死んでる。

キッサキを目指して217番道路を歩いてきて、その子を目にした瞬間、頭のてっぺんからざあっと、一気に血の気が引いた。
吹雪を避けるように木の影に座り込み、体育座りで小さく縮こまった彼は、私が近づいてもピクリとも動かなかったからだ。ザク、ザクと雪を踏みしめる音、吹き荒ぶ風の音にも彼は身じろぎ1つしない。ぎゅっと抱えた膝に顔を埋めたまま動かず、初めは男の子なのか女の子なのかも分からなかった。
紫の髪にうっすら積もった雪をおそるおそる払うと、その時初めてその子は自らの意思で動いた。動いたと言っても、頭をほんの少し擡げただけだったけど。
それでもその時私はたまらなく嬉しくなった。あられが降りしきる中で偶然見つけたこの子。別に友達でも顔見知りでも、なんでもない。
けれど私はとにかく、そのどこかの見知らぬ少年がまだ生きている、ちゃんと自分の意思で動くことが出来ている。そのことにひどく安堵したのだ。

「ねぇ、しっかりして? 生きてるんでしょ? ダメよ目ぇ閉じちゃ。かっぴらいて、意地でも寝たりしたら駄目」



やかましい。

「あ、目が覚めたんだ! よかった〜寝込んだままホント全然動かないから今度こそ死んじゃったかと思っちゃった。あ、何か食べたいものとか飲みたいものある? あったかいお茶でも淹れようか?」

目が覚めてすぐ、喧しい、そう思った。横たわる俺の顔を笑顔で覗き込み矢継ぎ早に言葉をかけてくる女。矢のように勢いよく飛んでくる質問に答える気力は湧かず、よく動く血色の良さそうな口をぼんやりと眺めた。でかくて丸い黒目は少し潤んでいるように見えて、涙を溜めているようにも見えた。
よくよくそいつの顔を眺めてみたが、見覚えはなかった。まったくない。誰だこいつは。

「……誰だあんた」
「あ、私なまえ。このキッサキでポケモン雑貨のお店してます。217番道路であなたを見つけて連れてきたの。しかし起きて早々ナマイキな口聞けるんだから大丈夫そうだね」

良かったよかった、と笑いながら、なまえとかいう女は俺の額にやたらと白い手を乗せた。手は少し冷たくて、意図せず眉間にシワが寄った。

「うん、やっぱりちょっと熱はあるかな。ハイこれ、熱計って待ってて」

電子体温計を差し出して、女はきびきびとした動きで立ち上がり、部屋を後にした。少し首をもたげてその様子を見ていたが、ドアが小さな音を立てて閉まると、急に部屋の中が広くなったような気がした。
ここはあの彼女の家なのだろうか、片付いてはいるものの、ナエトルドールやらチルットドールやらが明るい窓際に置いてあるのを見ると、やはり女の部屋だということが見てとれた。枕にぼす、と音を立てて頭を沈めると、かすかにだが花のような香りがした気がした。



生きてた。

あの子は生きてた。目が覚めて第一声が誰だあんた、だったのは面食らったけど。それでも、彼が目を覚ましたこと、小生意気な口をきける元気があること、意識がはっきりしていることに、私は心の底から安堵した。温かいお茶を淹れるため、やかんをコンロの上におき、火をつけた。
私はあの子を見つけた後、ポケットに入れていたモンスターボールから相棒のデンリュウを出して、デンリュウと協力して彼を私の住むキッサキの家へと運んだ。彼は、意識はあったものの、自分で自分の体を運ぶ力は出せないようだった。きっと、彼の全体重を支えるのは私一人では無理だっただろう。

「デンリュウがいてくれてよかった、ありがとね」

隣でにこにこと笑うデンリュウにお礼を言う。バトルは決して強くはないけど、気の優しい私の相棒で、友達だ。
甲高い音を立てて湯が沸いたことを知らせるやかんを手に取り、火を止めた。少し温度を下げるために鍋敷きの上にやかんを置く。私は、彼の緩く開かれた瞼の先にあった、黒くて、少しつり気味な目を思い出しながら、冷蔵庫の戸を開けた。



だるい。

一人になって、改めて自分の体が異様なほどに重いことに気づく。
ピピ、と小さな電子音が鳴った。わきに挟んでいた体温計を取り出す。やたら重い腕を持ち上げて、その小さな画面を見る。
38度。
どうりでだるいわけだ。暑い。体が熱くて寒い。腕を持ち上げるのも、寝返りを打つのも億劫だ。

「クソ……」

布団から腕を出せば寒い、かといって布団を被っていると暑い。体の芯のほうは冷えているような気がするのだが、自分でもどうしたらいいのか分からなくなり、苛立ちを声に出してしまった。しかしその声も少し掠れていて、余計に苛立った。舌打ちをするのにかぶせて、ドアが開く音が一人の部屋に響く。

「お茶淹れたよ、具合はどう?」

盆を持った家主は、戻ってくるなり枕元に放り出された体温計を確認した。

「あちゃあ、38度かぁ。だるいでしょ?」
「別に……」
「ハイ強がらない。薬あるから飲んで」

ほら、と差し出されたのは。

「ロメのみゼリー。薬飲むなら何か食べてからのほうがいいから。ゼリーなら食べられるかなって思ったんだけど、どう?」

気だるい体に鞭打って、上半身を起こした。キラキラして綺麗でしょ、と笑う彼女の手からゼリーを受け取る。白い皿に乗ったそれは、透き通った緑の中にロメのみを小さくカットしたらしきものがいくつも入っていた。部屋の照明の白い光を受けて、眩しいくらいに反射させている。

「さ、食べて。嫌いじゃなかったらだけど。美味しいものを食べるとホッとするし! 病気になると不安になるもん。ね?」
「……いただきます」
「うん、お食べお食べ」

やかましい。
やかましいが、言っていることに関しては、否定は出来ない。
ひょっとしたらあのまま凍死していたかもしれないのだ。もともと体調は悪かったくせに無茶をして、あられの中で修業をして、そのまま。改めて考えてみるとゾッとする。
正直、心の中では心底安心していた。なまえという女のやかましい声や、この部屋に漂う生活感から、生きているという安心感を得ていたのかもしれない。
口には出さないが。



この出会いが、なんだか奇妙に嬉しいんだ。