身に余る幸福


いつも通りの昼の書き入れ時。両親は少しだけ不在にする、と言い残して私に店番を任せて出ていった。今日は春祭りだから思い切って夜は閉店にしようと話していたものの、当然ながら明日以降は日常が続く。きっとその準備なのだなと了承して、私は常連客の注文を聞いて回った。
 入り口で鈴がりんと鳴る。厨房から振り返って見えた姿に私は目を疑った。どうして彼がここに。
「……義勇さん」
 いつも通り鮭大根を温めて提供し、彼に小声で話しかける。義勇さんの表情が和らいだ。
「任務は終わられたのですか?」
「今日でちょうど二週間だ。まだ春祭りに間に合うかと思って急いで帰った」
「そんな……お忙しいのに、覚えていて下さったんですね」
 感激に声を震わせると、義勇さんが視線をさまよわせていることに気付く。どうしたのですか、と一声かけると、義勇さんは無表情のままで言った。
「ご両親に結婚の許可をもらおうと思っていたんだが……今日はいないのか」
「あ……たぶん、明日からの材料を買いに出ているんです。今だけ私が店番を任されていて」
「そうか」
「だから、今日は食後のお散歩、ご一緒できないんです」
 残念がりながら私が告げると、義勇さんはさも当然かのように口を開く。
「これからはいつでも一緒だ。散歩も買い出しも、どこでもな」
「そうですよね」
 今更ながら、結婚の挨拶という言葉の衝撃を感じて、私は照れ笑いした。そうか、私、義勇さんと結婚するんだ。
「今日は春祭りを少し回って、夜にあらためてうかがおう」
「今夜はお店は閉めますので、落ち着いて話ができると思います」
「そうか」
 それから義勇さんは鮭大根を平らげて、一度家に帰ると言い残して出ていった。任務疲れなのだろう、ゆっくり体を休めてほしいが、正直なところ、私は彼と春祭りに行けることに浮かれていた。

 夜になり、いつもとは違う着物を着付けて化粧をする。姿見に映った自分はどこか別人のように見えて、微笑んだ姿でようやく自分なのだと理解する。義勇さんは私のことを、見る度に美しくなっていく、なんて殺し文句で評した。もし本当だったのならこんなに嬉しいことはない。私は義勇さんにもっとふさわしい女性になる。
 私は家を出る間際にあらためて両親に念押しした。夕方も話したけど、と付け加えてから。
「二人もお祭り行くんだよね。だけど、お祭りが終わる頃の時間にはちゃんと家にいてよね。ちょっと会わせたい人がいるの」
 ここまで言えばさすがに伝わったのか、両親が意味深な笑みを浮かべている。その表情に何だか急に照れくさくなって、私は足元に視線を落とした。
「わかったから、早く行ってらっしゃい。九時には帰ってくるのよ」
「はい。行ってきます」
 ちらりと見た父も母も、どこか嬉しそうにしていた。二人のあんな表情は久々に見る。ここのところも嫌がらせは続いていたから、店の先行きについて遅くまで話し合っていることは知っていた。今日の昼も買い出しついでに警察や、もしくは隣町の定食屋に乗り込んでいったのかもしれない。私も不安なことはたくさんあるけれど、不思議と義勇さんとの結婚が間近に迫っているからか、必要以上に悲観的にならずに済んでいた。
 川沿いを通り過ぎ、華やいだ夜店を行く。心地よい気温に身を任せて歩けば、落ち着いた気分の中にも高揚感が潜んでいることがわかる。お昼に会ったばかりなのにもう恋しい。義勇さんの待つ一角までもう間もなく。
 相変わらずの片身替りの羽織が見えた時、私は史上最高の幸せを感じていた。
「義勇さん」
 腕を組み俯きがちで木に寄りかかる義勇さんは、誰もが絵にしたいと思うほどの麗しさだ。舞った夜桜が彩る彼の羽織をそっと引いた時、表情が一瞬だけ綻ぶのがわかった。あ、この表情好きだな、と思った瞬間、私の体は彼の腕の中。潜んでいた高揚が遠慮なく姿を現し、私は目を閉じて二人分の鼓動を聞いていた。
「早くこうして名前を抱きしめたかった」
「私もです。義勇さん」
「落ち着くな」
「私はドキドキしています」
 義勇さんはお決まりのそうか、という言葉で私の言葉を受け止めると、力を緩めて私の体を自由にした。
「その着物、似合っているな。結い上げた髪も、化粧も綺麗だ」
「ありがとうございます。義勇さんはいつも通りですね」
「すまない……」
「えっ、責めたつもりは……。その服装、かっこいいなって思ってますよ、いつも」
「そうか」
 義勇さんはさりげなく私に手を差し出し、掴むように促した。迷うことなくその手を握れば、傷だらけの掌が私を包み込んでくれる。
「任務、大変でしたね。怪我はしませんでしたか?」
「問題ない。今回の任務は胡蝶という柱と一緒だった。蟲柱というんだが」
「蟲ですか、強そうですね。やっぱり柱っていうのは、義勇さんみたいに素敵な男性ばかりなんでしょうね」
「胡蝶は女だ」
「そうなんですか! 戦う女性、かっこいいですね」
 私みたいに定食屋でさえ、結婚後にも働くと言っただけで疎まれるというのに、戦う女性なんてさぞ大変な困難を乗り越えて来たことだろう。会ったこともないその女性に対して私は尊敬の念を抱かざるを得なかった。
 遠方から賑やかな声が聞こえてくる。視線を移すと、いくつかの山車とそれを取り囲む人々が練り歩いているのが見えた。見ればうちの常連客も山車を担いでいて、先頭切って大声を出している。
「見て、うちの常連さんです」
「確かに見覚えがある」
「楽しそうですね」
 義勇さんと二人笑い合いながら山車を見物し、夜店を覗く。お面屋さんで狐の面を見たときに興味深そうな様子を見せた義勇さんには少しだけ驚かされた。
「狐のお面、可愛いですね」
「俺の師匠も面を彫っていた」
「お師匠様が? 器用な方ですね」
「ああ。俺と古い友人に彫ってくれて……懐かしいな」
 きっとまだまだ私の知らない一面が彼にはあるのだ、と思うととても胸が躍る気がする。これからたくさん知っていけたら。私の色んな一面も見てもらえたら。
 祭りの夜も更けてきた。私たちはそろそろ行こうか、とどちらでもなく了承すると、私の家までの道を進んでいく。
 はずだった。
「南南西!」
 突然の声に私と義勇さんは目を見合わせる。義勇さんは頭を抱えて長く息を吐いた。私はと言えば、空中を旋回し彼の肩に止まった鴉が喋ったことに目を見開いて仰天するしかなかった。
「鴉が喋った!」
「……名前、すまない。急な任務だ」
「義勇さんの鴉なんですね。任務って……体は大丈夫ですか? 今日戻ったばかりなのに……」
「問題ない。それよりも名前のご両親に申し訳が立たないことを悔いている」
「そんなのいいです。すぐに向かわれますか?」
「ああ。そんなに長期にならないといいが……行ってくる」
「行ってらっしゃい」
 本来だったら許されない往来での口づけでも、今なら許される気がして私は義勇さんの背に手を回した。温かい。彼の温もり。戦いに向かう義勇さん。どうかご無事でいて下さい。
「次こそ君のご両親に挨拶しよう」
「はい。ぜひ」
 私は手を振って、駆け出す義勇さんを見送った。
 一人火照った頬を夜風で冷ましながら帰路を行く。今日の挨拶は叶わなかったけど、帰ってきたらまた来てもらえばいい。それよりも連日の任務で体は大丈夫なのかが心配だ。今度の任務はどれくらいで戻れるだろうか。
 心配をため息に載せて吐き出していると、向かいから常連客が血相変えて走ってくるのが見えた。ただ事じゃない様子を視線で追っていると、彼が私に気付いて慌てて足を止める。
「名前ちゃん、大変だ!」
「え、私ですか? どうしました?」
「店が……店が……」
 その先を聞く必要はなかった。店の危機だということを瞬時に察した私は、常連客と共に定食屋への道を駆けだした。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -