人身御供


春の夜が一瞬にして炎上する。
「火消しはまだか!」
 常連客の叫びを私はどこか他人事のように聞いていた。両親は視界の端で抱き合い蹲っている。煤けた顔や手が惨事を物語っており、命が無事なだけよかったのかもしれない。
「もうダメだろうな……」
「放火だって?」
「最近、嫌がらせ酷かったもんなぁ」
「隣町の定食屋、捕まったんでしょう?」
「目撃者がいたって」
「酷いことするわねぇ」
 野次馬や常連客の会話であらかたの事情を把握する。やっぱり前々から嫌がらせをしてきていた隣町の定食屋がやったんだ。でも捕まったというなら、これ以上の被害はないはず。
「お父さん、お母さん」
 蹲る両親のもとにしゃがみこむ。煤けた黒い顔が呆然としていた。
「隣町の定食屋さん、捕まったんだって。またここからやり直していこうよ」
「もう無理だ……立て直すにはどんだけ金がかかることか……」
「大丈夫だよ。お客さんもきっと再開を待ってくれているし」
「もう無理なんだよ!」
 両親は声を上げてこの世の終わりかのように取り乱した。私も泣き出したい気分だったけれど、大の大人がこれだけ人目を憚らずに泣いていれば、一緒になって泣くことなんてできそうになかった。
 ただただ心細い。別れたばかりの義勇さんに早く会ってこの不安を鎮めてほしかった。

 義勇さんが任務に立って一週間。つまり我が家の定食屋が燃えてからも一週間。店の再建の目途は全くと言っていいほど立っていなかった。だから父が神妙な表情で私を呼び出した時は、いよいよ再興を諦めるのかと落ち込んだ気持ちでついて行ったものだ。
「名前、座りなさい」
「はい、お父さん」
 店と住居はほんの近所に位置している。炎上したのは店だけだったから家は無事だったけれど、半焼した店が家の窓から見える度に憂鬱な気持ちになっていた。
「もしかしたら店が再建できるかもしれない」
「そうなんだ、よかった」
 重苦しい表情の父に違和感を抱きながらも、嬉しい報告に胸を撫で下ろす。しかし父の表情は硬いままだ。
「ただし、名前次第ということになる」
「え、私? どうして……」
「父さんの知り合いにな、とてもお金持ちの方がいるんだ。代々大事な稼業を担っているんだが、ご長男がなかなか嫁を娶ろうとしない」
 さっと顔から血の気が引くのを感じる。この話の続きは聞かなくても想像がついた。
「ご当主が今回の話を聞きつけて援助を申し出て下さって……名前のような健康な娘をぜひ嫁に欲しいと言って下さっていて」
「お店の再興の費用と引き換えに、私がお嫁に行くってことね」
 心苦しいのだろう、父はゆっくりと頷いた。
「私に結婚したい人がいるの、知ってるよね」
「ああ……」
 無表情に問う私に消え入りそうな声で父が返す。私は正座したまま天を仰いだ。
 愛してない人と結婚なんてしたくない。そう、よっぽどの事情でなければ。
だけど今まで私は散々好き勝手やらせてもらってきた。本来なら許されないようなこちらからの縁談破棄を何度行おうと、両親は笑って許してくれた。いつでも私の意思を尊重してくれた。両親だけではない。いつも常連客が私を見守り、どんな失敗だって許してくれた。店の再建にもいつでも手を貸すと言ってくれて、再開を楽しみにしていて、うちの味を待っている人たちがいる。
今こそが、「よっぽどの事情」なのだろう。
「いいよ」
 私がふっと息を吐くと、父は畳に頭を擦りつけた。
「ごめんな、名前……ごめんなぁ……」
 涙声で謝罪する父の姿を涙目でとらえて、私はそっと自分の部屋に戻った。座布団に顔を押し付けてさめざめと泣く。私は家のために、お店のために結婚する。義勇さんとの思い出が走馬灯のように脳裏を過ぎった。彼の傷だらけの手。無表情が和らぐ瞬間。片身替りの羽織。優しい唇。それを私は今、手放した。
「さよなら、義勇さん。私はずっとあなたを愛しています」
 一人の呟きは誰にだって聞かせない。
私はもうすぐ微塵も愛していない人と結婚する。だけど、それがなんだ。
 心までは絶対に渡さない。

 父から話があった翌日には、私は店の再建のための資金援助をしてくれるという煉獄家に両親ともども向かっていた。どうやらとっくに話はついていて、私が仮に拒否したとしてもそんなことは何の材料にもなりはしなかったのだな、とどこか冷静にことを捉える。
 馬鹿みたいに広い客間に通された時、派手な髪色が視界に入る。先日の家事を思い起こさせる燃えるような髪色に私が嫌悪感を抱いたのは言うまでもない。
 精一杯の正装をした家族一同も、真の金持ちの前にはおままごとのようだった。畳に頭を擦りつける両親と対峙する全く同じ見た目の三人の男性の内、真ん中の男性が私の結婚相手のようだということは容易に想像がついたけれど、私には何の感慨もなかった。その他の二人が相手だろうと別にそれはそれで構わない。この三人の内誰であっても、私が愛することなど未来永劫ないのだから。
 私には何故両親がこんなに平身低頭しているのかよくわからなかった。この婚姻は金と私の交換のはず。それならばこちらが下に見られる道理などありはしない。
促されて私も頭を下げる。とんだ茶番劇だな、と冷めた声が脳内で上がった。
「はじめまして。苗字名前です」
「煉獄杏寿郎だ!」
 うるさいほど溌剌とした声に虫唾が走る。義勇さんとはまるで反対の殿方のようだ。
 私は顔を上げてその声の主に目をやった。睨むようにして挨拶を続ける。
「初めに告白しますが、私は生娘ではありません。あなたを愛すこともありません。店の手伝いも止めません。それをご承知おきください」
「ではなぜ、この結婚を……」
 煉獄杏寿郎と名乗った男が問おうとした時、父が私の頬を張った。衝撃で畳に蹲るが、涙なんて出るはずもない。そんなものはとっくに枯れている。
「申し訳ありません、煉獄様。この不躾な娘をどうぞ教育してやってください」
「何でそんなに媚び諂うのよ。うちと煉獄家は対等でしょう。それぞれ差し出してるものがあるんだから」
 身を起こしながら父に問えば、顔面蒼白で唾を飛ばしてくる。
「いいからお前は黙ってろ! この度は本当に、本当に」
「構わん。煉獄家としては後継ぎを産む健康な嫁がもらえれば良いだけだ。娘は今日から返さんが、構わんな」
「もちろんでございます。さぁ名前、これ以上の失礼のないように」
 それでは私どもはこれにて失礼、と両親がそそくさと退場する。残されたのは煉獄家の三人と、後継ぎを産むために呼ばれた健康だけが取り柄の私のみだった。これから何をすればいいのだろうとぼんやり正座していれば、三人の内の一番小さな男の子が私の着物の袖を引いた。
「お顔を冷やしましょう。腫れてしまいます」
 私が冷たい一瞥をくれると、弟君は少し怯んだ様子を見せた。
「千寿郎よ、すまないな。俺が彼女の手当てをしよう!」
 その様子を見ていた煉獄杏寿郎という男が弟を制し、私に手を差し伸べてくる。私はその手を振り払った。
「結構です。一人にしてください」
 そのやり取りを見ていた父君と思われる男性が私の元へずかずかと歩み寄ってくる。しゃがみこんで私の顎を無遠慮に掴んだかと思えば、酒臭い息で凄んできた。
「お前はこの煉獄家に嫁に来たんだ。うちのやり方に従ってもらう」
「覚悟はしてきております。早速今日にでも子作りを開始すれば満足でしょうね」
「ちっ、小娘が」
「もう名前をお忘れですか?」
「やめましょう、お二人とも!」
 緊張した空気を割ったのはまたもあの溌剌とした声。意志の強そうな瞳の煉獄杏寿郎が私の手をぐっと引き、そのままずんずんと家の中を歩いていく。
「触らないで」
「君の部屋はこっちだ!」
「ねぇ、触らないでよ!」
 私が手を振り払うと、煉獄杏寿郎は困ったように微笑んだ。
私に触らないで。義勇さんの温もりを、あんたなんかで上書きしないで。あの傷だらけの優しい手を忘れさせないで。
「すまなかった、名前」
「気安く呼ばないで」
 取り付く島もないと感じたのか、煉獄杏寿郎は私のことをチラチラと気にしながら先を進んだ。
 私に割り当てられたのはとても日当たりのいい広い部屋だった。優に三人は生活できそうなその部屋に私一人と思うと嬉しいような寂しいような複雑な気持ちになる。
「名前……さんは、どうしてこの結婚を?」
 聞きにくそうな声に視線を送る。常に微笑みを湛えている種類の人間なのか、心の中が判然としない。しかし彼が何を考えているかなど全く気にならない。興味もない。
「何も知らずに私を娶ったの? おめでたい人」
 私の冷たい声にいよいよ打つ手なしといった様子の煉獄杏寿郎は、肩をすくめて出ていった。
 そして私は夜の十二時に死んだ。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -