を込めた拳をつくり、守一郎は昔とまったく変わらぬ笑顔を見せた。
こっちの気も知らないで笑う守一郎に、それでもなまえは、そんな守一郎が愛おしく思えて仕方なかった。勝手に一人で突っ走って、勝手に自分を迎えに来るなどと笑う。向こう見ずでまっすぐで、どこまでも純な目をした守一郎に憧れた。そんな守一郎のようになりたくて、なまえも自らの一歩を踏み出した。
その一歩がきっかけとなり、共に未来を求めていける関係になったのだ。しかし、自分を置いていってしまわんばかりな守一郎の勢いに振り落とされないよう、これからが正念場となるのだろう。

「なまえが同じように頑張ってるって思うと、もっと頑張れる気がするから」

約束だ、と歯を見せて笑う守一郎に、小指を差し出された。
たった二人だけだが、忍びとして再び走っていけるようになるまでの長い道筋も二人ならきっと超えていける。そう感じているのはなまえも同じだった。いつか二人で、再び忍びとしての名を上げるために。
私も同じ気持ちだと告げ、素直にその小指に自分の小指を絡められれば良かったのだが。

「…じゃあもっと顔見せに来るか文の一つも寄越してよ、不安になるでしょーが」
「ご、ごめん…あ、ひょっとしてそれで怒ってたのか?」
「当たり前でしょホントに、ずっと連絡も寄越さないでいて!」
「ご、ごめん!それも込みで約束する!ちゃんと連絡します!」

恋情を抱いている分、自分のほうがだいぶやきもきするはめになりそうだ。なまえはそんなため息を飲み込んで、しょうがないなと肩をすくめて笑ってみせた。自分のものよりいくらか骨太な小指に、自分のそれをそっと絡める。

「守ってよね、絶対に」
「おう!」


request by 茉夢さん(rkrn・浜守一郎で幼馴染関係、潮江連載に近い雰囲気)