贖罪、後悔、沈黙
(じゅうななさい、というのは。)
するりとその頬に触れてみた。そうしたことは何度もあったのに、まるで初めて触れるみたいに指先が震えた。
(………まだ、こどもだ。)
彼女が呼吸をするたび、彼女の吐息で曇る酸素マスクを眺めるともなく眺めながら、赤井秀一は、悔いていた。もしかしたら己でもそうと自覚せぬままに。
赤井秀一という男は、そのようには定められていなかったので。
(俺より、十七も年下で。…つまり、俺の半分ほどしか生きていない)
彼女は、…ナマエという少女は。
(妹と同い年、……真純と、同い年。)
目を閉じて、真っ白な病室の、真っ白なベッドの上に横たわっている少女。
赤井は、自分が彼女にしたことを、ひとつひとつ思い出していた。それが彼女への贖罪になるわけでもないと知りながら。
あらゆる暴力と凌辱の限りを尽くした。組織に潜入するため、組織に馴染むためと言い訳をして。彼女が自分にすり寄ってきた時、本当に求めていたのは庇護だったことを知りながら、彼女の言うままに支配を与えた。飼い主として振る舞い、彼女の望むままに彼女に命じ、愛玩し、人でないかのように扱った。それが彼女の望みだと言い聞かせて。彼女が本当は何を望んでいたかなんて、痛いほど分かっていたのに。
(そうするより他になかった、か?)
そうかもしれない。あるいは組織に身を潜めていた自分自身、どこかで発散する場を求めていたのかもしれない。なるべく自分の欲望のままに振る舞わないように自制していたとはいえ、そんなものは何の言い訳にもならない。彼女に向けて自分の欲望を、精を放ったことがあるのは事実なのだから。
彼女が大人ならよかったのだろうか。ベルモットのように、組織に染まり切った大人だったなら。………大人だったなら、飼い主など求めなかっただろう。庇護など不要だっただろう。
もはや、赤井秀一の思考は、何の意味も為さなかった。
音もなく、病室に誰かが入ってきた。
扉に背を向けてベッドの傍に座っていた赤井は、振り向くこともせず、静かに口を開いた。
「…未成年の子どもを組織に差し向けるなどとんでもないと君は怒っていたな」
それが当然のように、入ってきた降谷も静かに答えた。いきなりの問答に戸惑う素振りも見せず。
「………ええ。あなたは歯牙にもかけていないようだった」
「全て終わったら償うと言っただけだ。…俺とて何も感じないわけじゃない」
赤井は、眠るナマエを見詰めていた。ずっと。
その頬は白くまろくて、何の化粧も、男を騙す艶やかな笑みもまとわぬ顔は、ただの少女のものだった。大人びているといえどまだ成年に達さない、子どもの。
「…まだ間に合いますよ。生きているんだから。」
「許されることではないだろうから、俺は、謝るつもりはない」
「……彼女にですか?」
「彼女にも、君にも」
降谷は、はぁ、と溜め息をついた。
「僕にはいいです。もう謝罪は何度か聞きましたし…あなたなら止められたはずだ、なんて、無責任にもほどがある言葉でした。…あなたは神さまでもスーパーマンでも何でもないのに」
降谷は灰原との会話を思い出した。
『あの人ね、私には謝らないと思うの』
『……赤井秀一ですか』
『ええ。それと、江戸川君…工藤君と言った方がいいかしら。………私、彼に、なぜお姉ちゃんを助けてくれなかったの、って詰め寄ったことがあるのよ。会ったばかりの頃。』
少女はとても皮肉気な笑みを浮かべた。自嘲するような。
『ばかよね。…彼は神さまじゃないのに。とても賢くて、行動力があって、本当にたくさんの事件を解決してきた人だったから……何でもできるって思い込んで、きっとそれが工藤君を追いつめてた。…謝った方が彼は楽になるだろうに、それを私が絶ってしまったの。…だから、全部終わってから、無理やり謝らせたわ。何て嫌な女だろうと思われただけかもしれないけど。…落ち着いたらあの人にもそうさせるつもりよ』
『………なぜその話を僕に』
『さあ?理由は自分で考えたら?…必要かしらと思っただけよ』 あの少女は、もしかしたら全てお見通しなのかもしれないとも思う。
降谷は頭を振って、目の前の男に向き合った。
「僕に謝る必要はありません、謝りたいなら謝らせてあげますけど。…でも彼女には、謝った方がいい。僕が言えた義理じゃありませんけどね。…あなたより僕の方が、彼女には嫌われていますし」
「………」
「大体、間違ってますよ。あなたは、全て終わったら償う、じゃなくて、全て終わってから彼女を労わると言ったんです。言葉を違えるつもりですか?」
「……俺のことが嫌いなわりに、俺の言葉なんかよく覚えているな」
「嫌いだから隅々まで知っているんですよ、あなたのことは」
降谷はにこりと笑って見せた。安室透とはまた違った笑みで。
「………………いつものように噛みついてはくれないんだな」
「僕はあなたが大嫌いですから。あなたの望むことなんてしませんよ」
その物言いに、赤井も少し笑った。
「なるほど、君は酷い男だな」
「何をおっしゃるんだか。あなただって十分酷い男ですよ」
「……ああ、そうだな。知っている」
「……冗談です。やめてください、弱ったあなたなんて見たくもない」
赤井秀一は本当に黙ってしまった。降谷はもう一度溜め息を吐いた。本当に、冗談じゃない。
「……僕は、あなたを憎んだ。世界でいちばん憎むべき男だと思ったからです」
「…………」
「あなたは自分を憎んでいるんでしょう?僕とあなたの違いなんてそれだけだ。あなたがいなければ僕だって自分を憎むしかなかった。……自分を憎むより他人を憎む方が楽に決まってる。だから、わざとスコッチの件の真相を黙って、僕に自分を憎ませたあなたは、……僕よりいくらか酷くない男ですよ」
赤井はさやかな苦笑のようなものを浮かべた。
「………………少し、一人にしてくれ」
降谷はそれ以上言うべき言葉を思いつかなかったので、…というよりは言いたい言葉はおよそ言い切ったので、素直にその言葉に従った。くるりと踵を返し、病室の扉へ。
「あ、そうそう、灰原さん。…いや、宮野さんと言うべきかな。彼女は君の謝罪がほしいそうですよ」
かちゃん、と、扉は閉まった。
一人になった病室で、赤井はまた少女の寝顔を見詰め続けた。