至福のランチタイム


 


 煉獄さんの紹介で蝶屋敷の手伝いに来てから早一か月。連日運び込まれてくる怪我人の対応で毎日へとへとだった。鬼が毎日のように出没していることにも驚くし、過酷な戦いを想像させる怪我にも緊張感が走る。それでも頑張っていられたのは、暇さえあれば様子を見に来てくれる煉獄さんと、優しい蝶屋敷の方々のおかげだろう。
 私は厚意に感謝し、自分の薬は全て蝶屋敷に渡してしまった。ここで働くのなら、私が使うのも他の方が使うのも一緒だからだ。
「まさか名前さんが、煉獄さんとお知り合いでしたなんて」
 二回目の蝶屋敷入りの時、しのぶさんはそう言って私を歓迎してくれた。しかし、そんなことより私には気にかかっていることがある。
 煉獄さんは、しのぶさんのことが好きなのでは……?
 最初の頃、煉獄さんがやたらと蝶屋敷に来てくれるのは私に会いに来てくれているのだろうと自惚れていた。だが、もしかしたら私が蝶屋敷で働く以前から頻繁に顔を出していたのかもしれないし、実力が同等のしのぶさんの方がお似合いなのは明白だ。よくお昼休みに定食屋に連れて行ってくれる煉獄さんだが、必ずしのぶさんにも声をかけている。もっとも、しのぶさんが誘いに乗ったことは一度もなかったけれど。
 ということは、仮に煉獄さんがしのぶさんを好きだったところで、片思いということだから、私にもチャンスが……?
 そこまで考えて慌てて首を振る。私はいつからこんなに煉獄さんに熱を上げてしまっていたのだろう。前の世界でも大好きなキャラクターという存在で心酔していた自覚はあったものの、まさかここまで入れ込んでしまうとは。しかし、この世界に来ていざ本人を目の前にしてみると、威風堂々とした立ち振る舞いやおいしそうに食べるところ、戦いの最中の身のこなしから何から、恋に落ちない方がどうかしているというほどの魅力ばかりが目に入る。
「煉獄さん……」
 薬を整理しながら愛しい人の名を呟いた。完全に恋する乙女だ。
「煉獄さんがどうかしたのですか?」
「し、しのぶさん! ……いえ、何でもないんです」
 迂闊さを反省しながら仕事に集中する。在庫が心配な薬品をチェックしてしのぶさんにメモを手渡す。
「そろそろこちらを発注した方がいいと思います。もうすぐ使い切ってしまいそうなので」
「わかりました。……名前さんは、煉獄さんが好きなのですか?」
「いえ、あの……は、はい……」
「あらあら」
 何故だが途端に嬉しそうな表情になったしのぶさん。何だ、この反応は。
「私、女の子と恋のお話をすることに憧れていたんです。ほら、うちのカナヲやアオイはそういったことにあまり興味がないようですから。名前さんは、煉獄さんのどこが好きなんですか?」
 突然のガールズトークモードに私もワクワクしてくる。急速にしのぶさんとの距離が縮まったような気がした。いつもはアンニュイな瞳が好奇に輝いている。
「どこと言われると……不謹慎だとはわかっているんですけど、以前に鬼狩りに同行した時の活躍がすごくて……」
「ああ、わかります。煉獄さんの戦いはなんというか、華麗ですよね」
「わかってくれますか!? 本当に華麗でかっこよくて、隊士の皆さんが頼りにするのもわかるなって本当に思いました!」
「そうですね。本当に頼りになる方です。強さと優しさを併せ持つ殿方は素敵ですね」
「そうなんですよ! あ……ま、まさかしのぶさんも煉獄さんのこと好きだったり……しませんか……?
「それは大丈夫です。ただの同僚ですよ」
 不安になって尋ねると、なんとも心強い言葉がすぐに返ってくるが、本当にそうなのだろうか、と恋する乙女特有の猜疑心が頭をもたげる。
「本当ですか? でも、こんな話聞いてたら好きになっちゃったりしませんか?」
「いえ、安心して話してくださって大丈夫ですよ」
「そうですか? あ、あとあと、食事の時なんですけど……」
 キャーキャーとはしゃぎながら愛しい人の魅力を存分に伝える。しのぶさんがもしもライバルになってしまったら勝ち目はないだろうけれど、今は彼女を信じてガールズトークに花を咲かせていただこう。
 どれくらいそうしていただろうか。
「何の話だ?」
 聞き覚えのある声に振り返ると、煉獄さんご本人がいつもの様子で立っていた。相変わらず愉快そうに弧を描いている口許にすら色気を感じてしまう。
「れ、れれれ、煉獄さん! どうしてここに!」
 聞かれただろうか、とつい赤くなってしまう。私の狼狽ぶりにしのぶさんがクスリと笑う。そんな私の態度とは裏腹に、煉獄さんは何も意に介していない様子でいつも通りに昼食に誘ってくれた。
「まもなく昼の時間だろう。定食屋に誘いに来た。――一緒にどうだ?」
「私のことはお気になさらず」
 いつも通り煉獄さんの誘いに応じず、しのぶさんはひらひらと手を振った。確かにこの様子では、しのぶさんは本当に煉獄さんを何とも思っていない様子だ。
「ではしのぶさん、休憩に行ってきます」
 緩んだ表情のまましのぶさんにぺこりと頭を下げて、煉獄さんの後を追う。
 煉獄さんはこの辺りの定食屋に精通している。どこへ連れて行ってくれてもおいしいお店ばかりだ。今日はどこに連れて行ってくれるのだろう、とウキウキした気分になる。
「今日はよく晴れているな!」
「ええ、綺麗な快晴ですね! そういえば、昨日も遅くから任務に行かれていましたよね。どうでしたか?」
「うむ。昨夜はある村の中に鬼が出た。鬼の強さよりも、一般の方の避難の方が苦労した。鬼を信じぬ者もまだ多いからな」
「それはお疲れさまでした」
「ありがとう。名前はどうだ。仕事には慣れたか?」
「お気遣いありがとうございます。毎日忙しいですが、充実してますよ」
 そう答えたところで、煉獄さんおすすめの定食屋に到着した。カップルがやたら多く入っていく隣の蕎麦屋に比べると随分と高級感漂う漆黒のその店は、炭火のような木材で建てられていた。中も黒一色で統一されており、店主のこだわりを感じさせる。全ての席が半個室のようになっており、秘密めいた感じになんだかワクワクした。それでも天井付近につけられた小窓から日が差してちょうどよい明るさになっていたから、決していかがわしくはない落ち着いた雰囲気を醸し出してくれる。
 自然に座敷の奥に私を通してくれる煉獄さんにときめきながら、ゆっくり腰掛ける。お品書きをすっと差し出され、少しだけ指先が触れ合った。
「煉獄さんはメ……お品書きを見ないんですか?」
 ときめきを隠すようにわざとらしく問う。煉獄さんはいつもと変わらない様子で元気に答えた。
「俺はいつもの日替わり定食だ!」
「そうなんですか。では、私もそれにします」
「それがいい!」
近くに待機していた店員さんがさっと顔を出す。きっと煉獄さんの声はよく通るから、メニューが決まったことを察したんだろうな、と少しおかしくなった。
「そういえば、明日はお休みをいただいているんです」
 食事を待つ間の世間話として切り出す。すると煉獄さんはパッと笑顔になり、一層大きな声を発した。
「それなら明日はまた町へ行かないか?」
 少し期待はしていたものの、嬉しい提案に私の表情も自然と綻ぶ。
「いいんですか? でも……煉獄さんもお疲れでしょう?」
「問題ない! この前は甘味処が目的だったが、途中の通りには面白い店がたくさんある」
「それは楽しみです!」
 和やかに微笑みあったところで、二人分の定食が運ばれてきた。玄米ご飯にお吸い物、鮭の塩焼き、肉じゃが、ほうれん草のおひたしという一汁三菜を見事に体現したような非の打ちどころのない定食。彩も豊かで栄養バランスも申し分ない。
「いただきます」
 二人で両手を合わせて本日の食材に感謝を告げる。この世界に来てから旬の食材を口にすることが多くなり、より一層食事のありがたみを感じるようになった。今日もおいしくいただきます。
「うむ! うまい!」
 煉獄さんはお吸い物を一口飲んでいつも通りに美味さを伝えた。小窓から外に筒抜けになっているだろうその声は、十分な宣伝になっていることは間違いない。
 私も煉獄さんに倣ってお吸い物を一口啜った。じんわりと温かいかつおの香りが鼻から抜ける。私の今までのお吸い物の概念を見事に覆したこの一杯は、見事というより外ない。
「ほんと……すごくおいしいですね!」
 私の声も思わず大きくなる。窓の外から、「そんなにおいしいお店なの?」、「今日のお昼はここにしようか」といった声が聞こえてきて、慌てて私は口を覆った。
「気に入ってくれてよかった。この店は、絶対に名前と二人で来たいと思っていたところだ」
「連れてきてくださってありがとうございます。ところで……」
 私は声を潜めて煉獄さんに囁く。煉獄さんは顔を寄せて心配そうな表情を形作った。
「どうした? 何か苦手な食べ物でもあったか?」
「そうじゃないんです。あの……」
「うむ」
「ここの日替わり定食、他にはどんなものがあるんですか?」
 焼き鮭から皮を剥がしながら煉獄さんに問うと、彼はプッと吹き出してから盛大に笑った。
「そんなに気に入ってくれたか! よし、今度もまたここに来るとしよう!」
「嬉しいです。約束ですからね!」
楽しそうな煉獄さんに満足し、いつもより食事がおいしく感じられる。
目指せ定食の全制覇、と意気込んで、まずは目の前の肉じゃがに箸を入れた。

 




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