あの日に見つけた恋心


 夏の到来を期待させるような好天の中、文化祭は幕を開けた。この辺りでもかなりのマンモス校である我が校の文化祭ともなれば、その来場者数にも舌を巻く。生徒や来場客でひしめき合う賑々しい廊下を縫うように潜りぬけ、私は校庭への道を急いでいた。
 私が朝から忙しなく動いているのには理由があった。例年であれば、体調不良者や怪我人対応のため殆どの時間を保健室で過ごしているのだが、今年はもう一つ重要な責を負っていた。
 社会貢献活動の一環で、文化祭での献血協力企画の指揮を執っているのが、何を隠そう私なのだ。といっても、当日現場で動いてくれるのは採血事業者の方々であり、私は進行に滞りが無いよう裏方でのサポートになるのだけれど。こんなにも多くの人が集まっているのだ。一人でも多くの人々に献血にご協力いただきたいものだ。
「苗字先生!俺たちのクラスの出し物、見ていきませんか?」
 溌溂とした爽やかな声が耳を掠める。声のする前方を見遣れば、竈門君がいつも通り人のよさそうな笑みを湛えてこちらに手を振っていた。隣には少し恥ずかしそうな様子の栗花落さんもいる。確か二人は付き合っていたはずだ。彼氏と文化祭なんて甘酸っぱい青春の思い出だよね、と少し羨ましくなる。
「竈門くんに栗花落さん。お疲れさま。二人のクラスは何の出し物してるの?」
「俺たちのクラスはお化け屋敷です。有難いことに、結構評判がいいんです」
 竈門君の言葉に相槌を打ちながら、無意識に我妻君の姿を探してしまう。確か彼も、竈門君と同じクラスだったはずだ。呼び込みに姿がないということは、お化け役でも任されているのだろうか。
「あれ、あの子は?我妻君」
なんでもない風を装って竈門君に尋ねてみると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて声を潜める。
「実は今、隣のクラスの子に呼びだされて少し外してるんです。多分告白じゃないかなぁ。今日二回目なんですよ。先生、告白イベントはご存じですか?」
「あ、うん。確か、校舎内に隠されてる花言葉が書かれたカードと一致する花を渡す、っていうロマンチックなイベントだよね?」
 以前煉獄さんと食事をした時、彼が話していたことを思い出す。
「そうです。さっきは花を渡されそうになったみたいですよ。善逸は断ったみたいですけどね、好きな人がいるからって」
 竈門君が今度は少し意味深な笑みを浮かべるので、彼には何もかも筒抜けなのではないかとドキドキしてしまう。それにしても、我妻君の最近のもてっぷりには脱帽する。それと同時に私の胸がチクリと痛むのを無視出来ない。
「ごめんね。お化け屋敷覗きたいのは山々なんだけど、今から献血イベントに顔出さなきゃいけなくて。私、一応責任者なの。だから、また時間が出来たらお邪魔するね」
 残念そうに肩をすくめた二人に両掌を合わせると、私は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にする。ついつい文化祭の雰囲気にあてられて話し込んでしまったが、まずは己の責務を全うしなければ。
 献血車が停まっている現場に着くや否や、保健委員の神崎さんに「遅いです」と言わんばかりの視線を注がれる。私はここでも両掌を眼前で合わせて神崎さんに謝罪する。目を見張る手際の良さで献血希望者の受付補助をしている彼女の方が、自分より余程医療に携わる者としての素質がありそうだ。
「ごめんね神崎さん。ちょっと竈門君達に捉まっちゃって。ここまではどんな感じ?」
「文化祭に来ているお客さんの数からすれば、協力してくれる方は少ない気がしますね。今日は客層も他校の生徒が多いので、献血出来る年齢に満たないっていうのもありそうですけど」
「う〜んそっかぁ。急遽決まった企画だったから宣伝が足りなかったのも影響してるのかな」
 小さく嘆息して、顎に手をあてどうしたものかと考えあぐねていると、大きな身体が視界を覆う。慌てて見上げると、よっと気軽な感じで片手を上げて私を見下ろす天元と視線が絡む。
「どうよ調子は?」
「う、宇髄先生。うん、悪くはないんだけど…思ったより人が集まらなくて」
「なんだそんなことかよ」
「そんなことってねぇ」
「まぁ俺様に任せとけ。この間の詫びもかねて、派手に人集めしてきてやるよ」
「えっ、宇髄先生!?」
 天元はいつも通りの軽い口調で告げると、私の額を中指で軽く弾き――所謂、デコピンだ――様々な出店が軒を連ね人々で賑わう校庭へと姿を消した。
「…苗字先生、もしかして宇髄先生と付き合ってるんですか?」
「な、え!?なんでっ」
 何故だか甘い痛みを感じてしまった額をさすり、天元の大きな背中を見つめていた私の横で神崎さんが呟くように問いかける。
「だって宇髄先生、凄い優しそうな目で苗字先生のこと見てたから。ちょっと意外です。宇髄先生って正直女性なら誰でもいいのかなって思ってたんですけど。…あんな顔もするんですね」
 違うんですか?ともう一度先ほどの質問の答えを求める神崎さんに、私はぎこちなく頷いた。そう、私と天元は恋人でもなんでもない。ついこの間まではセフレという関係だったが、今はただの同僚なのだから。
 結局天元は宣言通り、多くの献血協力者を獲得してくれた。天元の色男っぷりに天性の口達者も手伝えば、ご婦人達はあっという間に骨抜きにされ、連れたっていた殿方達も巻き込んで瞬く間に献血車は満員御礼状態となった。
「宇髄先生、ありがとう。まさかこんなに人が集まるなんて思わなかったよ」
「そうかぁ?これくらい余裕だろ。まだまだ俺様の本気はこんなもんじゃねぇけどな」
 献血車に並ぶ人の列が捌ける頃、改めて様子を見に来てくれた天元が、いつもの調子でしたり顔をして見せた。普段は憎たらしく感じるその顔も、今は聖人のように見えてしまうのだから不思議だ。
「相変わらずのイケメンぷりですね」
「惚れ直しただろ?」
「…うん。なんか格好良すぎてムカツク」
 言ってから、しまったと天を仰ぐ。ついつい口を滑らせ本音を漏らしてしまったことを後悔し、慌てて天元の方へ視線を移す。「冗談だよ」と軽い口調で告げるつもりが、急に貧血を起こしそうな眩暈にみまわれる。
頭を勢いよく動かしたせいか。生理が終わったばかりで自身も献血をしたことが良くなかったのだろうか。黒幕が引かれたように目の前が暗くなり、膝から崩れ落ちそうになる私を、当然のように隣の彼が支えてくれる。
「おいおい、大丈夫か?」
「ごめ…なんか急に眩暈が。多分献血のせい、少し休めば大丈夫」
「昨日も遅くまで残ってただろ。疲れが出たんじゃねえか?……名前、騒ぐなよ」
 呆れたように呟くと、天元は軽々と私を横抱きにする。
「ちょっ!まって、やだ、何っ!?」
「騒ぐなって言っただろ。おい、神崎!苗字先生具合悪いつーから、一旦保健室戻るわ。あと宜しく頼む」
 有無を言わさぬ様子の天元は、予想外の展開に呆然とする神崎さんに一言告げて、私をあっという間に保健室まで連れ帰り、壊れ物を扱うように優しくベッドに横たえてくれた。
「少し横になれ。三十分くらい名前がいなくても問題ねえだろ」
 ベッドの端に腰掛けて、天元はあやすように私の髪を何度も撫でる。
「…目立ちすぎだよ。もぅ」
 養護教諭が情けないと思いつつ、お言葉に甘えて少しだけ休ませてもらおうと、私は口元まで布団を引っ張り上げて天元を見る。透き通った綺麗な双眼が私を優しく見つめていて、左の胸がときめくのを感じずにはいられなかった。

 剣道部の出し物の準備があると天元が保健室を去ってから、私は一時間程眠ってしまっていたようだ。体調はすっかり元通りになっており、慌てて献血会場まで舞い戻れば首尾よく進行していると、業者に笑顔で告げられた。
「名前先生」
 取り急ぎ用無しとなり、保健室まで続く廊下をとぼとぼと歩いていた私を、長身の彼が通せんぼするように行く手を遮る。
「名前先生、倒れたって本当?」
 彼の名前を呟く前に、我妻君が腰を屈めて心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「なんで知ってるのよ」
「アオイちゃんに聞いたんだ。もう大丈夫なの?」
「うん、もうすっかり元気だよ。心配してくれて、ありがとう」
 剣道部の出し物を控えているであろう我妻君に心配をかけまいと涼しい顔で伝えた私に、彼は一瞬安堵の表情を浮かべるも、それは直ぐに一変する。
「後さ、宇髄先生にお姫様抱っこされたっていうのは?」
「えっ…」
 やっぱり本当なの?と大きな瞳に一抹の翳を落としてこちらに問いかける我妻君に、胸が痛んだ。
「あれは不可抗力だったんだよ。宇髄先生も深い意味はないと思うから」
「そんなの分かんないじゃん」
「そうなの!私と宇髄先生は、もう我妻君が考えてるような関係じゃないから」
「…俺が考えてるような関係って、エッチな関係ってこと?」
「う…うん、まぁ」
「ふ〜ん」
「そ、そんなことより、我妻君は?今日はもう二回も告白されてるって竈門君が言ってたよ」
 無関心を顔に装ってみたが、声は自分でも分かるほど上擦ってしまった。それを聞き逃すはずのない我妻君は、私の両肩に腕をかけ、さらに顔を近づけてくる。
「名前先生、やきもち?」
「ちょ、我妻君!近い近い近いっ!!ただでさえ文化祭で人が多いっていうのに」
「この廊下は具合悪い人でもいなくちゃ、滅多に人通らないじゃん。名前先生が一番よく知ってるでしょ?」
「でも誰かに見られてるかもしれないでしょ!」
 相変わらずぐいぐいと迫って来る年下君に翻弄されっぱなしの私は、ばねのように勢いをつけて我妻君の身体を押し距離をとる。
「っ…痛っ…」
 ニヤニヤとした表情が打って変わり、我妻君は強い痛みを堪えるように顔を歪める。ひょっとすると、先日私を庇ったせいで怪我を負った箇所に、触れてしまったのかもしれない。
「ご、ごめん我妻君!もしかして私、怪我した所に――んぅっ」
 慌てて我妻君に近づいて、確認のため彼の身体に触れようとするも、その手を容易に絡めとられ、私はそのまま唇を許すこととなる。
「っ…はぁ、我妻君!ひどい、騙したの?」
「だって名前先生、可愛すぎなんだもん」
 騙される方が悪いよと、無邪気に笑う我妻君にこんなにも浮き立つ私の心を、どうやって静めたらいいのだろうか。

 もう間もなく体育館で催される剣道部の出し物を見に来るように告げ、我妻君は名残惜しそうに私の元を去っていく。今更ながら、剣道部の出し物とは一体何だろうと考えながら、私は体育館までの道を急いだ。
 体育館は入り口まで人が溢れ返っており、剣道部の催しへの期待感を如実に物語っていた。今年は全国大会にまで駒を進めた剣道部だ。期待するなという方が無理な話ではなかろうか。
 当然ながら観賞用に用意された座席は全て埋まっており、立ち見の観客にぎゅうぎゅう身体を押されながらステージ全体が見渡せそうなポイントを探す。すると、突然手首を掴まれて引き寄せられる。絶好の観賞場所に私を導いてくれた張本人は、煉獄さんだった。
「煉獄さん!?いらっしゃってたんですね」
 想像以上に自分の声がふわふわしているのが分かる。
「苗字さんも、剣道部の催しの観賞か?よければここで一緒にどうだ」
「ぜ、是非お願いします!丁度いい場所が無かったので、助かりました」
 煉獄さんにぺこりと頭を下げると、彼は口もとに微かな笑みを浮かべてステージに視線を移した。相変わらずのその端正な横顔に、思わず見惚れてしまう。
「煉獄さんは剣道部が何をするのかご存じなんですか」
「ああ。指導したのは俺だからな。今回は殺陣を披露することになっている」
「殺陣ですか!?煉獄さん、そんなことも出来るんですか」
「さぁ、もう始まる」
 煉獄さんの声とほぼ同時に体育館の照明が落ち、舞台にはスポットライトの光が幾筋も注がれる。それを合図に剣道部による殺陣のステージが始まった。その芸は圧巻で、会場中の視線を欲しいままにしていた。
 かくいう私も、当然ながらその赫赫たる殺陣に魅了させられる。しかしどうしてなのだろう。私は会場の人々を虜にしてしまう殺陣よりも、隣の彼の横顔に魅了させられ仕方がなかった。時々触れては離れるもどかしい距離と一瞬だけ感じる温かい彼の体温が、心臓の鼓動をどんどん早めているのが分かる。このままでは動き疲れた心臓が止まってしまうのではないかと思ったほどだった。
 三十分近い殺陣のステージが終了すると、われんばかりの拍手と轟くような歓声が体育館を揺さぶった。ステージ上の部員も充実感と達成感を混ぜ合わせたような表情を浮かべている。
「煉獄さん!皆、凄かったですね、私感動して、一瞬目頭が熱くなりましたよ」
掌が痛くなるほどの拍手を送りながら、隣の煉獄さんを見上げる。
「あぁ、そうだな。忙しい練習の合間によくここまで完成させたものだ」
「――杏寿郎」
 感慨深く二人でうんうんと頷いていると、煉獄さんの名前を呼ぶ渋めの心地よい声が耳に届く。このダンディな声には聞き覚えがあった。
「…父上」
「やぁ、君はあの時の保健の先生だね」
「後援会長様!はい、苗字名前です。その節は大変お世話になりました」
 突然の後援会長である煉獄さんのお父様の登場に、私は慌てて頭を下げる。文化祭に彼の姿があるのはなんら不思議はなく、胸ポケットには来賓用のリボンが飾られている。
「いやこちらこそ愚息が世話になっている。それにしても素晴らしい殺陣のステージだった」
「はい!本当に部員の皆、頑張りました!なんでも煉獄さ…、杏寿郎さんが殺陣の指導をされたとお聞きしたので。私、本当に尊敬してしまって」
 後援会長も「煉獄さん」のため、紛らわしさを回避するため思わず煉獄さんの下の名前を呼んでしまう。言った後に、何故か心臓がにわかに鼓動を早めた。
「杏寿郎も教えがいがあるだろう。こんなに可愛らしい先生が傍にいれば尚更だな」
「…父上…揶揄うのはよしてください」
 煉獄さんのお父様は、悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを湛えて煉獄さんに視線を投げる。煉獄さんは居心地が悪そうに眉尻を下げてお父様を見つめ返していた。一方「可愛らしい」と言われてしまった私の頬には熱が集まる。そして、この後に続くお父様の言葉で、私の顔はさらに真っ赤になっていたことだろう。
「苗字さん、うちの杏寿郎はどうだろう?父親の俺が言うのもなんだが、なかなか見どころのある男だぞ」
「父上!…いい加減にしてください。苗字さんも困ってしまいます」
 いよいよ煉獄さんがこの空気に耐えられないというように語気を強める。
「はは、すまん。私はこれで失礼するが、苗字さん。いつでも煉獄家に遊びにきてくれ」
 無意識なのか意図的なのか真意は分からないが、煉獄さんのお父様は私達のこの微妙な関係をかき回すだけかき回し、小さく笑って体育館を後にする。
 残された私達は決まりが悪く、一度視線を合わせるもお互いにぱっと逸らしてしまう。私の顔は恐らくバラの花よりも赤く、煉獄さんの耳もほんのり赤いのは気のせいではないはずだ。
「父が余計なことを言ってすまない」
 既に吹奏楽部が発表の準備を始めているステージを見つめながら、煉獄さんが呟いた。
「いえ…。煉獄さんとなら、全然嫌じゃないですよ」
 誰に言うでもない、つぶやきのような言葉は、煉獄さんの耳に届いていたのだろうか。

 本日の日報を書き終えて、私はパソコンをぱたりと閉じる。ふと窓の校庭に視線を走らせば、夕日の名残は消えつつあり薄闇が立ち込めている。
 思い返せば数か月前、煉獄さんがこの保健室を訪れた時から、私の日常は少しずつ狂い始めていたような気がする。
 失敗ばかりの恋愛に打ちひしがれて、そのたびにこの世の終わりみたいに落ち込んで、死にたいほど苦しくて、いつのまにか本気の恋が出来なくなった。傷つくのが怖くて、本気の恋愛なんてもう懲り懲りと、呪文のように自分に言い聞かせていた。
 それでもいつか、生涯かけて真実の愛を貫き通してくれる人が現れるかもしれないという一縷の望みを、結局捨て去ることが出来なかったのだ。ゲームオーバー。試合は終了だ。
――いつかきっと出会える
 あの時の彼の言葉が脳裏を過る。
 私はきっと、出会ってしまった。
 たとえこの先傷つけられることがあろうとも、どうしようもなく恋い焦がれてしまう、あの人に。
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