捕食者は誰?

朝方になって、少し眠ってしまっていたらしい。目を開けると、ナマエが寄りかかっていた医務室のベッドは既に空で、シーツはナマエの肩に掛けられていた。
手足の先がすぅっと冷たくなり、胸の奥で心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
覚悟していたはずなのに、情けない。医務室のドアを開くのに数十秒時間をかけ、外に出る。

しかし、予想に反して。

「何だ、医務室から出てくるなんて。怪我か?サボりか?」

「おうナマエ、今日は珍しく寝坊か?」

「厨房はもう片付けにかかってたぞ。早く行かねェと食いっぱぐれるぜ?」

廊下は全くいつもの通りにざわついていて、活気に満ちていた。ナマエに対していつもと違う視線なんかこれっぽっちも、ほんの欠片すらも感じられない。
ナマエは目を瞬かせた。

「副船長は」

「んあ?副船長なら今日は製図室に籠るから邪魔すんなつってたぞ。急用じゃないなら後にした方がいいぜ」

「…そうか」

ナマエはそっと製図室へ向かった。副船長がそう言っていたなら、他のクルーはよっぽどじゃない限り邪魔をしてこないだろう。

少し黴びた紙の匂いと、インクの匂い。それに混じる彼の匂いは、もはや濃厚にナマエの鼻に届くようになっていた。

「…ああ、ナマエか。入れ」

「………体、もういいのか」

「だからその物言いは誤解を招く」

「………………レバーと、ニンニクの匂い…それにほうれん草とモール貝?」

「を、クラッシュして全部混ぜ合わせたのを今朝ドクターにもらった。前より鼻もよくなったらしいな、そんなに匂うか?」

どれも造血促進効果のあるものだ。同時に、船では貴重な食材たちでもある。

「…そこまでして庇ってもらわなくても、覚悟はできてたのに」

「庇う?」

「平気なふりをするのには、随分体力が要るんじゃないか。それにそんな貴重な食材、よかったのか?」

 朝になってベックマンが医務室のベッドから動かなかったら、嫌でも事情を問い詰められることになる。そう覚悟していたのに、彼は無理やり造血促進して動いていて、ナマエの予想は裏切られてしまった。

「どうせ後数日中には島に着く。問題ない。それにどうせおれは一日ベッドの住人になる気はさらさらない」

「……これを機に少しは休んだ方がよかったんじゃないか?」

はは、と声を出して笑ってみたが、自分が情けない表情をしていることはナマエも分かっていた。

かたり、とペンを置く音がした。

「ここへ来たってことは、覚悟ができてると見ていいようだな」

立ちあがったベックマンが、閉じたドアの前に立ったままのナマエの傍に寄ってきた。ナマエは少し唇を噛んで俯いた。

「………ナマエ」

と、頭の横に、筋肉のついた太い腕が置かれた。そこから伸びる上腕二頭筋は当然目の前にいる男の肩に続いている。

「………は?」

思わず俯かせていた顔を上げると、いつもの静かな黒い瞳の奥に―――なぜだか獰猛さをちらつかせた、ベックマンの瞳と目が合った。少しかがんでナマエに顔を近づけている彼の表情は、まるで、

「………私の方が捕食者のはずなんだが。まるで飢えた虎みたいな顔をしているな、副船長」

「ああ、じゃああんたは、差し詰め今から食われる憐れな子ウサギってところか」

「………何の遊びだ?」

本気で訳が分からなくて、上の方にあるベックマンの顔を見上げると、彼は少し固まった。

それから、はー、と盛大な溜め息。

「…いやまあ、今日のは確認みてェなもんだから気にしなくていい」

とりあえず、彼が息をして動いている気配は、相変わらずとても心地よかった。



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