ライと子ども

 体が大人になっても数年は生理が来ないままだった。細胞が安定する期間がどうのと研究者が説明してくれたが、正直ベレッタは全くその意味を理解していない。ベルモットがどうにかしてくれるだろう、としか。今までも困ったことは全て彼女に言ってきた。言わば母親なのだ、彼女が。

「…っ、い…ったぁ…」
「我慢しなさい。それしかないわ」
「やだぁ…どうにかしてよ…っ」

 ベルモットは首を振るばかり。トイレで股の間から血が流れるのを見てベレッタはパニックになったというのに、ベルモットは微かに笑うばかりだ。

「やだぁ…も、ぜんぶ、嫌!」
「ホルモンバランスが常人より著しく崩れるのもデータ通りね…ま、女である以上多かれ少なかれ堪えなきゃいけない痛みよ。仕方ないわ」
「ベルモットのばかぁ!ばか!」

 罵る為の語彙は少ない。腹部の鈍痛、頭痛、ホルモンバランスの乱れによる情緒不安定に一気に襲われているのだろう。訳も分からず、ただ頭の中を嫌な気持ちだけが支配して、子どものように(実際子どもだ)繰り返すベレッタに、ベルモットはやれやれと肩をすくめた。ベレッタが寝転ぶベッドの脇に腰かける。ばたつく手足を避けながらベレッタの額を優しくなでると、その瞳からとうとう涙がこぼれた。

「おとなしくしておきなさい。しばらく寝ていれば収まるわ」

 その身体だけはまるっきり成熟しているのに、中身は幼子。もしも娘がいて、初潮を迎えたとしたら、一体どんな風だったろうか。そんな風に少し思いを馳せないこともない。最後に軽くその瞼の上を撫でて立ち上がると、弱々しく服の裾が掴まれた。

「…ベル、ベルモット、うそ、いや、うそだから、やだ、やだ、行かないで…っ」
「…泣かないのよ、いい子だから」
「おねがい…っ!ごめんなさい、ごめんなさい、おねがい…ベルモ、」

 任務の時間は迫っている。ベルモットは少しだけためらった後、彼女の額にキスを落としながらこっそり首を絞めて意識を失わせた。
 涙の跡が痛々しい。ハンカチで拭って、そのハンカチを枕元に置いた後、ベルモットはあっさりと部屋を出た。

 ぱたん、とドアを閉じた廊下にて。

「あら…案外律儀ね。まだいたの。…でももうあなたの役目は終わったわ…ライ」
「………これから任務か?」
「ええ。そういう訳だからもう行っていいわよ」
「…」

 扉のすぐ傍の壁にもたれかかっていた男、ライは、腕組みしたままちらりと扉の方を見やった。そしてすぐベルモットに視線を戻す。ベルモットは、ライが何を言いたいか汲み取った上で、ライの目の前で扉の鍵を掛けた。

「私がいない間、“あの”状態のあの子に男は近づけさせたくないの。分かったらここを離れてくれる?」

 ライはすっと壁を離れて踵を返した。それを見てベルモットは満足げに笑い、カツ、カツとヒールの音を響かせながら廊下を去っていった。



「……まるで本当に赤子だな」

 ベレッタの寝顔を見て、ライは囁くように呟いた。腫れた目元は痛々しく泣いた痕跡を残している。ベッド脇のサイドテーブルにはご丁寧に水差しとグラスが用意されていた。枕の傍にはぬいぐるみが数個、クッションは柔らかくファンシーな色合い。
 ベルモットの趣味か?ライはベレッタに注意を向けたまま部屋を見回した。

「…ん……」

 大人の女性が漏らしている吐息のはずなのに、どう見ても赤子の寝息にしか聞こえないのは一体なぜか。
 青ざめた顔でふらつく彼女を見つけたのが数十分前。ベルモットのところへ行きたいのだと泣く彼女に肩を貸さない理由は無かった。組織の中で正式なコードネームは与えられていないにも関わらず、ベルモットのお気に入りで、ジンすらも無碍には扱わない異質な存在、ベレッタ。普段はベルモットのガードが固く近づくことすらままならなかった中、今回の一件はまたとない好機だった。…青ざめた顔の理由は何となく察しがついている。

「…一体お前はなんなんだ?」

 なぜベルモットにここまで気に掛けられるのか。要領が悪く子どもじみているのにジンに生かされているのか。

「ん…だれ…?じ、ん…?」

 またひとつ謎が増えた。寝起きに無防備にこんな風にジンの名を呼ぶほどの関係が築けているのはなぜか?

「…やぁ、だ……じん…、ね、さらさら、させて?」

 さらさら?

「じーんー、おねがい、も、ベルモットもいないんだもん…」

 ひどく甘ったるい声。女が男に媚びるというよりは幼子が兄や父に甘えるような声。…ライはなぜか妹のことを思い出して、とりあえず彼女の傍に寄った。すると当然のようにその手がするりと伸びてきて、ライの長い髪を掴んだ。引っ張られるがまましゃがんで彼女の傍に顔を近づけると、彼女はようやく満足げに笑みらしきものを浮かべた。

「さらさら……あれ?…ジン、髪のいろ、」

 そこでようやくベレッタは間違いに気づいたらしい。目がきょとんと丸く見開かれる。新鮮といえば新鮮な反応だ。

「…あ。さっきの」
「………コードネームはライ。…具合はどうだ?」
「ぐあい?……あぁ」

 ことんと首を傾げた彼女は、嫌なことを思い出した、とでもいうように顔を顰めた。

「わたし、病気なのかなぁ」
「………月経だと思ったが、違ったか?」
「げっけい?」
「……女性なら月に一度…いや、まぁ…」

 純粋無垢にしか見えない彼女にそれをストレートに口にするのはなぜだかはばかられた。いくら知能が遅れているとはいえ、彼女の年齢上、月経は何度も経験しているものだと思っていたが。というよりそうでなければおかしい。彼女を連れまわしているベルモットが、彼女に満足に栄養を摂らせていないというのもまず考えられない。となれば生理不順であるということは考えにくい。
 何か理由があって月経についての知識がないというのなら、それは一体なぜ。

「……………初めてなのか?」
「なにが?」
「だから、…股の間から血が流れるのが、だ」

 知っている語彙の少ない彼女に伝わるようにと直截な言葉を使う。彼女は気にした様子もなく、ようやく理解したような様子を見せた。

「こんなの、何回もあったら、死んじゃわない?」
「…その心配はないと思うが」
「ねぇ、それより、何だか熱いの。脱いでもいい?」

 …誘われているのか?ライは一瞬頭に考えを巡らせた。幼いとはいえベルモットの傍に常についている女だ。そういうことを教え込まれていてもおかしくはない。それとも何かの計略か?

「……、…なぜ俺に聞く?好きにすればいいだろう」
「ベルモットが、レディは人前でみだりに服を脱いじゃいけませんって。時と場合を考えなさいって。考えたけど分からないから聞いてるの」

 ………あまりにも素直すぎやしないだろうか。この分ではベルモットやジンについて探ってもあっさり口を開きそうだ。…代わりに、自分がそれを探ったこともあっさりあちら側に漏れるだろうが。

「…ホルモンバランスが乱れて一時的に体温が上昇しているんだろうが、体は冷やさない方がいい。水を飲めば少しはましになるんじゃないか」

 経験したことはないので一体どういう風に調子が崩れるのかは知らないが、女性の体について知らないわけでもない。ライはサイドテーブルの水差しからグラスに水を注いでやった。



戻る │ →
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -