内緒のはなし


 結局合宿初日の私の出番は、練習中に足を捻ってしまった部員の手当一度きりだった。手当と言っても、足首を氷で冷やして湿布を貼ってテーピングを施した程度だ。こんなマニュアル通りの作業であれば何も私でなくても良かっただろうにと、今回の自分の存在意義がますます分からなくなる。それに加えて先ほどの我妻君の告白に、信じられないくらい動揺している一方で、ここ何年恋人を作っていないだろうかとふと考える。私だって、何も好んで天元とセフレの関係を続けているわけではない。もし、私のことだけを一生愛して大切にしてくれる人が現れてくれたら、それ以上の愛と幸せを相手に与える自信があるのに。
 でも、そんなお伽噺のような展開はとっくの昔に諦めた。私の恋愛遍歴は裏切りの連続だった。元々人に尽くしすぎるタイプの自分にも問題があるのかもしれないが、尽くしても尽くしても裏切られ続けた恋愛の結末は、本気で人を好きになることに強い恐怖を植え付けてしまった。
 我妻君だって今は私を恋人にしたいなんて口ではいっても、それは所詮高校生の恋愛ごっこだ。この年代にありがちの年上女性への憧れにすぎないだろう。愛だの恋だのはそんなものだ。結婚式で愛を誓って、その宣言通りに生涯愛を貫き通してくれる人なんて、この広い世界を探し回っても数えるほどしかいないのではないだろうか。
 最近巷でよく耳にする芸能人の不倫のニュースは如実にそれを表しているようで、本当に胃の辺りがむかむかして虫唾が走る。だから言わんこっちゃないと、面識もない芸能人に嘲笑さえしてまうほどだ。だからこそ天元との身体だけの関係は楽で良かった。最初から割り切っている関係は相手に裏切られる心配も傷つく心配もない。お互いの欲求を必要な時に満たす。ただそれだけのこと。
 こんなことをぼやぼやと考えているうちに、スマホに表示された時間は既に夕食予定時間を一時間近く過ぎていた。夕飯まで食べ損ねてはたまらない。煉獄さんや我妻君に会わないといいな、なんてことを思いながら、私は食堂までの廊下を走った。
 有難いことに、食堂に残っていたのは後片付けを始めるケータリング業者と、楽しそうに女子トークに花を咲かせる栗花落さんと神崎さんだけだった。ほっと胸を撫で下ろし、迷惑そうにこちらを一瞥したケータリング業者から本日の夕飯を支給してもらい、私は二人の隣の席に腰掛ける。
「あ、苗字先生。いらっしゃらないから、夕飯も食べないのかなって二人で心配してたんですよ」
「心配かけてごめんね。それより、もう二人だけ?相変わらず男子は食べるのが早いね」
 皿にたっぷりと盛られたサラダを頬張りながら問いかける。もぐもぐしながら話す自分は我ながら行儀が悪い。
「実は、コーチの煉獄さんがこの近くに温泉があるって教えてくれたんです。だから男子は皆こぞってそこに向かったみたいです。ちょうど今、私達も行きたいねって話していた所で…。よかったら苗字先生も一緒に行きませんか?」
 生徒からの突然のお誘いに驚くも、温泉好きの私にとっては聞き逃せない朗報だった。「行く!」と二つ返事でOKし、私は慌てて本日のメインディッシュのカレーライスを掻っ込んだ。

「は〜、気持ちいい!それに星もとっても綺麗に見える」
 神崎さんの言葉に同感しながら天を仰ぐと、普段生活しているエリアでは絶対に見ることの出来ない無数の星のきらめきが広がっている。乳白色の湯に浸かりながら、硫黄の香りが立ち込める湯気を肺一杯に吸い込んで視界には収まりきらないきらない星空を眺めているだけでも、合宿に引率した甲斐があったと満足する。
 神崎さんの言っていた「煉獄さんの教えてくれた温泉」は、彼の別荘から本当に歩いて数分の所にあり、大浴場に加えて露天風呂も備わっていた。
「ね、苗字先生聞いてくださいよ!カナヲったら竈門君と付き合ってるんですよ」
「え、そうなの!?」
 神崎さんが思い出したように話しだす。昔から、修学旅行やお泊り会の女子トークは恋バナと相場が決まっている。いくつ齢を重ねてもこういう話題は楽しいなと思いつつ、私は顔を真っ赤にさせて狼狽する栗花落さんに好奇の視線を送る。
「し・か・も、もうちゃっかりすませてるんですよ!」
「す、すませてる!?すませてるって、竈門君とキスってこと?」
「やだ苗字先生。今時キスなんて幼稚園児でもしてますよ。エッチですよエッチ!竈門君あんな爽やかな顔してド変態なんだから」
「ちょっと、アオイちゃん」
 栗花落さんがいよいよ我慢の限界という風に神崎さんの口を両手で塞ぐ。一方その情報を聞いてしまった私は舌を巻く。…今の女子高生は体の発育だけでなくその他の方面の発育も、私の時代とは大分異なるようだ。先ほどの我妻君の濃厚なキスにもなんとなく納得してしまう。それにしても、竈門君てド変態なの?
 暫く関心しながら二人の掛け合いを聞いていた私だが、まだ高校1年生の生徒達の不純異性交遊の話を聞いてしまった手前、果たして養護教諭として注意すべきなのだろうかと逡巡していると、神崎さんがそういえばといった感じで今度はこちらに話を振る。
「苗字先生は、彼氏とかいらっしゃるんですか?やっぱり先生達の中で職場恋愛とかあるんですか?」
「え、私!?」
 職場恋愛という言葉に一瞬天元との不毛な関係が頭を過るが、「先生を揶揄っちゃいけません」と作り込んだ笑顔で一蹴し、興味深々の神崎さんをなんとか制する。たとえ相手が年上であろうとも、打ち付けに際どい質問を投げかけてくる所は最近の若者の傾向なのだろうか。とにかく彼女達とこのまま恋バナを続けていると、余計なことを喋ってしまいそうで怖かった。
 乳白色の温泉と満点の星空に後ろ髪を引かれつつ、先に湯船を上がろうとした私の耳に良く知った声が飛び込んでくる。どうやら声は男性用の露天風呂から響いており、男女の湯船が思ったよりも近いことに初めて気が付く。
「煉獄。お前まだこの間のこと気にしてるのか?」
「気にするなという方が無理だろう。俺は宇髄のそういうところは、昔から理解出来ない」
 どう考えても煉獄さんと天元の声であった。しかも話の内容は、紛うことなく2週間前の私と天元の保健室での情事に関して。こんな話を生徒にでも聞かれてしまったらまずいと思い、栗花落さんと神崎さんを恐る恐る見るも、幸運なことに二人はバストの大きさやセックスのプレイに関して話が盛り上がっているようであり、まるで気が付いていない様子だ。女子高生が繰り広げる恋バナにしてはえげつない内容にほっとするのもどうかと思いつつ、私は塀の向こうの二人のやりとりに耳をそばだてる。
「おいおい、お互い合意の上だぜ?煉獄は本当に昔から真面目だよな」
「たとえ合意の上であったとしても、万が一のことが起きた時に君は責任をとれるのか?辛い思いをするのはいつだって女性なんだぞ」
「俺はそんな地味なへまはしねえよ」
「そういう問題ではない!」
 私は真っ赤になった顔を隠すように湯船に身を沈める。目と鼻の先に乳白色が迫るがそんなことは気にもならない。煉獄さんの言葉に心臓の鼓動が速まるのを無視出来なかった。まさかあの状況を見て、女性側―あの場合は私なのだけれど―の心配をしてくれているなんて胸がときめかない方がどうかしている力強い言葉だった。煉獄さんみたいな人であれば、きっと一生をかけて心に決めた人を愛してくれるのではないだろうか。幸せなお伽噺が脳裏を掠める。いやいや、いくらなんでも短絡的すぎる思考だ。でも、もし、彼が本当にそうだったら…。
 いや、仮にそうだったとしても彼女がいないとは考えにくいし…答えが出るはずのない自問自答を続けているうちに、脳みそまで湯船に浸かってしまったようにぼーっとし、浮遊感に包まれる。身体が驚く程熱く、全身が痺れたように力が入らない。あれ、私どうなっちゃったんだろう。遠くで慌てた様子の栗花落さんと神崎さんの声を聞いた気がするが、温泉から沸き立っては夜空に溶けていく湯気のように、私の意識も遠のいた。

 重たい瞼を持ち上げた私の視界が徐々に鮮明になっていく。ここはどこだろう。私は一体どうしたんだっけ。回らない頭でぼーっと天井を見つめていた私の視界に、陽光を固めたような大きな橙色の双眼が突如として現れる。
「む、目が覚めたか?」
 芝居の暗転のように意識が急速に切り替わり、私は勢いよく起き上がる。どうして煉獄さんが?という私の疑問は痺れるような頭痛に打ち消される。
「っ…」
「まだ寝ていないと身体に障るぞ」
 雷に打たれたような頭痛に思わずこめかみを抑えると、煉獄さんが私の肩をそっと掴んで優しく布団に戻してくれる。一体何がどうなっているのだろう。状況を知りたい気持ちと聞きたくない気持ちが葛藤し二の足を踏む。私の挙動不審な様子を察してか、煉獄さんは小さく溜息をついてここまでの経緯を話してくれた。聞けば聞くほど、体中が燃えるように居た堪れなくなる。穴があったら入りたいとはこういう時にこそ使う言葉だ。
「まったく。養護教諭である貴方が倒れるなど、論外だな」
「…。情けなくて言葉もありません。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。…その、ここまでは煉獄さんが運んでくださったのですか」
「当然だ」
「あの……えっと…やっぱり見ましたよね」
 私は意を決して一番聞きたくて聞きたくなかったことを口にする。体中の熱を頬に集めて赤面し恥ずかしそうに煉獄さんを見る私に、彼も頬を少し赤らめぱっと視線を逸らす。
「……あの場合ではいたしかたなかった。…申し訳ない」
 ああやっぱり。この体を一度ならず二度までも煉獄さんに見られてしまった。大恥が体中を這い回る。恥ずかしすぎて死んでしまいたい。せめて天元が運んでくれたらよかったのになんて、贅沢なことを考えてしまう。
「こちらこそお見苦しい姿を…本当に申し訳ございません。なんと謝罪をしていいのか」
 呪文のように「申し訳ございません」「すみません」を呟く私に、煉獄さんはそんなに謝るなという視線を送ってくる。
「とにかく、今日はゆっくり休むことだ。宇髄は就寝前のミーティングを終えたら顔を出すと言っていた」
「はい…。あの、煉獄さん本当にありがとうございます」
「うむ。それでは俺はこれで失礼するぞ」
 これだけ迷惑をかけておきながら、布団に横たわった状態でお礼を述べるのは失礼にあたると思いつつも、どうせ煉獄さんは私が起き上がることを許してはくれないだろうから、仰臥位のまま今一度お礼を述べる。弱々しく呟いた私を一瞥し呆れたような微かな笑みを口元に浮かべると、煉獄さんは立ち上がる。
「れ、煉獄さん!」
「ん、どうした?」
 どうしてそんなに優しいんですか?誠実なんですか?恋人はいるんですか?私のことやっぱり軽蔑してますか?
 煉獄さんに聞きたいことが山ほどあった。何故だか彼のことが気になって仕方ない。それでもそれらの疑問が私の唇から紡がれることはなく、不思議そうにこちらを振り返った煉獄さんに、改めてお礼と謝罪を告げることしか出来なかった。
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