■ ■ ■

※ネームレス

「……暇だねぇ」
私は隣に座った長谷部にそう話しかけた。
へし切長谷部はわたしの最も信頼する近侍だ。彼は今、縁側に座るわたしの隣に腰掛けて、庭を眺めながら静かにお茶を飲んでいる。光忠の作ってくれた茶菓子はお茶によく合って、わたしは側に置いたそれをひとつつまんでぱくりと口にいれた。うん、やはり光忠の料理は美味しいなとひとり心の中で頷く。そういえば洋菓子にも興味があるって言ってたし、今度何か一緒に作ろうって頼んでみようかな。わたしがそう口にすれば、長谷部は驚いたように軽く目を見開いた。
「え、主、料理出来たんですか」
「ひどいな、出来るよ。光忠が来るまではわたしが食事作ってたんだからね」
ゆっくりと流れる時間の中で、他愛ないことを話していれば、本丸はすっかり夕暮れの光に包まれていた。燃えるような夕陽が辺りを橙に染め上げる。庭の桜がはらはらと風に舞い散るのをぼんやりと眺め、綺麗だね、と言いながらもわたしは、どこか寂寥感を覚えていた。普段ならば様々なことに追われていてなかなか考えられない時間の使い方だが、今は違った。
長きに渡って続いた、わたしたち審神者率いる刀剣男士たちと歴史修正主義者たちの戦い。執拗に攻撃を仕掛けてくる遡行軍や検非違使たちを退けて、それがつい先日、刀剣男士たちの勝利をもって幕引きを迎えた。そして、それから数日。特に『しなければならないこと』のなくなったわたしたちは、出陣はしないものの、普段通りに日課をこなしつつ、こうしてお茶を淹れたりして、長い間この本丸についぞ訪れることのなかったゆったりとした時間を過ごしていた。いつまでこの緩やかな時間が過ごせるのかは分からないけれど、何か今後のことが決まったら政府から連絡が来るだろう――わたしは気楽に構えていた。伊達に何年も審神者をやってきたわけではない、細かいことにいちいち驚いたりしない程度には、わたしの胆力も鍛えられていたのだ。……そう、思っていた。そのあとすぐにこんのすけに別室に呼ばれ、あの話を聞くまでは。

こんのすけがわたしを呼んでいる、そう伝えにきてくれたのは先ほども団子を持ってきてくれた光忠である。彼は長谷部くんだけずるい、などと言って皿の上に残っていた団子をひとつつまんだ。 作ったの光忠でしょう、そう言って笑うと、ふたりも可笑しそうに頬を緩める。ああ、平和だなあと思う。本丸の皆とずっとこんな時間が過ごせたら、どんなに幸せだろう、なんてふと考えた。
団子や茶器は片付けておく、と言ってくれたふたりの言葉に甘え、光忠に言われた通り部屋に入ると、そこにはちょこんと座布団の上に座したこんのすけがいた。
「どうしたの、こんのすけ。わざわざ別室にまで呼び出して」
わたしが向かいに腰掛けてそう訊ねると、小さな狐はわたわたと慌てて弁解した。
「お呼び立てして申し訳ありません、本来ならばこちらからお伺いするのが筋というものなのですが。内容が内容であるだけに、こうした形をとらせて頂いたのです」
内容が内容、そう言われて俄に少しばかり緊張を覚えたわたしは、ぴしりと背筋を伸ばしてこんのすけに話の続きを促す。こんのすけは、そんな私の様子を見てひとつ頷くとその『内容』について話し始めた。
「……審神者様、長きに亘り審神者としてお務め頂き、有り難う御座いました。数多くの審神者様の御尽力によって、先日、我々政府はこの国の歴史を脅かし続けてきた歴史修正主義者たちを殲滅することに成功致しました。お力添えに心より御礼を申し上げます。……さて、こちらとしましては明日未明、全ての審神者様をもといた時代にお返ししたく……」
そこから後の話は、正直に言ってあまり覚えていない。「現世に帰される」、この言葉だけが突然のことにうまく回らない頭の中をぐるぐると廻っていた。
こんのすけは最後に居住まいを正してわたしに告げた。それはまるで、ここに初めて連れてこられたあの日のように。

「刀剣乱舞、これにて終了に御座います」


◆◇◆


「はぁ……」
賑やかな部屋をひとり抜け出し、わたしは縁側に腰掛けてひっそりと溜め息をついた。大部屋では全ての刀剣男士たちが集まって、別れの宴を開いてくれていた。誰も彼もが賑やかに歌い、踊り、楽を奏でて思い思いに騒いでいた。大広間に満ちたら宴の明るい空気は決して居心地の悪いものではなかった。実際、その明るさが沈みがちなわたしの心を少し押し上げてくれたりもしたのだ。ただ、今は少しだけ、ひとりで静かに考えたかった。
戻る、ということ。元の時代に、かつて自分がいたあの場所に、もう一度帰るということを。
―――「戻る」だなんて、考えたこともなかった。現世が嫌いなわけじゃない。けれど、いつの間にか、本丸は、皆で過ごした日々は、確かにわたしの大切なものになっていたのだ。自分はこの身が押し寄せる年月に朽ち果ててしまうまで、ここで、この本丸で、審神者として刀剣たちと共にあり続けるのだと、これまでずっとそう思って日々を過ごしてきた。それなのに、
「帰る、のか……」
知らず知らずのうちに頬を涙が伝う。月の光につめたく冷やされたそれは、これが悪い夢などではないのだということを教えてくれた。夢じゃないことくらい、わかっている。泣くまいとする意志に関係なく、ぽろぽろと流れ落ちる涙に、わたしは顔をしかめた。
「…お嫌ですか」
「……っ!」
誰もいない、そう思っていた空間に不意に響いた声に驚いて慌てて泣き濡れた顔を上げる。慌てて振り返ったそこに立っていたのは、まだ宴会で皆と騒いでいるはずの長谷部だった。
「長谷部……」
いつからいたの、とは聞けなかった。そんなことを訊ねる前に、彼はその長い指でそっとわたしの涙を拭ったのだ。
「は、長谷部……っ、何しに来たの、何かあったの?」
わたしは慌てて立ち上がり、涙を見られた気まずさを誤魔化すように矢継ぎ早に問う。
「……」
何も答えない長谷部にしびれを切らして、わたしは慌てて言い募った。
「何なに、あれか!あれでしょ、今日で最後だっていうのにわたしが勝手にフラッといなくなったから寂しかったんでしょ?ごめんごめん、すぐ戻るから!ね、皆にもそう伝えて?」
「……」
彼はなおも黙っている。……怒って、いるのだろうか。自分たちを放ってふらりといなくなる、無責任な審神者に。
「……ねえ長谷部、」
困惑したわたしが再び声をかけると、彼はようやくその口を開いた。
「……主、現世にお帰りになるのは嫌ですか」
一瞬、心臓が止まってしまうかと思った。こんなにはっきりと、そんなことを言葉にされてしまうなんて。わたしはそんなにわかりやすかっただろうか。……知られたく、なかったのに。しんみりさせたくなくて、話の流れを上手く宴会の方に持って行ったつもりだったのだけれど。
「……っ、長谷部、何を言っているの、」
「主、誤魔化さないでください」
長谷部は俯けていた顔を上げる。綺麗な藤色の瞳が、わたしをまっすぐに見据えた。……ああもう、そんなにまっすぐ見つめられてしまっては、とてもじゃないけど敵わない。
「……うん、嫌だよ。現世に帰るなんて考えたことも無かったし、帰る気も無かったし」
それに、わたしはこの本丸の皆と、長谷部と、離れたくなんてないから。
どうせ最後なんだ、そう思って、長谷部の藤色の瞳をわたしもまっすぐ見据えたまま、そう言い切る。すると長谷部は、少しだけ驚いたような顔をして、そしておもむろに口を開いた。
「貴女と離れるのは、嫌なのです」
一旦、言葉を切ってこちらを見やる。え、と小さく言葉が零れた。待って、今そんなことを言われたら……、せっかくさっき抑えた涙がまた溢れてきてしまいそうだ。それでも言葉の続きを促すようにひとつ頷くと、長谷部はまたこう言った。
「皆、そう言っています。……永久に貴女のお側にいたい。私たちは、……俺は、貴女を失いたく、ない」
一度言葉を切って、長谷部はおもむろにその瞳を閉じた。そして、ふっと視線を緩める。ふわりと微笑んで、その藤色は慈しむようにわたしを見つめた。ああ、そんな表情をされたら、わたしは、
「主……どうか、貴女の御名を、教えてくださいませ」
私の足元に跪いた彼が口にしたその一言は、――まるで求婚の言葉のように甘美に響いた。
「ええ、わたしは……わたしの名は、――――」
そして、わたしは、


疾うに廃れた王国の鍵

長谷部はヤンデレっぽくて好きです。可愛い。これ一応とうらぶ1作目、のはずなんですけど、なんだかとっても薄暗くなりました。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -