※現パロ・年齢操作


息を吐く。それは白く曇って、すぐに消えて、また呼吸をすると白い息が冷えた空気に混じった。それが少し楽しくて、たばこの煙を吐くみたいに、ふーっと息を吐いてみた。たばこなんて吸ったことはないけど。はたから見たら変な奴になるんだろうが、朝早いこの時間に歩いている人は少ない。鼻の辺りがすっと冷えるような冬の早朝の空気。起きるのは大変だが嫌いじゃあない。

後ろから自転車を漕ぐ音が聞こえて、道の端に寄る。すうっ、と真横を過ぎて行ったのは同じ高校の制服を着た女の子だった。確か、別のクラスの子。何度か廊下ですれ違ったことがあるような。
それにしてもどうして女子ってこんな寒い中スカートでいられるんだろう。冬になると毎度生じる疑問だが、しかしある意味尊敬すらする。
それにしても僕を追い抜いて行った彼女、なんだかフラフラしている。朝早くて眠いせいか、寒くて体が震えるせいか。なんにしても危なっかしいなと思いつつ、ハラハラしながらその様子を見守る。あんなだとそのうちガードレールとかにぶつか

「うわっ!?」
「あ」

ガードレールにペダルを擦ってバランスを崩し、制御が効かなくなった自転車は案の定彼女を乗せたまま盛大に転倒した。静かな通りに大きな音を響かせて倒れた自転車のカゴからは、彼女のカバンが無惨に転がり落ちた。
しばらくカラカラと回り続けていた後輪もやがて大人しくなり、再び朝の静寂が戻ってくる。転がり落ちたバッグが虚しさを醸し出していた。
当の本人はというと、倒れていたものの案外すぐに起き上がり、呆然としながら自転車を見つめている。僕はあまりに派手なこけっぷりに呆気にとられ動きが止まってしまっていた。
起き上がった女の子もしばらく同じ様子のまま固まっていたが、突然はっとしたように振り向いた。思い切り、バッチリ目が合う。しまった、非常に気まずい。

「…………」

女の子は何か言いたそうに口を開いたが、マフラーに顔の半分くらいを埋めて自転車に視線を戻してしまった。そりゃあ、あれだけ盛大に転んだら恥ずかしいだろう。顔が赤くなっているのは寒いせいか恥ずかしいせいか、もしくは両方か。

「大丈夫?」

いつまでもぼんやりしている訳にもいくまいと、その女の子に駆け寄る。もうその恥ずかしい現場を目撃したという事実は取り消せないのだから、恥ずかしいだなんだで彼女に気を遣っている場合ではない。
カバンを拾い上げる彼女を横目に倒れている自転車を引き起こす。ああスイマセン、と情けない声を出しながら、彼女は何度も頭を下げた。

「怪我とか…」
「大丈夫です、すいません」

ああもう、と文字通り頭を抱えながら繰り返し謝る彼女に思わず苦笑いが浮かぶ。やはり寝ぼけてたのだろうか。

僕が引き起こした自転車を受け取った彼女は、本当にごめんなさい、と言いながら自転車を押しながら歩き始めた。

「……待って」

歩く彼女に感じた違和感。意図せず低くなった僕の声に、彼女は小さく肩を揺らし、おずおずと振り返った。

「な、なんでしょうか」
「なんで足、引きずってるの?」
「え、っと…」

僕の指摘に驚いたのか、大きく見開かれたその目をじいっと見つめると、彼女はあからさまに視線を泳がせた。
右足を庇うみたいにする歩き方は、少しだけだがぎこちなさが滲んでいた。1年以上保健委員をやっている僕の目は誤魔化せない。
歩み寄って、自転車のハンドルに手をかける。

「僕が漕ぐから、後ろ乗って」
「え、いやいやそんな」
「怪我した足で漕いだら余計酷くなるよ」
「や、ちょ〜っと捻った程度ですし、大丈夫大丈夫……」
「大丈夫じゃないよ、悪化したらしばらくまともに歩けなくなるかもしれない」
「うっ…」
「困るよね?」

ハイ貸して、と自転車のハンドルに手をかけると、彼女はしぶしぶハンドルから手を離し、自転車の後ろに回りこむ。スカートを整えながらそっと横座りをした。
腰のあたりに捕まるよう促して、バランスが安定したのを確認し、ペダルを踏み込む。少しフラついた走り出しだったが、それも次第に安定した。スピードが出せるようになったあたりで、彼女が口を開いた。

「あの、何年生ですか?」
「2年。A組だよ」

僕の返事に、どこか遠慮がちだった彼女の雰囲気が、少しくだけたものに変わった。

「そっか、私も2年、同い年だね。C組だからクラス離れてるんだけど、なんか見覚えあるなぁ、あなた。名前は?私みょうじなまえ」
「……川西左近」
「川西くん」

名乗りはしたけど、なんとなく嫌な予感がする。見覚えがあるとか、名前に聞き覚えがあるとか、そういう類で嬉しい覚え方をされていたことがないのだ。

「あ、わかった保健委員の! 不運の!」
「ああもう、どうせ不運委員会だよ悪かったな」

ヤケになってぶっきらぼうな返事をすると、ごめんごめん、と笑う彼女の柔らかな声が少しくすぐったい。

やはり彼女も僕のことを、不運で有名な保健委員会の人と記憶していたらしい。だいたいいつもそうなのだ。川西って不運委員会の? とか言われて。僕だって委員会以外にも部活はやってるし成績もそれなりにいいし、もっと前向きな覚え方をされたいものだ。常々そう思ってはいるが、結局その願いは叶わないままだ。

「せいぜいチャリ漕いでる間は不運発動しないように気をつけるよ」
「あ、怒った?」
「別に怒ってない」

本当に怒ってはいないのだが、それでも自分の言葉はまるで天邪鬼な子供みたいで、少し決まり悪い。

「でもホラ、保健委員さんはどんなに不運でもこうやって怪我した人を助けてくれるし、それに保健委員だから私が足捻ったってのも気づけたんじゃない?」

それってすごいよ、そう言う彼女の言葉はさりげなくて、それでいてまっすぐだった。不運な僕への同情などではなく、心からの言葉。

「…みょうじさん、ちゃんと掴まっててね」
「うん、ありがとう」

腰に回った彼女の腕が僕の腰にぎゅっと掴まり直した時、顔がかっと熱くなった。それに気づかないフリをして、僕はペダルを強く踏み込んだ。