ルール変更


 トントン、と軽くドアをノックされて、私は布団から起き上がった。相変わらずひどい頭痛だったけれど、さっきよりかは幾分マシだ。頭を抱えながら少しだけ大きめの声で返事をする。
「はい」
「俺だ。入るぜ」
 オレオレ詐欺師も真っ青なほどに図々しく部屋に入り込んできたのは、やはりというべきか天元だった。腹立たしいほどに浴衣が似合うその男前さに、不覚にも胸がときめいてしまう。
「よぉ、調子はどうだ」
「悪いです。それより、こんなところ生徒に見られたら誤解されますよ、宇髄先生」
「誤解? 誤解っていうのは、間違った解釈をされることだろ?」
 じゃあ、これは誤解とは言わねぇな。
 天元が起き上がったばかりの私を再度布団に押し付け、口づける。視界が一瞬で転換して、マシになったはずの頭痛が蘇った。ぬるりと入り込んでくる舌を受け入れられるほど私の体調は快復してはいなかったし、ましてや、そんな気持ちになどなれないというのが本当のところだ。
「ちょっ……天元……んっ、あっ……」
「いい声出てんな」
「ふ、だめ、だってばっ……んんっ」
「これでも心配してんだぜ?」
「じゃあ、やめてよ……まだ調子、ん……良くない……」
 情事の最中とは異なった本気の拒絶に、天元は一瞬躊躇いながらも行為を止めた。少しだけ黙り込んだ後に、沈黙が苦しくなったかのように彼はこんなことを言いだした。
「煉獄がやけに名前のことを気にしてるぜ」
「煉獄さんが?」
 天元の言葉にドキリとしながらも、なんてことない風を装う。しかし、煉獄さんは私を気にしているというよりは、女性として気遣ってくれているだけな気がする。私個人がどうとかというほど興味を持たれている気もしなければ、それほどの好感度は間違いなく抱かれていない。ただ、――これは私の想像だが――学生時代から天元が女性を多数泣かせてきた姿を見ているからこそ、私がその毒牙にかかっていると思い、注意してみてくれているのではないだろうか。
「何でだろうね」
「知らねぇけど、さっきも温泉でお前が倒れた時に真っ先に飛び出していったのはあいつだったぜ」
「そっか、あらためてお礼言っておかなくちゃ」
「本当は俺が派手に助けに行きたかったんだけどな」
「そう? ありがとう」
「……意味、わかんねぇのかよ」
「なにが?」
 天元が真剣な表情で私を見る。頭痛で鈍った思考を言い訳にして、私はその意味に気付かないふりをした。今だけは不調による愚鈍な動きが幸いし、私の表情すらも奪ってくれている。
「……何でもねぇ。早く治せよ」
 私の頭を軽く撫でて、天元は立ち上がった。ドアを開けて、もう一度こちらを振り返る。
「おやすみ」
「うん、おやすみ、天元」
 布団から手を出してひらひらと振る。
 なんだか疲れてしまった。今日あったことをあらためて振り返る。合宿に来て、我妻くんんに告白されて、温泉で倒れて、煉獄さんに運ばれて、天元にキスされた。一日で随分と濃厚な経験をしてしまったようだ。
 私は何で天元とこんな関係になったんだっけ、と我妻くんの告白を思い返すかたわらでぼんやりと考えた。思い出したくない記憶が睡魔と共に襲い来て、私を夢の世界へと引きずり込んでいく。

「お前は少し重すぎる」
 その言葉が体重のことであったらどんなに良かっただろう。だって、努力して痩せれば何とかなる可能性があるじゃないか。だけど、好きな人に尽くしてしまう性質は無意識のもので、そうそう変えられるものではない。私は尽くすタイプだよ、と最初からこちらは宣言していた。むしろそういうタイプが好きだ、と言ってくれたのはあなたの方なのに。
「ここまでとは思わなかったからさ。俺は応えられる自信ないわ」
 ごめんな、と申し訳なさそうに言った彼の笑顔を私は決して忘れないだろう。嘘つきはこいう風に笑うのだ、と私は網膜に焼き付けた。一見、心底申し訳なさそうに見えるけれど、その実、本当は他に何人もの女の子と付き合って秤にかけていたことを私は知っている。次々と脱落していく彼女たちには申し訳ない気持ちだったけれど、最後の二人まで絞られた時に、私は心のどこかでその子に勝った、と思っていた。だって、私の方が彼に尽くしていたし、従順でものわかりが良かったから。それが都合のいい女としての価値であって、彼女や妻にしたい女の価値でなかったことに初めて気付いたのは、その残酷な宣言がなされた時だった。
 どうして、と私は泣きに泣いた。あんなに尽くしたのに、あんなに愛情を注いだのに。結局はわがままで喧嘩ばかりの奔放な女にとられた。しばらく泣き暮らし、やがて私は変わろうと思った。もう重い女とは誰にも言わせない。恋愛なんて、駆け引きだ。ライトに楽しんで本気になったら負けのサバイバルゲーム。引き際がいつだって肝心で、どうやっておいしいところにありつけるかだけを考える。それが大人の付き合い方なのだ。
 そしてこの学校に赴任してしばらく経ってから、私は天元に声をかけられた。「いつも無理してる感じがするんだよな」と言った彼の誘惑に負け、一度きりのつもりでホテルに行った。結果、ずるずると今日に至る。私は天元を絶対に好きにならないように気を付けていたけれど、彼の方が私を好きにならないかどうかまでは気が回らなかった。そもそも、そんなことに気を付けていなくたって、天元が私を相手にするはずなどなかったのだから。
「……朝、だ」
 小鳥のさえずりが聞こえる。障子から陽が差し込んでいる。よく眠っていたようだ。体調はすっかり万全だったが、気分がひどく悪かった。
リアルな夢をいくつも見た。どうせなら、素敵な男性と幸せでラブラブな夢が見たかったのに。なんでこんなに胸糞悪い夢ばっかり。
 天元との始まりを思い返したくなかったのは、かつての惨めな自分を思い出すから。私は自分に誓った通り、おいしいところだけを得るために天元と何度もセックスをしている。しかし、それももう潮時のようだった。昨夜の天元の様子から、彼の気持ちの問題によって私たちの関係が壊れかけているのは明白だからだ。
 掛け時計に目をやると、時刻はまだ朝の五時だった。普段でもこんな早くに目覚めることはないのに、異なった環境下がそうさせたのか、私の脳は随分と冴えていた。顔を洗い身支度を整え、散歩でもしようと部屋を出ると、ドアノブにコンビニの袋がかけられていることに気付く。中身はペットボトルの水や栄養ドリンクだ。誰だろう、と思って中を見るも、ヒントと思われるものは何もなかった。
 私はその袋を持って庭に出た。広い敷地をあてもなく歩き周り、自然の音に耳を澄ませる。道場に近付くと、人の気配が濃くなった。こんな時間から朝練? と思いながら道場を覗き込むと、最近やたらと縁のある金髪が熱心に素振りをしているのが目に入る。
 本当にちゃんと部活してるんだ。
 半信半疑だった私は我妻くんの努力を目の当たりにして、少々感動すら覚えてしまう。
「名前先生、おはようございます。体調はもういいんですか?」
 私に気付いた我妻くんが素振りを止め、流れる汗をタオルで拭った。
「おはよう、我妻くん。あれ、私が具合悪いって、そんなに騒ぎになってた?」
「あー……いや、なんというか」
「じゃあ、これも、我妻くん?」
 私はコンビニの袋を掲げて問うた。我妻くんは照れくさそうに、
「まぁ、そうですけど」
と言って素振りに戻った。昨日のことなど何もなかったかのように、彼が私を意識の中から外しているのがわかる。練習熱心で偉い、と思いながら私は道場に入り、壁に寄りかかって座ってその姿を眺めた。
「おはよう、少年! 朝から熱心だな!」
「煉獄コーチ。おはようございます」
「苗字さんも、早いな!」
「お、おはようございます」
静謐な空間に割って入ったのは煉獄さんだった。彼は彼で通常営業という感じだ。
昨日のことなんて何事もなかったかのような二人の態度に、意識しているのは私だけなのかな、なんて少しだけ切ない気持ちになる。天元との関係が終わったなら、私は誰かとまた「大人の付き合い」を始めるのだろうか。だけどそれは、この二人のどちらでもない気がした。この二人を相手にすると仮定するのなら、「大人の付き合い」なんて、とてもできそうにないだろう。
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