あるところに、愛を知らない少年がいました。

少年は魔女に頼みます。
「愛されたい、真実の愛をください」と。

すると魔女はこう言いました。
「真実の愛と引き換えに、歩くことを禁じる」と。
足の痛みは引かぬがそれを、耐えねばお前の先は無と。

(人魚姫は泡になって消えてしまいました)
(めでたし、めでたし)



息苦しくも心地良い沈黙。
足音だけが響く図書館は夕陽に染められていた。

車椅子の少年は、器用に車輪を回し本を探す。
あるコーナーで車輪を回す腕を休め、顔を上げた。
濡れた瞳は本を探しさまよい、一点で止まった。

ブラウスの袖から色素の薄い肌が覗いた。
視線の先の本を求め、伸ばされた腕は小さく震え、上半身を伸ばそうと力を入れた直後、少年は崩れ落ちた。

「い…ッうあ…」

足の痛みに呻き、本棚に手を突き上体を起こした。
しかし足は動かず、また冷たい床に這いつくばる。
何度もそれを繰り返す様はまるで、陸に打ち上げられた魚の様だ。

「うう…いつッ」

すると床を蹴る音が響いた。
その音は段々と近くなり、止まる。「自分、大丈夫か!?」


背後から聞こえた重低音に鼓膜が震える。

その声の主に支えられ、少年は車椅子に腰を下ろした。

「大丈夫か?」

「ん…ああ、ありがとう」

「どういたしまして」

にこりと笑った。

「せや、自分どの本取ろうとしたん?」

「あ…あれだ」

白い腕を精一杯伸ばし、本を指した。

「これか?」

変わった口調の彼は本棚に手を伸ばし、鮮やかな碧い色彩の本を手に取った


「人魚姫?自分、絵本読むん?」

「いや…ストーリーを思い出してな、だけど一部わかんなくて」

「ふうん…」

絵本を受け取り、ありがとうと一言言い車椅子の車輪に手を掛けた。
すると再び、重低音が鼓膜を震わした。


「自分、名前は?」

「…、あ、俺は、跡部景吾だ」

「けーごか、俺忍足侑士や、よろしく」

また、にこりと笑う。

「ありがとうな、忍足侑士」

「なんや自分、助けて貰ったゆうのに偉い冷たいな」

「…」

「なあ、一緒に読もうや、景吾」


(人魚姫は人間の王子に恋をしました)
(王子の船は事故に遭い、人魚姫は王子を助けました)



 ◆ ◇ ◆


「人魚姫、改めて読むと泣ける話やな…」

「…」


少年はただ、思いました。
似ている、と。


(人間の王子は人魚姫に恋をしました)



「選択の話だな」

跡部は呟くように言った。


 ◆ ◇ ◆


「今日も来とるんか」

「ああ」

その日から彼等は頻繁に会うようになった。
別に、約束をしている訳では無い。磁石の様に引き寄せられる。
彼等の出会いは必然の様と見えた。

跡部はいつも洋書を読み、忍足はラブロマンスを読む。
時折、眼鏡を外して涙を拭いながら独り言。

跡部は少し呆れながら横目で忍足を見る。
そして浮かんだ一つの疑問に、顔をしかめた。

―何故この男は、愛を口にしないのだろうか―



ただ痛む足(と胸)を抑えることしか出来なかった。

(人魚姫は人間の王子に恋をしました)


 ◆ ◇ ◆


「海岸は風が気持ちええなあ、景吾?」

「そう…だな」


忍足に押されながら海沿いの道を歩く。
日差しが海に反射して、眩しさに目を細めた。




「なあ、忍足侑士…」

「なん?」

「お前は、なんで愛とか…恋とかを口にしねえんだ?」

「何言い出すんよ」

軽く笑って誤魔化す忍足に苛立つ。

「だって、おま…っうあっ…」
「景吾!?」

突然の足の痛みに、跡部は呻いた。

「いってえ…ッ痛いよ…うっ…」

「景吾っ大丈夫か景吾!!」






「な、で…っ」

「!?」

「なんっで、愛してくれなか…んだよ…ッな…で…!」


肩を抱きながら紡ぐ言葉はとても弱々しい物だった。


「愛じて…よお…ッ足、痛くて…痛くてっもう…無理…ッ」

跡部の体は崩れ落ちた。

(人魚姫は泡になって消えてしまいました)


 ◆ ◇ ◆


「堪忍な、魔女さん。約束守れへんかったわ」


足の自由を無くした少年は、魔女に頼みます。

「歩ける足を下さい」と。

すると魔女は言いました。
「足の自由と引き換えに、愛する事を禁じる」と。



できねばお前に先は無と。


人魚姫の代償
(泡になった人魚姫)
(天に登って幸せね)

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