「だらしないよ」

モブリットが唐突に述べた一言。ほんのり暗い部屋でもよく映える、明るい茶色の髪はいつもより乱れていて、今日はより一層顔色がよろしくなく、なんだか青白い。一見しただけでもお疲れな様子が窺える同僚のモブリットを心配して彼の元へ赴いた私はその一言に思い切り面食らった。え、だらしないって誰が?私?モブリット?あ、ひょっとしてハンジさん?まぁ確かにハンジさんは変人とか言われてるしだらしないところもあるけど本人のいないところでそんな事言っちゃあ悪いし

「いきなりで申し訳ないけど、気になるんだ」
「えっ、気になる?ハンジさんが?モブリット…そうだったんだ知らなかった…」
「待って待って、なんで分隊長が出てくるの」
「だらしないといったらハンジさんかなぁと」
「本人のいないところで失礼だな」
「えへ」
「可愛くないよ別に」
「ひどい、じゃあ誰がだらしないの」
「なまえだよ」

言いながらだるそうに椅子から腰を上げて、モブリットは私の手を取った。なんだこれ。だらしないのと私の手と何か関係があるというのか。私の手がだらしないの?っていうか手がだらしないってなんだ我ながら。そんな事より、モブリットの少し冷たい手が私の手に触れた時のあの心臓の感じはなんだ。パチっときた。静電気的なものではなく。

「なに惚けてるの」
「は、はいっ?」
「袖」
「へ?」
「ボタン取れかかってる。プラプラしててみっともないよ、ホラ」

モブリットの言うとおり、私の服の袖のボタンは糸がほつれていた。辛うじてほつれた糸のうちの一本の糸でボタンがぶら下がっている感じだ。確かに、言われてみればだらしない。途端に恥ずかしくなって手を引っ込めようとするが、何故かモブリットは私の手を離さない。むしろこっちが変に力を入れた所為か、モブリットが私の手を掴む力も強くなった。ぐい、と手を引くとモブリットの力も強くなってまた引こうとするとモブリットも力を込めて、とその繰り返しだった。

「は、離してくれないかなモブリット」
「いやだ」
「ええ〜なんか照れる」
「どうせこのまま部屋に帰っても、面倒くさがってボタンがとれるまで放置するでしょ」
「そ、そんな事ない、とは言い切れないです」
「やっぱり」

あ、すごい大きいため息。

「今からやってあげるからじっとしてて」
「えええ!だめだめモブリット疲れてるんだから休まないと!寝て!私に構わず、さぁホラ寝顔なんてガン見しないから!」
「何しに来たのホント」
「モブリットが心配で来ました」
「くだらない事するなら以後出入り禁止です」
「ごめんなさい」



結局押し切られる形でモブリットにボタンつけをしてもらう事になってしまった。確かに寝顔は見たいけど、下心はあったけど、一応本当にモブリットを心配してここへやってきたものだからものすごく申し訳ない。

「ああもう、動かないで」
「はぁい」

ボタンの取れかかった服を脱いだら下着姿だと告げたらモブリットの青白かった顔に少し赤みがさして、やめて…と呟いた。可愛い。着た状態でもボタンの取り付けくらいなら簡単に出来るからとさっさと準備を始めたモブリット。格好いい。可愛さと格好よさを兼ね備えてるモブリットってある意味最強なんじゃないかな。惚れた弱味かな。

そういえばモブリットは一言も喋らない。ひたすらに布とボタンの間に糸を通すばかりだ。集中してやってくれているからだろうけど、なんか勝手に気まずくなってきた。なんだか、モブリットの顔が、近い。近くで見ると、モブリットは結構整った顔をしているって、改めて気づかされる。瞳も綺麗なもんだと感心しながら見ていたら、目の下のクマに気付いた。濃いそれはモブリットの睡眠不足を物語っていて、思わず視線を落とす。そうすると、真一文字に結ばれて緩む気配が少しもない口元が目に入る。

ああ、やっぱり来るべきじゃあなかったんだ。ボタン取れかけのだらしないダメ人間が余計なお節介で勝手に押しかけた結果がこのザマだ。結局モブリットに迷惑をかけているだけじゃないか。

「なまえが来てくれてよかった」
「え」
「良い息抜きになるよ」
「なん…」

私の心中を見抜いたような一言。何も言えなくなって、暫く糸と布が擦れる音だけが響いた。どういう意味なんだと、良い息抜き、という言葉を反芻する。なんだか熱い、顔とか、全体的に。

「俺たちは仕事柄さ、いつも責任がのしかかっているだろ?重圧とか、義務感とかがあって。一つの失敗が大きく響くこともある。でもなまえの服のボタンなんてどんな変なところにつけようがなまえに針が刺さろうが俺の勝手だし、そういう意味で良い息抜きだよ」

表情一つ変えないで糸を通しながら一通り喋ったモブリットは、最後の仕上げだと玉止めをする。くそう長々と話したと思ったら可愛くないことを。むかむかしてモブリットを睨みつけてやる。モブリットは終わったよ、と言いながら糸を切った。

「アリガトウゴザイマシター」

モブリットを早急に休ませるため、そして可愛くないことをつらつらと並べたこいつから早々に離れるため私は機械的なお礼を述べてさっさと立ち上がった。あとでモブリットの大好きなお酒勝手に呑み干してや「ぐえっ」「えっ」

なぜか袖にモブリットがくっついてきて、私の体に頭を突っ込んだ彼はカエルのような声をあげた。

「えっ、あ、あれ?」
「…ごめん間違えた」
「え?」
「途中から自分の上着といっしょくたにして縫ってた」
「えええどうしたらそうなる!?」

確かに、私の袖はモブリットの上着の胸元あたりと繋がってしまっている。気付かないで縫ってたって逆にすごいよモブリット!そして私もなんで気づかなかった!多分モブリットの顔ばかり見ていた所為だけど!モブリットは、はあぁ、と大袈裟なくらい大きすぎるため息をついて、手で顔を隠すように覆った。これは早々に糸を解いてモブリットを休ませねばならない。普段あれだけ優秀なモブリットがこんなアホみたいなミスするはずないんだから、それだけ疲れてるってこと、って、あれ、モブリット。

「モブリット、耳がすごい勢いで真っ赤に…」
「うるさいなまえがやたらと見つめる所為だ、なまえが悪い」
「え、私の所為?!」
「うん」
「り、理不尽!」
「…ああ、やり直しだなぁ」
(あ、笑った…)

嬉しそうに見えるのは多分、惚れた女の好都合フィルターなんだろうなぁ。