高杉の家は、居心地が良い。
もう随分とへたってしまったソファも、敷きっぱなしの布団も、妙に洒落ているのに埋もれてしまっている雑貨も、高杉によく馴染んでいる。そこに、私が持ち込んだファッション雑誌だとかマグカップだとかが紛れ込んでいることに、幸せみたいなものを感じるのだ。

「今日はオムライスでーす」

家から来る途中、スーパーに寄って調達してきた食材を冷蔵庫に詰めていると、高杉が覗きに来たので宣言する。「おお」と少し嬉しそうな返事が返って来たことに満足して、彼用に買ったはずのエプロンを被る。自分用に買ったエプロンはポケットが付いておらず、こっちの方が便利なのだ。

「手伝う」
「あら珍しい」

茶化すように言うと、高杉は「うるせ」と頭を掻いた。
大学のことなどを話しながら、高杉が皮を剥いた玉ねぎを刻み、冷凍ご飯をチンして、高杉には食器の準備をさせた。彼は器用なのに、ご飯を炒めることにおいてはてんでダメだ。チャーハンもオムライスも好きなくせに大体酷く焦がすので、私が作る三回に一回は、そのどちらかが食卓に並ぶ。

「いただきます」

最後に卵を綺麗に焼いて貰った。丁度良い白身のとろとろ加減は流石である。ケチャップで遊んでから、一口食べる。

「おいしい」
「うまい」

自画自賛しながら食べるのは、毎度のことだ。高杉は一口が大きいので食べ終わるのもすぐのことだったが、自分が食べ終えたあとも私が食べ終えるまで向かいに座っていてくれることも、毎度のことだ。
私が最後の一口を口に運ぶ途中、高杉のケータイが鳴った。

「メール?」
「あァ」
「遠距離恋愛は大変だね」

高杉の彼女からメールが来るのも、毎日のことだ。私は会ったことのない、顔も知らない、どこかで高杉を想いながら生きているおんなからのメールを読む高杉の目は、やさしいくせに寂しそうで、そんな顔を見てしまったら、私はどうすることも出来なかった。

「ケチャップついてんぞ」
「えっ」

ぱこんとティッシュの箱で頭を叩かれながら渡される。高杉が私に笑い掛けるだけで嬉しくなってしまうのだから、手の打ちようがない。口元を拭って、ティッシュにくっついたケチャップを見て、こんな風に拭ってしまえたら良いのにと思う。あとはくしゃくしゃに丸めて捨ててしまえば良いのだ。

「つーか一口、残ってんじゃねェか」
「うん、…高杉食べる?」
「要らねェのか」
「うん」

要らない。拭い去れたら良いと思いながら、それが出来るティッシュがあったとしても、私は拒否するだろう。
最後の一口が無くなると、高杉は「風呂入ってくか?」と言った。私は頷いて、食器を流しへと運び、そのまま洗う。流れてゆく水を見て、またヘンなことを思いそうだった。
お風呂が沸くまで、半ば気を紛らわすために食後のコーヒーを飲むことにした。高杉の分も淹れて、それと、買ってきたチョコレートも一粒ずつ付けた。なんとなくテレビを点けながら、高杉は彼女へメールを打っているらしい。私はテレビを見ているフリをして、そんな彼の様子を窺いたかったけれど、頭の中を彼女でいっぱいにした高杉を見ていられるわけもなかった。

「彼女とは円満なの」

もうすぐお風呂が沸くだろうというとき、立ち上がりながら私は言う。裏に隠された「彼女と別れるご予定は」という言葉を仕舞い込んで、まるでそれを祝福するかのような明るい声を出した。

「ったりめーだろ」
「ですよね」

じゃあ、お先。そう言って、当たり前のように存在する私の着替えとバスタオルを準備する。
浴槽に浸かりながら、少し泣いた。


「上がったよ」

肩にタオルを掛けて髪を拭きながら声を掛けるが、高杉はどうやら眠っているらしい。彼の顔の前に回り込んでしゃがみ込む。
一度は、私に触れたクセに。
そんな悪態を心中で吐いて、だからこそこんな関係になってしまったのだと苦笑する。心がないまま身体だけくっついてしまった。それから指一本触れてこないにも関わらず私の近くに居るのは何故かわからないけれど、私が高杉の傍に居る理由とは違うということだけは、わかっている。私が抱える気持ちは報われないし、私はそれをただ抱えているだけしか出来ず、そのまま気持ちが小さくなってゆくのを待つことしか。

「  すき、」

ぽたりと落ちた雫が高杉の頬に落ちた。
すると彼は瞼を持ち上げて、私は咄嗟にタオルで髪を揉んだ。

「お風呂、空いたよ」
「…ん」

おぼつかない視線を向けられて、胸の奥が疼く。そのまま腕を私へ伸ばしてきた高杉に、あの日がフラッシュバックして、まるで彼が私を求めていると錯覚してしまいそうで、

「ほら、寝ぼけてないで早く」

パシンと払われた手を少し見つめて、高杉は「悪い」と呟き立ち上がる。それから私の頭を軽く撫でるから、驚いて固まった。浴室の扉が閉まる音がして我に返ったときにはもう、ごまかせない程の涙が溢れていた。

微睡みに埋めた恋心
image song:ヘルメンマロンティック