愛にはぐれて

 最近の高校生は本当に発育がいいなと、一月前に行われた健康診断の結果をぺらぺらとめくる。僅かに開けた窓の隙間からは柔らかな春風が吹き込んで、カーテンの裾をぱたぱたと揺らしている。校庭に隣接する放課後の保健室には、部活に精を出す生徒たちの声がBGMのように木霊する。
 今日の仕事もあと一息と大きく伸びをしてから、既に冷め切っているコーヒーを喉に流し込み、改めて手元の紙面に視線を走らす。
 例えばこの剣道部の我妻君。彼はこの一年で脅威の10cmも身長を伸ばしていた。同じ剣道部の嘴平君と竈門君も8cmずつ身長が伸びており、もう2m越えの大男になってしまうのではないかと心配になる。なにも男子生徒ばかりでない。最近の女子高生の発育にも目を見張る。
 同じ剣道部の栗花落さんや竈門君の妹さんも上背はそれなりにあるのに座高がかなり低い、つまり足が長いのだ。最近の女子高生は皆スレンダーでモデルのような体型をしているにも関わらず、出る所はよっぽど私より発育していると思う。時代も変わったよね、なんて先人のようなことを思いながら黙々と作業をしていると、保健室の扉が勢いよく開けられる。
「保健室はここだろうか!」
 辺りかまわぬ大声が廊下まで響き渡る。仮にもここは保健室であることを分かっているのだろうか。呆気に取られて声の方を見れば、剣道部の栗花落さんが見たこともない男性に抱えられている。
「保健室はここですけど、貴方は一体」
 男性が「俺は…」と口を開きかけた所で、彼の後ろから剣道部の竈門君が慌てた様子で顔を出す。相当息が上がっているところを見ると、この二人を追って走ってきたのだろうか。
「苗字先生、すみません!急患です!部活中にカナヲが倒れて」
「竈門君!?なんだかよく分からないけど、とにかく栗花落さんをベットに寝かせてもらえます?」
「承知した!」
 大きな声の男性が保健室内のベッドまで足をすすめて栗花落さんを濡れ紙を剥がすように横たえる。彼の恰好が胴着であることに初めて気が付き、剣道部関係の方なのだろうと察しがつく。そんなことよりまずは急患対応だと、私は栗花落さんに近づいて、きつく結ばれていた胴着の腰ひもを緩めてやる。
「栗花落さん、大丈夫?ここがどこだか分かる?」
 はいと弱弱しく返事をした彼女の意識があることに安堵する。私は栗花落さんの細く白い手首を持って脈拍を確認する。顔色は芳しくないが、脈も規則的で緊急性はなさそうだ。
「どんな状況で倒れたか教えてくれる?」
 血圧計と聴診器をベッドサイドの棚から取り出しながら、心配そうにこちらを見つめる竈門君に視線を移して問いかける。
「はい。実は一人ずつコーチに打ち込み稽古をしていたんです。それで、その打ち込み稽古がかなり激しくて…」
「うむ。俺のせいだな、申し訳ない。本日が初日だったゆえ、加減が分からなかった」
 竈門君が少し言いにくそうに男性に視線をやると、派手な金糸を持つ男性は申し訳なさそうに眉尻を下げた。なるほど。この人はコーチとして本日から我が校の剣道部に尽力してくれている外部の人間なのだろう。だから校内で見たことがなかったのだと合点がいく。
「軽い貧血かな。今日は五月にしては少し暑かったから…。頭は打ってない?」
 栗花落さんの細い腕に巻きつけた血圧計を加圧しながら、私は質問を続ける。
「はい!倒れる瞬間、煉獄コーチがカナヲを受け止めてくださったので」
 竈門君の言葉にほっと胸を撫で下ろし、私は血圧計の数値を確認した。値はやや低めであり、しばらくはベッドに横になっていた方がよさそうだった。
「栗花落さん、脱水による軽い貧血だと思うの。今日はひとまずゆっくり休んだ方がいいね。少し休んでお家の人に迎えにきてもらおうか。ご家族来れそうかな?」
 役目を終えた血圧計を彼女の腕から外しながら、諭すように問いかける。
「…はい。電話すれば迎えに来てくれると思います」
「それは必要ない、俺が送っていこう!元はと言えばこうなったのも俺の責任だ。済まなかったな」
 小さく呟く栗花落さんに布団をかけてやると、煉獄コーチと呼ばれた男性が心配いらないといった風にずいっと前に出て、当たり前のように彼女の頭を撫でた。
 ん?いい歳をした大人が女子高生に気安く触ることなど許されるのだろうか。セクハラにはあたらないの?とハラハラしながらそのやり取りを見つめていたが、栗花落さんは嫌がる風もなく頬をぽっと赤らめて布団を口元まで引き上げ小さく頷いていた。確かにこの煉獄コーチからは厭らしさのかけらも感じない。
「それなら安心だ!苗字先生、俺カナヲの荷物持ってきますね」
「あ、うん。竈門君よろしくね」
 慌てて保健室を出ていく竈門君の背中を見送って、栗花落さんにゆっくり休むよう声をかけベッド回りのカーテンを引く。
「さて、ここはもう大丈夫です。栗花落さんが落ち着いたら、私の方から声をかけますから…えっと、練習?戻っていただいて大丈夫です」
「うむ、ありがとう!貴方は優秀なのだな」
「そんなことないです、こんなことは日常茶飯事なので…」
 突然の賛辞の言葉に、私は照れて顔の前で手を振って見せたが、褒められれば悪い気はしない。こそばゆさを感じつつ、先ほどからの疑問を漸く口にする。
「それで…失礼を承知で伺いますが、貴方は…どちら様で?」
「――それは俺が説明してやるよ」
 またしても「俺は…」と言いかけた煉獄コーチ…煉獄さんの言葉を遮ったのは、いつの間にか保健室に姿を現した剣道部顧問の宇髄先生だった。人目に付くなりを見て、相変わらず今日もちゃらいですねという言葉をぐっと堪える。
「む、宇髄か。今日は君の生徒に無理をさせてしまった。すまない!」
「派手にでけぇ声が聞こえてきたから何事かと思ったが…今そこで炭治郎に会って聞いたぜ」
 喫茶店か何かと勘違いしているのか、ずかずかと保健室に足を踏み入れて、先ほどまで私が腰かけていたデスクの 椅子を引き寄せて座ると、宇髄先生はのんびりと煉獄さんと会話を始めた。私がお茶でも出すのを待っているかのようにも見える。
「ちょっと、宇髄先生。説明してくれるんじゃないの?二人はどういうご関係で?」
 この人は誰?という視線も一緒に宇髄先生へ送る。
「煉獄は俺の大学時代の同窓でな。剣道で国体に出場した実力者なんだよ。実家もでっけえ道場を構えてるしな。そんで、剣道部の顧問である俺様が声をかけたんだ」
「ああ。俺の手には余ると思ったのだが…宇髄の頼みとあれば断れんだろう」
 当然ながら二人のやりとりを見るのは初めての私であるが、テンポよく会話を続ける様子から旧知の仲であることが伝わってくる。宇髄先生もこんな顔をするんだなとぼんやりと考えていると、煉獄さんがこちらに手を差し出してきた。
「そういうわけだ!挨拶が遅れてしまったが、俺は煉獄杏寿郎という。中々会う機会もないかもしれないが、今後とも宜しくたのむ」
「あ、はい、こちらこそ。私はこの高校で養護教諭をしている苗字です」
 溌溂とした物言いに気圧されておずおずと手を差し出せば、熱いくらいの体温が掌を通して伝わってくる。変わっているけど、情熱的で優しい人なんだろうな。それが私が彼に抱いた第一印象だった。
「うむ。では俺は体育館に戻る。苗字さん、彼女が落ち着いたらすまないが声をかけてくれ」
 端正な顔を綻ばせて爽やかな笑顔を見せると、煉獄さんは颯爽と保健室を後にした。
「…なんか変わった人だね。いい人なのは凄く伝わってきたけど」
 遅れてやってきた春一番みたいと苦笑して宇髄先生に視線を戻せば、「そうだろ」と白い歯を見せて楽しそうに笑っていた。どんな表情をした彼も相変わらずのイケメンだなと、整った眉目に関心していると、宇髄先生は凭れていた椅子から立ち上がり、あっという間に私との距離を詰める。腰を引き寄せられ身体をぴたりと密着させられると、胸が早鐘のように踊りはじめる。
「ちょ…宇髄先生。ダメ、生徒がいるんだよ」
 声を潜めて圧倒的に身長差のある宇髄先生を見上げるが、情けないことに体中の熱が顔に集まってくるのが分かる。
 赤面する私を意地悪そうに眺めると、宇髄先生は形のいい唇を私の耳元に寄せる。優しく息を吹きかけられれば、全身が粟立ち子宮が切なく疼きだす。
「今日の夜。いつもの場所で」
 艶っぽい低温で囁かれてしまえば、私の身体は一瞬にして彼の熱を思い出す。私が小さく頷いたのを確認すると、宇髄先生は満足そうな笑みを浮かべて保健室を後にした。
 何を隠そう私と彼は、もう長らくセックスフレンドというやつだ。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -