休日、汗だくな子どもたちも家に帰り始める、淡いオレンジの夕暮れ時。人が散り出したさみしい公園の前を通りかかった、そこで、それを見た。
ちょうど満開なハナミズキの下で俯くその人の顔は、公園の入り口にいる俺からはほとんど見えなかった。ただ、さらりと風に揺れた柔らかそうな髪の毛から、女の人かもしれない、とだけわかった。
誰だかも分からないその背中に言葉を投げかけたのは、その体制のままピクリとも動かなかったからだ。ひょっとしたらどこか具合でも悪く、動けなくなっているのかもしれない。そう思うとそのままさっさと通り過ぎることも出来ずに、結構な広さがある公園の奥へ足を運んだ。近づくその間も、彼女は少しも動かない。じっと動かない彼女の影に足を重ね、腰を屈める。

「どうかしましたか?」

小さく肩を揺らした彼女は、振り返ると、少しだけ目を見開き、けれどすぐに視線を元に戻してしまった。ジャケットにジーンズという出立ちに憂いを帯びた横顔のせいか、自分よりも大人びて見える。いくらか年上なのだろうか、グレーのジャケットがよく似合う気取らない雰囲気はクラスメートにはないものがある気がした。
そんな彼女の目線の先を追うと、彼女の手にはハナミズキの枝が握られている。その枝には淡いピンク色の花がたくさん咲いていて、俺は単純に綺麗なもんだと感心しかけた。が、視線を彼女の手元へとずらすと、枝には人の手によって折られたような跡がある。

「あ、私じゃないですよ」
「えっ?」

パッと顔を上げ口を開いた彼女は、枝を手にしたまま、俺と向き合うように立ち上がった。顔にかかっていた前髪を手で避けながら、彼女は手にしていた枝をひょい、と胸元まで持ち上げた。

「コレ折ったの」
「あ、ああ、ハイ、でしょーね」
「お兄さん疑ってませんでした?」
「え、イヤイヤ、そんな」

正直ほんの少しだけ、まさかとは思ったが、だったらあんな寂しそうにはしないだろうとすぐに思い直したのだ。そのほんの一瞬の心の内を見抜いたのだとしたら、この人はスゴイ。よく女の勘とか言うが、意外とバカにできないのかもしれない。

「いや、なんか蹲って動かなかったから、体調でも悪いのかなぁと思いまして」
「それで声かけてくれたんですね」

ありがとーございます、と彼女は戯けたように小さく笑いながら、軽く頭を下げた。

「別に体調は大丈夫なんだけど、これ気になっちゃって」
「…枝が?」
「そう、この木の枝」

彼女は、俺たちの頭上で鮮やかに咲きこぼれるハナミズキの枝に手を伸ばして、そっと一つの枝に触れた。その枝の先端は不自然にぐにゃりとひしゃげており、明らかにへし折られた跡がある。なるほど、これはひどい。

「ちっちゃな悪ガキっぽい子たちがね、ジャンプしながら枝もぎって、そのまま放り投げてどっか行っちゃって」

爆豪あたりやりそうだなぁ、思いながら、彼女の話に出てくる悪ガキに爆豪を当てはめてみたら、ピッタリすぎて少し笑えた。緑谷とかはやらないだろうな、爆豪の脇でオロオロしてそう。
しかしまぁ、小さい子どもというのは、意外と平気でこういうことをしてしまう。まだものの善悪がつかないのだろう、多分木の枝もいだ奴が優勝、みたいな遊びでもしていたんじゃないか。俺にも多少、覚えがないわけじゃない。男ってのはそーいうもんなのだ。

「まだ綺麗なのにもったいないですよね」
「まぁ、確かに」

彼女の手に握られた枝には、みずみずしい花がいくつか咲いている。
確かにもったいない、と思いながら見ていたら、彼女はその枝をずい、と俺に差し出した。ほぼ反射的にそれを受け取ると、彼女はそのまま言葉を続けた。

「これお兄さんにあげます」
「え、なんで…」
「誰かに見てもらえてたほうがこの花も嬉しいんじゃないかなぁと思いまして」
「じゃあ……」

あなたが持ち帰ったほうがいいんじゃないのか。思ったことをそのまま口にしようとして、慌ててその言葉を飲み込んだ。
そうだ、確かにもったいない。

「いいこと思いついた」

枝を持った腕を伸ばす。彼女から受け取った枝の折れたほうを、もともと生えていたと思われる枝の先に添えた。そしてそのまま肘からテープを出し、折れた部分へくるくると巻いていく。その様子を隣で見ている彼女は、おおー、と愉しげな歓声をあげた。最後にテープを切って、留めて。
枝は元通り、にはならないが、おそらく咲いていたであろう場所に再び収まった。

「すぐ枯れちゃうかもしれないけど、それまでは出来るだけたくさんの人に見てもらったほうがいいですよね」
「すごい、すごいよ」

彼女は弾んだ声ですごいを連呼した。まんざらでもないのだが、あんまり繰り返されるとさすがに照れる。つーか調子のる。

「すごい、セロくん」
「いや〜って、あれ、名前」

見ず知らずの彼女が何故俺の名前を知っているのか、そんな疑問は彼女が次に発した一言ですぐに吹き飛んだ。にこ、と口の端を上げた彼女が口元に手を添えて放った、あの一言。

「どーんまい」
「ああー……」

あの体育祭以来、小学生にはしばらくからかわれ続けたが、まさかこんな形でどーんまいされるとは。小学生からのドンマイコールは落ち着いたのだが、まだ覚えている人がいるのはまぁ当たり前かもしれない。
あからさまに肩を落とした俺の様子に、彼女はごめん、冗談だからと笑いながら手をひらひらさせた。
確かに彼女の声の感じは、特に馬鹿にした風でもなく、本当にただ冗談で言ったような軽やかさがあった。

「テープ出してるの見て思い出した、どこかで見た気がしてたの」
「そーですよ、どーんまいです」
「あはは、ごめんってば。でもあれね」
「ん?」
「このハナミズキにとってセロくんはヒーローだ。私もファンになっちゃったもん、ヒーローセロくんのファン1号」

ぴっ、と人差し指を立てて笑う彼女の言葉に、なんだかくすぐったいような気持ちになった。
ファン、というのは多分冗談で言っているんだろう。しかしやっぱりヒーローを目指す者としては、ファンだとか、そういう風に言われると嬉しいし、やっぱり調子に乗ってしまう。まぁホント、冗談だろうけど。

「あ、ファンっていうの冗談だって思った? ホントよ?」
「……おねーさん、心の中を読む感じの個性なんじゃ」
「あっはは、まさか」
「女の勘って怖ぇ…」
「男子高校生の心中は分かりやすいね」
「弄ばないでくださいよ」

肩をすくめた俺の言葉に、彼女はからからと笑いながら、俺の肩を軽くポンポンと叩いた。

「分かったわかった、ごめん」
「ホントにファンならお願いしますよ」
「そうだね、セロくん親しみやすいからさ。じゃあ、私はそろそろ行くね。学校、頑張って」

またねヒーロー。
言いながら彼女はひらひらと手を振り、俺に背を向けた。そんな姿を見送りながら、そういえば彼女の名前を聞かないでしまったことを思い出した。呼び止めようと思って、しかし、その声をぐっと押し戻す。
俺がヒーローになれたら、多分あの人とまた会えるんじゃないか。だってファンだって、ホントだって言ってたし。だからあの人も、名乗らなかったんじゃないか?
その言葉信じて、頑張っちまいますからね。

「お前も応援してくれよ」

彼女のいなくなった公園で枝を撫でながら言うと、風が吹いて、枝が少しだけ揺れた。