窓が風で揺れる。カタカタと小さく音を立てるのを聞きながら、一つ寝返りを打った。

旅に出ていて1年間、平気で顔を見せない友人がいる。
幼馴染なのだが、毎年飽きもせず2月14日の朝っぱらから「久しぶり!!」とか言いながら、長い間連絡も寄こさず帰って来なかったことを悪びれもせず、嬉しげにチョコを食うのである。呆れながら、特別約束をしている訳でもないのに毎年用意している私も私なのだが。昔から毎年あげていたせいで用意してあるのがさも当たり前のような流れになってしまって、ズルズルここまできてしまった。

しかし今年の2月14日、今日。いや日付が回ったから、もう昨日だ。
彼は、来なかった。
こんな年もあるのだなぁと思いつつ、一つ思い当たる。ひょっとしたらどこか遠い街でカワイイ彼女でも出来て、それで来ないのかもしれない。というかそう考えるのが普通だ。彼女が出来たら、別の女のところにわざわざチョコをもらいには来ないだろう。
それなりにモテるしなぁアイツ。思いながら、一応念のためと作っておいた生チョコを一人で半分腹に収めた。一応日付けが回るまで待っていたが、まぁ来ないなら来ないで、自分で食べればいいのだ。
しかしあげる相手がいなくなったチョコを一人で食べるという行為の虚しさたるや想像を軽く超えていた。一人の部屋で美味しい、と呟いても返事をしてくれるのは友達のガーディだけだ。
さすがに一日で全部平らげるのも女の子としてどうなんだという気持ちと、自分で作っておいて何だが美味しいものは取っておきたいという気持ちから、半分は残しておくことにし、早々に布団に入った。

寝たい。
何も考えず眠りにつきたいのに、そうかアイツもついにリア充の仲間入りかと思うと無性に腹が立った。チクショウ先を越されたとか、私だってまだ彼氏なんて出来たことないのにとか、頭の中をごちゃごちゃと感情が巡っていく。
目を閉じているのに、まるで瞼の裏をヤツへの文句が駆け巡っていくみたいにして、眠りの邪魔をされる。自分の脳内がどうしてこんなにも思い通りにならないのだろうか。カタカタとうるさい窓も、気になり始めるとやたらと耳に障る。

「なー、もう寝た?」

ヒッ、と声にならない声を漏らしてしまって、慌てて口を抑えた。
電気を消した真っ暗な部屋。外も月明かりと頼りない街灯しかないような、深い夜。だというのに、突然響く声。
上半身だけをそっと起こして、外の様子を伺おうとした。
しかし、これがいけなかった。体を起こした拍子にベッドがギシリと音を立ててしまったのだ。ゲッ、と思うと同時に、再び外から男の声が聞こえてきた。

「あ、起きてるな!」

今度は不意打ちじゃない分、その声が誰のものか冷静に聞き分けることが出来た。それでもやっぱり、夜中にこの訪問の仕方は、まぁ普通に怖い。おそるおそる窓際に投げかけた声は、情けなく震えてしまった。

「じ、ジュン……?」
「そう! 開けてくれ!」

私の声とは対照的な、よく通るハキハキとした声。寒い寒いと叫びながら窓をガタガタ言わせるものだから、私は慌てて窓のほうへ駆け寄った。カーテンの向こうでは、月を背にした、特徴的なつんつん頭がゆらゆらしている。
私は急いでカーテンを開けて、窓の鍵に手をかけた。

「あーーーもう寒い! 寒すぎるんだよもう! 罰金だ!!」

窓を開けた瞬間、懐かしい声が鮮明に聞こえるようになって、私は嬉しいのと同時に今の時間を思い出して、心の中でため息をついた。どう考えても近所迷惑。
ムクホークの背に乗って、自分の体を抱き締めるように体をガタガタ震わせるジュンの肩をさする。触れた瞬間、その氷みたいな冷ややかさに驚いた。

「罰金……それは誰に対して?」
「なんか…天気のカミサマみたいなのに対して!!」
「そっかそっか神様か、とりあえず入ってね。ジュンめっちゃ冷たい。オニゴーリみたいに冷たい」
「お邪魔します!!」

相変わらず雰囲気からして慌ただしいジュンは、私の言葉を聞いていたのかいないのか、窓枠を思い切り飛び越えて部屋の中へ転がり込んだ。あんまりバタバタしないでほしいなぁと思いつつ、変わらない幼なじみの様子に、なんだかホッとした。ちゃんと靴を脱ぐあたり無駄に律儀だよなぁと思いながら、ムクホークをボールに戻すジュンの横顔を眺める。
そういえば、私が今着ているのはパジャマだ。ルナトーンのワンポイントが胸元にちょこんと浮かんでいる、色気も可愛げもない、紺色のもの。そんな寝間着姿を久々に会ったジュンの目の前に晒しているのが、なんとなく落ち着かなくて、私は未だに寒い寒いと騒いでいるジュンから目をそらした。

「……というか、ジュンはこんな時間にどうしたの?」
「え? ああ、今日ちょっと大会があったから遅くなったんだけどさ」
「ま、まさか」
「あ、もう日付変わったから今日じゃなくて昨日か?」

やはり。ハッピーバレンタインこんにちはバッドエンド。しまった、私はついさっき、作ったチョコを。

「ごめん、あの、チョコ用意はしてたんだけど、ジュンがもう立派にリア充の仲間入りしたのかと思って、もう来ないと思って……」
「ま、まさか」
「…食べちゃった……」
「なん……!!!」
「待って罰金ストップ! まだ半分残ってるから今から食べよう!!」

なんだってんだよ罰金ルートを回避すべく、捲し立てるような喋り方になってしまった。勢いで言ってしまったけど、今からって。絶対太るよ。
けれどその甲斐あってか、ジュンを肩を怒らせた、眉間に皺を寄せた状態のままピタリと固まった。そして次の瞬間には、コロッと笑顔を満面に咲かせて、なんだよなんだよとゴキゲンになった。
なんというか、ジュンの特性は、きっとたんじゅんだな。

「よかった、やっぱりなまえの作ったやつ食べないとな、なんか落ち着かないんだよな」
「ふ、ふぅん?」
「なんでだか食べたくなるんだよな、特別美味しいって訳じゃないのに」
「一言余計」

ジュンに向けてぴっ、と指をさして、罰金ね、と言ってみる。何だってんだよ! とお決まりの言葉が返ってきて、私はなんだか肩の力が抜けた。体から空気が抜けるみたいに、ふふん、と笑いが溢れる。
ジュンが帰ってきてくれて良かった。どこも怪我しないで、別にどこかで可愛い彼女が出来たわけでもないみたいで、そのおかげで私のチョコは行き場を無くさなくて済んだし。
やっぱり、誰かを想いながら作ったものは、その人に食べてもらいたいものだ。今回のことでよく分かったけど、バレンタインを楽しみにしていたのは、もらう側のジュンより私なのかもしれない。
そんなこと、とても本人には言えないけど。いつか、言ってもいいかもしれないけど。